2001/11/1〜11/29

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11月29日(木)

歌は世に連れ世は歌に連れ
という言葉があるけれど、
スーパーマーケットの商品棚も世に連れそれは様々に変わっていくもの。

5年前、高松に引っ越してきた時、
どこへ行ってもオリーブオイルも、でっかいカラーピーマン・パプリカも
ナチュラルチーズもなかったので愕然とした。
置いてあったのは当時市内唯一だったデパートだけ。常食していただけに血の気が引いた。
(デパートで食材なんて買えないもの)
それがイタ飯ブームの到来で、半年もしないうちに
どこのスーパーでもそれらが手にはいるようになったのは、嬉しい限りだった。ありがたや。

私が一年365日のうち、290日くらいは通っている近所のコープ。
ここでも世に連れ、色々な食材が姿を消し、また、ニューカマーが現れているのである。

「ヤマブシタケ」。

私がここ2ヶ月ほど、気になって気になって仕方がないニューカマーがこれだ。
全国的にはもう有名食品なのかもしれないけれど、私は2ヶ月ほど前に初めてコープで見た。
見てギョッ!!となった。
まだご存じない方のために形状を説明しておくと、キノコである。
でも、私には<白いタワシ>か、
<うずくまった白いクッキーモンスターの小さいの>
にしか見えない。

なんというか、・・・・・・白い毛むくじゃらのキノコなのだ。
食べ物だとわかってはいてもひるむ。
・・・・・しかし、2ヶ月も商品棚に定位置を保っているということは、
もはや、結構好きな人もいる定番商品ということか?
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
と、迷いに迷って、ついに私は本日こいつに手を出した。
好奇心に勝てなかったのである。
私はやはり、骨の髄からの日本人のようだ。
司馬遼太郎さんが言うところの
「世界中において、他に類を見ないほど好奇心が旺盛で知識欲にあふれる・・・・・・・・・・・」。
まぁ、知識欲はともかく。

考えてみればこういうのは慣れの問題なのだ。
果物のキーウィだって、最初は「何??あれ、毛だらけの変なの!」
なんて言っていた人もいるんだから。
それにナマコが食品である以上、こんな毛むくじゃらのキノコのひとつやふたつ!

などと言いつつ、本日の夕食、<ミートボールのトマト煮込み>に
他の野菜ともどもこいつを放り込むことにする。
この「ヤマブシタケ」、長野県の中野市というところが作っているそうだ。
パッケージにはこれを使ったさまざまな料理のレシピが書いてある。
しかも、コープの棚で見たところ、パッケージは少なくとも5種類はあって、
それぞれに違うレシピが書いてあったのだ。
なんとしてもこのキノコを売るぞ!!!
という、中野市JAの気合いがうかがえる食品ではないか。

さて、調理しましょう♪と、手に取った「ヤマブシタケ」の手触りは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
思わず手を引っ込めそうになるくらい<・・・ううっ>なものだった。
柔らかいのだ。綿かなにかのように、実に頼りない。
見た目はこうだけれど、手応えは意外に堅いのでは??などと思い込んでいただけに
手から落としそうになってしまった。
とにかく柔らかい。芯のところまでフニャラ〜ッとしていて、繊維製品のようだった。本当に。
歯ごたえというものはないんだろうなぁ・・・・・・・・・・と、思いつつ煮込む。
で、さて、問題のお味の方は???
というと、まだこの段階ではわからないのであった。ただいま大鍋で他の食材と煮込み中なので。
さ、いかがなものかな??

予想: パッケージのレシピによると、和洋中どんな料理にも合うようだから
     多分これ!!と言った特徴のない、フニャッとした歯触りの・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

朝:ゆで卵、野菜炒め(タマネギ、人参、緑ピーマン)
  サラダ(サニーレタス、トマト、大根)
  フランスパン2切れ、オリーブオイル、リンゴ、紅茶
昼:ブリのマリネ(ブリ、タマネギ、かぶ)
  野菜の五目キンピラ(人参、赤ピーマン、緑ピーマン、ブナしめじ、糸こんにゃく)
  アロエブレンド茶
夜:ミートボールのトマト煮込み(挽肉、タマネギ、にんにく、かぶ、かぶの葉、ブナしめじ、ヤマブシタケ)

11月27日(火)


「来年のあなたの運勢は?」
などと表紙に書かれた雑誌が、本屋の店頭にズラリと並ぶ。いよいよ年の瀬。

実は、私は占いが苦手。だからこの時期、本屋へ行くのがちとつらい。
苦手・・・というのは、<嫌い>ということではなく、
悪い運勢を書かれると大変気に病んでしまう、だから近寄りたくない、と言うことだ。
<持病悪化>だの<家族内で問題が多発>などと書かれていると、もうガックリ。
♪占いなんて良いことだけ信じていればいいのよ♪
と言う方も、世の中にはいっぱいいらっしゃる。私もそういう性格であれば、どんなに幸せか!
でも情けないかな、私は平気な顔をしつつ、
心の奥底で「良くないこと」をイジイジ気にしてしまうたちなのだった。
だったら雑誌を買っても占いのページなんて見なけりゃいいのだけれど、
こういう人間ほど、そこに占いのページがあったら、
もう見ないで素通りはできない
のだ・・・・・・。

ああ、いやだ。
昔はこんなじゃなかった。少なくとも独身の頃は。
占いと言えば<恋占い>のことだったあの頃は。
恋愛運などという物に、それなりに一喜一憂して真剣ではあったけれど、
ここまで結果をくよくよ気に病むことはなかったと思う。悩みのレベルが違っていたと言うか・・・。
だから今は、とてもじゃないけれど、恐ろしくて占い師さんの所へなんか行けない。
でもあの頃は、(実際には行かなかったけれど)
行け!と言われたら平気で行けたと思うのだ。

随分と前のことである。
私は大学を卒業してからも実家へは戻らず、関西にとどまっていた。
卒業後の春から、幼なじみの同い年の女性と一緒に、
その女性のツテで西宮市は甲子園口にある、とある古〜〜い家に間借りを始めていた。
その古いでっかいお宅は、それまで女子大生相手の下宿だったのだ。
幼なじみが大学院へ進み、それまでの下宿からその古いお宅へ移動。
それに私も便乗して、そこへ下宿させてもらったと言うわけだった。
しかし、春に住み始めて、二人とも夏までそこにはいられなかった。
大家さんと上手くいかなかったのだ。
私は働き始めて夜が遅かったし、幼なじみも夜更かしの大学院生。
風呂は9時まで、時間は忘れてしまったが門限も確かあったと思う。
そういうところで暮らすのは、ちょっと無理になっていたのだった。
大家さん夫婦は決して悪い人ではなかったのだけれど、そういうわけで
私と幼なじみは別のこれまた古〜〜い文化住宅を見つけて、そちらへ引っ越すことにしたのである。

さて、もう明日あさってには引っ越す・・・という夜のこと。
大家のおばさん(60歳代半ばくらいだった)が私の部屋へやって来て
もう最後だからちょっと私の部屋でお話でもしませんか??と言う。
それまでの数ヶ月、そういうつきあい方はまったくしていなかったので「?」であったけれど、
まあ、もうお会いするチャンスもないかもしれないし・・・と、私も素直に部屋へ行ったのだった。
で、そこでまことに意表をつく展開になるのだが、
大家さんは言った。
「私は長年趣味で四柱推命を勉強しているんですわ。こうして下宿されたのも何かのご縁でしょうから
ちょっとあんたのを見てあげます。」

今の私だったら「けっこうです!!!」と、即座に部屋を出ただろう。
しかしそこは23歳の、占いと言ったら恋占い、運と言ったら結婚運、という時期の女である。
「はぁ・・・?そうですか??」と、とまどうこともなくおばさんの申し出を受け入れたのだ。

その時そこで、どんな予言をされたのかはもうまったく覚えていない。
なにせ、占いと言ったら・・・・・・・(以下略。)
ただ、結婚に関しては「あんたは・・・・・・・・・・・・・・・、
・・・・・・・・・・難しいなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
いや、これは、難しいわ。よっぽど相性の合う人が見つかったら・・・・・・・・・・まぁ・・・・・・・・・。
・・・・・・いやでも、難しいわ。」
と、たたみかけるように言われたのを覚えている。なにせ運と言ったら・・・・・・・・・の年頃だから、
これだけは関心があったのだ。
こうして、せっかくの本格的四柱推命もまったく記憶に残らないまま、その下宿を引っ越してしまった私。
けれど、不思議なことに、私自身の占いとは別のことで、
その時大家さんに言われたことは今でも深く深く心に残っている。
大家さんは言ったのだ。
  「ワタシ、こうやって占いなんてやってますとな、人の運ってほんまにあるんやなぁと
  つくづく思いますわ。
  ほれ、巨人の長嶋さんみたいな、あん〜〜な大きな運を持っている人でも、
  長い人生を見てたら良い時と悪い時、山や谷がやっぱりある。
  人生言うたらそういうもんやとほんまに思いますで。」

何気ない世間話風に、大家さんはそう言った。
私もその時は、はぁそうですか・・・と、どうでもいい風に聞いていたと思う。ボーッとした顔をして。
でも、その後年月が経つほどにこの言葉は私の心の中に、何度もよみがえってくるようになったのだ。
あれから16年。
何度この言葉に救われた気持ちになったことか。
山の時もあれば谷の時もある・・・・・・
人生ってそういうもん・・・・・・と、繰り返し思って。

大家さんとはけして仲がいいわけでもなんでもなかった。
引っ越してから後、連絡を取ったこともないし、今も丈夫でいらっしゃるかどうかもわからない。
なのに、あの時のあの言葉だけは、後々まで残って私の大切な宝となったのだ。
占い・・・という言葉を見ると、必ずこのエピソードを思い出す。
一期一会という古い日本語のことも、思い出す。


11月22日(木)

本日体調良し。精神状態良好。
よし。今日こそチャレンジしてみようじゃないか!
<真の20分で晩ご飯>に!!

NHK教育TVのカルト的料理番組<20分で晩ご飯>。
料理の先生がスタジオ内で、20分で実際に料理を作ってみせてくれるという
「・・・ではこれを30分ほど煮込んだものがこちらです・・・」などという<はしょり>はいっさいナシの
スリリングかつ抱腹絶倒、手に汗握るナイスな料理番組だ。
以前、6月頃だか、日記に書いたらファンの方がいっぱいいて
人気のほどを実感したのもだったが
しかし、あの時も書いたけれどこの番組、
20分で実際に先生が料理をしてみせる・・・・・・・と言いつつ
スタートの時点で、すでに野菜はきちんと洗われて調理台の脇に並べられているし、
乾物も水で戻してあったりと、ズルいのである。結構。
料理という作業は、<冷蔵庫を開ける>ところからそう呼ぶのではないか・・・?
と思っていた私は、常々この番組、「正しくは<35分で晩ご飯>もしくは<40分で晩ご飯>
と呼ぶべきではないのか!」と、不満つのらせていたのである。
・・・もっとも、本当に20分でやれ!と言われたら先生達は全員逃げてしまうのに違いないけれど。

ともかく、そういうわけで、だったら自分でできるかどうかやってみようじゃないの!
と考えていたわけだ。
かくして、チャレンジ!
メニューは以下の通り。

1, 小松菜とワカメの炒め物
2, みそ汁
3, マグロの刺身

3・・・は料理とは呼べないんじゃないか?と言われそうだけれど、
刺身を買ってきてそのトレイのまま食卓に出すつもりはない。
ちゃんと皿にシソとトマトを飾って、その上に並べようというのだ。
シソとトマトを洗うだけでも1分はかかる。きっと。
というわけで、ともかく、タイマーを20分にセットして・・・・・・・・・・・・。いざ!
スタート!!!

<第一段階>
始める前に、どうやったら一番効率よく3品を仕上げられるか、とくと考えていた。
それに従って、まず鍋に湯を沸かしみそ汁のダシを取る。我が家はだしパックを使っているので
煮出すのに結構時間がかかるのだ。(これがちょっとネック)
鍋を火にかけ、次にすかさず、ワカメを水戻し。これにどのくらい時間がかかるか?もポイントだ。
さらに小松菜を洗う。
手っ取り早く洗うためにも、今日はコープで、特に泥の少ないもの、虫の食い跡が少ないものを
必死で選んできたのだ。それでもけっこう泥は付いているが。
書き忘れたけれど、ここまでの作業は、もちろん
<鍋を流しの下から出す><ワカメを食料保存棚から出す><小松菜を冷蔵庫から出す>
ところから始まっている。あああ〜〜〜っ!手間がかかる!!
小松菜を洗っている時点で、タイマーに目をやるともう5分も経過している。信じられない!!

<第二段階>
やっと湯が沸いたので、だしパックを放り込む。
ワカメはまだ完全には戻りきっていない。
仕方ないので、先にみそ汁の実(大根と長ネギと油揚げ)を切っておく。
切り終わってもまだワカメは戻りきらないが、もうこれ以上は待てない。
ちりめんじゃこと小松菜をごま油で炒め始める。
火が通った頃にはワカメもOKになっているだろう、と信じて。
しかし今日の小松菜、いつものと違って茎も葉も固い、そしてでかい!
なんで??今日に限って?なかなか火が通らんではないの!!!コープさんっ!!
ここらでタイマーが<ピッ>と鳴る。半分の10分が経過したしらせだ。
だんだんと番組の先生のあせりが、自分にもわかってきた。これはパニくる・・・。

やっと小松菜に火が通り、ワカメもなんとか戻った。
ワカメの水をよくしぼって小松菜と一緒に炒める。あとはしょう油で適当に味付け。
OK!一品できた!
だしパックを引き上げて、鍋にみそ汁の実を放り込む。ここであと5分の<ピピピッ>。
しょえ〜〜〜〜〜!5分で大根に火が通るか?否?!

<最後の段階>
みそ汁の実が煮えるまでに刺身のセッティングをしなければ!だ。
シソとトマトをざっと洗う。刺身を盛りつける。
当然、すべて<冷蔵庫から出して>、シソもトマトも<袋から出して>、
刺身は<パックのラップを取って>・・・・・・・。
あああ、なんで何でもかんでもこんなに
バッチリ包装してあるの?!この国は!!
あと2分!!!

よし2品終了!
問題の大根は・・・大根は・・・・・・・・・。まだ火が通らない。
しまった。こういう時、みそ汁に大根なんか入れるんじゃなかった。
ともかく、仕方ないので流しや調理台の片づけを始める。それが終わりかけたところで
ピィーーーーーーーー!
と、無情の試合終了の合図が・・・・・・・・。

で、・・・できなかった。<真の20分で晩ご飯>・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

その後、1分くらいでようやく大根は煮えた。味噌を溶かし、かくして
<22分で晩ご飯>は終了。          ・・・・・・・・・・・・・・・あああ・・・・・・・・・・・。

大根を実にしたのが間違いだった。長ネギと油揚げ、せめてシメジあたりにしておけば・・・・
と言っても後の祭り。負け犬の遠吠え。
今さらながら、刺身はちょっとあんまりやから焼き魚に・・・なんて止めておいて良かったと思う。
こうして私の挑戦は破れた。残ったのは心地よい疲労感・・・・・・・・・
なわけがない!!!!!
カーン。(敗者のゴング)


11月21火(水)


2002年W杯の出場国も、あと一カ国を残してすべて決定した。
あとの一カ国はウルグアイとオーストラリアのどっちかだけれど、それはこのさいどっちでもいい。
オランダが予選落ちした時点で、私のW杯はすでに三分の一が終わったのだ。
が、
でもまだポルトガルがいるし!
いやそれに何と言っても日本だって勝ち進んでいただかなくてはならないのだ!!そうだ!!!

などと、気分も少々盛り上がってきたところで、ネット上でW杯の情報を収集してみた。
<キャンプ地情報>というのがふと目に付く。
そう。私は、チケットの入手はもうほとんどあきらめているけれど
(・・・それでも昨日、チケット申し込みのための電話登録はしたが)
キャンプ地、というものには、以前から期待を抱いていたのだった。
我が香川県のお隣徳島県鳴門市が、出場国のキャンプを懸命に誘致しているのは知っていたし。
というわけで、キャンプの誘致はどの程度まで煮詰まってきているのであろうか???
と、<キャンプ地情報>をクリックしてみた。

知らなかった。
日本国内には全部で84カ所もの、W杯日本組織委員会公認のキャンプ地があるらしい。
先に書いた鳴門市もそのひとつだが、
今日ここで初めて知った。
知って、ひっくりこけるほど驚いた!
我が香川県にもなんと公認キャンプ地があったのだ!!!

し、知らなかった。
OH MY GOD!
それは何処かと言うと、我が高松市のお隣<M木町>という所である。
M木町総合運動公園・・・というのが、誘致場所らしい。
ああ、そこならよく知っている・・・・・・・・・・・・・・・・。知っているから・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・わかる。・・・多分、誰も来ないって・・・・・・・・・・・・・・・。
でもM木町の勇気は買いたい!
なんてったって、組織委員会からはちゃんと公認された施設だというのが嬉しいではないか。
なにせ四国にはW杯は来ない。
香川県なんてW杯にやって来た世界の人々の、意識の片隅にもインプットされない存在だろう。
でもちゃんと、公認キャンプ地になったところはあるんだよ♪♪と。
なんだか涙ぐましいんだけれども。

ところで出場チームだが、予選落ちするかと思われたドイツが滑り込みセーフで入ってしまった。
これでドイツチームと共に、フーリガンもやってくることになったわけだ。我が国に。
ちなみにフーリガンBest3国というのは、イングランド・ドイツ・オランダ、である。
なんでアングロサクソンの多い国ばっかりなのかはわからないけれど・・・いや、
多分理由はきっとこうだ・・・という、私なりの見解はあるのだが、
これをおおっぴらに言うとアングロサクソン人からどつき倒されるのでここでは言うまい。
ともかく、この三カ国が、極悪な連中をかかえてしまっているのだ。
誇張ではなく、ほんとうにたちが悪い。
だから、この三カ国が予選リーグで同じ組になんてなってしまったら、試合開催地は地獄。、
本当にそうなってしまった90年のイタリアW杯では(オランダとイングランドが同組になった)
イタリア組織委員会が、この組の試合会場を、カリアリ島という、ほとんどアフリカに近い島に設定し、
そこへやばい連中を閉じこめてなんとかしのいだ・・・という事実がある。
つまりこういうことを予測して、島に開催地を割り振っておいたわけだ。偉い。
W杯の開催が近づくに連れて、各地のニュースでも話題が取り上げられることが多いが、
地元自治体の偉いさんが抱負を語ったり、地元商店街のおっちゃんが
「これで売り上げがのびたらええなー」なんて嬉しそうに言ってたり・・・するのを見るたびに
私は不安になってしまう。
・・・・・・・・大丈夫?わかってる??
・・・・・・わかってる・・・?フーリガンて、タイガースファンの
虎◎チおやじとは違うんだよ・・・・・・・??

サッカーなんてどうでもいい。選手なんてどうでもいい。
ただ相手チームのサポーターを殴りたい。大乱闘をしたい。半殺しにしたい。
商店街のウィンドウを割りたい。路上の車を叩きつぶしたい。
それだけのために試合へやって来る。
それが、フーリガンなんだよ??そういう連中なんだよ??

どうか願わくば、ドイツとイングランドが同じ予選グループになりませんように。
で、どっちの国も予選リーグだけで帰ってくださいますように。
選手や正しいファンの方々には申し訳ないけれど、
サッカー関係者の、実はこれが本音なんだと思う。
では、もし万が一、私もチケットが入手出来て、
それが対イングランド or 対ドイツ戦だった場合は・・・・・・・・・・・・・・・・・?

朝:ゆで卵、野菜炒め(ズッキーニ、ブラウンマッシュルーム、緑ピーマン)
  サラダ(サニーレタス、トマト、キュウリ、ブロッコリー)
  フランスパン2切れ、オリーブオイル、柿、紅茶
昼:タラのソテー野菜あんかけ(タラ、タマネギ、赤ピーマン、きぬさや、しいたけ、しょうが)
  みそ汁(豆腐、ワカメ、ネギ)
  柿ときゅうりの漬け物(柿、きゅうり、塩昆布)

 ☆柿ときゅうりの漬け物は、失敗。フ◎ッコの塩昆布が妙に甘すぎました。
   きゅうりだけにして、塩昆布をごくごく少量にしれば、まだマシだったかなぁ・・・・・。



11月11日(日)

あああああ〜〜〜〜〜〜!!待って待ってぇ〜〜〜〜〜〜!!!
と必死で手を振る私の手の先100メートルを
バスは無情にも走り去って行った。次のバスが来るのは50分先。
本日、瀬戸内海の小豆島(しょうどしま)での出来事。

本日の降水確率、午前も午後も0パーセント。
瀬戸内海上の波の高さ、50センチ。
よし!!紅葉を見に小豆島へ行くぞ!!
紅葉の名所、寒霞渓(かんかけい)へ登るぞ!!
と、登山のフル装備で夫と出かけたのである。船に乗って。

壺井栄の名作、「二十四の瞳」で有名な小豆島は、我が高松の港からフェリーで約一時間。
人口3万5000人もいるでかい島で、観光客も多い。
島には800メートル強を最高峰にたくさんの山があって、そこが紅葉の名所として
県内では特にこの時期人気なのであった。そこを登ろうというのである。

山のガイドブックを見ると、港から寒霞渓まで、約2時間で行けるとある。
途中までバスで行って一時間くらい山歩きをしようか・・・・・という予定だったのだが
2時間で登れるのならもうバスを待つのもめんどうくさいので、最初から登ることにした。
帰りは、じゃあ途中からバスをつかまえようということにして。

さて、小豆島。
香川県人にとっては、ものすごくポピュラーな観光地である。
子供の頃、誰でも一度は親に連れられて行ったことがあるような。
私も、二度、ここへ来た記憶がある。
一度は幼児の頃、家族で。もう一度は中学の時、学校から遠足で。
で、この最初の幼児の時の記憶があまり嬉しいものではなかったので、
今回の山登りもちょっと緊張していたのである。
幼児の時の記憶とはこうだ。
ここの山の中には、野生の猿を餌付けしている猿園がある。
高崎山のような、大阪の箕面公園のような。と、ここまで書けば、もう察していただけるだろうけれど、
この猿園で私は、今でもはっきりと覚えているけれど、
手にしていたバスケットを猿にうばわれてしまったのだ。
他のことは覚えていない。
ただ、バスケットを持って去っていく猿の、にくったらしい後姿だけは、
今も目に焼き付いている。
  この辺のことを、先日実家の母に確かめてみたところ、母いわく
  「そうそうそう!ハンドバッグや手荷物は絶対に持っていかんように!て、立て札に書いてあるのに
  あんたがどうしてもバスケット持っとく〜〜!!て、ダダこねて!
  仕方ないからそのまま行ったら、あっという間に猿にやられて〜。」
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
  ・・・つまり、言うことを聞かんかった私に、バチが当たったと言うことか。
  ちなみに猿は、バスケットの中のチューインガムを引っ張り出すと、
  バスケットはさっさと捨てて去って行ったそうだ。
  やっぱし、にくったらしい!!

ともかく、そういう記憶があったので、登山道に入ってからは妙に緊張していたのだ。
パキッとか、カサッとか物音がすると、猿か!!!と身構えてしまう。
なんか、頭上の木の枝に斥候役の猿がいて、我々が行くのを見ているんではないか?
などと、妄想が広がる。さらに妄想の中で、猿どもはこういう会話もする。
「来ました。」
「何人?」「2人です。」
「荷物の中から、りんごのにおいがします。」
「よし!!」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・頼むから、来てくれるなよ、と思いつつ、
途中で栄養補給にクラッカーを食べるも、落ち着いてなんか食べられやしない。
一枚一口で飲み込むようにして食べる。

そんなこんなしつつ、猿にも会わず(猿の餌付け場所は、登山道からは離れているのだ)、無事頂上へ。
赤く色づきつつあるモミジも、そりゃ綺麗だったし、
山頂からの瀬戸内海の眺めも、そりゃあ美しかった。
山頂はロープーウェイ客でごったがえしていたので、お弁当を食べてそそくさと下山する。
トイレが混み合っていて、時間を取られたので、帰りに途中で捕まえるバスの時間が
かなりきわどくなってきたけれど、ともかく降りてみようということで下山した。
で、ここで冒頭のシーンだ。
ギリギリ間にあってバス停まで降りたのだ。
が、どうも地図のバス停の位置が、こことは違うのでは・・・
と、夫が言い出し、別の方角へ歩き出した・・・・・・・・・・。そこへ、バスが来てしまったのである!
あわてて夫を大声で呼び戻しつつ、私は100メートル先のバス停にいるバスへ向かって
大声で叫んだ。
「待ってーー!!待ってぇーーーーーーー!!!」って!
でも、バスは無情に発車してしまった・・・・・・・・・・。
・・・・・・・・・・・ものすごいショックだった。
バスを逃したことじゃない。
次のバスが50分も先にしか来ないことじゃない。
・・・・・・・・・・・・・・・私が必死に叫んでいる、その姿を、バスの乗客が何人も見ているのに
誰一人運転手さんにそれを告げてバスを止めてくれなかった・・・・・・・・・・・・・。それがショックだったのだ。
私の方を向いた、何人もの顔が窓にあったのに・・・・・・。
甘いことを、と、思われるだろうか?でも、私は田舎の路線バスの、それが掟だと思っていたのだ。
私が住む所にも一時間に一本の路線バスがあって、時々利用するけれど、
そこでは、走ってくる人が見えたら、最後の乗客は、バスの乗り口のステップに片足を乗せて、
その人が間に合うようその場で待つ、という、乗客同士の暗黙の了解があるのだった。
私もそれで助けてもらったことがあるし、逆に誰かを助けたこともある。
なにせ一時間に一本のバスなのだから。
運転手さんには迷惑だろうけれど、そう頻繁なことではないし、
運転手さん自身が、走り来る乗客に気が付いて「ちょっと、お客さんを待ちますので〜」
とアナウンスすることもある。
それが田舎の路線バスの世界だと思っていたのだ。・・・・・・・・・・・・・それが・・・・・・。

こっちを見つつ、黙って去っていった乗客の顔が目に焼き付いて落ち込んでしまった。
が、ここで50分待つのもアホらしい。
港まで4〜5キロと言ったところなので、最後まで歩くことにした。
夫とバカ話をしながら歩いているうちに、段々元気も復活。
結局早く港に着いても、フェリーの出航を待つ時間が増えるだけだもんな。なんてね。やれやれやれ。

ちょこっと一時間くらい山歩きをするつもりが、結局港の海抜0メートルから山頂の611メートルまで、
フルに歩いてしまった。
本日の歩行数、21600歩。まぁまぁ、でした。

朝:フランスパン2切れ、オリーブオイル、りんご、コーヒー
昼:自家製サンドイッチ(サニーレタス、トマト、薄焼き卵、チーズ、ハム)
  りんご、水
夜:キムチ炒め(厚揚げ、豚肉、ニラ、キムチ)
  サラダ(サニーレタス、トマト、きゅうり、緑ピーマン、梨)

11月9日(金)

新しいマウスはコウガクマウス。
高額じゃないのよ。光学式マウス。
おなかにボールが付いていない、光センサーで読みとりをするやつ。
夫が、<私のような人間には光学マウスじゃ!!>と買ってきてくれた。
要するに、光学式とはどんなものか、私を使って実験したかったらしい。
<私のような人間>とは
アナログとデジタルが机の上で渾然一体のカオス状態を作っている人間のことだ。
アナログ(鉛筆と消しゴムと使って漫画を描く)とデジタル(パソコンを使っての色々)が
別々の机ではできない、貧乏人とも言う。
(お金持ちは机の横に、デスクトップのパソコンを、専用のラックに置いて使ってますからね。)
つまり、私=マウスのコロコロの中に常に消しゴムかすをため込んで
マウスの調子をしょっちゅう悪くするやつ、だ。お絵かきさんには多いはず。

そういうわけで、光学式マウス。
コロコロがないからどこででも動かせます、というのが売り。
新聞紙の上でも、手のひらの上でも、膝の上でも、どこでもOKの、モバイル族の必需品だ。
ほほう、そんなにどこでもできるものか、
と、夫がトイレに行ったすきに、ちょっと頭の上でスリスリ動かしてみたけれど
確かに髪の毛の上でもカーソルはちゃんと動いたし、クリックもできた。スバラシイ!
ただ、頭の上でやるのは、手をどっちに動かせばカーソルが思う方に動いてくれるのか
まったくわからないので、疲れるのだ。もうしません。
そういうわけで光学式マウス。
3年間の保証付きなので、多少手荒く扱っても大丈夫。
ただ、おしりのところに赤い光がついていて
これがなんだかほの暖かい。
今はいいけれど、夏場は手が汗でヌルヌルするんじゃあ・・・・・・・・・・・・??

朝:目玉焼き、サラダ(サニーレタス、ブロッコリー、黄ピーマン、トマト、きゅうり)
  フランスパン2切れ、オリーブオイル、柿、紅茶
昼:鶏肉のコチジャン煮(鶏肉、厚揚げ、油揚げ、緑ピーマン、にんにく)
  ナムル(もやし、きゅうり、人参、ちくわ、ゴマ)、どくだみ茶

11月8日(木)

1−1で終わった昨夜の試合。
日本対イタリアのサッカーのこと。
<善戦>、と、やはり本日の新聞には書いてあったけれど、私はくやしい。本当にくやしい。
前日にイタリアから10何時間も飛行機に乗ってやって来たばかりのイッタ〜リア男どもに
ホームゲームで勝たせてもらえなかった・・・。
負けてイタリアへ帰ったら大騒ぎになる、とばかりに
キッチリ同点引き分けに持ち込んで帰るあたり、もぉ図太いったら。
必要最低限のことは絶対やる相手に、うまく最後はあしらわれてしまった感じだった。
引き分けじゃダメなのよ。
勝たなきゃ、来年のW杯では決勝トーナメントへは行けないのよ〜〜!!
と、地団駄踏みつつ
しかし、目の方はしっかり試合以外のところをチェック、チェック。

選手の顔もだけれど、気になるのはウェアも。
イタリアの今回のユニフォームは、ちょっとハイネックになった丸首のシャツに
前よりスリムになったパンツ。どうやらこのへんがこれからのサッカーウェアのトレンドらしい、と見た。
ウェアなんて昔っから同じじゃな〜〜い??
と思われている方もおいでだろうけれど、実は違う。
ファッションの流行と共に、こんな汗くさいサッカーウェアと言えども、色々と変化を重ねているのだ。

25年くらい前のユニフォームは、シャツは丸首、普通のクルーネックが主流だった。襟はなし。
身ごろは身体にそりゃあピッチリとした、いかにも70年代!なライン。
憧れはアディダスの3本ラインの時代だった。
パンツときたら、ものすごく短くかつピチッピチ。スライディングしたら、色々とやばいんじゃないか??
と思うくらいの短さで、今こういうのをはいているのは卓球選手か、制服の小学生男児くらいなものである。
これが90年代に入ってくると、おそらくNBAの影響か
シャツはダブダブ、パンツもダラリと丈がやたらと長くなってくる。
私は正直言って、このダラダラと長い丈の、ダブダブパンツが大っキライだ。
そりゃ、マイケル・ジョーダンがはいているのならいい。
NBAの他の選手でもいいでしょう。
ものすごく背が高くて、その分足も長いあの人達だ。パンツの丈の10センチや20センチ、屁でもない。
・・・でも、サッカー選手は・・・・・・・・・・・・・。
ことに、日本人選手は・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
・・・・・・・はっきり言って、あんなダラダラ長いパンツにハイソックスなんかはいたら
短い足がますます、ますますますます短く見えるではないの!!!
頼むから止めて欲しい!!!と思い続けてはや何年。
しかし、どうやらやっとのことで、ウェアのトレンドが変わり始めているようだ。
そう、パンツはタイトに、かつ、もう少し短く(別にエッチな考えでそれを喜んでいるのではない)!
日本チームのユニフォームも、きっと近くそうなっていくことでしょう。
ついでに言えば、来年のW杯に向けて、我が日本チームのユニフォームは
デザインが新しくなるだろうから、その時はどうか
     ・・・え〜と、今の日本チームは人種混合ではないから
どうか、デザイナーさん、
東アジアの男達を一番かっちょ良く、
一番美しく見えるデザインを考えて!

お願い!!!
     こういう時こそ、イッセイ・ミヤケとかレイ・カワクボとか、・・・・・・ダメかなぁ・・・・・・?

朝:ゆで卵、野菜炒め(人参、黄ピーマン、緑ピーマン)
  サラダ(サニーレタス、トマト)
  フランスパン2切れ、オリーブオイル、りんご、紅茶
昼:さごしの塩焼き、シソ、白菜と梨の甘酢漬け
  みそ汁(豆腐、ワカメ、エノキダケ)、どくだみ茶

11月7日(水)


(昨日の続きで)
インフルエンザの予防注射を受ける際、事前に副作用などの注意を書いた用紙を渡された。
で、副作用の危険性を理解したうえで、この注射を受けることに同意しますか??
という質問にも、イエス・ノーの回答を書き込まされた。
当然と言えば当然。去年もそうだった。
が、去年もやっぱり思ったのは
「では、イエスもノーもなしに、皆ひとまとめに毎冬予防接種をされていた
私の小学生時代って何だったのよ???」
ということ。
インフルエンザもジフテリアも天然痘も、なにもかも。
子供が知らないところで、親が色々悩んで決断していたのか?
それとも、「お上」のやることだからと、皆はいはいと受けさせていたのか??(今とは時代が違うからねぇ・・・)
で、それだけ予防接種をしていたくせに、私が子供の時代には「はしか」の予防接種はなかったのだ。
くやしいのはそこだ!
おかげで、どういうわけか幼少の頃に自然罹患をしそこねた私は
大学2年、「19の春」に
恋をするどころか、はしかをしてしまった・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

どこで、いつうつったのかはわからない。
気が付いたら、もう罹患していた。
<大人になってからすると大変だよ。>
とは、よく聞く言葉だけれど、本当に大変だった。
折しも大学2年と3年との間の春休み。
実家にも帰らず、ダラダラダラ〜ッと下宿で怠惰に過ごしていた私に、それはやってきたのだ。
最初は風邪で熱が出たと思った。
近所の病院でもそう診断され、もらってきた薬を飲んで、翌日には熱は下がっていた。
はぁ、やれやれやれ・・・。
と、思っていたら、その翌日高熱がぶり返した。????と思っている間に、おなかに赤いポツポツが・・・。
「あんた、これ風疹違う??」と、下宿の同居人は言った。
そうかも!!と、再び転がり込んだ病院で
「違う違う。このボツボツは・・・・・・・・・・はしかや!?!??」と、今度は医者が驚いた。
「あんた、いくつ??19!?今までなんでやってなかったの??!!?」
と、畳みかけたあげく
「どんな山奥に住んでたの???」
とまで、言いおった!医者!

知りませんよ!たまたまでしょう!!

ともあれ、熱の原因はわかった。後はもう、寝て暮らすしかあるまい。
ということで、そのあと実に2週間!!私は床から離れることが出来なかったのだった。
2週間。
よくまぁ、毎日熱が続いたものだと思う。
若かったし、はしかで命を落とすとは考えていなかったけれど(その時は)、
それでもいつまでこの熱、続くんやろう・・・と不安になってきた。最後の方は。
体中、信じられないくらい真っ赤に発疹が出て、出てないところはない!<耳なしほういち>の上を行く状態。
これがほんまに元のスベスベの(若かったからね)お肌に戻るの・・・・・・???
と、熱のせい以上に頭がクラクラしたっけ。

ありがたかったのは、当時私は大家のおばあさんと、私と、同じ大学の同い年の女の子の3人で
一軒の家に住んでいたことで、
おかげで本当によくお世話をしていただいた。二人には。
他の感染症と違ってこの手のは、免疫さえ出来ていれば気楽に近づいてもらえるというのも良かったな。
たった一人で下宿をしていたらどうなっていたんだろうか・・・・・・・・。
実家の母にSOSを出して来てもらっていたのかな・・・。

ところで、その母だが。
すっかり熱が下がってから、ふと他のこの手の感染症<みずぼうそう>と<おたふくかぜ>のことが気になり
電話で問い合わせてみた。が、
「さぁ〜〜〜〜〜、やったんかなぁ?よう覚えてないわぁ。」
返ってきた答えはこれだった。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・お母さん。
フルタイムで働いていて忙しかったのはわかるけど、
・・・・・兄貴と私の2人分なんだから。なんとか覚えておいて??
9人兄弟だってんならもうあきらめるけれど!(それともよそのお宅もこんなもん?)

かすかな自分の記憶を信じるなら、あとの二つは幼稚園〜小1あたりでやっているはず。
仕方ない、自分を信じて生きよう!

朝:ゴーヤチャンプルー(ゴーヤ、ブラウンマッシュルーム、赤ピーマン、卵)
  サラダ(サニーレタス、白菜、りんご、トマト)
  フランスパン2切れ、オリーブオイル、柿、紅茶
昼:昨晩の残りのトマトスープ
  (始まりは日曜の夜に作ったポトフだった・・・。やっと食べきった・・・。)
  クラッカー(バランス・オン)、紅茶

11月6日(火)

いててていててて
いていていて
やっぱし痛いよ、インフルエンザの注射。
本日、インフルエンザの予防接種の日。

昨年の冬、<いつかかるかいつかかるか、と、ビクビクしながら暮らすよりは・・・>
と、初めて予防接種を受けた。
今年も本格的に寒くなる前に、と受けることにしたのだった。
とはいえ、予防接種を受けたからと言って、インフルエンザには絶対かからない!!わけではない。
100パーセントの安心なんてない。
実際、私は昨冬・・・というより、今年の一月、しっかりかかってしまったから。インフルエンザに。
もっとも、医者は認めてはくれなかった。
私がインフルエンザだとは。
なぜなら、私に予防接種をしてくれたのがそのセンセイで、だから
「う〜〜〜ん・・・。このまえ、予防接種、ここでしましたよねぇ・・・・・・。
だったら、インフルエンザとは考えにくいし・・・。
・・・今、嘔吐下痢症の風邪が流行していますから、それじゃないかな。」などと言う。
でも私はその時点で、もうこれは絶対インフルエンザだと確信していた。
吐き気どころか、頭の隅で、「腹が減った・・・。ひもじい。」と考えていたし、
前日から熱だけドンドコ上がっているのに、鼻水もなし、咳もなし。
もう、誰が考えてもインフルエンザやん!!という状況だったから。
しかし、センセイは頑強にも「嘔吐下痢症」と言い張り、私もめんどうくさくなって(なにせ熱でフラフラだし)
「そうですね」と、薬をもらって帰ったのだった。
吐き気止め以外は、どっちでも同じ薬が出たのだし。まぁ、いいか、と。
それにしても、5000円もかけて予防接種をしたのになんてことよ!
と嘆きつつ床に伏したけれど、そこはワクチンの威力。
翌日の夕方には、熱は無事下がっていたのだった。
普通、インフルエンザにかかると、5〜6日くらい寝込む・・・と皆言う。
それが2日で回復したのだから、やはり無駄ではなかった!というわけだ。

そういうわけで、今年も早々と、受けてきました。痛い注射。
家に帰っても注射したところが痛かった。夜、寝るときも痛かった。なんでここまで痛いわけ?

そしてさらなる疑問。
昨年はこの注射、2回に分けてするか、1回ですませるか、自分で選ぶことができたのに、
今年は同じ病院で、なぜか問答無用の<2回注射>になっていた。
Why??
・・・・・・・やっぱし、副作用などの問題もあるから、1回ですませるのは止めたのかな??
・・・・・・・・・・・・や、それとも・・・・・・・・・・
2回の注射だと、1回3150円×2=6500円。
一回だと、5250円。
差額は当然、注射の技術料だろうから、儲かる方を選んでいるわけ・・・・・・???かな?????

どっちにしたって予防接種の代金って、もう少しリーズナブルにならなんもんか、と思う。
私は自分一人の分(夫ももちろん受けたけど)を払えばいいだけだけれど、
家族5人分、なんてことだと、かなりの金額だと思う。
予防接種=インフルエンザにかかって医療費を使うことの予防 をしているわけなんだから
せめて、もう1000円、安くしてもらえないものか???

ともあれ3週間後に2度目の注射だ。
誰でも思うことだろうけれど、
この3週間の間にインフルエンザにかかったら、ホントにヤダ!!


昼:ミートボールのトマト煮込み(挽肉、タマネギ、ニンニク、セロリ、ブナしめじ、
  ブラウンマッシュルーム、人参、大根、トマト)
夜:昼の残りにタマネギとブロッコリーを足してトマトスープ
  大根のサラダ(大根、カイワレ)、ハイビスカス茶

11月3日(土)

NHK教育TVで、夜、「未来への教室」を見た。

毎週日曜の夕方放送の人気番組、「課外授業 ようこそ先輩」の、これは海外有名人編。
毎回きちんきちんと見ているわけではないけれど、
新聞の番組欄を見て、先生に興味がわいた時は見るようにしている。
本日の先生は、先週との2回続きで登山家ラインホルト・メスナー。

ラインホルト・メスナーは、登山界の巨星のような人。
チョモランマを始め、世界の8000メートル級の山のすべてを
「酸素ボンベなしで」「単独で」登り、
しかも生きて帰ってきているという、信じられないような人物。
そのメスナーが、9歳から15歳までのチロル地方の子供6人を連れて、
夏でも雪をかぶった南チロルの山を登る・・・・・・・という授業なのだった。
先週の授業は、5メートルくらいある、ほぼ垂直に近い岩壁のロッククライミング。
で、今週はいよいよ雪原やらクレバスやらを乗り越えて、
標高3600メートル強(!!)の山へのアタックだ。
この特別授業に参加している子達は、当然登山経験のない子ばかり。
撮影スタッフが安全に注意しているとはいえ、
ロッククライミングといい、3600メートル強の山といい、大人だって大変な山登りなのだった。
結果を言えば、6人の子すべてが無事に頂上のアタックに成功し、
皆で元気に山を降りてきたのだけれど、
でも途中は、高山病にかかったり、体力のない子がへばったり、なかなか大変そうなのであった。
でも、やっぱり、授業の途中にメスナーが子供達に言い聞かせる言葉。
これが見る者の胸を打つ。

「山ではすべて、自分で自分のルートを見つけなくてはいけないんだよ。どう行くか自分で決めるんだよ。」
   これは、ロッククライミングの時に言った言葉。
   どの岩を手がかりにどうやって登って行くか、ルートは何通りもあって、
   自分の行けるルートを自分で見つけなくてはならないのだ。
     TVを見ている私と夫も、「そうそう、ほんまにそうなんや〜」などと相づちを打つ。
     私達は1000メートルそこらの山を登るだけのヘッポコ登山家だけれども、
     でも、どんな山でも山は山。迷ったからって人に道は聞けないし、
     山へ入る時は、だからすごく緊張する。

「こうやって山に登る時は、自然に対して尊敬の気持ちを持たなきゃね。」
みたいなことも言ったと思う。
自然を敬うなんて、日本人みたいなこと言うな〜〜と思った。
ヒグマやオオカミをも<山の神>として恐れ、敬ってきたのが日本人。
マタギも木こりも、山そのものに敬意を払って山に入ってきたし、
私だって、山を歩いている時は<山の神サマ>の存在を意識せずにはいられない。
恐ろしいし、今日無事に山から帰らせてくださいと、心の中で祈りながら歩かずにはいられないのだ。
でも、キリスト教徒にはそういう自然への畏敬なんてない!!と思っていたから、
この彼の言葉にはハッとさせられたのだ。こういう人もちゃんといるんだな・・・、と。
あと、「頂上に着くには、一歩一歩を積み重ねて行くしかないよ」とも言った。
  「そうなんやー。毎回登り始めは、いつ帰れるんやろうかとばっかし考えてるわ〜〜。」
  「来るんやなっかた!!と毎回思いながら登ってるもんなーーーーー。」
  と、また恐れ多くもメスナーに同意しちゃう我々夫婦。
  8000メートル級の山と1000メートルそこらの山を一緒にするあたり
  図々しいにもほどがあるけれど、
  でも8000メートルも1000メートルも、多分きっと、基本は同じかもしれない。
それに、この授業でメスナーが言ったことは、ぜんぶ人生そのもののことでもある。
子供達に、それはどのくらい伝わったのかな?
授業の最後のインタビューで、子供達は
「岩登りが面白かった」とか、「雪原を歩くのは疲れて大変だった」とか言っていた。
今はまだ幼くて、この経験の意味はわからないかもしれないけれど、
大人になった時、いつかきっと今日のことを思い出して、心の支えにする日が来るんだろうな、と思う。
「道は自分で決めるんだよ」とか、「一歩一歩登るしかないんだよ」とか。
いいな。いい経験をさせてもらったよな。うらやましいな。このガキンチョ達。
と、思いつつ、でもTVを通しておばさんの私も元気をもらった。励まされた今夜。
NHKのスタッフが誠心誠意を込めてメスナーを口説いて実現した
彼の生涯でたった一度の特別授業(やはり未経験の子供を連れての登山は、簡単に請け負えるものではないと思う)
感動的だった。
NHKのこのシリーズ、準備が大変だろうけれど、出来るだけ長く続いて欲しいと心から思った。

昼:セルフのうどん屋<春日市場うどん店>にてうどん。
  かけ小150円、おでん2個(豆腐、こんにゃく)で160円。
夜:ペペロンチーニ
  サラダ(サニーレタス、タマネギ、赤ピーマン、緑ピーマン)
  エダムチーズ、ワイン

11月2日(金)

某ムクムクさん宅の日記を読みに行ったら、またしても家電製品がクラッシュ!!となっていた。
今年に入って、すでに相当の家電がクラッシュしているそう。
結婚13年目のたたりじゃ〜と言っておられるけれど、いや、、笑ってはいられない。
なにせ我が家だって実は結婚13年目。
そして我が家も、実際、今年になって家電の不調が続いているのである。
初夏の頃には掃除機がついにおシャカになり買い換え。9月にはTV画面が真っ暗になった。
TVはまぁ一万円也の修理で復活したけれど、先月はビデオが動かなくなったし。
ビデオも無事直ったけれど、次にまた何か大物がクラッシュするかもしれない・・・・・・???
・・・・・・・・・怪しさ一番なのは、やはり冷蔵庫か・・・・・・・・?
しかし、冷蔵庫が壊れちゃうと大変なのだ。
金額的にも大変なのだけれど、それプラス我が家では別の問題が・・・・・・・・・・・・・・・・・。

我が家で現在使っているのは、2ドアの冷蔵庫。買い換えたのは95年の2月だった。
阪神大震災の後で、地下鉄サリン事件の前。
だけれど、それはこの話には関係がないので、こっちへ置いておいて。

それ以前に使っていた冷蔵庫は中古品の2ドアだった。
そいつが、時々「ポコンッ!」「ポンッッッ!!」などという妙な音を立て始め、
私は修理の人を呼んだのだった。
そしてそこで大変高額の<コンプレッサー取り替え料>を言い渡されてしまう。
もともとが中古品。しかも、結婚するという会社の後輩からただで譲り受けた代物。
どうしたもんかねぇ・・・・・・と家族会議をやっている間に、とうとう冷却装置が利かなくなってしまった。
ただの白い箱となってしまったところで、私もふんぎりがついたのだ。
買い換えましょう。
さっそく、中身を出して水を張った洗面器に浮かべ(冬場の故障で良かった)週末を待った。
週末、夫とともに家電専門店へ出かける。
あ、いや、その前に、玄関のドアの隙間の幅を計っておかねば。
そう、ここが肝心!
その当時、私と夫は埼玉県に住んでいたのだが、この時の社宅、
この社宅の玄関がくせ者なのだった。
ガスメーター類の設置場所が妙で、玄関ドアが70度くらいしか開かないのである。
おかげで引っ越しの時は、玄関ではなく、窓の鉄格子をはずしてそこから家財道具を入れたのだった。
そういう玄関なので、ちゃんと幅を計っていかないと!
・・・・・・計った結果、幅はドア板からドア枠までが63センチ。
ということは、幅60センチ以下の冷蔵庫でなくては通らない!!ということだ。
これを頭にたたき込んで、いざ、我々は家電屋さんへ!!

出かけてみて、幅60センチ以下の冷蔵庫というのは少数派だということを、我々は知る。
当時すでに、冷蔵庫は巨大化を始めていた。
観音開きのドアだの、3ドアだの4ドアだの・・・・・・・・・。
それでもそんな中で、2〜3の60センチ以下商品を見つけ、それを買うことにした私達。
今日は土曜日。では明日、日曜日の夕方にお届けしますので待っててね、
という手はずを整えて、意気揚々と家に帰る。
やれやれやれ、これで明日から、安心して買い物が出来る、と。
ところが・・・・・・・・・・・・・・・・。

「これ、このドア、通りません。」
翌夕、冷蔵庫を運んできてくれたお兄ちゃんとおっちゃんは、玄関ドアの前で言い放ったのだった。
え??!!? うそ!???!
私達はちゃんと幅を計って・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。
「ドアノブが引っかかります。」
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・OH MY GOD!!!!!!!!!!!

そう。私達はドアノブの存在を忘れていたのだ。
そうよ!ここの幅は、ドア板じゃなくて
ドアノブからドア枠までを計らなきゃいけないのよ!!!!!
あああああ、何やってんのよ!もう〜〜〜〜〜っ!!!
なんて言い争う時間も、お兄ちゃんとおっちゃんは我々に与えてくれなかった。
「仕方ないですね。では持って帰ります。」
新品の冷蔵庫は、たった1分、我が家の玄関先にいただけで、帰って行ってしまった。
Jesus!!!

・・・かくして、さらにもう一日、我々は洗面器に水を張ってしのいだ。(あああああ、本当に冬場で・・・・・。)
翌、月曜日。朝一番で私が家電屋へ駆けて行ったのは言うまでもない。
ただ、問題は、ドアノブから計り直した結果、
玄関を通過出来るのは幅55センチ以下の冷蔵庫しかない、
と、わかったことで・・・。
・・・・・・・そう、幅55センチ以下の冷蔵庫なんて、はっきり言ってほとんどないのだった。
(ご自宅の冷蔵庫を計ってみて下さい。)
1ドアならある。でも学生の下宿じゃないんだから。
そういうわけで、2ドア。
・・・・・・・・なかった。その家電屋には。
泣く思いで家電屋の隣の、スーパーの家電製品売り場へ走った。
神サマ。もうどんな色でも柄でもいいです(ちょっとウソ)
55センチ以下で、冷蔵庫の形さえしていれば・・・・・・・
と祈りながら捜すと、天の助けか、あったのである!55センチ以下の冷蔵庫!!
展示品だった。それ一台きりの商品だった。もはや選択の余地などあるものか!
と、速攻でそれを買い、夕方には届けてもらう手はずを整えた私。
かくして、やって来た冷蔵庫は、無事玄関を通過し・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。

今現在住んでいるマンションの、玄関のドアは、90度開く。
しかしなにせ転勤家族だ、我々は。
この先どんな無体な社宅に放り込まれるか、わかったもんじゃあない。
そういうわけで、でかい家財道具は買いたくない私。
この先、もしこの冷蔵庫が壊れたとして、果たして幅55センチ以下の冷蔵庫・・・・・
なんてのが、再びゲットできるのか・・・・・・・考えるとちょっと不安な・・・・・・・・・・・・。

朝:ゆで卵半個、野菜炒め(タマネギ、エリンギ、緑ピーマン)
  サラダ(サニーレタス、トマト、きゅうり)
  フランスパン2切れ、オリーブオイル、ナシ、紅茶
昼:ゴーヤのンブシー(ゴーヤ、赤ピーマン、豚肉、厚揚げ)
  大根と人参の酢の物、ハイビスカス茶

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