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菅田天神社
-kandatenjinja-
(山梨県塩山市上於曽1054)

■塩山駅を南口に出て、右に曲がり、商店街を歩いていくと、塩山市役所の近くに菅田天神社がある。樫の木立に囲まれたこの神社は、一見したよりも大きく、奥行きがある。本殿の朱もいやらしくなく、周囲と調和していい雰囲気である。
本殿の手前、左手には、小さな建物がある。建物の前にはピンポン大の茶色い樫の実がびっしりと落ちており、踏むとパチパチと心地よい音がする。ちょっぴりトトロ気分(笑)
我々は、国宝ツアーに参加して見せていただいたので、通常訪ねていってもみせてもらえるかどうか知らないが、この小さな建物の中に、武田氏塁代の家宝楯無(国宝)が収められている。開帳する前に、神主さん&解説者の方のお話があった。いろいろ参考にはなったが、反面おあずけをくらった犬のような気分である。神主さんは、「外国から訪ねてこられた方にぜひ見せて欲しいと頼まれたが、雨だったので断った」と誇らしげに語っていた。国宝を守るためなので仕方がないが、見るからに頑固じいさんである。でもこういう方がいたからこそ、楯無は現在まで至ったのだろう。ありがたいことである。
そしてやっとご開帳。保存のためにライトは使われていないので、薄暗く、外光に頼るのみである。が、写真撮影OKなので、フラッシュがバシバシたかれ、楯無は照らし出される。1000年も前のものなのに、思ったより色が鮮やかで驚いた。1000年もの間、武田の歴史を見つめてきた鎧である。それだけで感動ものである。本来、楯無は儀式用のもので、着けることはないらしい。だから鎧のパーツが全て揃っているわけではないのである。まあ、つけるものではないとしたら、武田滅亡のとき信勝が着たのは何?ってことになるのだが・・・
■歴史
恵林寺もそうだが、当社は甲府の鬼門である北東に位置し、甲斐を守護する役目を負った大事な神社である。甲斐源氏の守護神として崇められてきたこの神社は、スサノオ命と五男三女の神を祀っている。はじめ、承和9年(842)に建立されたと伝えられ、その後寛弘元年(1004)に菅原道真を相殿に祀るようになったことから、菅田天神と呼ばれるようになった。まあ、頭もよくなって強くもなれるお得な神社である。
楯無は正式には小桜韋威鎧兜大袖付(こざくらかわおどしよろいおおそでつき)という。矢や刀を防ぐには楯は要らずこれで十分ということから、一般には楯無鎧と呼ばれている。
楯無は御旗とともに天喜4年(1056)、甲斐守護の源頼義が後冷泉天皇から下賜され、甲斐源氏の祖である三男の新羅三郎義光に伝わった。ちなみに義光の兄、源義家の四代目の子孫が源頼朝である。新羅三郎義光以来、楯無は御旗とともに、代々武田家督の印とされ、甲斐武田氏の象徴とされた。信玄の代には甲府の鬼門にあたる当社に守護神として納められ、於曾氏がこれを守った。戦場に臨む際は陣中において軍神として崇拝したといわれるが、一説に御旗・楯無は神聖化されて厳重に管理され、出陣の際も持ち歩かなかったといわれる。
天正10年(1582)3月の武田滅亡のときには、嫡子信勝がかん甲の礼(げんぷく・鎧着)をしていなかったことを悔やんだ勝頼が、陣中で着せ、その後父子で自刃したとも伝えられている。鎧はその後、家臣の田辺左衛門尉に託され、向岳寺(塩山市)の庭に埋められたが、徳川家康が入国したときに掘り出し、再び当社へ納められた。
■交通
JR中央線塩山駅下車徒歩15分