2003/7/1〜7/31 |
過去の日記へ トップページへ戻る 7月31日(木) 「なぁ〜〜、やっぱりフードプロセッサ、買おか?」 すり鉢&すりこぎを抱えて背中を丸めている夫に向かい、私は言う。 「・・・・・・・・・・う〜〜ん・・・・・・・・・・・・・・・・・・。・・・まぁ、ええわ。いらん」 去年の夏から、いったい何度、私達はこの会話を繰り返してきたことだろうか?? 始まりは、昨年の春、ベランダの植木鉢に蒔いた、バジルの種である。 これが思いの外、スクスク成長し、夏にはすごい茂みになった。 イタリア人はどうだか知らないけれど 私は、はっきり言って、生のバジルなんて、そうそう食べられるものではない。 トマトソースの上に、ちょっと乗せて・・・ が限界。 それが、おひたしに出来そうなくらい、茂ってしまった。 何故か虫もつかない。 元気いっぱい。 これはもう、自家製のバジルペーストを作るしかあるまい、ということになり パスタ料理の本を見ながら、夫が作ることになったのだけれど・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 残念ながら、我が家には、フードプロセッサが無いのであった。 仕方がないので、すり鉢で、ゴリゴリと、バジルの葉をすりつぶす。 いや、なかなか大変な作業だった。 二人で交代しながら、40分。 それでも、いつかは出来上がるもので、大量の葉は、お椀に半分くらいのペーストになったのだった。 食べてみたら、そりゃあもう、自家製ならではの美味しさ♪ 市販の物なぞ、比べ物にならない。 以来、バジルがワサワサ茂るたびに、すり鉢を抱えてゴリゴリ・・・・・ということになったのだけれど・・・。 何故、フープロをさっさと買わないかといえば、 我が家の場合、このバジルペーストを作る以外に、フープロを使うこと・・・・・・・ というのが、全っ然思いつかないのだ。 (↑あればあったで、何かに使うのかもしれませんが・・・。) そして、バジルが茂るのは、夏の間の2ヶ月ほど。 よって、ペーストを作るのは、年にせいぜい3〜4回だ。 そんな3〜4回のために、わざわざフープロを買うのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ということで、毎回 「・・・・・・・・ま、ええわ。いらん」 ということに。 バジルペースト作りは、我が家ではほとんど夫の仕事である。 私は腱鞘炎持ちなので、あまり手伝えない。 その専従者が「いらん」と言うのだから、まぁええでしょう・・・と私も思ったのだった。 それに ・・・・・・・・・・・こう、なにもかもが便利になった世の中 何と言いますか 一家にひとつくらい<人力(じんりき>の作業を残しておいてもいいかな・・・という気もしてて・・・・・。 2年ほど前のことになるけれど、 くまざわあかねさんとおっしゃる、30代前半の落語作家の女性が 落語に描かれている世界を、肌で体験してみよう! と、昭和10年代の生活を、大阪の町中で一ヶ月間、再現されていたことがある。 とてもユニークな取り組みなので、当時、新聞やTVニュースでも良く取りあげられており 「面白そうやなぁ〜〜」と、私もとても興味を引かれたものだった。 くまざわさんが、その時の生活ぶりを、本に書いて出版されたのが <落語的生活ことはじめ>。 先日、図書館で借りて読んだのだけれど、予想通り、興味深いことの連続だったし また、意外なことの連続でもあった。 くまざわさんが実験生活を送ったのは、大阪市内の谷町6丁目にある <空堀(からほり)商店街>に近いアパート。 でも、なんで、昭和10年代なのか? 落語の世界を体験するのなら、江戸時代じゃないの????? と、よく聞かれたそうだけれど 意外に、落語というのは、「これは江戸時代の話!」とビシッと設定が決まっているものは少なくて いつの時代かはわからないけれど、現代ではない、昔のお話 という曖昧な設定でOKなものが多いそうなのだ。 <代官様>とか<殿>とか出てきたら、もう仕方がないですが。 なので、現代ではない、 長屋に八っつぁんとか熊さんが住み 冷蔵庫とかTVとか、洗濯機が無い世界。 七輪で炭をおこし、それで煮炊きをする世界。 それでいて、ここがポイントなのだけれど まだその生活を体験した人が、大勢生きてらして、アドバイスを受けられる時代・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ということになると、 昭和10年代がギリギリだったそう。 現在80代の方が、子供だった頃の生活が。 さて、古典落語に出てくる <カンテキ(←七輪のことだそうです)の口を、ちょいとこちらに回して>などという表現が 具体的にどういう仕草なのか、ピンとこない。 知りたい。 とういうことで、体当たりで始められた生活。 物が無い・・・という部屋は、 6畳一間の下宿生活を経験してきた私にも、想像がつくけれど でも、 冷蔵庫無し。 食材は、乾物中心。生ものは、日に何度も、商店街の八百屋さんや魚屋さんに足を運んで・・・ という生活は、ほんとに大変そうだった。 意外にも、昭和10年代には、大阪市内には、すでにガスも電気も上水道も普及していたそうで だから煮炊きは、七輪だけではなく、マッチで火を付ける式のガスコンロも併用してOK。 それでも、その二つで、毎回ご飯を炊き(←炊飯器無いから) アジの干物を焼き、というのは時間がかかる。 洗濯は、当然、手洗い。脱水機無し。 電話も無いから、用事がある人は、直接、アポイント無しでアパートへやって来る。 でも、来ても、本人が不在ということがしばしばで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ここで、くまざわさんは、古典落語の出だしのところでよくある 「ご隠居さん」 「おや、与太郎やないか。まぁ、お入り」 の、「おや」というのが、 ずばり、アポ無し訪問の生活だったのだ、というのを実感されていた。 言われてみれば、確かに・・・。 とはいえ それでも、その生活は、楽しそうでもあったのだ。 電気が通ってた・・・といっても、40ワットの白熱球の下での生活だから、部屋はかなり薄暗い。 だから、夜はさっさと寝る。 TVが無いから、暇な時は、硯で墨をすって習字をする。 仕事に出、外で食事をすることも多いのだけれど その際は、かならず<創業◎◎年>というのを確かめて、老舗の店へ行く。 ミナミの丸福珈琲店とか、ガスビル食堂とか・・・。 もちろん、一ヶ月限定ということだから、面白いのだろう。 くまざわさんも、面白がって実験しておられるのだろう。 聞いた話では、戦前の、女性の家事労働時間は、一日平均11時間強だったとか。 <家事だけ>で。 それプラス、農業とか、商業とか、そっちの仕事もあるとすると・・・・・・・・・・・・・・・・・。 そんな中、毎日3回、かまどに火をつけ ご飯を炊くというのは、ものすごい重労働で、女性を疲労困憊させていたと聞く。 そんな酷な仕事から、女性達を解放したくて、 男達は立ち上がって、炊飯器を開発したのだ!!! と、以前<プロジェクトX>で田口トモロヲが言ってたっけ。 だから、やはり、これが一生続けば酷だろう。 実験生活は、4月〜5月の、とても気候の良い時期を選んで行われていたけれど それでも、冷蔵庫無しの生活で、イチゴは3日目にはカビていた。 夏場なら、もっともっとえらいことになるはず。 冬も、火鉢だけで寒さをしのぐのは・・・・・・・。 それでも、<人力>なこと 例えば、墨汁を使うのではなくて、硯で墨をするようなこと あるいは、かつお節を、削り器でコシコシけずるとか そういうことが、一箇所くらいは生活の中にあると面白いかな・・・とも思ったのだ。 だからまぁ、我が家も、年に数回、バジルペーストを作るくらいは 手間暇かけてやってみても良いのかな と、 思っていたのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 「秋田から、メロン送って来たんや。これから持って行くけんなー。」 義父から電話があったのは、昨日だった。 夫方の親戚に、秋田で大規模農業をしている家があり、毎年メロンをドッサリと送ってくれる。 それのお裾分けなのだ。 しかし、持ってきてくれたのは、メロンだけではなかった。 義父母が、庭の家庭菜園で育てた、ゴーヤ、ナス、トマト、ピーマンなどがド〜〜ンと。 そして、山ほどのバジル。 これは、この春、我が家が、余ったバジルの種を夫の実家に分けたのだけれど それがものすごく成長した結果だ。 義父母だって、イタリア人じゃないから、 そんなに茂ったって食べられない。 なので、私達が、ペーストを作ると聞いて、山のように採ってくれたのだった。 ありがたい。ものすごくありがたいけれど、私はあわてた。 生バジル。 夫が会社から帰って来るまで、待つわけにはいかない! 新鮮なうちに、なんとか私が、ペーストにせねば!ねばねば! ・・・でも、私には、一時間もすりこぎを回せない・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 一分だった。 わずか一分で、ミキサーは、バジルの山をペーストにしてしまった。 そう、もう5年も6年も使わないまま、棚の奥に放り込まれ、忘れ去られていたけれど 我が家には<ミキサー>なるものがあったのだ。 フープロとは、少々出来上がりが違うかもしれないけれど、まぁええわい と、放り込んでみたら、ほれこの通り。 夫が一時間かけて、すり鉢でつぶしていたバジルの山が 一分で・・・・・・・・・・。 でもぉ〜、やっぱりぃ〜、 手間暇かけて作ったものと、機械で作ったものでは味がぁ〜・・・・・ と言いたいけれど、違わないのだった。やっぱり美味しい! 当然だ。レシピは一緒なんだから。 ということで、なんとも夫に申し訳ないことになってしまった、昨日。 とはいえ、今後、夫がすり鉢を手放す・・・か、どうかは、まだわからない。 実は、ミキサーの存在は、ひと月ほど前に思い出していたのだった。 でも、 「次からは、ミキサーでペースト作ってみたら?」 と言う私に、しかし夫は 「ふ〜〜〜〜〜〜ん・・・」と、あまり気乗りのしない返事をしただけだった。 何でだろう? そんなにすり鉢が好きかい???????あんたすり鉢フェチ??? 思うに、ペースト作りは、夫にとって、レクリエーションなのだろう。 時間と、気持ちに余裕がある時に、 「よっしゃ、やるか」と腰をあげる、レクリエーション。 すり鉢を抱え、一時間 ネット・サーフィンなぞをしながら、ゴリゴリゴリと、夏の昼下がり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 世の中には、臼でそば粉を引き、自分でそばを打つ人もいる。 わざわざ梅を買ってきて、梅干しを一家総出でつける人もいるし、 そういや夫の母方の実家なんか、数年前まで、臼と杵で正月の餅をついていたっけ。 というわけで、やはりしばらくは、<人力>でペーストを作ることになりそうな我が家。 私がミキサーを使ったのを見た以上 案外、あっけなく 「ミキサーどこ?どこ?どこ?」などと言い出すかもしれないけれど・・・・・ 希望としては、<人力>で作る、気持ちの余裕は持っていて欲しい と思う。バジルの茂る、この季節。 なんてったって、すり鉢&すりこぎの方が、あと片づけは圧倒的に簡単なんだから! 朝: ゴーヤチャンプルー(ゴーヤ、黄ピーマン、シーチキン、卵) サラダ(トマト、ブロッコリーのスプラウト) フランスパン2切れ、バジルペースト、メロン、緑茶 昼: ゴーヤチャンプルーの残り ゴーヤのンブシー(ゴーヤ、黄ピーマン、油揚げ、豚肉) ゴーヤと人参の酢の物、ウーロン茶 7月24日(木) ビデオ屋のそばの、竹輪の犬に友達が出来たもよう! と言っても、友達は犬ではない。 人間でもない。 それは、猫。 背中の部分だけ虎ジマの、綺麗な猫。 それが最近、竹輪犬のいる居酒屋さんの店先にやって来ては 準備中の店の中を、ちょいとのぞいたり 店先にドテンと座って毛繕いしたりしている。 毛並みからして、ご近所の飼い猫かもしれない。 居酒屋さんに美味しい残り物をもらって 以後、ここを散歩コースに決めたのかもしれない。 猫がやって来ても 竹輪犬は、追いかけるでもなく、「おや」という感じで見ている。 猫も 背中を丸めてフーーーッなどとやらずに 同じく「あら」という感じで竹輪犬を見ている。 くっついて遊んでるわけじゃないけれど 2メートルくらいの距離で、それぞれグテッと寝転んでくつろいでいる姿は なんというか、とてもほほえましくて平和で 以前の、 捨てられたばかりの頃の竹輪犬の、哀れな様子をよく覚えているおばちゃんとしては なんというかホントに・・・・・ もうもう、胸に熱い物がこみ上げてくるようで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 7月22日(火) 幼少の頃、 「こういうことをしてはいけないよ。バチが当たるよ!」 と言われたことは、心に残る。 成長してからも、その人間の行動を左右することが多い、と思う。 松谷みよ子さんの児童文学で、<龍の子太郎>という有名な作品がある。 最近の子供達が読んでいるのかどうか知らないけれど 私の年代を含めて かなり幅広い世代にとって、一度は読んだことがある、超メジャーな作品なのではなかろうか。 自分で本のページをめくっていた記憶があるから 私がこの作品触れたのは、小学校の低学年の時だと思う。 <お母さんが龍に変身してしまった太郎。その彼が、お母さんを捜しに行く物語> と、私が覚えている<龍の子太郎>のあらすじは、これがすべてで もう、大雑把すぎて、身も蓋もないけれど 細かな部分では、鮮明に覚えている箇所もある。 それは、お母さんが何故龍になってしまったか?という、その理由の部分。 読んでいて、ものすごい衝撃を受け 忘れようったって忘れられない部分なのだけれど 確か、 貧しい村で、貧しく暮らしていた太郎のお母さんは、 同じく貧しい村の人達と、分けて食べなくてはいけないイワナ3匹を おなかが空いて空いてたまらなかったので、誰もいない間に1人で食べてしまい そのバチが当たって、龍になってしまった・・・・・ というのだった。 6歳か7歳のガキンチョには、これは大ショックだった。 <人の分までおかずを食べると、バチが当たる> あるいは <物を独り占めすると、えらい目に遭うぞ> 私の頭には、こうインプットされたのだった。 以来、この教えは、私の行動を激しく縛ってしまうことになり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 以前、日記にも書いたけれど、我が家は大の豆乳好き。 甘みのついていない、無調整の豆乳が大好きだ。 毎日飲んだり、これでカスピ海ヨーグルト・豆乳バージョンを作ったりしているので、消費も多い。 なので、愛用している<めいらく>の<成分無調整 有機豆乳 900ml> これを、週に2度ほど、まとめ買いしては、日々過ごしている。 その愛用の豆乳が、最近、品薄だ。 近所のスーパーを3軒回っても A店 品切れ B店 品切れ C店 在庫あり。ただし、残り数本。 などということが、しょっちゅう。 ・・・一体どうしたことか? ・・・みのもんたがTVで何か言ったのかしら????? 「成分無調整の豆乳は、◎◎◎に効く!!いいですか!?奥さん。メモですよ!メモ!!!!!」 とかなんとか・・・。 ともあれ、我が家の貴重なたんぱく源が、冷蔵庫に一本も無いのでは困る。とても困る。 そういうわけで、近所のスーパーを、時間の許す限り、捜し歩くわけだけれど ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ここで、出るのである。 あの教えに縛られた行動が。 つまり、 A店 品切れ、B店 無し、C店・・・・・・・・・・・・・・・・には、なんとか2本残ってた!! という時に、 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 買えないのだ。 1本しか。 私が2本ゲットした後に、私と同じように、豆乳求めてさまよい歩く人がやって来たら・・・・・・・ と思うと、もう買えない。 もちろん、棚に1本しか残ってない時は、もうあれこれ考えずに買うけれど 2本以上だと、もうダメ。 頭の中を、龍の子太郎のおっかさんが、よぎってよぎって・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 本日も、とあるスーパーで、棚に3本残った豆乳を 3本全部ゲットしたいのはやまやまだけれども、出来ず 「武士の情けで1本残す!」 と、心で叫んで帰ってきたワタクシ。(←町人のくせに) なんだかもう、自分でも地団駄踏みたくなるような行動の縛られ方だけれども 幼少時、心に刻まれたことって、・・・なかなかポイッとは捨てられないから・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 良いことでも、よろしくないことでも・・・。 余談<1> ふと思い立って、ネットで<龍の子太郎>を検索してみたら 案の定、私と同じような影響を受けている人がいた。 その方は、<4〜5歳の人格形成期に、この物語を読み聞かされたため 今でも、家族全員が食卓に揃うまでは、絶対に先に食べ始めることが出来ない> とか。 ・・・・・・・わかるわ・・・・・・・・・・ と言うより、行動を縛られているのが私だけじゃなくって、ちょっとホッ。 余談<2> ところで、<龍の子太郎>とは、本当はどういうお話だったのか・・・?? と、ちゃんとしたストーリィを調べてみたら いやもう、太郎はもともとは、ものすごい怠け者で、 それが、好きな女の子を鬼から助けるために、気持ちを入れ替え 天狗に力を授かって鬼をやっつけただの その後、龍になった母を捜しに旅立ち その過程で、人間的に成長し 母と巡り会った後は、母と協力して農地を作り出し 母は、その功績によって、人間に戻っただの も〜〜、きれいサッパリと忘れきっていたことのオンパレード。 自分でも呆れた。 つまりこれは、怠け者の子供が、旅と試練を通じて、大人になる物語。 人と協力して、何かを成し遂げる・・・という教訓物語でもあるそうな・・・。 知らなかった・・・・・・・・・・・・・。 <おかずを独り占めにしてはいけない> などと、松谷みよ子さん的には、実に偏った不本意な読み方を、私はしていたようで・・・・・・・・・・・・・・・・。 朝: ゆで卵、野菜炒め(ナス、ししとう) サラダ(トマト、カイワレ) フランスパン2切れ、オリーブオイル、メロン、紅茶 7月15日(火) 私の父は、全集フェチだ。 全◎巻という、シリーズものの本を揃えるのが大好き。 おかげで実家の本棚は <激動の昭和史 10巻>とか<写真集 世界遺産 全5巻>とか、 そういう分厚くて堅くて重い本に埋め尽くされて、まるで図書館の一角のよう。 そういう父だから、私と兄が子供の頃は、もちろん<世界児童文学全集>を買った。 買ってくれた・・・・・・・・と言うべきだろうけれど 父の性格からして、やはり<自分が買いたいから買った>のだ。 そう、父は全集を揃えて、バチッと並べるのが好き。 自分が読む・読まないは、実はあんまり関係ないみたいで・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 さて、講談社だかどこだかの、世界児童文学全集 全30巻。 小学校中学年以上が対象だから、かなり字が大きい。 当然、本もでかい。 今も、実家の本棚に鎮座し続けるこの全集は、圧巻である。物量的にも、内容の面でも。 一巻に、2〜3話ずつ物語がおさめられているので、 トータルで70〜80話くらいの話が、そこにはある。 <小公女>も<小公子>も、<あしながおじさん>も<オズの魔法使い>も<長靴下のピッピ>も <森は生きている>も<宝のひょうたん>も<15少年漂流記>も<アラビアン・ナイト>も すべてここに入っていた。 もちろん<不思議の国のアリス>も<ガリバー旅行記>も・・・。 飽きることなく、私は何度もそれらを読んだ。 そして、香川県の田舎の日常とはかけ離れた、この世の中の色々なことを知った。 アリスがお茶会で食べるバター・トーストとか あしながおじさんのジュディが、大学の運動会で徒競走に出るのだけれど どうやら、世の中にはメートルだけじゃなくて、<ヤード>という度量衡もあるんだわ・・・とか。 <マンゴー>という果物の名前に出会ったのも やはり、この全集の中でだった。 結構、それは、強烈なインパクトがあった。 マンゴーが登場したのは、全集第一巻<世界の神話・民話>という巻の、インドの民話の中。 ストーリィは、うろ覚えだけれど 確か、インドの王族のお姫様が、ある日、なにかのきっかけでマンゴーを初めて食べる。 食べると、それはもう、生まれてこのかた食べたどの果物より美味しく 甘く、口の中でとろけるようで お姫様は、すっかりマンゴーに魅せられてしまう。 でも、どうやら幻の果物らしく、食べたいと思っても手に入らない。 マンゴーが食べたい、マンゴーが食べたい・・・とお姫様は夢うつつで、病人のようになってしまう。 ある日、ある人物が現れて、マンゴーをくれるのだけれど それが実は、悪い魔法使いで、 マンゴーを食べたお姫様は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 と、ここから先を、まったく覚えていないのは 多分、マンゴーの登場が強烈すぎたせいだろう。 ・・・これまで食べた、どの果物よりも美味しい・・・・・・・・・・・・・・ ・・・口の中でとろけるような・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ってどんな味だ??????????????どんな食感?????????? 8歳くらいの田舎のガキンチョだった私は、最大限の想像力を発揮して考えた。 マンゴーとはいかなるものか???????? この時、私が想像できたのは <腐る一歩手前の、完熟の桃>。 これが限界点。 以来、<マンゴーとはなんぞや>と、心に刻み続けて大人になった高橋だったのだ。 再びマンゴーに出会ったのは、沖縄だった。 北海道の夕張にメロンがあるごとく、沖縄もマンゴーの生産に力を入れている。 沖縄で出会ったそれは、 手のひらに乗るくらいの、ラグビーボール型の、小豆色の皮をした果物だった。 <マンゴー>の文字に、ガキンチョ時代の記憶が激しく蘇る。 食べてみたい。 どんな味なんだ!????? しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ た、高い! ムチャクチャに値が高い。 郵便局の<ふるさと小包>のカタログで見ると 2〜3個入りの箱が、一箱3000円から3500円。 小包の箱代を除外して考えても、一個1000円強!!??? 手のひらサイズのこれが!????? と、とてもじゃないけど、そんなあわび(←高い食材というと、これしか思いつかない)みたいな果物 食べられません〜〜〜〜〜〜〜〜!!!!! と、泣く泣くマンゴー初体験を見送った私。 以後、沖縄へ行くたびに、指をくわえて見ていたのだけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 昨年のことである。 昨年の沖縄旅行は、台風にシッチャカメッチャカに翻弄され続けた、えらい旅行だったけれど (↑ご存じない方・お忘れの方は、こちら<沖縄ヘロヘロ旅行記>をどうぞ) ひとつだけ、台風の恩恵があった。 それは、石垣島でのこと。 レンタカー屋の、おっちゃん・おばちゃんが言ったのだ。 「お客さん、マンゴーは食べたね?」 私「え? あ、いえ〜〜。高くって・・・。」 「それがさ、今年はさ、台風でマンゴーが木から落ちて。 今、キズがついたの、市場で安く売ってるのよ。食べなさい。」 夫と市場へ走っていったのは、言うまでもない。 行ってみると、おおお!確かに! 一個1000円も1500円もするマンゴーが、600円ほどで並んでいるではありませんか! 買って、ホテルへ戻って食べた。 ああ、あのインドのお姫様が食べたマンゴーとはいったい・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 自分の想像力の限界を、本当に思い知らされた瞬間だった。 考えていた、どういう味とも、本物のマンゴーは違っていた。 食べたことのある方はご存じでしょうけれど あれは・・・もう果物の味ではないですね? モロ、アイスクリーム。 強烈で、濃厚な味。甘さ。鼻を直撃する甘ーい甘ーーーーーい香り。 これ、ホントに果糖かい??上白糖やバニラエッセンスで味付けてるんじゃないの??? 美味しかったけれど、二口以上は食べられない・・・とも思った。 幸い、小さい果物のうえ、種が異様にでかいので、 夫と半分こしたら、1人分二口くらいになったけれど。 でも、お姫様がやみつきになるのも、わかる気がしたのだ。 マンゴーを食べた後、私は 今までに食べた、どんな果物の味を思い出しても<水っぽい・・・>と思えてしまったから。 甘いスイカも、梨の豊水も そう、腐る一歩手前の桃でさえ。 お姫様が甘党なら、そりゃあ夢に見ることでしょうよ。 とはいえ、こんな物、子供に食べさせたら、他の果物に見向きもしなくなってしまう。 危ない、危ない。 マンゴーの値の高さは、そう言う点では良いのかも・・・。 めったに食べられないくらいがちょうどいいと言うか・・・。 最近は、近所のスーパーでも、マンゴーを見かけるようになった。 フィリピン産の、黄色い皮のマンゴー。 沖縄の小豆色の皮のマンゴーとは、種類がまた違うよう。 高くない値段なので、先日買って食べてみた。 値段の分だけ、沖縄のマンゴーとは、随分違う味、そして違う香りだった。 沖縄のマンゴーは、夕張のメロンと同じく、今後も高級路線を行くみたい。 手間がかかり、台風などですぐキズつき、実が落ちるマンゴー。 それを一生懸命育てている人に悪かったな・・・ 台風のおかげで、安く食べられてラッキーだなんて・・・・・ と大いに反省する、今日この頃。 本日、7月15日は、<マンゴーの日>。 (ウソじゃないです。本当よ〜〜。 沖縄の、なにかの団体が、マンゴーを全国にアピールしようと、<マンゴーの日>を作ったんだそう。 もちろん、5月8日は、<ゴーヤの日>です。) 昼: 豚肉とナスの味噌炒め(豚肉、厚揚げ、ナス、赤ピーマン、しょうが) ゴーヤと刻み昆布の甘酢漬け、紅茶 7月10日(木) ああ〜〜。どうして、どうして、ここまで好みが違ってしまったのか?私達は。 あの時、確かに、同じ音楽を、 目を輝かせ心躍らせて聴いていたはずなのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 さる日曜の夜のこと。 NHKのBS放送で、<60年代・全米ヒットチャートNo.1>という番組をやっていた。 懐かしのロック&ポップスの映像を、2時間、バッチリ流してくれる特集番組だ。 私も夫も、こういうのが大好き♪ 双方、ロック&ポップスを聴きだしたのは70年代に入ってからなので 正確には、 60年代の音楽が<懐かしい>・・・わけじゃない。 本当に<懐かしい>のは、70年代・80年代の音楽と風俗。 が、60年代の音楽は、なにせ素敵な曲が多いので、聴いていても見ていても楽しい。 こういう番組があると、 毎回、「ギャ〜〜!ダイアナ・ロスが若いーー!」 など、ワーワーギャーギャー言いながら見てしまうのだった。 さて、60年代といえば、ビートルズ。 そして、いつも、ビートルズが画面に出てきたところで、我々二人はため息をついてしまう。 やっぱり別格に思えるのだ。 曲が。 そりゃあ、ストーンズもアニマルズも、素晴らしい曲を作っているけれど ビートルズの曲は、レベルが違うというか・・・・・ 彼らにしか作れないというか・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「やっぱり、奇蹟の7年間やったんやねぇ・・・。」 そう、解散してから、4人それぞれにヒット曲は作っているけれど、 ビートルズ時代の曲と比べると、やはり迫力が違う・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ああ、やっぱりこの4人は偉大だった と、 その昔、中学時代、まずビートルズからロックを聴き始めた我々は、うなずきあうのだった。 夫も私も、初めて買ったレコードが、ビートルズ。 お年玉を貯めて買い、必死で聴いた。 そして彼らの音楽に出会った時、すでに彼らが解散してしまっていたという事実が どんなに悔しかったか。つらかったか。 く〜〜〜〜〜〜〜。 ・・・・・・・・・と、ここまでは意気投合できる我々。 が、 この手の番組を見るたびに思う。 何故に?何して、今や音楽の好みが、こんなに北極と南極ほどに隔たってしまったのか?我々は? そう、今現在、 私と夫の音楽の好みは、まったく違う。 一致点がほとんど無い。 今、我が家にあるレコードは、双方が大学生時代にバイトして、コツコツ買い集めた物だけれど それらを見るたびに、私は必ずこう思う。 「・・・・・学生時代、こいつと合コンで出会ってたら・・・・・ 絶対に話しせぇへん!!!」 夫所有の、ボビー・コールドウェルやボズ・スキャッグスのレコードを見るたびに、のけぞる私。 私の、ストーンズやら80年代のニュー・ウェーブ・バンドのアルバムを見ては ウウウッてな顔をする夫。 ああ、私達、19、はたちの頃、合コンで会ってたら、いったいどういうことに・・・・・・・・・・・・・・・・・・? なにせあの年頃は、 音楽の趣味が合うとか、映画の好みがピッタシとか そういうことこそすべて!だったのだから。(いや、そうじゃない人もいるでしょうが。) スタートは同じだったのに・・・・・、いったい、どこをどう通ったらこういう結果に??? ビートルズの4人が、あの時代あの場所に集まったことも、奇蹟と言うか、不思議だけれど こっちだって大いに謎だ。 幸い、 今は音楽の趣味が違うとか、映画の好みが合わないなんて、もうどうでもええわ という、素晴らしき中年世代に、私もなった。 それぞれが、好きな音楽を好きに聴いてりゃいいじゃん ってなものだ。 ああ、良かった、歳取って。 (しつこいようですが、もともとそういうの、全然気にしない人もいると思います。 あくまでも、私と夫が、ということでね。) 70年代・80年代の音楽の話で、盛り上がることは出来ないけれど いいじゃないの。 60年代で盛り上がっていれば♪ ・・・とは言え ど〜〜うしても一緒に音楽を聴かねばならない時は、困る。実は、困っていた。 そう、車の中で聴く音楽には、困っていたのだ。 結婚当初から、これには、そ〜と〜悩んできた我が家。 何年間も お互いがつらくなるような実験も、繰り返した。 落語ならいいんじゃないか?? と、ドライブ中、落語のテープを流したこともあったっけ。 集中力が散漫になって、危険極まりないので、一回で止めたけど。 やがてたどりついたのが、一緒に聴ける3つのグループ&ミュージシャン。 ドリカム、パフィー、そして、アニー・レノックス。 (なんでかはわからないけれど、この3グループorミュージシャンなら、 双方、気分良く車に乗っていられるのだった。 普段、家では、どちらもドリカムは聴かないのだけれど、どうやら車の中は別世界らしい。 そういえば、昔、渋谷陽一が 「スティービー・ワンダーは、途中でリズムがガクッと変わるので、 ドライブの時には合わない。聴けない。」 と書いてたっけ。 普段は好きでも、ドライブ中は聴けない曲、またはその逆というのがあるのでしょう。きっと。) ただ、 音楽のアルバムというのは、雑誌みたいに、次々新作が出るわけじゃないので ・・・なんというか、3つしか選択肢がないと、もう、さすがに聞き飽きてきたというか・・・・・・・・・・。 ああ、アニー・レノックスなんて、前作のソロ・アルバムから いったいもう何年たっているのやら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 と思っていたら 出た。 アニーの新作<BARE>。 つい先日 「新譜、出とったでぇ〜〜〜〜〜〜」 と、夫が買ってきた。<BARE>。 ああ、ビートルズ以来、初めて我々夫婦が共に愛せ 普段から部屋で聴け かつ、ドライブの友ともなってくれる、唯一の存在、素敵なアニー。素晴らしいアニー。 ローレン・バコールか、ジャンヌ・モローか と言いたくなるような、素敵な歳の取り具合。シワのより方も、カッコイイぜ、アニー。 さっそく独占して、仕事の友にと、聴き続けていた。 やはり、彼女の声は素晴らしい。 上手い。 あああ、やっぱりあなたは私のディーバ♪♪♪ ・・・と、感動していたら、向こうの部屋から 「そちらは新譜になりますから、一泊二日で300円です。」 と、夫の声が・・・・・。 どうやら好みが合ったら合ったで、CDの取り合いになるってこともあるようで・・・・・。 昼: マーボー豆腐ナス(ひき肉、厚揚げ、ナス、赤ピーマン、緑ピーマン、長ネギ、しょうが、にんにく) ゴーヤと人参の酢の物、ハイビスカスとローズヒップのお茶 7月5日(土) <Made in 台湾>に対する世の中のイメージって、およそどんなものなんだろうか? いいんだろうか? よろしくないんだろうか? 正直に書くけれど、私は、ものすごく悪い。全然信用していない。 そりゃ、ビビアン・スーちゃんは清楚で可愛いし 金城武君はハンサムだ(←この人は、一応、台湾育ちということで)。 沖縄は那覇の格安台湾精進料理食堂<金壺>の料理も、とっても美味しいし。 けれど、 こと、工業製品ということになると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 原因は、台湾製の一本の傘。折り畳み式の傘。 これは、昔々の1989年、 夫と台湾へ旅行した際、冬場の雨期だったため、台北のホテルの売店で買った傘なのだけれど いや、もう、地獄のように出来の悪い傘だった! ホテルが、そこそこきちんとした体裁の、中級くらいのホテルだったので 「・・・う〜ん。街なかの、わけのわからん屋台で買うよりは・・・、ここで買うたほうがええやろ。 一応ホテルの売店なんやし・・・・・・そんなひどい商品は置いてないはず。」 と信じた我々をあざ笑うかのように、壊れた。 壊れまくった。 傘を開くたびに、骨と布を結びつけてある糸の、どこかが切れた。 補修しても、補修しても、 こちらを直せばあちらが切れる。 あげく、 ・・・・・傘の糸って、こんなに切れるもんやったっけ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・????? と、傘をさすのがイヤになってきた頃 パッと開いたら、ガッと骨が折れた。 怒髪天を突いた。 捨てた。 以来、台湾の工業製品は、いっさい信用していない。 だって、日本で買った傘 中国製だろうが、タイ製だろうが、とにかく日本のメーカーが品質管理をして売っている傘が こんなに壊れますか? そろそろ買い換えたい・・・と思っても、壊れないから捨てられない あああ、買い換えられないよぅ・・・・・ というのが、傘ってもんじゃないでしょうか?????少なくともこの国では。 一度植え付けられてしまった、あまりよろしくないイメージを覆すのは難しい。 以前、EUが12カ国でスタートした時 新聞で<理想のEU人>というコラムを読んだことがある。 うろ覚えなのだけれど いわく、<理想のEU人>とは <イタリア人のように勤勉で、オランダ人のように気前が良く、 ドイツ人のようにユーモアがあり、 アイルランド人のように酔っぱらいが少なく、 かつスペイン人のように時間に正しい・・・・・・・・・・・・・・・・> と、ようするにジョークなのだけれど この時、一番印象に残った国名は・・・といえば、私にとっては<ポルトガル>だった。 何故って、このコラムで、ポルトガル人は、こう書かれていたのだ。 <ポルトガル人のように機械に強く>。 ・・・・・・・・・・・あ、え??そうなの????? ポルトガル人って、メカ・オンチなの?? ヨーロッパでは、そういうイメージが定着してるの???????????? は〜〜、そうだったんだ!! というおかげで、私の頭の中にも、このイメージは刷り込まれてしまった。 今、家の中にあるポルトガル製品って、オイルサーディンの缶詰くらいしか思い浮かばないけれど でも、もし、機会があっても オリーブオイルやワインならともかく Made in Portugalの掃除機は買わないほうが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・と。 聞いた話だけでこうなのだ。 いわんや、実際に<怒髪天を突く製品>を使った場合においてをや! 台湾の人達には悪いけれど 私には、いまだに台湾製の冷蔵庫やパソコンを買う勇気は出ない。 こういうものは、一事が万事。 傘のような、ごくささやかな物が、キチッと出来ている国の商品なら安心だけれど その逆は・・・・・。 十数年も前の、たったひとつの傘で、イメージを作ってしまって悪いのだけれども。 そのうち、何か台湾製品で、良い物を体験して このイメージが消える日が来るとは思うのだけれども・・・。 本日、図書館からの帰り道 私達夫婦の乗る車の斜め前方に、韓国はヒュンダイの高級車が現れた。 我が高松にも、数年前に代理店が出来たヒュンダイ自動車。 (高い車は買えないけれど)車好きの夫は 代理店が出来た当初から、興味津々だった。 そのヒュンダイの自動車。 実際に走っている姿は 「おお。ええやんか。綺麗やんか♪」と夫。 今、乗っているキューちゃん(初代ニッサン・キューブ) (↑何故、わざわざ<初代>と書くかと言えば、 昨年モデルチェンジして、キューブが、まったく別の車になってしまったから。 今や、完璧に<若い男>しか買わない&乗らない・・・ いや、乗れない車になってしまったキューブ。 ゆえに、おっさんとおばはんは、 <キューブのオーナー>と名乗るのが恥ずかしいんです・・・・・・・・。) を、後5〜6年乗るとして、その後何に買い換えようか?? と、あれこれ考えるのが、今の夫の楽しみ。 「ヒュンダイもええやんか。」 と、言う夫だけれど・・・・・・・・・・。 Made in 韓国の物って、何か使ったことあったっけ??と、まず思ったワタクシ。 とっくにオリンピックも開催したし 昨年は、一緒にW杯も、きちんと運営した。 国民性は、勤勉できっちりしてそうだし 韓国製品を信用してもいい!とは思うのだけれど・・・・・ ・・・・・・・・・・でも、傘ならともかく、車は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 相当に信用できないと!!やっぱり。 昼: セルフのうどん屋<森製麺>にて ぶっかけの小170円、ナスの天ぷら80円 7月4日(金) ビデオ屋のそばの、竹輪の犬が、首輪を付けてもらった模様! 犬小屋はないけれど つながれてはいないけれど ともかく、バァチャンと同じで、多分、居酒屋さんに首輪はもらった模様! ということを、私は、相変わらず風下の物陰から確認した・・・・・。 過去の日記へ トップページへ戻る |