
■案内
おすすめお土産 林泉寺宝物館で販売している春日山城の古地図、春日山城内の土産屋にて、「毘」、「懸り乱れ龍」の旗、杯、ライターなど
言わずと知れた、上杉謙信の居城である。築城は、室町時代初期、守護上杉氏によるが、戦国時代、実権を掌握した謙信の父長尾為景に要害化され、謙信の兄晴景を経て、謙信の居城となった。
春日山駅は「え?」と思うほど小さな駅で、駅には案内所などはなく、パンフレットなども見当たらない。駅を出てまっすぐ、大きな道に行き当たるまで歩くと、そこからは多少の案内板があり、そこから登山道入口までは15分ほどである。車では上杉謙信像や城の絵地図、土産屋がある山の中腹までは上れるが、そこから先は徒歩になる。道は、直江屋敷から本丸をめざす道と三の丸から本丸をめざす道の二つがあり、道は細いものの、階段や立て看板などの整備はされているため、比較的上りやすい。 途中には桝形や空堀などの遺構が残っており、城として山全体が要塞化されていた当時の様子がわかる。
直江屋敷は本丸を中心とすると、三の丸と対称の位置にあり、防衛上の重要地点に、重臣中の重臣、直江氏が住んでいた。現在では木が茂り、家臣の屋敷としては、広いほうである。
直江屋敷からそのまま上がっていくと、お花畑に出る。戦闘目的の山城には、似つかわしくないが、薬草や毘沙門堂に供える花が栽培されていたらしい。でも、やっぱり「お花畑」という響きが、ちょっと可笑しい。さらに上っていくと、毘沙門堂跡に着く。それより上にある毘沙門堂は、謙信が戦のたびにこもったというおなじみの毘沙門堂ではなく、現在は謙信時代の堂は残っていない。ちなみに、現在ある毘沙門堂も、中の毘沙門天像は景勝が転封になったときに持ち出され、米沢で焼失している。

毘沙門堂を後にして、上っていくとようやく本丸に辿り着く。中ほどに大きな堀があり、郭が二つならんでいる。建築物は何も復元されておらず、更地で、直江屋敷側の曲輪が本丸、三の丸側の曲輪が矢倉跡らしい。ここからの眺望はすばらしく、田畑が春日山城に守られるように広がり、遠くは直江津まで見える。
本丸から西側に続く道を降りると、山城には珍しい巨大な井戸があり、現在も水をたたえている。井戸曲輪から二つの堀切を越えると、景勝屋敷跡に出る。現在では木が生えているが、明るい感じでかなりの広さをもつ。そこから南に下ると、柿崎景家の屋敷跡がある。木々が茂るほかの曲輪と違い、草地。発掘の結果、春日山で唯一「池」を持つ庭園のある邸宅だったことが分かったそうだ。景家殿は武辺一辺倒のイメージを持っていただけに、意外の感があった。

本丸跡に戻り、三の丸側の道から下山する。二の丸跡は土塁で囲まれており、台所曲輪がある。そのすぐ下が三の丸で、謙信が北条氏から人質とし、後に養子とした上杉景虎の屋敷跡や馬場、米倉などがある。その付近には、春日山城築城当時からある道が残っている。
某小説の影響で、何かを勘違いした上越市によって新しい説明板も立てられ、「毘」と「懸り乱れ龍」のついた東屋もあり、規模はかなり大きいものの、上りやすい山城である。
謙信銅像のあるあたりには、春日山神社がある。その周辺が、平時の謙信の居館があったところといわれ、かなり広い平地になっている。春日山神社の宝物館には、謙信ゆかりの宝物が公開されている。しかし、川中島の錦絵(上杉と武田の各武将の一騎打ちのとか、鬼小島弥太郎の)が米沢の「お鷹ぽっぽ」や海音寺潮五郎の色紙が同じようにケースに入っている。物にこだわらないのかな?
■交通
信越本線 春日山駅より徒歩30分 (登山道入口まで)。もしくは、高田駅発バス「春日山下」下車徒歩15分