2003/9/1〜10/31

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10月29日(水)

世の中の人々は、普通、傘というものを、どこで買うものなのだろうか?
私は、ほとんど
デパートのバーゲンで買っていた。
それ以外は、雑誌のプレゼントでもらったくらい。
が、
今度傘を買うなら、是非あそこで買いたい
と思う店がある。
<白井洋傘店>。
高松市内にある、傘専門店である。

さて、買いたい、買いたい・・・と、何年もさえずっていたところ
ついに、先日、夫の折り畳み傘が壊れた。
かなり激しく壊れて、さらに、布地も相当に汚い。
ついに来た。
傘専門店で傘を買う日が、やって来たのだ。



始めにお断りしておきますが、傘専門店の<白井洋傘店>。
こう書くと、なにやら<宮内庁御用達>のような、由緒正しき格式高い老舗のよう・・・
だけれど、そいう雰囲気では、全然ありません。
老舗は、確かに老舗。
なにせ、夫が小学校低学年の頃には、すでにその店はあり
30数年たった今も、同じ所にある。
しかし、建物までまったく同じで、建て替え無し、店内改装も無し。
店の入り口は、いまだガラスの引き戸・・・
というので、老舗ぶりもわかろうと言うものでしょう。
さらに言えば、店のおじさんも同じ。
夫いわく、おじさんが、そのままおじいさんになっておるそうです。


そんな<白井洋傘店>。

実は、我々夫婦は、過去に何度かこの店で傘を修理してもらい、秘かなファンになっていた。
骨の折れた傘を
たった150円で元通りにしてくれるお店。
だけども、夫も私も
この店で、他の客を見たことが、たったの一度もない。

一度、
「布地の汚くなった傘を、貼り替えてもらえるのだろうか???」
と聞きに、夫が行くと

「う〜〜ん、布地なぁ。
大きさの合う布地があったら、できるけど・・・・・」

と言いつつ、机の引き出しから
妙な色柄の布地を、おじさんは引っ張り出してきたらしい。
変な色。
妙なデザイン。
????????何だ??これは???
と、いぶかしがる夫に

傘の修理の部品を取るために、高級傘の売れ残りを分解し
パーツを取った残りの布地


と、真顔で答えたおじさん。

つまり、ここで傘を貼り替えてもらうには、
高級傘を分解してもらわねばならないわけで
そんな恐ろしいこと、できないから、もう貼り替えはいいんだけれど
それに、
分解するのは、いかにも売れなさそうな、ヘンテコな色や奇抜な柄の傘なんだから
そういうので貼り替えられても困るし、もういいんだけれど
しかし、
パーツを取るのに傘を分解するって
そんなんあり??
いや、つまり、
それくらい傘が売れてないってことかい?????
お店の傘達
何年前から、そこにいるの??ねぇ?????ねぇぇ????????
と、私を仰天させてくれたおじさん&お店。

しかし、売れてなくても、お店には、500円くらいの安い傘から高級傘まで
ずらりと棚に並んでいるのだった。
老舗らしく
ガラスの戸の付いた棚やケースに
「誰か私を買うてって〜〜〜〜〜。」と言わんばかりに、並んでいるのだった。
ああ、一度、あそこで傘を買ってみたかった。
本当に。



というわけで、先日の土曜日
ついに我々夫婦は、件のお店へ突入した・・・・・
と言いたいところだけれど
なにせ、商売をしてるのかしてないのか??よくわからないような店なので
そこは恐る恐るガラス戸を開けた。

そして、相変わらず、お店には、誰も客はいなかったけれど
「折り畳み傘を買いたい」
と言う我々に、
店のおじさんは、そりゃあ〜〜もう、丁寧に対応してくださったのだった。
説明が、いちいち<プロ>であった。

夫が傘を選んでいるのを見ているうちに、私も折り畳み傘の新しいのが欲しくなり
                           (なにせ、今使っているのは
                                考えてみれば、結婚前に大阪のそごうで買ったものだった。
                                げげ・・・16年以上の年代物・・・。)

あれこれ良さそうなのを、手にとって見ていたのだけれど
そんな私に

「傘は、閉じて袋に入ってる時と、開いて見た時で全然感じが違うから
ぜひ開いてみるように」

と、おじさん。
それでは、と、袋から出し、あれこれ見
見終わって、また閉じようとすると

「閉じてまとめる時(畳んで、クルクル回して、バンドで留める時)は
布地の所を持って回すと、骨がゆがんだり、折れやすくなるから
ぜひ、一番下のところ(先っぽの骨が出てるところ)をまとめて持って、クルクル回すように」

と、またまたアドバイスが。
いや、色々勉強になります。
傘の正しい畳み方なんて、この歳になるまで、誰も教えちゃあくれなかったもの。

そんなこんなしているうちに、、やがて買うべき傘は決まった。
夫も私も、それぞれ5000円の傘をチョイス。
せっかく専門店に来たのだから
と、結構奮発したのだ。
したらば、なんとおじさん
1000円ずつ安くしてくれると言うではありませんか!
おまけに、
「普段、通勤鞄に入れておくために」
と、夫が追加で買おうとした、軽い1500円のアルミ傘

「もうそっちはええです。サービスしときますわ。」

だなんて!
おじさんっ!!
・・・そんなに、ここ、傘を買うお客さん、滅多に来ないんですか・・・・・?????

いや、それはともかく、すっかりこの店のファンになってしまった
・・・いや、もともとファンだったんだから
さらにファンになってしまったと言うべきか
そういう私達。
次は、折り畳みじゃない方の傘が壊れたら、絶対にまた買いに行くぞう!!!
と決意も新たに、お店を出たのだった。



ところで、
あれこれ、傘を広げて見ている時
袋から傘を出そうとして、難儀している私に、おじさんが教えてくれたのだけれども



↑これが買った傘なのだけれど、こういう折り畳み傘の袋に付いている



こういうピョコッと出てる奴


これ、傘を袋から出す時、
ここを持って引っ張るためのものだって
知ってましたか???皆さん?????


知っていた人には何でもないことだろうけれど
おじさんに教えてもらった瞬間

「100へぇ〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!!」

と思った、私だった。


朝: 目玉焼き
   サラダ(サニーレタス、トマト、きゅうり、ブロッコリー、レッドキャベツのスプラウト)
   バナナ入りヨーグルト、フランスパン2切れ、オリーブオイル、紅茶
昼: さわらの粕漬け、茄子と紫蘇のサラダ
   みそ汁(油揚げ、長ネギ、人参、青ネギ)、しょうが入りの紅茶


10月22日(水)

20年前の夏、私はイギリスにいた。
大学4年の夏休み、
就職活動もそこそこに、同じ大学の友達と二人で
リュックを背負って、エッサホッサとイギリスを一周していた。

ところで、旅立つ前
これがパック旅行ではない、二人だけの旅行ということで
友人は、母君にかなり反対されたらしい。
それを
「ロンドンに、同じ大学の友達が、夏休み中短期の語学留学をしていて(←これは本当)
その彼女のいる下宿(兼ホテル)に、ずっといるから。ね、ね。」
などと、かなり誤魔化した説得の仕方をして、旅に出てきたのだった。

この、<お母さんの反対>ということでもわかるように
この頃、
男はどうだったか知らないけれど、女の個人旅行というのは、「危ない!いかん!」と思う人々も
結構いたわけである。
特に、我々の親世代&それより上の世代では。

もちろん、当の私だって、
旅行中、日本にいるように安全でいられるとは思っていなかった。
なにせ20年前のことだ。
当時の日本は、今より10倍、いや20倍くらいは治安が良かったと思う。
そりゃあ、当時も
スリやかっぱらい(当時は、ひったくりのことをこう呼んでいたっけな)は、いただろうけれど
当時の自分が、そういうものに対して注意を払っていたか?と言えば、全然無い。
夜中、
飲み会からの帰り道
ほとんどなんの恐怖も感じず、緊張もせず
ヘラヘラと繁華街を歩いていたし、駅から下宿までの道を歩いていた。
それが20年前の、私であり、
多くの女友達の姿であったのだ。

しかし、さすがに、それがそのままイギリスで通用するとは、思っちゃいない。
色々本を読み、
かっぱらいやらスリやら
置き引きやら強盗やら
そういうものがヨーロッパには、ウヨウヨいるのだ、と肝に銘じていた。
また、旅に出る前に、友人の1人から
かの有名な都市伝説のひとつ<オルレアンのうわさ>なるのものを聞かされて
「外国は怖い。気をつけねば。」
と、更に、下っ腹に力を入たりしていた。
そう、
私は、あの<オルレアンのうわさ>を、丸々素直に信じたのだ。・・・21歳。純真だったわ・・・。

             注:<オルレアンのうわさ>とは、1960年代後半頃、 
             フランスの都市オルレアンを中心に広まり
             バージョンを変えながら語り継がれていった、都市伝説。
             ブティックの試着室に入った女性が、麻酔をかがされ、失神させられ、 
             誘拐されてどこかに売り飛ばされる・・・と言うのが基本形。
             最初にうわさが起こったオルレアンでは
             この事件があったとされるブティックが、 
             すべてユダヤ人の経営する店だったということから、
             人種差別的嫌がらせだとも言われている。
             
             私が聞いたのは、<ヨーロッパのブティックの試着室>で、 
             麻酔をかがされ、中東に売り飛ばされる・・・というバージョンだった。
             ・・・今もあるのかしら??この伝説。



ともあれ、そんな気合いでやって来た、イギリスだ。
ヨーロッパでは、かなり治安が良い方だと聞いていたし
実際、旅していても、かなり安全だとは感じていた。
それでも
完全に気を許してはいけない
やっぱり、かっぱらいや置き引きはあるだろうし、
悪い人も、中にはいるだろうし・・・
と思いつつ3週間
ロンドンから、スコットランドを経由し、更にヨタヨタと南下して
南海岸のsouthseaという、小さな町まで私達はやって来た。
その時である。
1人の男性に出会ったのは。



それはsouthseaの路上。
この小さな町には、なぜか、国鉄の駅前にツーリスト・インフォメーションが無かった。
たいていの町では、駅を出たらすぐ目の前にあるそれが
どういうわけか、えら〜〜く駅から離れた場所にあったのだった。
駅前にあった<市街地案内図>を見ると、割合近いところにあるように見る。
私と友人は、リュックをかついで歩き出した。
が、
いくら歩いても
いっこうにそれらしきものは、見つからない。
おまけに
歩き回っている間に、自分達がいる場所さえ、あやふやになってしまった・・・・・。

「・・・・・・・・・・・・・・?????」

地図を囲んで首をかしげる、路上の我々。
そこへ
「どうしたの?」と、車を止めて声をかけてくれたのが
アフリカ系イギリス人、・・・名前は知らないので、仮に<アフロ氏>としましょうか、アフロヘアだったので
アフロ氏だったのだ。


このアフロ氏
ツーリスト・インフォメーションはどこ??と聞く我々に

「あ〜〜〜〜〜。そこは遠いなー。車で送ってあげよう。」

と答えた。

「・・・・えっ・・・・・・・・・・・・・・。」


これには、ひるんだ。
そこが20年前の日本なら、「まぁ、親切なお方。」と思うところだろうけれど
なにせイギリス。
置き引きやかっぱらいが、右往左往している(はずの)イギリスである。
当然、私は断りたかった。
そりゃあ、親切な人は、もちろんイギリスにだっているだろうけれど
でもやっぱりここは、ホイホイついていくべきでは無いのでは・・・・・・・・・・・・??
結構です!と走って逃げ出すべきでは?????

当然、友人も迷っていた。
が、アフロ氏、
さらに何度も「送ってあげるから」を繰り返すのである。
こういうしつこさに、当時の私達は慣れていなかった。
新聞の勧誘や、
布団の訪問販売や、エ◎バの証人を
「いらないったらいらないんですっ!!!」
と、断固として断る術にたけていなかった。
幼かったのである。

そして、長い時間、迷いに迷い
ついに友人が

「私は、あなたを信じますよ?」

と彼に言った。
「OKOK」と笑って、車のドアを開けるアフロ氏。
結局、私も、彼女に従ってズルズルと、アフロ氏の車に乗り込むことになってしまった・・・・・。
頭の中を<オルレアンのうわさ>が駆けめぐる。

・・・もしかしたら、本当にこの人、親切で言ってくれているのでは・・・?????
と思うと、どうしてもキッパリした態度がとれない。
車中の私は
緊張のあまり、ものすっごく憮然とした顔のまま、一言もしゃべらなかった。
本当に、乗っちゃって良かったんだろうか???????
アフロ氏は
「どこから来たの?」とか「学生?」とか
色々話しかけてくるのに、私は、無言で、ただただ運転する彼の後頭部をにらみつけていた。
友達は、質問に答え、笑ってさえいたというのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



結果として
20年後の今、
こうして私は、屋島で無事、おばはん的生活を送っているわけだから
かのアフロ氏、本っ当〜〜〜に親切で申し出てくれたわけだった。
そして、実際、送ってもらってみて驚いたけれど
ツーリスト・インフォメーションは、本当に遠かった。
自力では、絶対見つけられなかっただろうくらいに、遠かった。

しかし、無事ツーリスト・インフォメーション前に到着してからも
私の緊張は解けなかった。
「じゃあね。」
と去りゆくアフロ氏の車を、
まだ憮然とした顔で見送っていた。
完全に車が見えなくなって、やっと緊張が解け、
すべてが私の杞憂だったとわかり
さあ〜〜、それから私が、どれほど後悔したことか
自分をバカだと思ったことか

なにせ、私は
ついに「サンキュー」の一言さえ、彼に言わなかったのだから・・・・・・・・・・・・・・・。


いったい、旅行中ということで、ガチガチに鎧を着こんでいた私が悪かったのか・・・・・?
人を信じない、心の狭い自分が悪かったのか・・・・・?
でも、じゃあ、信じて、あっさりついて行っても良かったんだろうか??
何の疑問も感じずに、車に乗ってっても良かったんだろうか?????

たった一言の御礼が言えなかったせいで
そう、本当にその一言が原因で
私はこのことを、後々までクヨクヨと考えることになってしまった・・・・・。





本日の午後、
我が家のチャイムが、<ピンポーン>と一回鳴った。
ピンポン一回は、マンション全体の玄関のインターフォンでの呼び出しである。
(各戸の玄関前のインターフォンは、ピンポンが二回鳴る。)
「はい。」と、インターフォンの受話器を取ると
相手は無言。
たちまち、私は、受話器をピシャリ!!!と置いた。叩きつけた。
絶対に、これは、空き巣が下見のため、各戸の留守を確認しているのに違いない!
と思って。

そう、以前にも、時々こういうことはあった。
その時は、
子供のいたずらかと思っていたのだけれど
先日見たTVの、<これが空き巣の手口だ!>ってな番組では
空き巣というのは、
盗みに入る家を決めたら、そこの住人の生活ぶりを
ものすご〜〜〜〜〜く詳しくリサーチするという。
毎日、誰が何時頃出勤するか?買い物に行くか?習い事に行くか?
家が完全に留守になるのは、いったいいつか??
物影から、じっと観察しているらしい。

最近は、高松も物騒だ。
空き巣もとても多いし、空き巣専門の窃盗団が、日本全国を渡り歩いているとも聞く。
きっとそれじゃ!!!!!

と、憤慨しているところへ、もう一度、ピンポン。
おのれ空き巣め、しつこい!!
と、受話器を取ると

「・・・・・◎◎さんのお宅ですか・・・・・・?」

と蚊の鳴くような、子供の声。

◎◎さんとは、お隣さんのことである。
その旨を伝えると、

「はい。すみませんでした・・・。」と、またか細い声が。

お隣のボクは、今年小学校一年生である。
きっと、学校の友達が遊びに来て、部屋番号を間違えたのであろう。
しかし、小学一年で、
きちんとお詫びが言えるなんて、たいしたものじゃぁないの!この子!
と、すっかり嬉しくなって

「は〜〜い。いいのよ〜〜〜〜〜ん。」

と答えて、私は受話器を置いた。

置いたとたん、最初の無言のも、あの子だったんだな。
ピシャッ!と叩きつけるように切って、悪かったな・・・。
もう少し、相手がものを言うまで、待ってあげたら良かった・・・可哀想なことしたな・・・
などなど思い、
自分の心の狭さ、人間不信に、いや気がさしてきてしまった私。
20年前の、アフロ氏のことを思い出した。
あの時と同じである。
実際、物騒な世の中なんだし、警戒心無しで生きるわけにはいかないし・・・、でも・・・・・・・・・・。



信じたり、裏切られたり、疑って後悔したり、また裏切られたり
ということの繰り返しが、世の中というものなんだろうけれど
なかなか悩ましいことではあります。

ともあれ、アフロ氏
あの時は、御礼を言えず、ごめんなさい。
そして、本当にありがとうございました。

(でも、そうやって仲良くなってから騙す人も、世の中にはいるわけで・・・。ああ〜〜、もう!)


昼: おでん(厚揚げ、てんぷら、魚のすり身入り団子、こんにゃく、昆布、大根)
   ハイビスカスとローズピップのお茶


10月19日(日)

何を思ったか、梅造。



一輪咲く。
全体像を見ると



なんだかもう、岡本太郎並みに爆発した、前衛芸術作品のようだ・・・・・。
もとは盆栽なんですよ・・・これ・・・。
(盆栽協会のじいちゃん達に、どつかれそうな・・・。)





話変わって、天気の良い中、本日も山仕事。

相変わらず、山にはイノシシが出て、走り回っている。
チョキになった足跡が、山道にバッチリと残っている。
とうとう、山のあちこちに、ワナをしかけたそうだ。
マスターTさんの話では
先週までに、2頭捕まったとか。
ボタン鍋の食材になったそうです。

そして、我が畑は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



いっぱい発芽したのはいいけれど、雑草も山ほど発芽した。
草取りしても、草取りしても・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ああ、山仕事は楽し・・・。


昼: 沖縄料理屋<琉球御殿>にて
   沖縄そば定食 600円
夜: パパイアチャンプルー(青パパイア、ニラ、ベーコン、かつおぶし)
   サラダ(トマト、かいわれ大根、ブロッコリーのスプラウト、柿)、ワイン


10月16日(木)


高校時代の愛読書は、大江健三郎の初期の作品とサリンジャーだった。
<フラニーとゾーイ>とか<バナナフィッシュ日和>とか、何度も読んだ。
もちろん、<ライ麦畑>も。
でも、大学を卒業して以降、読み返した記憶はない。
別の物が、圧倒的に好きになっていったのだろう。
そのままこの歳まできて
村上春樹訳の
新訳<キャッチャー・イン・ザ・ライ>を、だから読みたいとは思わなかった。
かなり雰囲気が変わってる・・・と評判だったので
気にはなっていたけれど
村上春樹の文章自体、好みではなかったので、もういいや・・・と思っていたのだった。

が、
数日前、どういうわけか夫が
旧訳<ライ麦畑でつかまえて>と
新訳<キャッチャー・イン・ザ・ライ>の両方の本を、買って帰って来た。
夫はこのサリンジャーの小説を、知らなかったと言う。
アメリカ文学に興味が無ければ、そういうこともあるでしょう。
それが
何かの拍子に、旧訳&新訳が話題になっているのを知り、がぜん興味がわいてきたらしい。

と言うわけで
自分から本を買って
あるいは、図書館で借りて、新訳を読もうとは思わなかったけれど
そう、
目の前のコタツの上に、それがあるのなら・・・・・・・・・・・・・・。
というわけで、新訳<キャッチャー・イン・ザ・ライ>>を読み始めたワタクシ。(夫は旧訳から。)
しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・。





・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
スミマセン。
47ページ経過したところで、もう、ダメです。
アカンと、身体が言ってます。
脳が拒否し始めました。
も、もう読めない・・・。


し、知らなかった・・・
じゃない
完全に忘れ去っていた。

この主人公、こんなに愚痴っぽかったんだ。

最初からここ(47ページ)まで
愚痴とぼやきと、人の悪口しか言ってないんじゃないの????????

いや、確かに、17歳ってそういうものだとは思う。
私の17歳の頃だって、
思い出してみれば、大人と社会への不満で、体中はち切れそうだったもの。

でも、今、私は、17歳じゃない。
あれらの日々は、光年の彼方。
今は、愚痴を言えばよけい凹むから、言うのイヤだし
人の悪口も、言ったら気分が暗くなるので、極力言いたくないし。
そういう中年期の私には、読めない本になってしまっていた、ああ、サリンジャーの代表作よ!!

いや、ビックリした。
一冊の本をめぐって、こんなに両極端の立場に、昔の自分と、今の自分が立つことになるなんて。



同じように、大学時代
小津安二郎監督の映画<東京物語>を観て
私は何が良いのか、まったくわからなかった。
何故、この監督が
フランスで回顧上映会が開かれるほど愛されているのか、ちっとも理解できなかった。
フランスなら、ゴダールの上映会でもやってりゃいいじゃん、
と思っていた。

しかし
月日は流れ、今や私は、小津作品のとりこである。
図書館に、何作かビデオがあるので、時々借りてきては、しげしげと見入っている。
カメラに真正面から向かい
原節子が

「まぁ・・・そんな、わたくし・・・」

と、はにかむような笑顔で言う、その姿
あるいは、笠智衆が

「ああ、そう。そりゃあ〜良かった。」

と優しく笑う姿に、ぼう然と見入っている私がいる。
          (↑はたから見たら、多分、口が半開きになっていることでしょう。)
許されるのなら、3時間でも5時間でも、この魅力的なセリフ劇を見続けていたいくらい。
いやぁ
サリンジャーもそうだけれど
ここまで好みが変わるとは・・・・・。


NHKの衛星映画劇場では、今、小津安二郎特集を放送中だ。
ビデオに撮っておいて
後日、心ゆくまで楽しもう♪と、嬉々としている毎日。
そして、この、好みの変化を思うにつけ
新訳の<キャッチャー・イン・ザ・ライ>
購買者は、やはり、かつての読者が多いのではなかろうか?????
皆、耐えられたんだろうか?????
あのうざったいホールデン君に。
それとも・・・?????
と疑問がフツフツわき上がる、秋の夜長。


10月11日(土)

肩が凝ると、歯が浮いたような感じになる
と言う人がいる。
また、別の人は、肩凝りがひどいと頭痛がすると言うし、熱が出ると言う人も。
夫は<頭痛がしてくる派>なので、
月に何度か、マッサージに通っている。
私はと言うと、肩が凝ったら「肩が凝ったな」と思うばかりで
特に他の部位に症状が出る・・・ということは、あまりないのだけれども。

しかし、ここのところ、なにやら口の中が妙だった。
何というか・・・
とっても口臭がしているような気がする。
神経症の一種で、
「自分の体臭がひどいのではないか?」とか「口臭がひどい」
と感じることもあるようだけれど
どうもこれは、そういうのではなく、本当に口臭がしている気がするのだ。
                        (↑と、神経症の場合も、そう思うのだろうけれど。)


「歯周病かしら・・・・・・・??」

と思った。

年に一度、定期検査と歯石取りに通っている歯科医の先生いわく
日本の成人の何人かにひとりは、歯周病なのだとか。
そして、
ひどい歯槽膿漏って人は別として
自覚がないまま、歯周病になってる人間が、この世界にはいっぱいいるのだとか。
これを思い出し
この口の中の、妙な感じ
もしかしたら、肩凝りが歯ぐきにきたのかもしれない・・・と考えた私。
歯周病は、丁寧なブラッシングで治すしかない。
なので、
さっそく歯と歯ぐきのブラッシングに精を出した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
んだけれど、これが意外と大変で・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



一年くらい前、仕事で歯医者さんを舞台にした漫画を描くことになり
現役の歯科衛生士さんに、取材をさせていただいたことがある。
しかし、取材の当日、
私はちょっと気が重かった。
何故かと言うと、私は歯並びがとっても悪い。
おまけに、体質なのかもしれないけれど、
子供の頃から、歯磨きしているにもかかわらず、なんとな〜く歯が黄色いタイプ。
ハッキリ言って、<歯>はコンプレックスのひとつなのだった。
それが、歯のプロ、
そして、おそらく
ものすっごく歯の美しい、歯科衛生士さんに会わなければならないなんて・・・・・。


はたして
お会いした、若い歯科衛生士Kさんは
予想通り
ものすっっっごく美しい歯と歯並びをした方だった。

「わ〜〜〜〜〜〜〜ん。この人の前で、口を開けてしゃべるの、絶対イヤ。」

と、思わずうつむいてしまいたくなるくらいの、さすがはプロ!の美しさ。

そして、色々お話を伺っているうちに仰天したのだけれど
Kさん、
毎日、お風呂に入りながら、15分は歯のブラッシングをすると言うのだった。
15分。
机につっぷして爆睡するのなら、あっという間に過ぎ去る時間だけれども
あるいは落語を聞いていたらば、3度も「あっはっは」と笑えば経過しちゃう時間だけれども
でも、ブラッシングで15分とは。
結構、これ、長いのでは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・???


と思っていたけど
実際、15分のブラッシングというのは、やってみると果てしなく長かった。
慣れないと、とてつもない苦行だと思い知ったワタクシだった。
口の中の妙な感じを取り去るべく
ブラッシングに励んだ、この数日間。
でも
そーとー頑張ったわ!
と思って時計を見ても、5分経過がせいぜいというところ。
うそぉ・・・
と思いつつ、更に頑張ると、今度は腕がだるくなってくる・・・。
そもそも肩凝りから歯ぐきが弱っているってのに(多分)
こんな、更に肩が凝るようなことして、いいんだろうか???????

でも、Kさんは、「15分やらないと、もう気持ちが悪くて寝られない」とおっしゃっていた。
慣れなんだろうな。
いやそれとも、私の磨き方が悪いんだろうか?力の入れ過ぎなんだろうか?????


などとあれこれ考えつつも
ともあれ、頑張ってブラッシング&デンタルフロスでのお掃除を続けたかいあって
数日で、口の中の妙な感じは消えてきました。
歯ぐきも、心なしかイキイキしたピンク色になってきたような・・・。

皆さまも、どうぞ肩凝りにはお気をつけになって。





   ・・・それはともかく、この1週間ばかり
    何故か頭の中で、ずっとレッド・ツェッペリンの<移民の歌>が鳴り響き続けている。誰か助けて・・・。
    (ロバート・プラント、すごくうるさい・・・・・。)



10月4日(土)

ううううううううわわ、来よった来よった、ついに来よったでぇぇぇぇぇぇ。
と思った。
何がと言えば

老眼。


恥ずかしながら、私は<躊躇>という漢字が書けない。
でも、平仮名で書くわけにはいかないから、本日、辞書を引いた。
引いたはいいけど
その辞書の<躊躇>の字が小さく
どういうパーツが組合わさっているのか、わかりそうで、ついにわからなかったのだ。

ここんとこの横線、ううう・・・一本なのか?それとも二本?????

という感じで、どんなに目を凝らして見てもわからない。

仕方がないから、夫を呼んで、教えてもらうことにした。
が、夫も<躊躇>と、そらでは書けない。(・・・夫婦揃って情けない・・・。)
なので、夫も辞書を引きつつ
「こうじゃ!」
と、拡大した漢字を書いてくれたのだけれど・・・

ここで、気づいた。
夫は眼鏡をかけているけれど、でもちゃんと<躊躇>のパーツを見分けられたのだ。
私には、ついに見分けられなかった<躊躇>
                        ↑この右下半分を。

数年前なら、私もちゃんと見分けられたのだろう<躊躇>。
これは間違いなく老眼であろう!
ついに来たか。
ああ、いずれは作らねばならない、老眼鏡。
これまで眼鏡をかけた経験の無い私には、生まれて初めての眼鏡。
どんなもんやろう・・・・・・・・・・・・・・・??と
ちょっとドキドキしていた、土曜日の午後だった。



・・・んだけれど
今、パソコンの画面上で
<躊躇>を拡大してみてわかったのだけれど
夫、
間違えているやないですか〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!
パーツ〜〜〜〜〜!!!
横線が一本足りへんかったでぇぇ〜〜〜〜〜!!!!!

・・・そのまま書いて、人にFaxしてしまったやないの・・・・・・・・・・とほほほほほ。

あああ、やっぱりこれは、そもそも辞書の文字が小さすぎるのか・・・・・・?否?



ちなみに、<稽古>も書けなかったから、辞書を引いたのだけれど
こちらは、ちゃんと、パーツを見分けることが出来ました。 
・・・老眼も問題だけれど、書けない漢字が多すぎる方が、もっと問題かもしれない・・・・・・・・・・・・・。
<薔薇>とか<糟糠>とか・・・。

朝: 豆のトマト煮込み(レッドビーンズ、トマト、セロリ、エリンギ、なす、緑ピーマン、にんにく)
   フランスパン2切れ、オリーブオイル、紅茶


10月2日(木)

最初は、黄緑色の蛾が、幹にとまっているのかと思った。
あるいは、でっかいカメムシが。
でも、違った。
近づいてよ〜〜〜〜〜〜くよく見ると
それは葉。


梅造復活〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!!



こんな感じで、丸裸になって、約ひと月。
その梅造が。



おそらく、丸裸になって、梅造も必死に考えたのだと思われる。
まだ世の中は暖かいし・・・
どないしよう??
あたしゃ、光合成もせなあかんでないか、
と。

これから晩秋にかけて、本来梅は落葉する時期。
今ここで、発芽するなんて、盆栽的にはメチャクチャだろうけれども
ともあれ、梅造が生きていてくれて嬉しい。

私は、本当に、ものすごく嬉しい。
葉っぱに気づいた瞬間、ものすっっっごく元気が出たのだった!!

梅造。ありがとうっ。
私も頑張るからね〜〜〜〜〜〜!!!!!

そして、梅造に励ましのお言葉を下さった皆さま。本当にありがとうございました。


朝: 野菜炒め(にんじん、ブラウンマッシュルーム、卵)
   サラダ(サニーレタス、ブロッコリーのスプラウト、トマト)
   フランスパン2切れ、オリーブオイル、キーゥイ入りのヨーグルト、紅茶
昼: ゴーヤのンブシー(ゴーヤ、赤ピーマン、厚揚げ、豚肉)、ショウガ入りの紅茶


9月8日(月)

「ああ・・・、熊野の空がこんなに青いままのわけがない・・・・・。」

と思いつつ、1週間の熊野&伊勢旅行を続けていた我々、高橋家。
一昨日の土曜日、元気に屋島の我が家へ戻って参りました。

それにしても
熊野へ行くのは、これで4度目なのだけれど
今年は何と天候に恵まれた旅だったことか・・・・・。

と深く感激のため息をつくくらい、過去3度の旅は、常に雨との戦いだった。
なにせ、目的地の紀伊半島東側と内陸部は
鹿児島の屋久島とトップを争うほどの、日本最高降雨量を誇る地域。
例え、紀伊半島の西側
和歌山市や、白浜が晴れていようとも
東側の新宮市や尾鷲市、内陸の熊野の山中はどしゃ降り・・・
ってなことが、多々あったのだった。
それが今年は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

ご存じの通り、先の1週間、西日本の太平洋側は快晴続きの猛烈な残暑。
それでも

熊野地方にだけは雨が降るに違いない

と、我々は、過去の経験から思っていた。
朝、宿の窓を開けて、空が青く明るいのを見れば

「ふっふ。こんな好天気が丸一日続くわけがない。そのうち、ドッシャーッとにわか雨がやって来るわ。」

と思い
その青空が一日続けば

「・・・なんの。こんな快晴、2日と持つまい。
明日からは、多分、また不安定な天気になるのだよ。だまされるもんかい!」

と気合いを入れ
空を見上げては疑心暗鬼になり続け
そして気がつけば、丸々1週間
ド晴天なまま、旅行は終わっていた・・・という具合で・・・・・。

ああ、熊野の空が、こんなに青い(まま)なんて!







熊野の山の神々と、伊勢の神さま達に深く感謝しながら旅した1週間だった。
ああ、神サマ、本っ当ーーーにありがとうございます。
     
     ・・・と、ここまで激しく感謝するのは、
     本当にこれまでの旅行が難儀だったからだ。
     特に、初めて熊野を訪れた1999年夏は、台風の接近という気象条件も相まって
     一日中、<晴天>→<曇り>→<どしゃ降り>→<晴天>→<曇り>→<どしゃ降り>
     を繰り返す、大変な天気の連続だった。
     なので、熊野三山(熊野本宮大社・熊野速玉大社・熊野那智大社)を巡る
     熊野古道という、巡礼の山道をトレッキングに出かけた我々は
     最大の難所と言われる<大雲取越え>というルートで
     通常5時間半〜6時間で踏破出きるはずの山道を
     7時間もかかって、ヨレヨレで目的地の那智大社にたどり着く・・・
     ってなことになってしまった。
     あの、余計にかかった1時間〜1時間半は、間違いなく
     山中でカッパを着たり脱いだり、着たり脱いだり、着たり脱いだり
     着たり脱いだり、着たり・・・・・・・・・・・・・・・・
     を繰り返したせいに違いない!
     どしゃ降りのままなら、カッパを着たまま歩けるのだけれど
     雨がやんだとたん、クワァ〜〜〜〜〜〜ッと、真夏の太陽が照りつけてくるため
     カッパを脱がずにはいられなかったのだった。
     おまけに、とどめは5メートル先も見えない、濃霧。
     <今、天狗が出て来ても、決して不思議には思いません>
     というような深い山中での濃霧は、本当に本当に怖かった・・・。


さて、こうして、気分良く夏休みを過ごし
楽しく面白く、おかげで、「またこれからも頑張ろう〜!!」という気持ちになって屋島へ戻ってきた我々。
しかし、そんな我々を
最後に、こんな光景が待ち受けていようとは。



梅造、枯れる。



たどり着いた我が家のベランダで
梅造は、葉っぱをすべて茶色く枯らしていた。
OH!MY GOD!
出かける前に、1週間分の、水やりの工夫はして出たのに!
ペットボトルの先に、少しずつ水が出るようなアイディアグッズを取り付け
それを鉢にセットして出てきたのに!
・・・どうやら、思いの外、水がドンドン出てしまったらしい。
5日目くらいで、ペットボトルが空になってしまったみたい・・・・・・・・・・・・・・・・。
同じようにセットして出た、ゴーヤやバジル、イタリアンパセリは持ちこたえていたのに・・・。

やはり草と樹木は違うよう。
樹木は難しいのだ。
じーちゃん達が、手間暇かけて、眼を吊り上げて盆栽に没頭している理由が
やっとわかってきたような・・・・・。

ともあれ、根や幹が枯れているかどうかはわからないので
このまま様子を見ることにした、梅造。
特に、この1週間は暑かったから・・・。可哀想なことをしてしまった・・・。
と、楽しかったり、シュンとなったり、の今年の夏休みの終わり。



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