2003/8/1〜8/31

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8月29日(金)

「ダニのような奴」
とは、人に対する、最低クラスの比喩表現。
確かに、ダニは憎い。
噛まれればいつまでもかゆいし、噛まれた跡は、長々と赤くお肌に残るし。
とは言え、蚊だって、かなり憎い。
現に昨夜、
いや、今朝未明
私達夫婦は、起床時間まで後まだ1時間もあるというのに
寝室に乱入してきた蚊により、たたき起こされてしまった。
憎い。
本っ当ーーーに憎い!!!
・・・なのに、「蚊のような奴」という言い回しが無いのは何故なんだろう??
ダニに比べれば、そんなにマシなのかい?蚊って?????


という疑問に答えを出してくれたのが、梅造だった。
ベランダに鎮座まします、我が家の、盆栽の梅である。


正月に我が家にやって来て以来
盆栽の難しさ、ややこしさ、手間暇のかかることを、私に教えてくれた梅造。
手元にある、初心者向けの盆栽の本には
<梅は丈夫で、ほとんど病害虫の心配はありませ〜〜ん♪>
などと書かれており、
超ビギナーの私は、胸をなでおろしていたのだけれど
それは大ウソ。
やはり、世の中そんなに甘くはなかった。
初夏、
梅造には虫が付いた。
お年頃のお嬢さんのように、虫にビッシリ取りつかれた。
カイガラムシにアブラムシ。
あわててパイベニカ(←殺虫剤の名前)をかけ、梅造を守ったワタクシ。
その場は、それでおさまり、ホッとしていたのだけれども・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

7月も半ばだっただろうか。
梅造の葉が、皆、ミョ〜〜に白っぽいのに気がついたのは。

ハダニだった。
土から湧いて出たのか、梅造の葉という葉にとっついているらしい。
らしい・・・と言うのは、なにせダニだから、よく見えないのだ。
けれども、日々確実に、梅造の葉は色を失っていく・・・。

再びパイベニカ登場。
あんまり、こういう物は、何度も使いたくないけれど、この際いたしかたあるまい。

が、今回はちっとも効かなかった。
いったん効果があったように見えながら、一週間もすると、また、ダニ復活!
・・・正確には、ダニの卵がどこかにしつこくしつこく残っていて、
そいつが成虫になって現れた
ということだと思うけれど、とにかく、本当にしつっこい!
ひんぱんに殺虫剤を使うのもイヤなので、
葉の一枚一枚の裏表に、霧吹きで水をピューピューかけて洗い流してもみた。
が、
これも、一瞬、効果あり!
に見えるのだけれど、すぐ<復活!>なのだった。
奴らを根絶やしにするのは、相当困難なもよう・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


なるほど、わかった。
なんともしつっこくてイヤらしい
ホンマに<ダニのような奴>!!!


というわけで
先人達が、何故に、<ダニ>を<蚊>よりも、ヤなやからとしたのか
っとうに、よ〜〜〜〜〜〜〜くわかったこの夏だった。
(蚊なんて、蚊取り線香焚けば、それでおしまい。可愛いもんだ。)

・・・・・でも、わかったってちっとも嬉しくないよ。
しっかりしてくれぇ。梅造〜〜〜〜〜〜〜!!!



↑これが現在の梅造。

なにせ葉が弱々しいから、先日の台風で丸裸になるかと思ったけれど、
意外に、見た目より丈夫なようで、強風にもしっかりと耐えててくれた。
しかし・・・
なんとも気の毒な姿よ・・・・・。

折しも、<芸術新潮>先月号(7月号)の特集は、<盆栽>だった。
図書館で借りてきて読んだのだけれど
もう、グラビアに登場する盆栽が
皆、<樹齢150年>とか<350年>とかの、国宝級の名木ばかり。
国宝級と梅造を比べても仕方がないけれど
見ていると頭がクラクラと・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

ああ、盆栽の道は険しい。


昼: 鶏肉のコチジャン煮(鶏肉、厚揚げ、油揚げ、黄ピーマン、にんにく)
   ピーマンの辛子あえ(黄ピーマン、緑ピーマン、竹輪)、ウーロン茶


       さて、来週は、高橋家の夏休みにて、HPはお休みさせていただきます。
       どうぞ皆さま、良い1週間を。
       ではでは。 



8月20日(水)


夫の勤め先には、評判の美人がいるという。
社内で評判となりつつ、約10年
真面目に働く、30歳前後の独身女性だそうだ。

その美人が、ある日、夫の働く部署へ、何かの用事でやって来た。
久々に評判の美人が間近にやって来て、夫も嬉しかったのであろう。
近くで用事を片づけている美人の顔を
マジマジと見た。そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・





「その人な!まつ毛がな!!
3本がくっついて1本になってるんやでっ!!!」


その夜、帰宅した夫の、これは、興奮さめやらぬ報告である。
・・・日頃、全くメイクアップをしない妻の顔を見続けること、15年。
世間の女性達はマスカラを付け
ボリュームアップ効果バッチリのマスカラを付ければ、
まつ毛の3、4本くらい、す〜ぐくっついちゃう・・・ってことを知らなかった夫だった。
そんなものを、見たこともなかった夫だった。

「3本が1本やでーーー!!!」

まるで、
「ついそこで<子泣きじじい>を見た!!」みたいに言われて、美人も気の毒に・・・。
とは言え
化粧ごときで、こんな、妖怪を見たように驚がくする原因を作ったのは、私なのだった。
いくらメイクが苦手だとは言っても、いいんだろうか?
こんなんで私・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・?????


と、一応、その瞬間は反省してみたのだけれど
結局、私は、その後もメイクをしないまま。
理由は、肌がかぶれやすいからとか
ほとんどの時間自宅にいるのに、そんなんしてどうするのよ、とか色々あるけれど
一番の理由は
<メイクアップ無しでもいいのだ!>という価値観が
私の頭の中に、ビシッと刷り込まれてしまっているからではなかろうか?


よく言われることだけれど
人は・・・特に女性は
人生の中で、自分が一番おしゃれに興味を持って、精を出していた頃
あるいは、自分が一番綺麗で輝いていた頃の
服装・髪型・メイクの方法を、一生引きずるものだ、とか・・・。
言われてみれば、確かに
いくつになっても、女子大生の頃の髪型をし続けているような、中年女性は多いし
私と同年代か、ちょっと上くらいの女性では
今でもストレートの、長〜〜〜いワンレン・ヘアの女性は、少なからずいる。
なにせ20代の頃、流行ったから。
もちろん、似合っていれば、
<これが私の個性よ!>って感じで、
どんな髪型もメイクも素敵なのだけれど。


<ノーメイク>。
それは、私が一番おしゃれに関心を持っていた大学生の頃、一世を風靡した価値観だった。
コム・デ・ギャルソンやワイズの真っ黒な服装と共に、
当時の若い女の子達を魅了した価値観。
それまで、女性は・・・
いえ、それ以降も女性は、
化粧をして、色っぽく綺麗でいるのが当たり前だ!という中で、
<化粧なんてしなくってもいいんだよ。自分がしたくなけりゃあ>と言い切ってくれた
(私にとっては)神サマの御神託ような価値観だった<ノーメイク>。
もちろん、同時期には
まぶたを緑色や青色に塗る、サーファー・ファッションやら
ファッション誌<JJ>を真似た、お化粧バッチリのお嬢さんルックも流行っていたけれど
私には、この<ノーメイク>がツボだった。
グッときた・・・・・・・・・・・・・・・・・・
と言うより、
どう考えても、自分にお嬢さんルックが似合うとは思えなかったので
こっちにしがみついただけかもしれないけれど。

ともあれ、当時の<ノーメイク>は過激だった。
本当にノーメイクだった。
<ノーメイク風に見えるメイク>じゃあなかった。
コム・デ・ギャルソンのショーも、雑誌の写真も、本当にスッピン!という感じ。
日焼け止めくらいは塗ってたんだろうけれど
今、思い出しても、あれは挑戦的だったと思う。
<わたしゃ、媚びないもんね!>と言う、意志丸出しで。


その価値観を刷り込まれてしまったおかげで、私は、おばはんになった今でも、そのまんまだ。
さすがに日焼け止めは塗るけれど
本当に、メークアップというのが苦手で苦手で苦手で。
そう言えば、結婚後6〜7年たった頃であったろうか
社内旅行から帰ってきた夫に

「おまえは、風呂あがりでも顔が変わらん奴やのー」

と言われたのは・・・・・・・。





というような、粗雑な人生を送ってきた私だけれど
実は、最近、ちょっと気になっているものがある。

つけまつ毛。


寄る年波によるものか、
はたまた、アレルギー気味で、ついつい目をこすってしまうからか
よくまつ毛が抜ける、最近のワタクシ。
加齢によって、男も女も髪の毛が薄くなる・・・ということはあるんだから
まつ毛だって薄くなるのかもしれない。
とはいえ、まつ毛が無ければ、
いくら私の目が小さいからって、やっぱりゴミだの虫だのは、飛び込んでしまうというもの。
じゃあ、最終手段はつけまつ毛か??
と思うわけです。

近視になれば眼鏡をかけるように
耳が聞こえにくくなれば、補聴器を付けるように
歯が抜ければ差し歯を入れるように
まつ毛が少なくなれば
つけまつ毛。


とは言え、いよいよおばあちゃんになってから、
おぼつかない手で、つけまつ毛なんて付けられるものだろうか・・・???
私がこれまでの人生で、つけまつ毛を付けたのは、ただ一回。
結婚式の時、
メイクの人にやってもらったのが、唯一の経験。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・さすがにこれでは、ちょっと・・・無理かもしれない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

なので、ここはひとつ、
(まだ比較的)若いうちから、付けまつ毛を装着する練習をしておいた方がいいのかも・・・・・
と、思いつつ
今日、思わず、
買い物に寄ったドラッグ・ストアの、付けまつ毛の棚の前で、立ち止まってしまった私。
(・・・でも、目の回り、かぶれないかしらねぇ・・・??)


昼: 冬瓜のスープ(冬瓜、シイタケ、しょうが)
   鶏肉と大豆の煮込み(鶏肉、大豆、にんじん、さやいんげん、昆布、しょうが)、ウーロン茶


8月12日(火)

例年より涼しいとは言え、夏は夏。やはり暑い。
山の中も、もちろん暑い。
ほれ、この通り。



写真に温度と湿度が写らないのが、残念無念。
でも、この生い茂った、うっそうたる草を見れば、なんとなくおわかりいただけるでしょう。

おまけに、この気温、この湿度の中
長袖・長パンツ・ヘルメットに首てぬぐいときたもんだ。
写真では見えないけれど、手には、手袋までしております。
理由は、山の中が、トゲトゲの植物でいっぱいだから。
例えば



左手前に写っている樹。
何故に、幹を、ツタでグルグル巻きにされているか?と言えば、ものすごいトゲだらけの樹だから。
これが、急斜面の、ほど良い所に枝を伸ばしているので
ついつい、登りながら
「あらよっと」
と、手をかけてしまっては、ひっじょーぅに痛い思いをしてきた我々。

だったら、こんな樹、切っちゃえばいいじゃん
と言われそうだけれど、切れない。
だってこの樹、図鑑で調べてみたら<タラの木>なんですもの。
タラの木と言えば<タラの芽>。
あの<山菜の王>が採れる木!

切れません。絶対に切れません。
ツタでグルグル巻きにしてでも、残っていただきます。

他にも、ヒイラギやらイバラやら、
名前はわからないけれど縫い針ほどもあるトゲが、ビッシリ生えた木とか
トゲは無いけれど、かぶれるツタウルシとか
私のお肌を痛めつける植物で、山はいっぱい。
暑かろうとなんだろうと、重装備でいかなくては!



でも、
本当に難儀なのは、この暑さじゃない。
本当にやっかいなのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

というわけで、これはマンガにしてアップいたしました。
続きは<マンガ 山仕事は楽し>で、どうぞ。


昼: みそ汁(豆腐、卵、わかめ)
   ニンニクの芽と干しエビの炒め物、豆乳のヨーグルト、ウーロン茶


8月6日(水)

恋とは、いったい、どこからやって来るものかしら??

それと同じで、思春期とは、いったいいつ、どこからどうやってやって来るものなの?????



自分に思春期がやって来た時のことは、とてもよく覚えている。
と言っても、
やって来た当時は、それが<思春期>だなんてわからない。
ただただ、自分の中身がガタッと音をたてて変わった気がした。
そして、周りの世界・・・家族や学校・・・と、自分との距離が、ものすごく遠くなった感じがした・・・。
私の場合、それは、ロック・ミュージックと共にやって来たのだった。

原因は、中学生になって、ロックを聴くようになり
<音楽専科>だの<ミュージック・ライフ>だのという、音楽雑誌を読み始めたことだと思う。
雑誌の中は、作品解説の抽象的な言葉であふれていた。
それ以前
小学生時代の私の頭の中には、抽象的な思考というものは存在しなかったのだ。
それがいきなり
<生きる>だの<死>だの<混沌>だの、<苦しみ><共感><愛>
などという言葉の群に押し寄せられたら、人間、影響を受けずにはおれません。
     (そりゃ、小学生の時読んでいた本にも、そういう言葉は出てきただろうけれど
       その頃は、ただただ物語の一部として言葉を読むだけで
       そこから思考を発展させる・・・ということは無かったのだ。私は。
       主人公の立場になって、考えてみる・・・なんて、読書感想文でも書かない限り
       やったことは無いし、この物語は何をいわんとしているのか?などと
       真剣に考えたことも、一度もありません!)


そして、抽象的思考が育つのと一緒に芽生えるのは、自我。
おかげで、中坊の私は、一気に大人が嫌いになった。
両親や、学校の先生、近所の人々
みな、うとましくてわずらわしくて。
それまでは、
夕食がすむと、そのままTVのある居間に残り
眠くなるまで、そこで、父母兄と一緒に
<8時だよ!全員集合><連想ゲーム>などを見て過ごす子供だったのだけれど
自我が芽生えた以上、
もうそんなことは出来やしない!
食事中は無言。
そして食事がすむと、一足飛びに自分の部屋へ閉じこもるような子になってしまった。
親としては、「あ〜・・・、ややこしい年頃になったなぁ・・・」と思ったことでしょう。さぞや。
誰にでもある、
怒濤の思春期の幕開け・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


中学校の修学旅行は、こういう思春期のまっただ中に行われたのだった。
私の思考回路は、ますますひねくれ
感情が、つねに不完全燃焼を起こして、ぷすぷすと黒い煙を上げているような時期に。
感情の不完全燃焼・・・というのは
ようするに<素直じゃない>ということ。
<楽しい♪><悲しい><感激した!>なんてこと、
とてもじゃないけど、ストレートには表現できないお年頃だ。
だから、<九州〜中国地方>を回る修学旅行で<長崎><広島>に関する私の記憶は
・・・・・・・・・・なんというか、
・・・・・とても冷え冷えとしてる・・・としか言いようがない。
ひねくれきっている・・・と言うか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

<広島><長崎>の原爆投下都市への修学旅行は、今でも多いのだろうと思う。
平和を考える課外授業として、旅行先に選ぶ学校は多いだろう。
でも、14歳当時の私は
それが、とてもイヤだった。
そこに私達を連れて行き<平和の大切さを考えろ!>と押しつけてくる大人達がイヤだった。
広島の原爆資料館へ行き
原爆の恐ろしさを伝える、様々な資料を見せ
衝撃を受けろ!
「戦争はいけない」「平和の大切さを知った」と言え!
と強要してくる大人達が、
寒気がするほど、心の底からイヤだったのだ。

だって、社会科の教科書で、太平洋戦争の記述なんて、ほんの2ページくらい。
授業で、そこだけを深く掘り下げるわけでもない。
日頃、戦争当時のことを、周囲の大人達が話してくれるわけでもないし、
それが、<広島><長崎>へ行って、その時だけ
「平和が大切なんだ!!」と正義漢ぶったって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

そう、
<正義漢ぶる>。
正確に言えば、
当時の私に<正義漢ぶってるように見えた>人達が、私は許せなかったのだ。
日頃は戦争の<せ>の字も
平和の<へ>の字も言わないくせに
原爆資料館では、ボロボロ泣いてみせる同級生の女の子とか・・・・・。

ここまでひねくれきってた私に、<広島><長崎>の思い出は、あまり無い。
長崎の平和祈念公園の、あの有名な平和の像の前で写真を撮った時
必ず1人はいるお調子者が、像と同じポーズをしてた、とか
広島の原爆資料館で
コンクリートの階段に、座っていた人の影がクッキリ残っている展示物だけは
妙に覚えているとか
そのくらい。
旅行そのものは、なにせ<箸が転がっても可笑しい>年頃、
友達と、キャーキャーワーワーはしゃいでいた記憶が、残っているんだけれど・・・。



沖縄の<ひめゆりの塔>へ初めて行った時、私はもう30代の半ばだった。
怒濤の思春期は、もう、光年の彼方へ飛び去った。
ひめゆりの塔のそばには、ひめゆり学徒隊の歴史を伝える資料館があり
そこには、彼女らが、傷病兵とともに隠れていた
<ガマ>と呼ばれる、珊瑚礁の洞穴(防空壕になっていた)が再現されていたり
沖縄戦で亡くなった、ひめゆり部隊の女の子達の顔写真が飾られていたりした。
壁に並ぶ、おびただしい数の女の子達の写真を見て
私は、ごくごく素直に泣いた。
皆、17・18・19歳。
お下げ髪の若いネーネー(お姉さん)達の写真は、ただただ気の毒だった。

すぐ横では、
ひめゆり部隊の生き残りのおばぁが、修学旅行生に、自分達の体験を語っていた。
顔は見なかったけれど
皆、どういう顔、どういう思いで、おばぁの話を聞いていたのだろうか。
素直に泣く子もいるだろうし
昔の私のように、<偽善くさい>と、嫌悪感を感じる子もいただろう。
そういえば、少し前の新聞の投書欄に
修学旅行で<ひめゆりの塔>へ行った女子高校生の文章が、載っていたけれど
その子は、周囲の子達が泣くのを見て
<泣いたからって、今、この世界が平和になるわけではない。戦争が無くなるわけじゃない。
なのに、あそこで泣くなんて、偽善だ。私はイヤだ。>
てなことを書いていたっけ。
わかるなぁ・・・と、うんうん私はうなずいたものだった。
私が中学・高校生だったなら
やはり、ひめゆりの塔で、感情を殺していたことだろう。心を閉ざしていたことだろう。


現実には、私はおばはんになって
多分、
「あんな映画を見るくらいなら、切腹したほうがマシ!!」と思っていた
<南極物語>(←犬のタロ・ジロの話ね。南極に置き去りにされた。)なんて映画も
もし今、TVで見たら
映画の半分は泣きっぱなし・・・ってなことになるんじゃないかと思う。
自分の、半分そこそこの年齢で命を落としていった、ひめゆり学徒隊のネーネー達の姿には
偽善も正義漢ぶりっこも、なにも感じる余地はなかった。
今、広島や長崎に行ったら・・・・・・・・
と思う。
昔の自分は、あれはあれで正直だったし、否定することはないのだろうけれど
私にとって、広島・長崎は、修学旅行で行くべき土地ではなかったんだと思う。
いつか自分で行ってみなければ
と思った。
今日は58回目の、ヒロシマ・デイ。


朝: 野菜炒め(ナス、黄ピーマン、ブラウンマッシュルーム、卵)
   サラダ(紫タマネギ、トマト、ブロッコリーのスプラウト)
   フランスパン2切れ、オリーブオイル、キーウィ入りヨーグルト、紅茶
昼: タイ風サラダ(たこ、干しエビ、春雨、紫タマネギ、キュウリ、三つ葉)
   ヨーグルト入りミソスープ(タマネギ、シメジ、マッシュルーム、人参)、ウーロン茶



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