掛川城
-kakegawazyou-
(静岡県掛川市掛川1141-1)

パンフレットのような写真(笑)

■案内

 JR東海道線掛川駅で降りて、北口へ出、目の前の広い道をまっすぐ行くと10分ほどで、掛川城につく。

すぐ目の前にコンクリート製の三日月堀がある。発掘した後、コンクリートで固めたらしいが、なんか意味があるのかな?

三日月堀のそばには門があり、くぐると、すぎ右手に十露盤堀がある。この十露盤堀もコンクリート製になっている。この十露盤堀は狭すぎて役に立たないと思うかもしれないが、本来は二の丸御殿の前までのびて、機能を果たしていたらしい。

その奥、入場券を販売している辺りが本丸である。本丸からくの字に曲がった登城道を登ると、天守閣である。

天守閣の前には、徳川軍に攻められたとき、井戸から霧が吹き出て城を守ったという霧吹きの井戸がある。岩村城といい、その他諸々の城といい、戦国時代には霧を吹いた井戸がたくさんあったようである。

天守閣に入る。天守閣は日本初の木造により復元されている。

内部は小さな山内一豊の像が置かれ、土壁の模型や、だるまなどが幅を利かせている。また、朱の甲冑も展示されている。この甲冑シンプルながら、なかなか美しい。

天守からは掛川城下が一望できる。高い建物もなく、緑も多い街なのでいいながめ。気分は殿様である。んーでも奥方の尻に敷かれそう・・・。

本丸の東には二の丸御殿、国の重文に指定された二の丸御殿がある。

これは太田道灌の子孫によってつくられたもの。中は役割や身分に応じてさまざまな部屋に分かれており、畳のある無しや天井の違いなど見ていて面白い。

また、太田家の家紋、桔梗があちこちにあるので、つい山県〜などとも思ってしまう。

一番奥には、大名行列の模型や発掘された瓦、太田家で使われた槍なども展示されている。

なかなか雰囲気のいい城。

押し寄せる家康軍を蹴散らす妄想にふけるならオススメである。

天守閣から天守下門、本丸(右)、十露盤堀(左)、三日月堀(その左)、二の丸(一番左)■歴史

掛川城の築城は永正9年(1512)、築城者は今川家の重臣、朝比奈泰能(やすよし)である。

永禄11年(1568)12月、甲斐の武田信玄は、甲・駿・相三国同盟を破棄し、駿河に侵入。

事前に今川氏の一族・重臣たちを内応させていた武田軍は、破竹の勢いで薩埵峠(さった)を越え、駿府に乱入。

今川義元の息子、氏真(うじざね)は、防衛体制をとることもできずに、駿府の今川館を追われた。その急さは、氏真夫人(北条氏康の娘)が乗り物を得ることもできずに徒歩で逃げだしていることからも察せられる。

これを迎えたのが掛川城主、朝比奈泰朝(やすとも)である。泰朝は、駿府からの落武者3000余を収容し、武田と呼応して三河から侵攻してきた徳川軍を相手に半年あまりも防戦した。

泰朝は家康に膝を折ることなく、奥平美作守貞能(さだよし)らの尽力で講和をし、翌12年(1569)5月、掛川城を開城、氏真に従って小田原の北條氏を頼って落ち延びる。

開城後、城には家康の臣、石田氏が入城したが、天正18年(1590)家康の関東入封に伴って移封となる。

後には、近江長浜から山内一豊が5万石で入城した。一豊は、掛川城を修築し、近世城郭へ一変させる。

慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦で東軍に属した一豊は、その功で土佐20万石へ転封。

その後、松平氏、徳川氏、本多氏、北條氏などなどなど次々と城主が変わり、延享3年(1748)、太田資俊が5万石で入城。幕末を迎えた。

■近郊スポット

正願寺・・・太田家家臣の墓です。徒歩15分くらいいったところ。

龍華院・・・家光を祀った廟があります。掛川城の裏手の方にあります。

円満寺・・・掛川城の門が残っています。商店街にあります。

■グルメ

掛川城前の「こだわりっぱ」で売ってる煎茶アイス!

煎茶ソフトも美味しかったです♪

 

■交通

JR東海道線・新幹線 掛川駅から徒歩10分

駐車場あり

天守閣・二の丸御殿 3月1日〜11月20日まで 9時〜17時 11月21日〜2月28日(29日)まで 9時〜16時30分 (入館は30分前まで)

             休館日 12月30日〜1月1日  300円 

           

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