1 あなたも病気ですか?(2003/7/3)
10年ほど前、数年間旭川市の
詩の同人誌
に在籍していた。おそろしく怠惰な同人だったわたしは最後の頃は全然投稿せず、クビ同然でやめた。近いところに住んでいたのに会合に出たのは2回ぐらいで、それは不満があったからではなく単に面倒だった
だけなのだから情けない。今思うと詩への情熱が下降していた時期だったのと、やはりひとりで書いていた時期が長すぎて合評になじめなかったのが理由だろう。
その数少ない参加の最初の時に、わたしはKさん
と出会ったのだ。緊張しながら50〜60代の同人たちと話している時、当時30代(7,8歳年長だったと思う)の彼がじっとこちらを見ているのには気付いていた。水色のカメラマンベストにジーンズという姿で度の強そうな眼鏡をかけている。失礼ながら(70年代で時間が止まっているようなひとだな)
と思っていた。
不意にKさんの隣にいた同年齢ぐらいの細い女性が立ち上がりわたしのそばにやってきた。
「すいません、主人があなたとお話したいそうです。」
Kさんは相当のインテリだった。哲学者や文学者の名前がどんどん出てくる。そしてルーテル教会の信者
で、そこで奥さんと出会ったことなど、訊いてもいないことまで嵐のごとく語った(笑)学生時代の名残でいくらか思想書を読んでいたわたしだが、彼の熱弁に目を白黒させているだけだった。
その時の会話で印象深いのは「ポストモダン批判」のやり取りだった。
ポストモダンについて、あれは見かけと反対に「自分が他の人には見えないものを感受して考えていることを(というかそれだけを)或る枠のなかで主張しているだけだ」とわたしが言うと、彼はにこやかに賛同した。しかし続けて、「あれは無能力や体験の乏しさを権力にすり返るシステムですよ」と言うと、彼の表情は一瞬曇った。宗教批判と取られたのかと思い、あせった。確かにわたしは学生時代に体調不良と将来への不安(表面的には死への不安)からノイローゼになった時の神秘主義の誘惑を想起していたが、直接彼のことを考えていたわけではなかったからだ。
話題は他の事に移ったが、その時の彼の表情がしこりのようにわたしのなかに残っていた。
その席も終わり、別の同人誌の代表が経営している居酒屋に移動することになった。外に出ると、季節は初夏で、爽やかな夜の冷気のなかにネオンが瞬いていた。ぼんやり高い看板を見上げていると、こちらの様子を見ていたらしいKさんの奥さんが話しかけてきた。Kさんは少し前で同人と話しながら歩いている。
「あなたも病気なんですか?」
わたしは驚いて彼女を見た。「えっ?」
「あのひとは病気なんです。わたしはあのひとの看護婦なんです」
顔は笑っていたが、その言葉には深い悲しみが漂っていた。
何も答えられないまま、わたしたちは居酒屋に入っていった。
Kさんは少々難解だが独特の叙情に満ちた優れた詩を書くひとだった。仕事は何をしているのかわからなかった。旧日本帝国陸軍の文物を中心にした古物を取り扱っていたらしいが、たぶん趣味の域を出るものではなかったのではないかと思う。生活はほとんど奥さんの収入に依存していたのではないだろうか。
しかし奥さんは、生活能力に乏しいから病気だと言ったとは思えない。電話でKさんと何度か話したが、病気を連想させるところはほとんどなかった。ただひとつだけ、「傷痍軍人を見ると震えて足腰が立たない状態になるんだ」
という言葉が印象に残っている。彼はキリスト教信者らしく「罪」や「原罪」についてよく語ったが、わたしにはそれが、彼があの悲惨な戦争のイメージをほとんど現前するかのように感受する
ことと密接に結びついているように感じていた。何故そうなったのか、たぶん信仰以前からあり信仰の契機にもなったであろう心的外傷とは何だったのか。
いつのまにかわたしより先に同人誌からKさんは姿を消してしまった。連絡先もわからなくなった。しかし彼はまだどこかで詩を書いているような気がする。あのイメージをほとんど現前させる感受力から解放されていない限りは。