2002/11/1〜11/30
     
    
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11月30日(土)

所用で実家へ行った。バスで行った。
バスの乗り継ぎが悪く、40分あまりの時間が、ポコッと空いてしまった。
三越デパートで、祖父母への手土産のお菓子を買っても、なおまだ30分も余っている。
こういう時は、デパートの食材売り場を探検するに限る!!
とばかりに、探検を始めたワタクシ。
いやはや、そこがパラダイスだったとは。


日頃デパートの食材売り場など、まず近寄ることはない。
ただ、
日頃行くスーパーでは決して見ることのないような、実に様々な物が
細々細々と並んでいるようだ・・・・・・・・・・
ということには気がついていた。
では♪本日は、その品々を、じっくり眺めるチャ〜〜〜〜〜〜〜ンス♪
と、歩き始めたところで、すぐに私の足は接着剤で固められたように、動けなくなってしまった。
<乾物>の棚だった。

まず<芋のつる>という商品がある。
すぐそばには<山くらげ>。
What!??

説明によると、<芋のつる>とは、里芋のつるの皮をむき、干した物のこととか。
<水で戻して、みそ汁の実や煮物、酢の物にどうぞ>。
別名<ずいき>。<ずいき>という名前は聞いたことがあるけれど、
いや、見たのは初めてだった。芋のつるだったとは・・・。
そして<山くらげ>。
なんだか細長い葉っぱを干した物にしか見えないけれど
<中国の山菜>だと書いてある。
(つまり、葉っぱを干したものなのだ。)
コリッとした歯触りがいい♪と、袋の裏の説明に書いてあるけれど
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・???まったく想像がつかない。

???????????????????????
と、疑問符を飛ばしながら、ジワジワ別の棚に進むと
今度は<ハヤシドビー>ときた。
いったい何なのよ!?この食材売り場は????????

<ハヤシドビー>。
それは、15センチ×5センチくらいの袋に入った粉であった。
袋の裏の説明によると、牛肉とタマネギを炒めたものに、この粉をかけると
<ハヤシドビー>なる一品が出来る、という。
<その他、ハンバーグソースや、シチューなどの味付けにもご利用ください>。
<製造・発売元 オリエンタル株式会社>。
オリエンタル・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
というと、あの「インド人もビックリ!」な、オリエンタル・マース・カレーのメーカー・・・・・・・・・・・??
と、思い出してやっとわかりました!
<ハヤシドビー>
ハッシュド・ビーフのことでした!
     (<ハヤシドビー>が何か、見てみたい方はこちらへどうぞ。)


いやはやいやはや、
この調子が続く、デパートの食材売り場を、パラダイスと呼ばずして何と呼ぼう?
漫画家高野文子さんの作品に、<ラッキー嬢ちゃんのあたらしい仕事>
という名作があるけれど
私は地下食材売り場を探検しながら、しきりにあの漫画を思い出していた。
あの作品の中で、ラッキーちゃんは、
住み込みのお手伝いさんをしていたお屋敷を追い出され
今夜の宿もないので、
日頃、お屋敷のお嬢様のお使いでよく行っていた、デパートに一夜の宿を借りた。
もちろん、こっそりと、内緒で。
夜中、デパートに忍び込んだラッキー嬢ちゃんが
食材売り場から、ワインを失敬し、フルーツを失敬し
書籍売り場からおしゃれな雑誌を借り
あっちの売り場でラジオを、こっっちの売り場でぬいぐるみを借り
寝具売り場の素敵なベッドに、すべてを持ち込んでくつろぐシーンは、ホントに圧巻だった。
「イヤ〜〜〜〜〜〜ン、素敵♪素敵♪
私もそういうのやってみたい〜〜〜〜〜〜〜〜
!!!♪」
と、思わずにはいられない、天国のようなシーンだった。
デパートには、そういう<非現実的な>夢がある。
本日は、私は食材売り場だけだったけれど、それだけでも
いや〜〜〜〜、ホンマにパラダイス♪♪

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・だったのだ。
その時は。


夕方。
実家からの帰り道、同じ三越デパートへ、私は再度突入した。
突入。
そう
今度は、バスの乗り継ぎのための時間がほとんどないのだ。ダッシュで駆け込むのだ!
そこまで焦るなら、買い物を止めるべきかもしれないけれど
朝、私はここで<パクチー>を見つけてしまった。
高松では、私の知る限り、ここでしか見たことがない!これは買わずばなりますまい!

というわけで、焦りまくって入ったデパ地下は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そりゃあもう、頭にくるものだった。

食材売り場にて:
だぁぁぁぁぁぁぁ!どいつもこいつも、スローロリスみたいにゆっくりゆっくり動くな!タラタラ歩くな!
通路一杯に広がって歩くのじゃない!おばはん達!

ワイン売り場にて:
だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!
ボジョレーヌーボーの試飲に群がるな!おばはん!あさましい!!!
何杯も飲みなさんな!!んもぉぉぉぉぉぉぉ情けないっ!

パン売り場にて:
だぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!!!
たかが1個や2個のパンを選ぶのに
何度も何度も店中を歩き回るな!!試食をバクバク食いなさんなって!おばはん!!
うううううううううううううううう
菓子パンを、そんな山ほど買っておいて「ああ〜痩せたいわぁ」
とか口が裂けても言いなさんなやーーー!!!もうっ!!!!!


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
とまぁ、これがその時の、ワタクシの心の中である。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・つくづく、心にゆとりがないと人間は
かくも醜く、ガラが悪く、キレやすく、心が狭く、不満が多く、
いよいよいよいよ情けない有様になるのだな・・・・・・・と、痛感した。
ホンッマに情けない。
やはり、楽園は、心と時間に余裕がある時にのみ、行くべき場所のようで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


11月29日(金)

平井堅が歌う<大きな古時計>が大ヒットしている
というのは知っていた。
全国民の95%くらいが知っているはずの、あの名曲。
紅白も、それを歌うのかいな・・・??
なんて思ってはいたけれど
実際には平井堅バージョンでは、まだ私は、この曲を聴いたことがなかったのだった。
今日、たまたま耳にした。
そして、思った。

・・・・・・・・・・・・やっぱ、私はこの歌はダメだ〜〜〜〜〜。



小学校の頃、私は何年間か、合唱部員だった。
といっても、昔の田舎の小学校のこと。
パーマネントな部があったわけではなくて、
合唱コンクールに向けて、生徒が適当に集められた急造の部の話。
急造の陸上部、急造の水泳部など、他にも色々とあったっけ。

さて、私が合唱部に入れられたと言っても、別に歌が上手かったわけではない。
全然ない。
昔も今も、私は音痴だ。
ただ、私は当時ピアノを習っていたので、
音楽の先生としては、伴奏要員として、私を確保したかったものと思われる。
もっとも私は、大変に練習に不真面目な児童だったため
最終的に伴奏者になったことは、一度も無い。
なるのは、いっつも、真面目に練習する立派な子。
とはいえ、伴奏しないのならそれで放免されるか?と言えば、そんなことはなく
私はヘタクソながら、歌のメンバーであり続けたのだった。
そして
振り分けられたのは、<アルト>のパートだった。


二重唱でソプラノのパートしかやったことが無い方には、多分おわかりにならないと思うけれども
アルト・・・・・・<下のパート>を歌うというのは
ほんっと〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜につまらないものだ。
そして、つらい。

なにしろ、最初に曲を覚えるさいには
まず当然、全員<上(ソプラノ)の旋律>、つまり、それが曲そのものだけれど
それから覚えさせられる。
で、きっちりメロディーを覚えたところで、<下(アルト)の旋律>を無理矢理覚えさせられる。
これがたまったもんじゃありません!
<上の旋律>に比べたら、<下の旋律>は、ほとんどどの曲も、お経。
実に暗い!
歌って楽しい♪♪なんてこと、全くない。ホンットにつまらない。(あくまでも私が、ですよ。)
そのうえ、<上の旋律>をキッチリ覚えているから
どうしてもそっちに引きずられそうになる。
それをなんとかかんとか、<下の旋律>へ踏みとどまって歌う。
苦しい。
つらい。
のびのび楽しく歌うなんて、ぜぇ〜〜〜〜〜〜〜〜ったいに無理!!
プロなら屁のカッパでしょうが
小学生の私には、難行苦行以外の何ものでもなかった。

そのうえ恐ろしいことに
こうやって覚えた<下の旋律>。
子供時代の若い脳で、必死に覚えたせいか
この歳になっても、記憶から消滅しないのである。
九九や元素記号みたいなものだ。
つまり、それで・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。


ある年、音楽の先生が、コンクールの出場曲に<大きな古時計>を選んでしまったわけである。
だから、私はバッチリ覚えてしまったわけである。
<大きな古時計>の<下の旋律>を。

今日
耳にした平井堅の歌に合わせて
我知らず、私は、頭の中で歌ってしまっていた。
<下の旋律>を。
く、暗い!!!
(ただでさえ、しんみりした歌詞なのに!)



・・・・・・・・・・・・・・・・・・というわけで、私はこの歌がダメなのだった。
ついでに言えば、<エーデルワイス>もダメ。
憎し!
合唱部!!!



朝: ゆで卵、野菜炒め(緑ピーマン、ブラウンマッシュルーム、人参)
   サラダ(サニーレタス、トマト、ブロッコリーの芽)
   フランスパン2切れ、オリーブオイル、りんご、紅茶
昼: ブリと大根のコチジャン煮(ブリ、大根、シイタケ、緑ピーマン、長ネギ)
   小松菜とワカメの炒め物(小松菜、ワカメ、ちりめんじゃこ)
   ハイビスカスのお茶

11月25日(月)

もう退職された方だけれど、
夫の勤め先の上司に<皇位継承権第50何位>だかの人がいたそうである。
第50何位・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
ということは、60何位だか80何位だかの人もいるということだろうか。
いったい、皇位継承権って、何位くらいまではっきりさせているものなのだろうか・・・?
キリのいいところで、100位だろうか?
・・・それとも、血筋がはっきりしている以上は
285位でも、557位でも、あり・・・・・・・・・・・????????????

などということを
高円宮憲仁親王が亡くなられたニュースを見ていて、思い出した。
まだまだ若く、しかもスポーツマンで元気そのもの
といったイメージの方だっただけに、驚きは大きい。
多くの人がそうだっただろうけれど
私も、この人の気さくな笑顔が、好きだった。
奥さんがまた、他の皇族の方々に比べると、えらく<普通の人>に見えるのも、また感じが良かった。
(もちろん、皇族と結婚するくらいだから、普通の人なわけはなく
ものすごい名家のおじょうさんなのだろうけれど。)
このご夫妻を見ていると
神サマの贈り物というのは、顔の作りの美しさ云々ではなくって、
素敵な笑顔につきるのだなぁ・・・
と、しみじみ思えたものだった。
そしてその笑顔を、つい1週間まえの17日。
朝日新聞の、日曜日の読書欄で見たところだった。
<素顔の一瞬>という本を、この方が最近、中央公論社から出版し
その新刊紹介と、インタビューの記事が載っていたのだった。
記事に添えられた写真が、あのいつもの笑顔。
紹介記事も面白く、
「ああ、この本読んでみたいな」
と、心にとどめたところだった。
その、ほんの数日後に訃報を聞くことになるなんて・・・。

もう10年近くも前になるけれど
高円宮憲仁親王が、新聞のインタビューに答えて
「自分は皇位継承権第7位。
かなり気楽な身分なので、自分のような立場の人間が
もっともっと皇室を国民に身近にするよう、どんどんマスコミにも答えていかないと」
というようなことを言っていたのを覚えている。
第7位でも、かなり雲の上の存在ではある。
冒頭の、第50何位だかの人なんか

本人 「わしや、世が世なら、こんな会社勤めなんぞせんでもええ身分なんじゃぞー。」
部下 「また、見事に落ちぶれたもんですよねー。」
一同 ワッハッハッハッハッハ!!!

てな話をするくらい普通の人だったそうだけれど、さすがに第7位だとこうはいくまい。
それでも、第1位の皇太子にくらべれば、
全然、周りのバリアーの高さも厚さも違っている感じだった。

本当に、亡くなられたのが残念で仕方がない。
でも、その志は、
新しい第7位、そして第8位、9位、10位などの方達が、きっと継いでくださることでしょう。
継いでくださるよう、祈ります。心から。


11月22日(金)

「捕まえたで♪」
と、夫が言った。
夫のパソコンに、ウイルスがやって来たのだった。

と、言っても、今流行のやつではない。
数ヶ月前に流行ったやつが、今頃になってやってきた。
メールをクリックしただけで、感染するやつ。
おかげで夫のPCは、ウイルスに冒されてしまった。
IEではなく、オペラを使っていたので、友人知人には迷惑をかけないですみそう・・・
というのが、せめてもの救いかな??

ともかく、駆除した後
夫はそれをフロッピーに保存した。
「捕まえたで♪」と言うのは、保存したフロッピーを見せに来ての言葉。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・けど、
何故?
何故好きこのんで、そんなウイルスをフロッピーに閉じこめねばならないのか??
気色の悪い。
生物じゃないから、別にフロッピーからどうこうなるものじゃないけれど
やっぱり私なんぞは、そのフロッピーが気色悪くって仕方がない。
もちろん、夫も同じく、気色は良くないとみえて
保存したフロッピー
新聞紙に包んで、ガムテープでグルグル巻きにしてあった。
・・・空気感染するわけじゃなし、接触感染するわけじゃなし
別に、グルグル巻きにする必要は全然ないのだけれど
そうしたい気持ちはよ〜〜〜〜〜くわかる。
私なら、さらにそいつを密封容器に入れて、土中深く埋めてしまいたいところだ!
生き物であれ、ネット上の物であれ、
やはり<ウイルス>というのは、気持ちの良くないもの・・・・・・・。

そう言えば、ビデオから呪いが感染する、あの<リング>。
あの小説が、あと5年遅く書かれていたら
やはり呪いの感染源は、PC・・・・・・・と言うことになっていただろうか。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
考えただけでも、怖い。

昼: 春雨入りの酢の物(春雨、きゅうり、わかめ、きくらげ、ちくわ)
   みそ汁(大根、ぶなしめじ、油揚げ)、ハイビスカスのお茶
夜: 大根のけんちん煮(だいこん、人参、厚揚げ、ちくわ、細ネギ)
   豆乳


11月13日(水)


HIBARI宅に続いて、プリンさん宅も泥棒の被害にあわれたとのこと。
心よりお見舞い申し上げます。
けれど、HIBARIといい、プリンさんといい、
犯行中の泥棒に鉢合わせせず、無事で本当に良かった。
何が怖いって、犯人と鉢合わせするほど、恐ろしいことはない・・・気がするから。
そして、それが怖くて、数年前
<ピッキング泥棒>が問題になり始めた頃
マンションの管理会社の<ピッキング泥棒対策に、鍵を取り替えませんか〜〜??>
の呼びかけに、一も二もなく応じた私だったのだから。
「これならピッキング泥棒も、来ません!」と、管理会社に言われたカードキー式の鍵は
3万円もした!痛かった!!!!!
おかげで、<おのれピッキング泥棒め!>と、
まだ来てもいない泥棒を恨んだものだったっけ・・・。
けれど、その時、呼びかけに応じて鍵を取り替えたのは
50戸弱の我がマンションのうち、我が家を入れてわずか3戸。
・・・・・・・・・私が神経質すぎるのかなぁ・・・
とも思ったけれど、やはり鉢合わせは怖い!
怖いったら怖い!
なぜなら、
泥棒に鉢合わせした人間を、私は過去に身近で知っていたから・・・・・・。



ことが起こったのは、私が大学の1年生のある日。
場所は、過去にこの日記に何度も登場した
あの<大阪府南河内郡今熊>という、あまりと言えばあまりな地名に立つ女子寮でのこと。

夏休みだったか・・・試験明けの休暇中だったか・・・・・・・・・
ともかく、総勢20数名の乙女が暮らす寮は
皆が故郷へ帰省してしまい
その時期、私とT嬢の二人しか残っていなかった。
この寮、普段の日中は管理人のおばちゃんがいるけれど、
学校が休みの時は、来ない。
夕方から、ここのオーナーというか地主さんのおじさんがやって来るだけで
つまりT嬢と私は、寮を独占して我が世の春を謳歌していたわけなのだった。
そして・・・。

問題の日。
夕方、私がバイトから帰ってくると、1階の共同の台所兼食堂にいたT嬢が言うのだ。

「今日の昼さ、なんだか泥棒が入ったみたいでさ。」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

泥棒とは聞き捨てならないが、
みたい・・・・・
って、どういうことだろう???????????????

<?>マークを飛ばしつつ聞いた、T嬢の話は以下のようなものだった。
いや、びっくりした。


T嬢 「昼間、食堂で本を読んでたら、2階(この寮は2階建て)で、なんかガタゴト音がするのよ。
あれ?泥棒でも入ったかな??
と思って、食堂からでっかい声で言ってやったの。
<あれぇ?誰かいるのぉ〜〜〜〜〜〜〜〜?????>」

「は?へ?」と、私。
「いや、下に誰かいるとわかったら、泥棒も非常階段から逃げていくと思ってさ。」
・・・そう、この寮には、建物の端っこに非常階段が付いていて
そこから、門限破りの寮生が出入りできるようになっているのだ。
いや、もちろん、門限破りのために、非常階段が付いてるわけではないけれど。

「ははぁ・・・。・・・で、逃げていったん?」
「と、思うよ。その後、上は静かになったから。」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」


ここで思い出していただきたいのは、よくあるホラー映画の展開である。
家の内外で、なにか不審な音や現象が起こる。
起こると、人間は
怖い怖いと思いつつ、ついつい確かめに行かずにはおれないものなのだ。
もちろん!行って、えらい目に会うのは、ご存じの通り!!
比べて、T嬢のすごいところは
安易に2階へ行かず、
声をかけて泥棒(らしき奴)を出て行かせた、
というところ。
・・・断っておくけれども、
彼女は、海千山千の熟年女ではない。
この時点では、たった19歳・・・いや浪人してたから20歳か、
ともかく、まだまだうら若き女子大生なのである。
なのに、この腹のすわりよう!!!!!
私が彼女の立場だったら・・・・・・こういう行動がとれただろうか・・・・・・・・?????
いや!絶対にとれない。
とれなくて、大騒ぎになっていたはずだ。


・・・・・・・とは言え
この夕方の時点では、私は<泥棒説>には、まだ半信半疑だっだのだ。
ガタゴトって・・・風で建物の窓とかが、揺れた音ではないのかな??と。
しかしほどなく、他の寮生が寮に戻り始めて
これが実は<下着ドロボー>事件だった
ってなことがわかるのである。
そう、私も盗まれていた!
タンスの引き出しの中の下着を!
それも、全然、盗まれたなんてわからないくらい、ソ〜〜〜〜〜ッとした盗み方で(気色悪ーーっ!)
下着の数がなんだか足りない気がするけれど・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
うっかり他の引き出しにしまったかな???
などと首をかしげていたら
寮のあちこちで
「下着がない!」「ない!」「ない!!」「ないー!!!」
ってな、大騒ぎが始まったのだ。
結局、これは警察に届ける事件になったわけだけれど・・・。




この事件は、私にふたつのことを教えてくれた。
ひとつは、<人生、泥棒と鉢合わせることもある。>
そして、もうひとつは<T嬢は、やっぱ、ただもんじゃないわ。>

こうして私は、神経質に鍵を取り替える人間になってしまったわけだけれど
そりゃ、どう考えても
私にはいざと言う時、T嬢のような落ち着いた行動はとれやしないから。
  
  ちなみに、このT嬢。
  腹のすわったエピソードはまだまだあって
  例えば高校生の時。
  通学の電車で、毎朝同じチカン野郎に会い、
  ついに頭に来て、ある朝、触ってきたそいつの手の指を
一本だけ握りしめ
  そいつが、あせって手を引っ込めようとしても
絶〜〜〜〜〜っ対に放さず
  自分の降りる駅まで、強固に握りしめ続けてやったら
  2度とそいつはチカンをしかけてこなくなった
  とか
  大学生時代、満員電車で、T嬢の隣にいた友人がチカンにあった時
  その手を払いのけたり、「おっさん、止めな!」とか言うのではなく
  突然、前述の<自分がチカンにあって、それを退治した話>を
  そのチカンにあってる友人に大声で語り始め
  最後に
  「けどさー、そういう、朝っぱらからチカンをする男って、どんな
マヌケ面してるんだか
  見れるもんなら見てみたいよねーー!

  そのあと、
どんなバカ面して会社行ってんだか!
  あっはっはっはっはっはーー!」
  と、大笑いすると
  周囲の人間もクスクス笑いだし
  友人のお尻にあった、チカンの手も、ジリッジリッと萎縮し、去っていった・・・・・・・
  とか。
  とにかく、腹がすわったうえに
  ものすごく気転の効く、ユニークな人だった。


  彼女とは縁あって、寮を出た後2年間、同じ下宿の屋根の下で暮らしたけれど
  残念ながら・・・と言うか
  大学3年の終わった春休みに
  突然、大学を中退してヤマ◎シの集団農場へ行ってしまった。
  農場へ行ってからは連絡が取れず
  音信不通になってしまったけれど、今も農場にいるのかな?
  それとも?????
  いったい、どんな40代になっているんだろう、彼女は・・・
  などと、泥棒事件から、ついつい昔を思い出してしまった、本日。


でも、とにかく、お二人と猫達が無事で良かったです!!


昼: サワラの塩焼き、シソ
   野菜のきんぴら(赤ピーマン、緑ピーマン、しめじ、糸こんにゃく、ちくわ)
   みそ汁(大根、油揚げ)、ハイビスカスのお茶

11月12日(火)

昨日、近所のスーパーへ買い物に出かけたら、久し振りにバァチャンに出会った。
とてもとても暖かい日だった。
スーパーの近くの歩道で、バァチャンはうつらうつらと居眠りをしていた。
<バァチャン>と言っても人間ではない。
この4年ほど、近所に生息している野良犬。
お年寄りのメスの、大型犬のことである。


バァチャンが野良犬なのかどうなのか
実は、私には長い間わからなかった。
なにしろバァチャンは、赤い皮の立派な首輪をしていたし
毛並みも良く、毛の艶も良く、体格も良かったから。

実際、バァチャンの見た目は立派である。
寝ころんでいると、そうでっかくも思えないのだけれど
足がムチャクチャに長いので、立つと、私(身長160センチ)の足の付け根あたりまで、背中がくる。
シッポはクルリと上に巻き、全身は堅い直毛でフカフカとおおわれている。
そして、ピンッと立った三角の耳に、小さな黒い目。
そう、秋田犬を少しだけスリムにした感じの姿。
秋田犬と違うのは、その毛の色が、<ゴマだら>と言うか<ごま塩>と言うか
よくわからない洋犬のようだということ。
秋田犬となにかのMIX・・・・・・・・・・・・・??
と、姿を見るたびに思う、不思議な容姿なのだった。

そんな立派なバァチャンだけれど、よくよく見れば
目はショボショボ。
股関節が悪いのか、歩き方はヨロヨロヨロ。
でも、とてもおとなしく、いつも近所のとある家の駐車場か
その近辺の歩道に寝ている。
痩せてもいないし、その落ち着き払った態度に
「・・・・・・???野良犬じゃなくって、いつも寝てる駐車場の家が、放し飼いにしてる・・・???」
と、何度も何度も思ったものだった。
けれども、きちんと飼い主がいる風でもないし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・???・・・・・・・・・・・・・・
不思議に思いながら
私は少し離れたところから、いつもソ〜ッとバァチャンを見ていたのだった。
そう、近寄って撫でてやったり、食べ物をあげたり・・・・・・
そういう間柄ではなかったのだ。ずっと。

そんな私が
「ああ、やっぱり野良なんだ!」と確信したのは、2年ほど前の冬のこと。
休日、夫と二人で車で出かけようと
たまたまバァチャンが寝ている歩道のそばを、通りかかった時のことだった。
日頃からバァチャンのことが気になっていた私達。
そこは交通量の少ない道だったので
寝ているバァチャンの近くに車を止めて、ちょっとバァチャンの様子を見ていた。
「・・・元気なのかな?」と。
その時、バァチャンが目を開けてこっちを見たのだ。
車の中の我々と、バァチャンの目が合う。
・・・一呼吸後に、バァチャンが急に立ち上がったのだった!
立ち上がって、我々の車の方へ近づいて来ようとするではありませんか!?????
え?え?なんで??

その時のバァチャンの顔には、こう書いてあった。
いや、書いてあったように、私達には見えた!



「ご主人!迎えに来てくれたんですね!!!」



我々は動転してしまった。
「違う!違う!ご主人様違う!!!」
「わーーーーーーー!!ごめんなさい!ごめんなさいーーっ!!!!!」

口々に叫びながら、あわてて車を発進させた。
サイドミラーに映ったバァチャンは、歩道に立ったまま、いつまでもいつまでもいつまでも
私達の車の後を見つめていた。
あまりにも切ない姿に、もう、私は泣きそうだった。



本当のところはどうだかわからないけれど、
バァチャンは、車でこの近く(屋島山の山の中とか)まで連れて来られて、捨てられて、
きっと今でも、飼い主が迎えに来てくれる日を待っているのだ・・・・・・・・・・・・・・・
と、私はこれで確信したわけだ。
実際、屋島の山に、犬猫を捨てに来る人は多い。
いや、このあたりに限らず、香川県全体で、捨て犬捨て猫はとても多いのだ。
なにせ、何年か前
県民一人当たりの<捨て犬捨て猫率>なるものの調査で
我が香川県は<全国トップ>という、まことに情けない結果を出したことがあるくらいなのだから。
・・・本当に情けない・・・。



それはともかく
バァチャンはその後も、近所の駐車場や歩道で暮らしていた。
真冬の風の強い日など
マンションの窓から、とぼとぼヨロヨロと道を横切っていくバァチャンの姿を見るのは、本当につらかった。
それでも、
私の感傷ほどに、バァチャンが不幸だったかどうかは、わからない。
いつだったか、近所の中華料理屋の裏口で
バァチャンは、その店の奥さんに
「ああ〜〜。よう来たよう来た!」
と、抱きかかえられるように大歓迎されていたし
ご近所の有志らしきおっちゃん&おばちゃんが
バァチャンにリードを付けて散歩させているのを、何度かこの目で見もした。
  (これを見て、「ついにバァチャンも飼ってもらえるようになったのか!!」と喜んだのだけれど
  その翌日には、また一人・・・・・・いや1匹でテクテクその辺を歩いていたので
  やはり、あれは有志による散歩だった模様だ。)

こうして、心の底で<ご主人様>を待ちつつも
バァチャンは、この近所の人達になんとなく認められ、愛されて
ちょっとは幸せも感じながら暮らしているのかもしれない。


さて、昨日会ったバァチャンは、以前とちょっと様子が違っていた。
近寄って見ると、例の赤い首輪が、ピンク色に変わっている。
おまけに、首輪には
デイジーみたいなでっかい造花
まで付いているではありませんか!?それも2個も!
近所の小学生女児が付けたのか、散歩の有志であるおばちゃんが付けたのか???
見た目のいかついバァチャンとの、あまりのミスマッチが可笑しくて
ついつい笑ってしまったけれど
バァチャンは、チラリと私を見ただけで、<我関せず>という感じで、また目を閉じてしまった。
相変わらず、静かなバァチャン。
首輪の造花を触ったついでに
バァチャンのフカフカの耳にも、ちょっと触ってみた。
ぬいぐるみみたいな感触で、なんだかとても可愛らしかった。

どうか、この先も、バァチャンが穏やかに暮らせますように。
そして、穏やかに、どうか天寿をまっとうできますように。



朝: 野菜炒め(万願寺唐辛子、エリンギ)、ゆで卵
   サラダ(カイワレ、トマト、きゅうり)
   フランスパン2切れ、オリーブオイル、りんご、紅茶
昼: 鶏肉のコチジャン煮(鶏肉、厚揚げ、油揚げ、赤ピーマン、緑ピーマン)
   大根と人参の酢の物、ハイビスカスのお茶
 

11月6日(水)

子供って足の臭い子が、結構多いのよ。

と、ある方から聞いた。
子供と接することの多い仕事をする方である。
子供のいない私は、この話に、ビックリ仰天だ。
あ、足が臭い???????
その辺を歩いているオッサンみたいに???????????????
・・・・・・・・ウソ!!???


この人生において、私が<臭い足>に悩まされた記憶は、ひとつしかない。
独身時代に大阪で勤めていた会社で、机を並べて仕事をしていた男の人の足である。
若い、独身の、明るい男の人だったけれど
一人暮らしのせいか、なかなかにキョ〜〜〜レツな芳香をお持ちの方だった。
どれくらいキョ〜〜〜レツだったかと言うと
1日中、オフィスで机を並べて働いている、その人の周囲の一角が
段々と無口になっていく・・・・・・・・・・・・
というくらいにキョーレツでいらっしゃった。
性格の良い人だっただけに、足の香りごときで毛嫌いするわけにもいかず
かといって、息をするのも正直苦しい。
というわけで
日を追って、周囲の人間は、精神的に追いつめられてきたのだった。

「これは、もう、あのサンダルを捨てるしかない!」
と、誰が言い出したのかは、もう思い出せない。
だが、彼が外出中、残りの人間(全員女性)は頭を付き合わせて真剣に協議した。
そして、彼が職場で履いているサンダル
それがこの芳香の発生源である!と当たりをつけ
彼のいぬ間に捨ててしまおう!!!!
と、全員一致で決議したのだった。
かくしてサンダルは闇に葬られた。
しかし、戻ってきた彼に、この事態をどう説明するのか???
「ボクのサンダル知らん??」「えっ??さぁ?????」
と、永遠にしらばっくれるのか??
と、再び頭を付き合わせて協議しているところへ、本人が帰ってきた!
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。」

全員が言葉を失った瞬間
場を救ってくれたのは、居合わせた営業マンだった。
彼は言った。


「サンダル、臭かったから捨てたで。」


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・男同士って、こういう時にこういうことをサラッと言えるのね。
というか、その人が、後々ややこしくならないように
実にサラッと言ってくれたわけだけれども。
でも、こんなセリフ、
どんなにガンバっても、どんなにガンバっても、女から男へは、サラッとは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

サンダル無き後、
職場の芳香は無くなった・・・・・・と思う。
芳香は、やはり彼の身体本体ではなく、愛用のサンダルから漂っていたのであろう。多分。
今思えば、彼の足そのものが発生源でなくて、本当に良かった・・・・・・・。

という、これが、私の<臭い足>に関する唯一の記憶。
これひとつというのは、もしかしたら、かなり幸福なほうなのかもしれないけれど・・・・・・。


さて、
それで、冒頭の<子供の足>である。
唯一の記憶に残る、あの芳香。
つまり、ガキンチョ達の足が、ああいう香りを放っているですと?????????????????
ホ、ホントに???????????????????????????。

・・・けれども、よくよく思い出してみれば
私も小学校の低学年の頃までは
お風呂に入って、自分で自分の身体を念入りに洗った記憶など、ないのだった。
ずっと小さい頃は、一緒に入った大人に洗ってもらって綺麗だったかもしれないけれど
自分で洗うようになってからは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
足なんて・・・洗ってたのかしら・・・・・・・・・・???????

ということで、やはり、もしかしたらもしかして子供達の足って
賢そうな顔をしたおぼっちゃんも
<将来の美人>みたいな顔をしたおじょうちゃんも
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おっさんの足のように・・・・・・・・・・・・・・・・・・・??????

本当なんですか!?お母様方!????????

夜: ゆうべのおでんの残り
   キノコの煮込み(エリンギ、まいたけ、えのきだけ)


11月1日(金)


国宝って本っ当ーに素晴らしいものだなぁ・・・・・・・・・・!!
と、つくづく思った。
と言っても、壺や仏像を見に行った話ではない。
重要無形文化財。
人間国宝。
桂米朝さんの落語を聞きに行っての、素直な思いである。


一昨日の水曜日。
我が高松市で<上方落語名人会>というものが催された。
毎年恒例の会なのだけれど、今までどうにも行くことができなかった。
なにせ、平日の午後6時半の開演なのである。
仕事をしている人間には、実に行きにくい時間帯だ。
しかし、今年は我が夫が
「・・・その日やったらなんとかなる・・・・・・と思う。行きたい!!」とさえずりだしたのだ。
夫がそう言うのなら、なんとしてでも行こうではないか!!
<なんとしてでも!>
というのは、米朝さんが今年で、もう77歳になられるから。
いくら、芸人には定年はありまへん、と言ったって
あとどれくらい高座に登り続けてくださることか・・・・・・・・・・。
あとどれくらい、生で米朝さんを見るチャンスがあるだろうか??????

というわけで、万障繰り合わせて水曜日、我々は午後6時10分に会場へ駆け込んだのだった。
駆け込んで、ウッとのけぞった。
ホールの開場は6時だったはず。
なのに、500人弱収容のホールは、6時10分には、もう8割方座席が埋まっていたのだった。
その人の群は
人のたくさん集まっている様を<黒山の人だかり>という言うのなら
正確には、<灰山の人だかり>あるいは<ごま塩山の人だかり>。
そう、ほとんどが60歳以上の方々だった。
でも、仕方があるまい。
午後6時開場、開演が6時半なんだから。

それでも、よくよく見れば
学ランを着た高校生(高校の落研か!?)
セーラー服姿の女子中学生に20代前半くらいのおしゃれなお嬢さん、
若いカップルもいれば、スーツ姿の中年の夫婦(我々もそう)などなど
結構若年中年世代の姿も見えていた。
高松に住んでいると、なかなか生で落語を聞く機会がないので、皆ガンバってやってきたのだ。きっと。

ともあれ、廊下でパンを食べて腹ごしらえして
いざ!!落語!!!


出演は<桂一門>の面々で
  桂阿か枝(31歳の若手)
  桂米二(中堅)
  桂米朝
  桂南光
  桂雀々(故枝雀の弟子)
  桂文枝(桂一門の、もう一人の大看板)
である。
ひとり15分の、短いネタでの競演だ。
そして、こういう短いネタでも、やはりというか何というか、国宝の技は圧倒的だったのだ。
3番目に米朝さんが登場するや、場内は笑いのるつぼ。
・・・正直言って、私は、もう歳だし・・・そんな大笑いの噺ではなくって、人情噺をやるのかな?
と思っていたのだけれど
それは大間違いだったようだ。


少し前に、NHKで米朝さんのドキュメンタリーをやっていた。
70代後半になり、もう大きなホールでの独演会は体力気力がついていかない・・・ということで
最後の独演会の様子を追った番組だった。
その中で、やはり米朝さんは、高座以外のシーンではしんどそうだったのだ。
フッとネタの一部を忘れてすっ飛ばすこともある・・・。
そういう番組を見た後だから、やはりもう、しみじみとしたジ〜〜〜〜〜ンとくる人情物かな?と。
しかし。

はっきり言って、腹の皮がよじれそう!とはこのことだった。
おだやかで品の良い語り口ながら
そのテンポ、リズム、落とし方。
そして、膝立ちになったり、身体をひねったり、歌舞伎の当てぶりをしたり・・・・・
と、実に良く動く。なんとも華のある芸。
笑いが連発して、客席のテンションは異常に上がっていく。
最初は<うっふっふっふ>と笑っていたのが
老若男女、揃って最後は<ギャッハッハッハッハッハ!!!>である。
隣に座っていたおっさんなんか、身体を折り曲げて笑っていた。
本当にすごかった。
TVで見ても、そりゃあ面白いけれど、やはり生の迫力は・・・・・・・・・・・・・・。

トリをつとめた文枝師匠も、桂の大看板だけれど
正直、ケタが違う・・・・・・・と思った。これが国宝か!


もちろん!他の演者も、とっても面白かった。
特に、桂南光。
もとの桂べかこだけれど、
TVのバラエティー番組に出ているのを見ても、そう面白い・・・とは思わなかった。
が、
さすが、餅は餅屋!!
高座に上がったその姿の、格好良いこと! 
噺にはスピード感があって、メリハリが効いてて、ブラボ〜〜〜〜〜〜♪である。
やっぱし、落語家は落語をやってる時が一番ええなぁ・・・
と、当たり前のことを思いつつ
フッと桂小枝のことが頭に浮かんだワタクシ。
そう、あの<探偵!ナイトスクープ>の小枝探偵である。

私は日頃、「??」と思うことが出てくると
「・・・これは・・・<クイズ日本人の質問>か<探偵!ナイトスクープ>に投書するべきでは・・・?」
と思う者なのだけれど
しかし思った瞬間
「でも・・・、ナイトスクープは、どの探偵が来るか、来てみんとわからんのやし・・・。
小枝探偵が来たらイヤやし・・・(だって、うるさいもん)
と、考えて止めにしてしまうのである。
しかし
そういう小枝探偵も、着物に羽織を羽織って高座に上がれば、やっぱりビシッと格好良いのだろうか?
ええ、良いんでしょうね。きっと。
餅は餅屋。


そんなこんなで大満足の名人会。
帰り道、夫も私も、なんだかとっても元気になっていた。
以前、米朝さんが人間国宝になった時のインタビューで
「・・・・・・・国宝、言われましてもなぁ・・・。
壺や刀やったら、いざとなったら売れるんやけど、人間やったらもう・・・
弟子やら家族やらが扱いに困るだけで。」
なんて答えていらしたけれど、
はっきり言って、壺や刀では、こんなに人を元気にすることは出来ない。
こんなに人を幸せな気持ちにすることは。

翌31日木曜日
新聞には、文化功労賞を受賞する米朝さんの写真が、でかでかと載っていた。
どうかどうかお元気で
どうか1日も長く、高座に登り続けてくださいますように。  

昼: きのこ汁(しめじ、エリンギ、えのきだけ、油揚げ、鶏肉)
   水菜のサラダ(水菜、カイワレ、ちりめんじゃこ)
   ハイビスカスのお茶

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