無論、急速な改革は社会不安を生み出した。しかし、マスコフは国内の不安を外交問題に転換する事で回避しようとした。そのひとつが、アメリカとEUに対する予防戦争論である。
マスコフの主張によれば、かねてより東ヨーロッパの平和はアメリカとEUによる扇動と内政干渉にさらされ脅かされてきた。それに対して何らかの対抗策を講じなければならない。というものだった。
ワルシャワ条約の旗のもと、NRF構成国が保有する軍事力はすべてNRFの国軍となった。その強大な軍はNRF非加盟国を宣言していた近隣の国家に続々と進駐を開始し、NRFへの帰属を迫った。
やがてNRF内部において発言力を増した軍部は本格的な対外戦争を叫ぶようになる。軍部に後押しされる形で、マスコフは重要な産油地帯である黒海沿岸に諜略の目を向けた。黒海は重要な資源地帯であるばかりでなく、ヨーロッパ東部とアジアを結ぶ戦略上の要衝でもある。マスコフと軍部は黒海沿岸の国々に軍事クーデターを蜂起させ、それを支援し親NRF政権を樹立することに成功した。
NRFの急激な膨張を警戒していたEUは、その動きを牽制すべくあらゆる外交手段を用いて東ヨーロッパでのNRF軍の撤収と黒海沿岸の国家に対する衛生国家の中止を打診する。しかし、マスコフはその要請を黙殺し、NRFが覇権国家を目指すことを全世界に示した。
やがてEUへの加盟が認められなかった国や、加盟国でも差別対象とされてきたヨーロッパの貧しい国家、北アフリカ沿岸の国家はヨーロッパの新秩序の建設に賛同し、NRF支持を表明する。もはや全欧州の覇権がNFRの手に渡るのは時間の問題であるという風潮が蔓延する中、スイスとオーストリアは早々と武装中立を宣言した。
2007年1月、東ヨーロッパの解放と石油資源の安定的な確保を大義名分に掲げた英・仏・独および北ヨーロッパ諸国のEU軍はNRFポーランド駐屯軍を攻撃。これを皮切りとして長きに渡るヨーロッパ戦争が勃発した。
戦争を待望していたNRF軍部はすぐさま戦線を構築して反撃を開始した。その一連の戦いでEU軍は大敗しポーランドから撤退した。勝利したNRF軍はその余勢を駆ってドイツ国内に侵攻した。EU軍も果敢に防戦するもののドイツ各地で敗走を重ねた。
その後、ドイツ全土とフランス東部までを占領下においたNRF軍は、EUの中核勢力を一掃するため、フランスに対して更なる猛攻撃を加える事となる。
一方、アメリカはうかつに動く事ができない立場にありヨーロッパ戦争に介入できずにいた。アメリカを背後から牽制していたのは、マスコフから中東、黒海地域の石油資源分配の約束を取り付けた中国であった。しかし、中国とNRFとの蜜月も終焉を迎える事となる。NRFの拡大を恐れた中国は、対外政策を転換しヨーロッパ非介入を宣言したのである。これにより足枷が外れたアメリカはEU軍支援を開始した。
2008年1月、アメリカの支援を受けたEU軍は大規模反撃を開始する。
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