2003/11/1〜11/30

       
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11月28日(金)

「ああ〜〜〜〜〜、残念。陰性です〜。」

検査の結果に、診察室にいた私と医師と看護師は、一気に落胆。
今年の2月の初め頃
高熱で駆け込んだ、夜間救急病院でのことだった。



暖冬とはいえ、四国も徐々に寒さがつのってくる11月。
毎年、我が家は、インフルエンザの予防接種を受けに出かける。

<受けたからといって、100%罹患しないわけじゃない>
<違う型のウィルスが流行したら、まるで意味無し>

などということで、色々批判もあるインフルエンザの予防接種。
けれども、
私は、どういうわけだか、白血球の数が、人一倍少ない・・・・・・というのも変だな
ええと、人半分
ひどい時には、人3分の1くらいしかない体質。
なので、感染症には、そう強いとは思えない。
だから、効こうが効くまいが、
ともかく気休めでもいいから、予防接種は受けることにしているのである。
もちろん、
<手洗い・うがい>はビシバシにやっとりますとも!


さて、
一昨年の冬は、それでも高熱が出た。
40度の熱が出、身体はガタガタふるえて止まらない。
ただ、熱は出ても、咳は無し。喉の痛みも無し。
鼻水も無し。
頭だけは痛い。
こりゃ〜〜〜〜〜〜〜もう、どう考えたってインフルエンザじゃ!!
と思って、予防接種を受けた病院へ行ったらば
たまたまその日の担当が、私に予防接種をした先生で
「予防接種をしたんだから、インフルエンザにかかるはずはない!」
と言いはり
言いはったって、これはどう見ても普通の風邪じゃないでしょう〜〜と、こっちは思い
いよいよ困った覚えがある。
一昨年当時は、インフルエンザかどうかすぐ判別できる検査薬が、まだ普及していなかったのだ。
そして、インフルエンザの特効薬も、まだ普及していなかった。
なので、
もし、インフルエンザかどうか、わかったところでどうしようもないのだけれど
ともかく、
「違う!」
と言いはられたまま、私はヨロヨロと家に帰り、寝た。
そして、2日寝たらば、ケロリと治ったので
やはりこれはインフルエンザで
予防接種のおかげで、1週間寝込むところが、2日ですんだのだろう
と解釈したのだった。


翌年、つまり昨年は、
私は予防接種の病院を変えた。
家の近所に、内科医院が新しく開業したからだった。

どういう医師がいるのか?
良い病院なのか?良くないのか???

偵察するには、予防接種はうってつけだと思う。
そして、出かけて行って
私はカウンターパンチをくらってしまったのだ。

医師の態度が悪いのだった。すっごく。

その60歳過ぎと思われる男性医師は、
なんとなく、物言いがぞんざい。
でも
本気で「このヤロー!」と思ったのは、
帰り際、
診察室を出かけた私を、その医師が追いかけて来て
<インフルエンザの予防接種を受けた方への注意事項>なるプリント用紙を
「ほれ」
という感じで、突きつけるように私に渡し、
その後、ポケットに片手を突っ込んだまま、私に注意事項をしゃべっていた、その態度だった。
もちろん、
片手でプリント用紙を指し示しながら(またその指し示し方が、ぞんざいでえらそうなのだ)しゃべっていたから
片手だけをポケットに突っ込んでいたのであって
両手が空なら、とーーーーーぜん両手をポケットに突っ込んでいたことであろう。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
正直言って、患者としゃべる時
ズボンのポケットに手を突っ込んでしゃべる医者って、私はこの時初めて見た気がする。
大昔ならともかく・・・
今どき、まだいたの??こんな医者?????

後で知ったことだけれど、この医師
県内の、某有名総合病院の◎◎科の部長という経歴の持ち主。
某総合病院を定年退職して、開業した・・・
というわけらしかった。
でかい組織で部長などやっていると、患者との接し方も妙になるのね・・・。

でも、まぁ、
態度の悪い医師が打っても、Dr.コトーが打っても、予防接種はそう変わるまい。
ということで、その時はそれで終わったのだった。
「やな奴」という記憶だけを、私に残して。
そして・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


年が変わって今年の2月。
私は、突然の高熱に見舞われた。
いきなり40度近い。
前日の日曜日、
カーペットを買いに行った家具屋で、ものすごい咳をしている店員がいた。
あいつだ!
あいつに移されたのだ!きっと!!!
と思うものの、私はちっとも咳が出ない。喉も痛まない。
鼻水も・・・・・。
まさか、またインフルエンザ・・・?????
予防接種したのに、またーーー???????

取りあえず総合感冒薬を飲み、翌朝になると、熱は、ちょっと下がって37度8分になっていた。
熱が下がるってことは、やはり普通の風邪だろうか?
と、首をかしげつつ
私は、再び、あの<態度悪医師>のいる病院へと向かった。

何故!?
やな奴と思うなら、行かなきゃいいじゃん!!!

と思われるでしょうが
なにせしんどかったのだ。
タクシーで遠くの病院へ行って、疲れてよけいに症状を悪化させるよりは・・・と。
それに
・・・ここが我ながら甘いところなのだけれど
あの医師、ただ、ぶっきらぼうな物言いしか出来ないだけで、実はええ医者なんじゃ・・・???
漫画によくいるじゃん、そういうタイプ。
などと、この時点では、私は考えていたのだった。
なにせ、予防接種で、ちょこっと会っただけ。
それで、全人格を否定するのも悪いかな・・・・・などと。


自分が実に甘かった!
ということを、思い知らされるのに、時間はかからなかった。
<態度悪医師>は
ホンマに最悪の<態度悪悪医師>だった。

診察室にて、
<態度悪悪医師>は言った。

「今、うちには、インフルエンザの検査薬が無い。検査は出来ない。」
「でも、ま、インフルエンザの薬、出しときましょう。」

は?????

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・すみません。
この熱がインフルエンザによるものかどうかわからないのに、インフルエンザの薬、飲むんですか?」
と、これは私。
当然な反応でしょう。
違ってたら、飲んだって無駄じゃん。
おまけに、どんな薬にだって副作用というのは、あるのだし。

「薬、いりませんか?」と<悪悪医師>。

「いりません。」
と私。

「あーー、そーーですか!」


↑本当に、こう言いおったのだ!!
「ああ、そうですか。」じゃなくって
「そーーですか!」だ。
「あっそーーーーー!!」って言うのにソックリな言い方で、「あーー、そーーですか!」だと。

ふてくされた小学生か!
このおっさんは!!!??



思わず
「あー、そーですよっ!!!」と言い返しそうになったけれど
それを言ったら、もう目クソ鼻クソだ。
こんな奴と同じレベルに、落ちてたまるか!


かくして、大変険悪な雰囲気の中、私は診察室を出た。
看護師さんや薬剤師さん達も気の毒に。あんなのがトップで。
そして、
こういう医師なので、
当然ながら、私が来た時も、そして帰る時も
待合室はカラッポだった。
朝日新聞の4コマ漫画<ののちゃん>の、広岡先生の病院のように。(広岡センセは可愛げあるけど。)
私が支払いをしている最中に、1人、
風邪気味の中年女性がやって来たけれども、これは当然、初診の人だった。
「ここはアカンよ。余所へ行きなはれ。」
と、のどまで声が出かかった私だけれども・・・・・・・・・・
看護師さん達が可哀想なので、やめた。


さて、怒りで熱がハネ上がったか??と思われたけれども
その時は、37度台のまま。
しかし、夕方、再び40度近くまで上昇してしまう。
今度こそ、インフルエンザかもしれない。

夫に連れられ、私は、ヨロヨロと夜間救急病院へ。
診察室で私を迎えてくれたのは
発酵食品学の権威、東京農大の<小泉・発酵博士>にクリソツな
ポッテリと優しそうな先生だった。
   (あまりのクリソツぶりに、私は笑いをこらえるのに、もう必死で、ここで熱が2分くらい上がったかもしれない。)
そして、さすがにここには、インフルエンザの検査薬があったのだ。
すぐに採血して検査。

「多分インフルエンザでしょう。
インフルエンザなら、特効薬があるからね〜。」
と優しく、発酵先生。

やがて出た結果は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


冒頭の通りである。
<陰性>である。
一同、もうガッカリ。
<陰性>でガッカリというのも何だけれど、でも陽性なら特効薬が使えたのだ。
発熱して、その時点で、まだ24時間ちょっと。
充分、特効薬が効く時間内だったのだ。(タイムリミットは36時間でしたっけ?48時間??)
ああ、なのに
なのに、普通の風邪だったなんて〜〜〜〜〜!!!


発酵先生いわく
このシーズンは、こういう、すごく高い熱だけ出る風邪が
どういうわけか、30歳代の女性にまん延しているとのこと。
わたしのも、まさにそれのよう・・・。40代だけど。
やっぱり家具屋で移されたのか??否・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。



と、このように
この数年、予防接種をしても、きっちり熱を出して寝込んでしまっている私。
でも、寝込むのはシーズン中一回こっきりなのだから
やはり<手洗い・うがい>&<予防接種>は、無駄にはなっていない・・・と思いたい。

今年の予防接種は、またまた病院を変えた。
当たり前だ。
で、今度は、ごく普通の内科医院だった。

先週打ったワクチンが、効いてくるまで、あと数日。
どうか今年は、高熱が出ませんように。
そして、どうか皆さまも、風邪・インフルエンザ&SARSなどに、かかりませんように。
どうかご自愛くださいませ。



◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎


ユーロ2004(来年開催されるサッカーのヨーロッパ選手権)の予選で
応援していたウェールズが敗退してしまった・・・・・・・・・・・・・・・。
しょんぼり・・・。


11月15日(土)

夜出歩くことのほとんど無い高橋家、本日は、珍しくお出かけ。
映画<ホテル・ハイビスカス>の上映会だ♪

この映画は、
沖縄出身の漫画家仲宗根みいこさんの、同名の漫画が、原作になっている。
私は、この漫画が
もう好きで好きでたまらなくって
本当に、何度読み返したかわからない。
沖縄の戦争のことや、基地の問題などを取りあげていながら
笑えて、楽しくて、
胸が詰まって思わず涙が出た後も、暖かい気持ちになって本を閉じられる
そんな宝のような作品。
現在は、仲宗根さんは、もう漫画は描いておられないようだけれど
描くべきことは、すべて描いてしまった、ということかもしれない。
あんな作品を作ったのなら
それもうなずける気もする。
ファンとしては、寂しいけれども。

そして、この<ホテル・ハイビスカス>を映画にしたのが
<パイナップル・ツアーズ><ナビィの恋>
などで、沖縄を舞台にした、楽しい楽しい映画を作ってきた中江裕司監督。
<パイナップル・ツアーズ>も<ナビィの恋>も
私は大好きだったので
そりゃあもう、<ホテル・ハイビスカス>の公開も、楽しみにしていた。
昨年、
東京国際映画祭で、この作品が<審査員特別賞>を受賞したのを新聞で知り
期待はますます膨らむ。
そして今年の6月
ついに、全国でロードショウ公開が始まり、
以来
「高松には、いつ来るんかうのぅ」
と、長目の首をさらに長くして待っていた私と、太短い首を伸ばしていた夫だったのだ。
でも・・・・・。

結局、高松では、この映画のロードショウ公開はなかった。
それで、かなりガッカリしていた私達だけれども
でも、もういいの。
今夜は、その、待ちに待った上映会♪
あああ、
何がなんでも行きますとも!
たった一日、
一回こっきりの上映なんだもの!GOGO!



というわけで、夜の7時
上映会場である、県内の、とある結婚式場の披露宴会場に、我々はいた。
もう、場内は
<県内の沖縄好き人間大集合〜♪>という感じで、楽しい。
人の多い場所は、苦手だけれど
こういう<同好の士>がいっぱいいるのは、やっぱり嬉し楽しいもの。
椅子はパイプ椅子で、
おまけに座席が平面上にあるため、見やすい席をゲットするのも大変だったけれど
いいの。
私達は、思いっきり映画を楽しんだんだから。
作品の出来を左右する
<主人公・小学校3年生の美恵子>役の蔵下穂波ちゃんは、もう圧倒的だったし。
なんちゅうパワフルな子。
ホントに楽しかった。



ところで、映画の上映の前に
沖縄のミュージシャン、シューベルト松田さんによる、ミニ・ライヴがあり
沖縄の島唄(民謡のこと)の超定番
<安里屋ユンタ(あさどやユンタ)>や
BEGINのヒット曲<島んちゅの宝>
夏川りみの大ヒット曲<涙そうそう>、
そして松田さんのオリジナル曲などで、皆を楽しませてくれたのだけれど
民謡と言えば、やはり<合いの手>。
沖縄なら
イ〜ヤ〜サッサ〜
とか。

なので、<安里屋ユンタ>を歌う時、松田さんは

「では、この曲では、皆さんも合いの手で参加してくださいねぇ〜。
僕が<イ〜ヤ〜>と言ったら
皆さんは<ア〜イ〜ヤ〜〜>と言ってくださ〜〜い。」

と。

もちろん、私も機嫌よく

「ア〜イ〜ヤ〜〜〜。」

と、どなる。

でも、どなりながら思った。

・・・・・もう亡くなった漫才師のミス・ハワイって
ひょっとして、沖縄出身だったんだろうか?????


ア〜イ〜ヤ〜、イ〜ヤ〜サッサ〜〜〜♪


夜: 沖縄料理店<琉球御殿>にて
    パパイアイリチー(青パパイアの炒め物)、薄く切ったゴーヤのフライ、
    ソーキそば(豚の骨付きアバラ肉入り沖縄そば)、
    豆腐とアーサー(青のり)入りのサラダ


11月12日(水)

ミュンヘンに住む、同い年の友人(女性)は、4〜5年前から
定期的にアスレチックジムに通い、筋トレをやっている。
年齢的にも、健康に気を使ってのことだろう。
しかし、
何故に筋トレ??
と、ずっと私は思っていた。
健康のためにスポーツを、というのなら、水泳とか自転車とか山登りとかテニスとか
他にも色々あるだろうに
なんでまた、筋トレを???

謎が解けたのは、先日のことだった。
この友人に、メールで、なにげなく
「そういや、まだ筋トレは続けてるの?」と聞いたらば
「続けてる。筋肉が無いとドイツでは生きていけへんもん。ドアとか重いし。」
とのお答え。

あああ、そうか、
そうだったのか!!

さすが、ミーレの掃除機の発売元だ。ドイツ。



今年の6月13日の日記にも書いたとおり、
私は、我が家の掃除機(HI◎ACHI製)と、不毛な恋愛にも似たつき合いを続けている。
キライなんだけど、別れられない。
捨てるに捨てられないまま
この、あまり性能のよろしくない掃除機君と、生活を共にし続けてすでに3年半。
しかし、もう本当に限界だ。
一年半前に修理した部分が、ついにまったく機能しなくなった。
                    (6月13日の時点では、機能したり、時々しなくなったり・・・だった。)
これが機能しなくても、一応ゴミは吸い込むため
我慢して使ってはいるけれど
この機能があるとないとでは、吸塵力に格段の差が出る。
おかげで、私は、そーとーイライラが募っているのである。
6月の時点で、もうそーとー募っていたんだから
火山で言えば、今や、噴火寸前。
体中に、掃除機君への怒りのマグマが渦巻いている状態だ。

♪壊れたからって、ホイホイ買い換えずに、修理して使いましょう。
地球に優しく。♪


と、心に巣くう天使のエコロジストの声も、聞こえてくるけれど
でも
一年半に一回壊れる掃除機なんて
一年半に一回ずつ、修理費に1万円強かかる掃除機なんて、
地球環境に優しくしてたら
この先、こっちのフトコロ環境は壊滅だ!

地球も守りたいけど、わたしゃフトコロだって守りたい!

というわけで、とうとう、買い換えを決意した我が家。
買い換える機種は、長年の懸案であった、
そう、ドイツ生まれの<ミーレ・シルバースター>君である。


ミーレの掃除機を、買おう買おうと思いつつ、長年、手を出せなかったのは
ひとつには、価格が高いと言うこと。
そしてもうひとつ、
こちらが私にとっては、より大きな問題だったのだけれど
この掃除機は排気音がでかく、かつ本体がかなり重いらしいということだった。
でも、排気音は・・・
まあ、気にしないことにしよう
と、段々思えてきた。
我が家が掃除機を使うのは、ほぼ、平日の午前中。
深夜に暴走族が走ってるのに比べたら
近所迷惑度は、まぁ・・・・・低いのでは??

しかし、
総重量8.7sは、なかなかクリアできない問題点だった。(とのさんも、重いって言ってたし。)
なにせ、
今使ってるHI◎ACHI君は
電気屋の店先に並ぶ品々の中でも、
特に、<小さく軽そうな>点を評価して、選んだものだったのだ。
軽くて小さい掃除機が多い日本でも、とりわけ軽いHI◎ACHI君を使い慣れた我が身に
8.7sのミーレ・・・・・
って、象みたいな重さなんではなかろうか?????
大丈夫なのかしら、私。

いや、今は大丈夫かもしれない。
同年代の女性と比べて、
今の私なら、多分、筋力&体力とも、平均よりは上だろうと思うから。
                            (下ってことは・・・ないと思う。)
が、
なにせ、ミーレの掃除機の売りは
<20年間壊れません!>だ。
これから買って20年。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
還暦過ぎて、8.7sの掃除機って・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・どうなの?????



この点に関しては、以前から、大いなる疑問でもあったのだ。
ミーレの故郷ドイツ
それからスウェーデンなどの北欧の家電製品は
丈夫・頑丈を売りにしているのが多いけれど、
その分、皆、でかく重い。
でも、ドイツ人だって、北欧の人達だって、歳取ったらやっぱり重いのは困るでしょうに?
こういう製品しかないのなら、どうしてるのよ??ドイツ&北欧諸国の老人は?????

と、疑問を口にしたら
先述のミュンヘンの友人は一言

「ドイツの年寄りは強い。」

・・・・・いや、もちろん
いよいよ歳取ってきたら、ヘルパーさんに、掃除はお願いするとかしてるのでしょうけれど・・・。


といういわけで、ドイツの老人が参考にならないことは、わかった。
じゃあ、私はどうするんだ?
本当に、壊れないまま20年たったら・・・
と、悩んでいると、夫が言った。

「アッホやのーー。20年たって、
もうこんな重いもん、使っとれ〜〜ん!!!
(怒髪天突き)
と思う頃に壊れるんじゃ。
軽いのに買い換えたらええんじゃわ。」



デルフォイの神託を聞いたようだった。
一瞬、夫が、全知全能の神に見えそうだった。
落ち着いて考えたら、子供でも考えられそうなことだったのだけれど
その時の私には、目からウロコな御意見だった。

これで気持ちは決まった!

よし!買うぞ。
多分。
ミーレ・シルバースター。
今年中に。
そのための貯金は、ある!


ただ、ひとつだけ、ひっかかるのは、ミュンヘンの友人のこの言葉だ。

「私が使ってる掃除機は、(ミーレより)もっと安くて、日本製並みに軽い奴。
でもシンプルな作りのせいか、壊れないねー。」



・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
そういう、軽くて安くて壊れないドイツ製の掃除機があるのなら
誰か、輸入してくださいな〜〜〜〜〜!!!
お願い!


夜: ミートボール入り中華スープ(ミートボール、白菜、さやインゲン、しいたけ、長ネギ、しょうが)
   人参のナムル


11月8日(土)

私は、典型的な無党派層。
なので、明日の選挙には、まだ頭を悩ませている。
各党の公約やら主義主張やらを、TVで見たり、新聞で読んだり
すればするほど悩みは深まるばかり。

景気回復は、もう誰がやっても、すぐには結果は出るまい。
あの強烈な、イギリスのサッチャー政権でさえ
<イギリス病>から国を回復させるのに、10年以上はかかっていた。
だからこの件はもう気にしない。
威勢のいいことを言ったって、どの政党も、皆一緒。
そんな上手くはいくまい、と言う点で。

気になるのは、憲法だ。
憲法第九条を、
守るか、変えるか。
各政党の主張は、これでまっぷたつに分かれる。
私は、このどちらを支持するべきなのか・・・・・?????
ここでつまずいて、一票の行き先は、いまだ決まらず。


日本の平和憲法は、世界に誇れる憲法だと、戦後生まれの私は常に聞かされてきた。
本当にそうなんだろうと思う。
けれども、
戦争のための軍隊は持ちません。
だから、誰かが攻めてきたら、アメリカに助けてもらおう。
で、いいんだろうか??このまま。

わからない。

そのために、国内にアメリカ軍が基地を置き
その負担のほとんどを沖縄に
いや、沖縄本島にだけ、押しつけておいて、いいんだろうか??
このままで。

このことは、何年も考え続けているけれど
私には結論は出せない。
まだ出ない。わからない。


理想はもちろん、
平和憲法を守り
アメリカ軍の基地も、撤退させる。
これだろう。
なんとも美しい理想。
そして、この理想を公約に掲げる党もあるけれど
でも、こんな美しすぎる理想、10年かかったって実現できるとは思えない。
実現できそうにないことほど、とてもとても耳に心地よいもの。
そういう、耳に気持ちいいだけの公約に、一票入れていいのかどうか???????

そんなこんなで、いまだ決心がつかず。
こういう時は、支持政党があれば、話は早いんだろうなと思う。
でも・・・・・。


87歳になる夫の母方の祖母は、バリッバリの自民党員だった。
寄る年波で、もう党員は辞めたようだけれど
今でも多分、支持政党は変わっていないと思う。
その祖母は
10年くらい前まで、選挙になると、無茶苦茶ファイトしていたと聞く。
選挙事務所へ手伝いに行き、
そこから戻れば、親戚・知人へ
「な、あの人に入れてな。な。な。」
とお願いに回り・・・。

祖母が自民党支持なのは、
戦後の農地改革で、自分とこの田んぼをゴッソリと取りあげられたからだそう。
取りあげられたと言ったって
祖母の家には、まだ田んぼはあるし
住んでる家はでかいし(私から見れば)
庭は、車が5台でも6台でも置けるくらい広いし
みかん畑はあるし、
家とは別に、まだ土地はあるし・・・
で、
「ちょっとくらい取られたってええやん。」
と、マンション暮らしの私なぞは、思うのだけれど
本人にしてみれば、そういうものではないらしい。そう、ご先祖様の土地なんだし。

「社会党(当時)や、大ッキライじゃ!」

が、祖母の決めぜりふだったそう。(当然、共産党もキライでしょう。)
このくらい、支持する物と、支持する理由がハッキリしていると、清々しい。
農家の生まれ育ちでない私にとって、
<土地は、この世にいる間の借り物>。
だから、祖母と同じ考え方をすることはできないけれど
その清々しさ
明快さゆえ
「なるほど」と、私は祖母の考え方を、認めていたのだった。

でも、その祖母も、戦争未亡人。
じいちゃんは、九州の徳之島の沖で、軍監と一緒に沈んだ。
遺品ひとつ、遺骨のひとかけらも、ばあちゃんは持っていない。
そんな祖母。
今回の選挙はどうするだろうか?
さすがに迷っているだろうか?????

そして、私は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・う〜〜〜〜〜ん。


朝: 具だくさんのトマトスープ(ベーコン、レッド・ビーンズ、トマト、長ネギ、赤ピーマン、
                  ぶなしめじ、大根、ニンニク、)
   ハーブティー
昼: 上に同じ
夜: 上に同じ


11月3日(月)

のっけからなんですが、私は着物が大変に似合う体型だ。
首が長く、超なで肩で
身体には厚みがなく、
胴は長くて、足は短い。
5拍子揃った、実に恵まれた(?)体の持ち主で、まさに着物を着るために生まれてきたような・・・。
が、
私は着物を着ない。
これで白州正子とか幸田文のように
着物を着て暮らしていたら、さぞや素敵なことだろうけれど
本当に、私は着物を着ない。
生まれてこの方
幼少時の七五三の時などを除けば、物心ついて以来

1: 15〜6年前、プリンさんの結婚式で、借り物の大振り袖を着た。

2: 15〜6年前、兄の結婚式で、借り物の大振り袖を着た。

3: 15年前、自分の結婚式で、借り物の着物を着た。

4: 新婚旅行から帰った後、夫の実家へあいさつに行く時に、自前の訪問着を着た。

5: 4年前、義弟の結婚式で、借り物の留め袖を着た。

と、片手で数えられるほどしか、着物を着ていないのだった。
・・・実際、今、書きだしてみたら、本当に片手で数えられたので
ちょっとビックリしてはいるんだけれども。

茶道や華道を習わなかった・・・というのもあるだろうけれど
家庭環境というものもあるのだろうと、思う。
思い出してみても
育った家は、着物に縁のない家だった。
私の母は、冠婚葬祭以外では、決して着物を着なかった。
着道楽で、洋服はたくさんあつらえていたけれど、着物はほぼノータッチ。
今95歳になる母方の祖母も、
この年齢の人には珍しく、着物を着ない人だった。
私の記憶の中に、着物姿の祖母はない。
ああ、家庭の<くせ>のようなものは、こうやって受け継がれて行くのね・・・。

というわけで
私が結婚する時、母が張り切ってあつらえた着物の数々も、和だんすで眠ったまま・・・
というか、半ば肥やしと化したままの我が家。
これらの着物のためにも、ちゃんと着付けを習おうか・・・
と思っったこともあったけれど、
「時間が無い!」の一言で、習わないままきてしまった、私。
そうこうするうちに、4年前
着物とは一生縁を切る!!!!!
と決心する出来事
すなわち、義弟の結婚式での留め袖着用を経験してしまい
ますます着物とは、縁遠くなってしまって・・・・・。


義弟の結婚式自体は、以前日記にも書いたとおり、私には大笑いできる楽しいものだったのだけれど
この時、
着物を着せてくれた美容師さんに、ちと問題があった。
あまり上手な人では、なかったのだ。

式の間中
私と、義母は

「・・・苦しい・・・」「・・・・・・・・・・・・・苦しいです・・・」

と、ささやきあっていた。
帯が、あばら骨に食い込んでいた。
締め付けられた胃が痛かった。
おまけに、くるぶしまでしかない足袋って、足元がものすっごく冷える。
こんなに苦しくて、身体が冷えてしまう
こんな健康に悪い衣装、無理して着ることはないと思うぞ!

そう、
もう私、一生着付けができなくったっていい!!
冠婚葬祭以外では
もうけして着物は着ません!!!!!

雛壇で、手品師みたいな格好をした義弟の姿に笑いながら
心の中で、私は、こう激しく決心をしていたのだった。

自分で着付けが出来れば、こういう苦しい思いはしなかったのだろうけれど
それでも、足元の冷えは、もう、どうしようもない。
着物で暮らす人達って、どうしているんだろうか?????あの冷えを。
モモヒキでも履いている??
しかし、幸田文さんはともかく(失礼)
白州正子さんがモモヒキを履いていた・・・とは、想像しにくいんだけれども・・・・・・・・。



さて
そんな私に、ちょっとした変化が現れたのは、この数日のこと。
着物姿の絵を描くために
図書館で、着付けの本やら着物のスタイルブックのような物を、たくさん借りてきて眺めていたら
振り袖や訪問着はともかく
<普段着の着物>というのは、ちょっと素敵だわ
という気持ちが、
ジワジワとわいてきたのだった。

そういえば、昭和10年頃の生活を一ヶ月実践した、落語作家のくまざわあかねさんが
この方も、
日頃、着物は全く着ないし
着付けも出来ないので、
着物で暮らす・・・ということが、大変高いハードルだと思えたそうなのだけれど
実際にやってみたら
家にいる時の着物は、かなりゆるく着付けてもいいようだし
在宅中の帯は、男性の落語家がやってるような、ああいう簡単な結びで良いそうで
思ったほどしんどくはない
ってなことを、本に書いてたっけ。
確かに、落語家の、あの帯の結び方ならかなり楽そうだ。

折しも
浴衣ブームのおかげで、
アンティークの着物を、気張らずに普段に着よう♪
という人々が増えてきているとか。
でも、アンティークというのなら
いっそのこと、室町時代や戦国時代の
あの頃の着物スタイルを、復活させられないものかしら?????
とも思う私。
あの頃の着物なら、筒袖だし、なにしろ帯を締める位置が腹のあたりで、相当に楽そうだし。
あれなら、着て、ちゃんと掃除でも畑仕事でも出来るんじゃなかろうか。

大体、着物の形は、今のこれが完成形!
と決まっているわけでなし
呉服業界
着物をもっと着られるように、変化させていってくれないもんでしょうか。

問題は、着やすくなろうがどうなろうが
足腰の冷えは、足袋しかない以上、どうしようもないということか?
だったら
もうこれは、
<着物にタイツ><着物にレッグ・ウォーマー><着物にブーツ>全部OK!
というように、常識を変えていくしかないのかもしれない。

幕末・明治維新の頃の日本人を見ていると
そーとームチャクチャな和洋折衷のスタイルをしているから
受け入れられないこともないと思うのだけれども、どうなんだろう??

なんにしろ、呉服業界
発想を大転換して頑張って欲しい〜〜と思った、ワタクシ。
<なんとなく着物が着たい>気分になっている、潜在的消費者(私のこと)のためにも。
我が家のタンスの肥やしのためにも。
なにしろ私は、
ほんっと〜〜〜〜〜〜〜に着物が似合う体型なんだから!!



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