2003/3/1〜3/31 |
過去の日記へ トップページへ戻る 3月27日(木) 「漫画ぁ〜〜〜??」 と、その人達は、口元をゆがめて言った。 「漫画ねぇ・・・・・・・・」 マンガという言葉を口にするたびに、その表情は、いびつにゆがんだ。 口にしたくない汚い言葉だわ、と言わんばかりに。 15年くらい前のこと。 私は、友達に誘われて、小さな<読書会>に参加したことがある。 当時住んでいた、西宮市の甲陽園という場所で 駅前の雑貨屋さんが、店舗で始めた読書会だった。 初めての会合で、顔を揃えたのは6人。 50代〜60歳そこそこの女性が3人と 定年退職したばかりの60代の男性が1人。 私と友人は20代半ばで、二人だけ、うんと若いメンバーだった。 読書会は、まず、各自が ぜひ他の人にも一読を勧めたい本を紹介する、という形で始まった。 60代の男性は、ドストエフスキーなどの古典が、今、あらためて良いと思うと言い ミドルエイジの女性達は、それぞれ興味がある小説や、 環境保護の書物などを推薦していた記憶がある。 事が起こったのは、2度目の会合だった。 私と友人が「漫画にも大変良い作品が、たくさんあります。」 と、発言した時。 「漫画ぁ???」 他の全員の顔が、一瞬にしてこわばったのだ。口元がゆがんだ。 この年代(私にとっては親の年代)の人達は、 <漫画=子供の読み物>という偏見が、非常〜〜〜に強い というのはわかっていたけれど、 まるで汚い言葉を発するかのように 「漫画」というたびに、口元をゆがめて、吐き捨てるように言う その、あまりの見下し方に、ビックリした。 しかし・・・・・ ここでひるんではいけない! この人達は、知らないだけなのだ!今の漫画を! ・・・実際、60代の男性は 読んだことがある漫画として<のらくろ>を挙げていた(!!)。 つまり・・・、進化した今の漫画の現状を、全くご存じないまま、バカにしているわけだ。 んな人達相手に 漫画ファンの私と友人が、おとなしく引っ込むわけにはいかないではありませんか! というわけで 「今は、大人の読者をターゲットにした漫画も多いですし・・・・・・・・」 などと、 私と友人は、親世代のおじさん&おばさんを、必死に説得し始めた。 が、 4人の顔には、漫画への嫌悪感が張り付いたまま。 やがて女性の1人が、 「・・・まぁ・・・・・・・・・・・・、最近は、漫画と言っても、子供の娯楽だけではないようだし・・・。」 と言う。 脈ありかしら?? と思えば どうも<経済入門書>とか<エコロジーの勧め>のような実用書を 漫画で描いていることを指して言っているらしい。 「いえいえ!そういうことではなくって! 表現として素晴らしいのですよ!小説と同じで!」 「漫画がねぇ・・・・・・・?」 あくまでも漫画を軽蔑した物言いに、勘弁ならず 私と友人は、次の会合に、<これぞ!>と思う漫画を持参することにした。 友人は、坂口尚さんの<石の花>を (↑1940年代の旧ユーゴスラビアを舞台にした、戦争と人間を描く力作。) 私は、大島弓子さんの<つるばら つるばら>という単行本を。 (↑この中に収録されている<夏の夜の貘>という作品を おっさん・おばはん達に、読んでもらいたかったのだ。 物語は、小学生ながら、精神年齢は充分すぎるほど大人の男の子が主人公。 彼の目には、精神年齢の低い父母・兄は子供に見え、 自分は大人の男に見えている、という設定。 彼だけが大人で、周囲は教師も含めて皆子供 という、小学校の教室のシーンから、話は始まる。 もう、これは、絶対に漫画でなければ表現できない物語。 小説でも映画でも、 これほど瞬間的に、的確に状況説明はできない、と思う。 もちろん、物語自体も、大変に面白い。 この漫画を描かれた大島さんを、私は神だと思っている。) しかし・・・・・・・・・・ 二人が意気込んで渡した漫画。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 「結構面白かったんだけどねぇ。ここのところの表現が、もうひとつ。」 「この人物の心の描写がねぇ、物足りないわ。」 などと、ご満足いただけなかった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 というより <漫画は子供っぽい>というフィルターをかけて 重箱の隅をつついて欠点を捜すような読み方、したんではないの????? と、私は彼らを疑っている。 推測でしか無いけれど・・・。 だって、これが小説や詩だったら、 ・・・同じようなクレームを付けたかなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・????? ともあれ どう説明しても <文字で書かれたもの>が、この世界では一番立派! 漫画はもとより、映画も、表現物としては下等だと思い込んでいる人達が、 この世にいるというのは、良くわかった。 (こういう人達は、小説の表現文法を映画にも当てはめようとするので 映画を観てても、話の筋を追うことしかしない。 映画を映画として観ようとしない。観れない。 なので、 <文芸作品の映画化を観ても、原作より良かったことが無い! だから、やっぱり小説が一番素晴らしいのだ!>などと言う。 そりゃそうでしょうよ。) そういえば、ずっと以前 新聞だったか雑誌だったかに <日本では、電車の中で、サラリーマンや大学生など、いい歳をした大人が漫画雑誌を読んでいる。 それは外国人にとって、ものすごく異様な光景である。 外国人は驚いている!> てな記事が載って、話題になったことがあったっけ。 世間の(大人の)反応は、 そういう日本が恥ずかしい・・・という感じだった。 当時の私も、よくわからないまま「恥ずかしいなぁ」などと同調してしまったけれど 今ならわかる。 それを言った外国人が、何国人かは知らないけれど 間違いなくそいつは ろくな漫画作品の無い、 ものすごく漫画全体のレベルの低い国から来た奴だったのだ! 世界でも最高水準の、日本の漫画を読んだこともない 読んだこともないくせに、見下す とっても偏見に満ちた奴だったに違いない!間違いない!!(←というのもかなりの偏見か・・・?) <読書会>のおじさまおばさまといい、この外国人といい どうしてこう 漫画を色眼鏡で見るのだろう。 いつになったら、小説や詩や映画や絵画と同じだとわかってくれるのだろうなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・。 なんてことを考えながら、TV画面を眺めていた。昨日の私。 <千と千尋の神隠し>がアカデミー賞を受賞した。 その、アメリカでの成功の秘密を、NHKの<クローズアップ現代>という番組が、特集していたのだ。 番組の中で ゲストの大学教授が、言った。 「宮崎駿監督のアニメは、アニメというもののステイタスを上げたんです。」 ああ〜〜〜〜〜〜〜〜。 と、私は思わずため息をついた。 そう、 宮崎アニメが登場して以来 <アニメ=子供の観るもの> なんて、かたくなに信じる人は減ったはず。 アニメだから、実写の映画よりレベルが低い・・・ などと決めつける人も、まだいるかもしれないけれど、数は確実に少なくなっていると思う。 そして、アニメが、子供向きのアニメも含めて 今や日本が世界のトップを走り、世界に誇れる我が国の文化なんだ!とわかった人も多いはず。 あの<読書会>の苦い思い出から15年。 少年ジャンプが、アメリカで出版されるご時世になった。 しかし、 アメリカ出版のニュースを取りあげた時 NHKの男性キャスターは、こう言ったのだ。 「せっかくですから、電車の中で漫画を読む日本人も どうせなら勉強のために、英語版を読んだらいいでしょうね。」 ・・・・・馬鹿者ぉぉ!!!!! まだそんなことを言うか!!!!!!!!!! あやうく、飲んでいたコーヒーを、TVに投げつけるところだった。 ・・・・・・・ああ 漫画のステイタスも、いつかはきっと上がるのだろうか??アニメのように。 と、ついつい悔しいことを思い出してしまった、昨日。 昼: ゴーヤのンブシー(ゴーヤ、赤ピーマン、厚揚げ、豚肉) 酢の物(ワカメ、きゅうり、ちりめんじゃこ)、しょうが入りの紅茶 3月24日(月) <二十四の瞳>と言えば、言わずと知れた、壺井栄の名作文学。 彼女が、生まれ故郷の香川県小豆島(しょうどしま)を舞台にして書いた とてもとても美しい小説である。 以前、大阪市内に住んでいた時、 かかりつけだった歯医者さんのお父様が、この小豆島出身の方だった。 それだけなら特にどうと言うことはないのだけれど このお父様の自慢は 「わしはのー、ホンマモンの<二十四の瞳>なんじゃ!!」 というもの。 この小説は、何度も映画化されているので 私はてっきり、 お父様が子供の頃、小豆島で映画のロケがあり 島の小学生役で、映画にチョイと出たのかな??などと思っていた。 が、 真実は、私の想像などよりよっぽど素敵で お父様は、 あの小説の舞台になった<岬の分教場>で、本当に学んだ子供だった、ということなのだった。 聞いた時、思わず 「ええなぁ〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!♪」と叫んでしまった私。 だって、岬の分教場は、遙か昔に廃校になってしまっている。 おまけに、過疎地で、もともと児童数の少ない分教場(←分校)。 そこが出身校だなんて、誰ばり(誰でも)なれるもんではありません! お父様は、実際には<三十二の瞳>だったかもしれないし<十六の瞳>だったかもしれないけれど でも、 「えっへん!どうじゃ!♪」 と言いたくなる気持ちはよ〜〜くわかる。 そして、そういう風に 生まれ故郷を誇りに思えるなんて、ホンマにええなぁと思ったのだった。 壺井栄の筆の力に、尊敬の気持ちを抱いた一瞬だった。 自分が、その小豆島のある香川県生まれだということが とても嬉しく思えた一瞬でもあった。 香川県出身の、有名作家と言えばもう一人 あの菊池寛がいるけれど (↑昨年以降、やはり<あの>と言わざるをえない。) 恥を承知で白状します。 私は、菊池寛の作品、ほとんど読んでいません。 <恩讐の彼方に>のあらすじさえ知りません。 彼の作品の中に<真珠夫人>というのがあったことも、昨年初めて知りました。 唯一読んだ作品は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ムチャクチャ短い(10分で読める)<父帰る>のみ! ・・・香川県民として、これでいいのだろうか??????とは思うけれど でも私は、逆に知りたい。 香川県民の、いったい何%くらいが<恩讐の彼方に>を読んでいるのかということを! <95%くらいが読んでます> てな結果が出たら、もう私は立つ瀬がないけれど・・・・・。 それはともかく、 何故、唐突に<二十四の瞳>かと言えば 昨日の日曜日 Penpenさんが所属している劇団の、<二十四の瞳>の公演を観に行ったからだ。 <二十四の瞳>の前半部分をミュージカル化した 大人も子供も楽しめる作品。 そして、観ていてしみじみ 「ええ話やなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」と思った私だった。 そう、 大人になってから<二十四の瞳>を読み返したことがあるけれど つくづく良い話だ。本当にいい話だ。 昨日も、舞台を観ながら ここらへんでこういう展開になって感動させられちゃう・・・・・ と、わかっているのに、やっぱり感動して 目頭が熱くなり・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・かけたのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ならなかった。 問題があったのだ。 ひとつだけあったのだ。 私の前の座席に、バカップルが座っていたのだ!!!!! それは、推定年齢28〜32歳くらいのバカ二人。 ビシッとしたスーツ姿の男性に、黒いワンピースでおしゃれに決めた女性。 この二人が、最初から、もぉ〜〜〜〜〜えらくラブラブ(←古語?)モードなのだった。 女性の方が、男性にしなだれかかっているのだけれど それがまた <しなだれかかる>を実際に態度で示して説明せよ! と言われたら、 「こいつらがそうです!」と、指し示したくなるくらいの<しなだれかかり方>。 男の腕に、グイと自分の腕をからませ、斜め45度の角度で男にもたれかかる女性。 いや、それだけなら、まだ文句は言うまい。 男が、ちゃんと、垂直に座っててさえくれたら。 しかし! どういうわけだか もたれかかられた男性、 女性のいる側とは反対の方へ、同じように身体を斜め45度に傾けて座ってしまうのだ。 ・・・嫌いなのか?本当は?? 避けたいのか?この人を?え?お兄さん? と、聞くわけにもいかないまま ともかく、私の目の前に 身体を左斜め45度に傾けたままの二人が、座り続けているわけだ。 はっきり言って、メチャ落ち着かない! 例えれば、壁が斜め45度に傾いた部屋に座っている感じ・・・・・ と言ったら、おわかりいただけるでしょうか? なんか、モンティ・パイソンのギャグのワンシーンの中に居るような・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 その不安定な二人。 せめてジッと座っててくれたらいいのに 女性の方が、特に気持ちが入っているらしく なんと言うかもう・・・ いつ、男性のホッペタにキスするか、耳たぶにチュウと吸い付くか、と、 私は気が気じゃなかった。 いや、しなかったけれど。 しかし、先にも書いた通り このミュージカルは、大人も子供も共に楽しめる内容。 なので、実際、座席の半分は、小学生以下の児童・幼児で占められていたのだ。 そういう中では、かなり異質なこの二人が よりにもよって、 何で私の前に座るんだよぉ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ぅ!!! おまけに、舞台で演じられているのは<二十四の瞳>ですよ????? <ロミオとジュリエット>ならまだしも、<愛の嵐>ならともかく、 <二十四の瞳>で、そこまでラブラブモードになれるとは!特に女性! あんたっていったい・・・・・・・・・・・??? ・・・・・・・う〜〜〜ん これは、もういっそ<真珠夫人>のほうが良かったか。 ともあれPenpenさん、お疲れさまでした。 3月21日(金) 春分の日。 正月に買った、我が家の盆栽<梅造>も 春の足音が近づくとともに はい、この通り。 ただし、 手入れをしているのが、盆栽ビギナーゆえ(初歩的にして、重大なミスもあり)枝振りは悲惨です。 もういっそ、前衛芸術を目指そうかな・・・・・・・・・・。 ともあれ、途中経過報告でした。 昼: セルフのうどん屋<??うどん>(←店名の漢字が、6年たっても読めない・・・)にて かけ小190円、おでん(豆腐、卵)2個で180円 3月18日(火) 吉本新喜劇だったか、松竹新喜劇だったか・・・こういうギャグがあった。 池乃めだか扮するチンピラが、人にケンカを売る。 かなり高飛車な態度の、めだかなのだが 相手の助っ人・・・これがまた、えらく怖そうなおっさん達なのだが・・・が出てきたとたん 「今日のところは、勘弁しといてやるわ!!」 と捨てぜりふを残し、肩をいからせて去って行く・・・。 お決まりのギャグなのだけれど 今、戦争をしかけている2カ国の どちらの誰でもいいから 「今回は勘弁しといてやるわ!!命拾いしたのぉ、お前ら!?」 と、すごんで、引いてくれないものか? 誰も笑いませんよ! むしろ、自分のメンツを捨てた行為に 世界は、感動してくれるかもしれないのに・・・・・・・・・・・。 遙か昔、私が10代だった頃。 <第二次世界大戦は、日本とドイツが世界を侵略しようとしたために起こり とにもかくにも、日本とドイツが悪いんだぜ!> と、世界の多くの人々が思っている と知って、ひっくり返りそうになるほど驚いたことがある。 「えええ!?そんな!?? だってそれは、 その前に、ヨーロッパとアメリカが、アジアやアフリカを植民地支配して このままだと、ワシらも中国やインドみたいになるで〜〜 と、日本がシャカリキになったからやんか。 なのにそんな、一方的な・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」 日本に生まれて、日本に育った私は、納得しかねて地団駄踏んだ。 が・・・・・、やがて思った。 「・・・敗戦国やもんな・・・こっちは・・・。 戦争に負けるって、そういうことやわな・・・・・・・。」 以来、私は心に刻んだのだ。 <戦争の始まりに、どちらかが一方的に悪い、ということは無いはず>と。 今回の、アメリカとイラクの一件も だから、アメリカの悪口を言うのは、極力控えようと努力してきた。 だったのだけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・国連の存在を、蹴っ飛ばされたのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 (ああ〜、でも、やはり、どっちもどっちだとは思う。) 本日、<48時間期限>の宣言をされて 国連も、一気に、「我々は、戦後処理と復興に力を尽くす」と、姿勢を変えた。 素早い。 素早すぎて怖い。 怖いけれど、政治家や国連のスタッフは 10手も20手も先を読んで行動しなくてはならないのだから いつまでも「戦争阻止」に、執着できないのだろうな。 でも、私は、政治家でも国連スタッフでもジャーナリストでもないので 最後の0.5秒まで 望みは捨てたくない、と思う。 ・・・・・・・・・甘いのかな・・・・・・・・・・・・・。 けれど、最後の0.5秒で、逆転Vゴールが決まることだってあるんだから。 そして、私は一般市民なんだから。 政治家じゃないんだから。ジャーナリストじゃないんだから。 甘くてもいいんだ。 3月11日(火) 朝6時。 タイマーでセットされたラジオが鳴り出す。 本日、朝一番で流れ出した音楽は、 ローリング・ストーンズの<ジャンピング・ジャック・フラッシュ>。 ストーンズの日本公演が始まった と、ラジオが告げている。 ああ、やっぱりミック・ジャガーの声は最高だ!! 元気に私は飛び起きた。 (ホンマは歳取ったら、ゆっくり身体を起こした方がいいんですけどね。) 夫には悪いが ミック・ジャガーは私にとって、長年、世界で一番いい男。 特に、20代前半〜32・33歳頃までの彼は、 今、ビデオで見ても、これ以上カッコイイ人がこの世にいるのかしら・・・・・・・? と思ってしまうほど、カッコイイ。 ・・・でも、そんなに好きな彼なのに 私は残念ながら、ストーンズのコンサートには行ったことがない。 ミック・ジャガーの麻薬所持の前科のせいで、 長年、日本に入国できなかったストーンズ。 それが、やっと法務省のOKを得て、コンサートが出来るようになった時 私はちょっと耳を悪くして、 大音響のロック・コンサートへ行くのがつらくなっていたのだった。 あああ、残念無念。 ただ、ストーンズの初来日以前に、 ミック・ジャガーが単独で、日本でコンサート・ツアーをした。 それは観た。 大阪城ホールで。 頑張ってチケットをゲットして!! あああ、長年の憧れ。 心の恋人、ミック様〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!! と、なるはずだったのだが・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・ならなかった。 今思い出しても、あのコンサートのミック・ジャガーの印象は、薄い。なんか、ボケている。 ミック・ジャガーが悪いのでは、断じてない。 悪いのは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 多分、その大切なコンサートの直前に 中華人民共和国へ旅行してしまった、私が悪いのだ。 1988年の、中華人民共和国は手強かった。 私と友人は、 10日間、 中国5000年の歴史と、人民12億人と戦い続けていたような気がする。 列車でどこかへ行くと言えば、その切符を買う、ただそれだけのことに全力を傾け 食堂でシューマイを食べると言えば、テーブルと椅子をゲットするのに、力の限りを尽くし 市内の路線バスに乗ると言えば 鉄の壁のようにびくともしない満員の乗客に、アメフトの選手のようにタックルで突っ込み (この頃の私は、会社勤めをしており 毎朝、満員の阪急電車と満員の地下鉄御堂筋線に乗って通勤していたので 中国で満員の路線バスを見ても、けしてビビることはなかった。 が、 中国の人々というのは、人が乗り降りする際、 ちょっと身体を寄せて、なんとか人を通す・・・ということを絶対にしなかったので 本当に鉄の壁にぶつかっていくような感じで、最初は参った。 やがて、目の前に、たとえ老人がいても、容赦なくタックルするようになるのだけれど・・・。) ともかく、 毎日が全力投球という感じの10日間だった。 もう、目の前のことしか考えられない。 日本のことなど、チラとも思い出しはしなかった。 しなかったおかげで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 日本に戻る日。 中華民航の飛行機の中で、私は思った。 「・・・あれ?私、ミック・ジャガーのコンサートへ行くはずやなかったっけ?? あれ?コンサートって、・・・もう終わったっんやったっけ??????あれ??????」 コンサートが、その3日後だ ということを思い出すのに、タップリ2分はかかった。 <心の恋人を、生まれて初めて生で見る> という そんな大切な日のことを、完璧に忘れ去っていた。 それくらい、中華人民共和国は、良い意味でも悪い意味でも、キョ〜〜レツな国だったのだ。 そして、3日後。 生で見た<心の恋人>は・・・・・・・・・ 普通のおじさんだった。 ストーンズではなく、ミック・ジャガー単独公演だった というのも、印象が薄くなってしまった理由だろうとは思う。 ステージは、随分とスマートな感じだったし。 が やっぱりミック・ジャガーの毒気は 私が直前まで戦っていた、中華人民共和国の、あの毒気に負けてしまったのだ。 あああああああ、もったいない! せっかくの生ミックがっ!! ・・・・・・あれ以来、私はロック・コンサートには行っていない。 最後に観たコンサートが、あの薄ボンヤリとしたミック・ジャガーの姿だなんて ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 恨むのは、とんだ筋違いだとわかっちゃいるけど この一件に関しては 私は中国に向かって叫びたい。 「ク〜ヤ〜シ〜イ〜〜〜〜〜〜〜!!!」 と。 本当に。 ・・・ストーンズが、更にじいさん達になって 「ロックンロールは、もうしんどいぜ。」と、 アコースティック・ナンバーやブルース・ナンバーだけで、来日公演をやってくれるようになったら・・・・・ 私もまた、コンサートへ行きたいなぁ・・・。 |
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