エピソード6 とどめの一発!! |
7月9日。快晴の那覇を離陸した我が飛行機は、順調に香川県へと向かっていた。 問題の台風6号は奄美大島から九州へと向かっている途中。 これを、高度何万メートルだかで、ヒョイッと飛び越し 我々は無事、高松空港へと向かっていたのだった。 午後15時半には、定刻通り高松空港に着くはずだ。ふっふっふ♪ 午後15時ちょっと過ぎ。 飛行機は香川県上空に入り、着陸するべく高度を下げていた。グングン下げていた。 と、 突然、 飛行機が上昇し始めたではありませんか!???????? 「は?????」 と思う間もなく、私の耳には、客室乗務員のこのようなアナウンスが。 「只今、高松空港の周辺は、 台風6号の影響による天候不順のため 着陸許可がおりません。 許可がおりるまで、上空で待機いたします。」 「はぁ?????????????????」 と、うろたえる私を乗せて、飛行機は旋回し始めた。 思わず窓から下界を見る。 すると、現在飛んでいる付近は、全く天候不順ではないらしく、 雲の間から田んぼやため池がはっきりと見えるのだ。 こんなに下が見えるのに、空港は天候不順なの!?????Why!???!!!!! しかし、わたしがうろたえようがあせろうが、空港の管制官からOKが出ない以上はどうしようもない。 再び客室乗務員のアナウンスによると、 台風6号が梅雨前線を刺激して、どうも空港付近が天候不良に陥っているようなのだった。 OH!NO!! おまけに機長がこんなアナウンスを。 「このまま着陸許可がおりなければ、 この飛行機は関空へ行きます。」 ギャ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! 私は我を忘れて心で叫んだ。 「全力を尽くして着陸してくれ!キャプテン!!」。 ・・・思い出していただきたい。 旅行の出だしの<高松→那覇>空路で、「全力を尽くします!」と言ったキャプテンに 「尽くさんでいいのよ〜〜〜!真の勇気は撤退する勇気。」 と突っ込みを入れたのは私と夫。 そう、状況が変われば、人間は、かくも簡単に手のひらをかえすものなのである。 だって!雲の合間から見えているこの田んぼ!このため池! うちの近所なんですよ!! パラシュートをもらえたら、飛んで降りて走って帰りたい!! そのくらい家のそばまで来てるのよ!この飛行機は!!! ・・・あああ、しかし、そういう私の思惑などどこ吹く風。 3回ほど高松上空を旋回したあげく、ついにキャプテンは言った。 「関空へ行きま〜〜〜〜〜〜〜〜す♪」 や〜め〜て〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!!! でも、飛行機は行くのだった。 乗客全員の「そんなア〜ホ〜な〜〜〜!」 という思いで機体をパンパンにふくらませつつ。 関空である。 たった15分で来てしまった。関西国際空港である。 田舎者のワタクシには初めて見る関空である。 そりゃあ立派だったよ! ここ数年、高松l空港と那覇空港&石垣空港しか見ていなかった私には 目のくらむような大空港だったよ。 でも!できることならこういう時じゃない時に来てみたかったよ!!関空! それはともあれ、これから我々はどうすればいいのか?どうやって高松へ帰ればいいのか?? そう、今まで私も夫もこういう経験はしたことがなかったのだ。 予定と違う空港に連れて行かれるなんて。 (考えてみれば、これまでの人生が相当ラッキーだったのかも・・・。) さて、どうなるの!? と、思っていたところへ、ANAの地上クルーが登場。 ここからがすごかった。 地上クルーの腕の見せ所!という感じで物事は進む。 すぐさま、ANAは関空から高松行きのバスをチャーターしてくれた。 しかしそれはJR高松駅行きだ。それでは困る! 高松空港は、大都市とは違って市街にわりと近いところにあるので 多くの旅行者は高松空港まで自家用車で行き、空港近くのパーキングに車をあずけたまま旅行に出る。 我々夫婦もそうなのだが、そういう人間はJRの駅に連れて行かれても困るのだ。 JRの駅と空港は、車で40分くらいは離れているのだから。 それを訴えると、ANAはすぐさま空港行きのバスをチャーターしてくれた。早い早い! かくして関空に到着して30分後。午後17時15分。 我々を乗せたチャーターバスは、関空から高松空港へ向けて、ともかく走り出したのだった。 (ちなみにこれが、思いもよらず関空に連れてこられて、とほほな香川県人達が、チャーターバスを待つの図。) さて、関空から高松へ。 田舎者の私は、高速道路の湾岸線など生まれて初めて通るのだ。 同じく田舎者の夫が言った。 「湾岸線やったら、USJのそばを走るんと違うんかのぅ!?」 おおお、USJ!!? それはそれは!と、二人でバスの窓にへばりついた。 ・・・が。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ・・・情けないことに、私も夫も、USJがどういう姿をしているか、全く知らなかったのだ。 TVや新聞に、山ほどその姿は登場しているはずなのだけれど・・・・・・ テーマパークがちょっと苦手な我々は、意識してUSJの姿を見ていなかった。 記憶にとどめなかったのだ。 おかげで、バスの窓からUSJらしきものも姿は拝めたけれど 果たしてあれが本当にUSJだったのかどうか??・・・いまだに確信が持てないままだ。 頭に金の玉を乗せた、高い建物が二つある あれがUSJですよね!?? USJへ行ったことのある皆さん!?? それはともかく、バスは神戸を抜け、やがて明石海峡大橋へ。 田舎者の私は、初めて通るのである。明石海峡大橋! あああ、でも、できることならこういう時じゃない時に通ってみたかったよ!!! そして、20年ぶりくらいに<鳴門の渦潮>まで見てしまった。 あああ!でも、できることなら・・・以下略。 やがて、バスは午後9時前に、無事高松空港に到着した。 約3時間半かかったわけだ。飛行機でたった15分の距離を。 それでも、ここまで無事に我々を連れてきてくれた運転手さんには感謝である。 ともあれ、高松に我々は着いたのだから!! パーキングから車を出して、家へとひた走る我々。 無事、我が家にたどり着いたら、午後10時!予定では夕方5時過ぎには着くはずだったのに〜〜。 玄関から荷物を抱えたまま居間になだれ込んで、私達はもう笑うしかなかった。 あああああああ、すごかった! とどめの一発は、メッチャ効いたよぅ!!! ・・・結局、予定通りに行ったのって・・・・・・・出だしの<高松→那覇>だけじゃん!?? でも、帰りのバスの中で私は思っていた。 予定変更の連続だったけれど、みな、自分でどうするか考えて先手を打って行動し、なんとかしてきた。 だから 「ザマア〜〜ミロ!やり遂げたぜ!!」 って、妙な満足感が今は残っているのだけれど これがもし、団体旅行だったらどうなってたんだろう???。 自分では、あれこれ思っても行動できない。すべては添乗員の采配のままなんだろう。きっと。 ・・・・・・・・・・・・ ものすっごくストレスが溜まるだろうなぁ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 そしてもうひとつ。 これらはみんな、日本語の通じる世界で起こったこと。 そう、スワヒリ語やタガログ語しか通じない場所でした苦労ではない。 たいしたことじゃない。 ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ◎ ちなみに、かの日、高松空港に着陸できなかったわけは 空港付近にのみ、局地的に濃霧が出ていたからだそう。 これも台風6号の影響だったそうです。とほほほほほ。 <エピソード5へ戻る おまけのこぼれ話へ進む> <ヘロヘロ旅行記>目次へ戻る トップページへ戻る |