6、「種子」(たね)                     2016.4.19  (I)

(詩)

 
きみは 荒れはてた土地にでも

種子をまくことができるか?

きみは 花の咲かない故郷の渚にでも

種子をまくことができるか?

きみは 流れる水のなかにでも

種子をまくことができるか?

たとえ 世界の終りが明日だとしても

種子をまくことができるか?

恋人よ 種子はわが愛


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 ● 種子は「希望」、寺山の好きなコトバ   


「もし世界の終わりが明日だとしても私は今日林檎の種子をまくだろう」(ゲオルグ・ゲオルス)この言葉を
寺山は「ポケットに名言を」でとりあげ、自身も「種子」ということばを多くの詩歌で用いています。
 震災後の翌年に筆者は男声合唱で「種子」を南三陸町の支援コンサートに参加し歌いました。そのときは困難
な状況に向き合っている人々への励ましだけでなく自然の脅威の中で消え去ってしまった方々を思う哀しい気持
ちが「種子」の言葉と重なっていたような気がします。
 でも今、改めて寺山の詩をいくつか読むと、「種子」には愛、生命、希望といった明るい未来への思いがこめ
られているのではないかと感じました。この歌の最後の言葉は「種子はわが愛」です。きっとどんなことがあっ
ても未来に向かって育みいつかひらく愛。そのような愛の心をこめた「種子」の演奏ができればといまは感じて
います。

 演奏前半はp(ピアノ)基調ですが、後半の「種はわが愛」「種子をまくことができるか」のクライマックス
、はもっと力強く明るいフォルテで歌いたい。いま、愛する人への思いを明日への希望に重ねて。

 
※2月の初めての演奏はホームページ左の「どんな声」よりお聴きいただけます。(I)


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以下は、メールで問い合わせをしたところ、快くお話を頂いた寺山修司の軌跡の管理者 田代氏のお話す。
(本ページ記事への掲載、ご了承いただきました)


 「種子」は、1969年7月初版の「時には母のない子のように」フォア・レディース・シリーズの26号に出てきます。
小生の蔵書の中で出てくる「種子」で一番古いものです。おそらくこれが最初の出典だと思われます。

タイトルは「七編の詩」。この中のひとつです。

/ 劇場 / 青空を塗る男 / 少女から神様への?マークつきのお手紙 / けむり / 種子 / 時は過ぎゆく 翼について /

その後、本人もしくは編集者によって、様々な詩集として編纂されたため、いろんなところで「種子」が登場します。
信長先生がどの書籍を参考にして「思い出すために」の
構成を考えられたのか、お会いする機会があったなら一度
質問してみたいと思っています。

寺山修司が残した約190冊の文献を読むと、「種子」というコトバがたくさん出来てきます。とても好きだった
のでしょう。
詩・短歌・俳句・演劇・映画の中でも、キーワードのように使われています。私見ですが「種子」=「希望」
と寺山修司はイメージしていたのではないでしょうか。

余談ですがHPにも記載している寺山修司が青森の母校のために作詞した小学校の校歌をご紹介します。

青森県三沢市立古間木(ふるまき)小学校 校歌

ながれる雲を歌として 育ちゆく日をかぞえつつ
まじめの教えすこやかに 空に大きく書いた字は
その名も 古間木(ふるまき)小学校

小川原の湖友として 肩組んでゆく春日台
やさしき教え語りあい 君と一緒に呼んだ名は
その名も 古間木(ふるまき)小学校

野に咲く花を本として 読み拓きゆく日をたたえ
ただしき教えまっすぐに こころにまいた種子の名は
その名も 古間木(ふるまき)小学校

 30年近く東京・小金井市で活動する水の輪混声合唱団というに所属しています。3年前、寺山修司没後30年の節目の
年に、指揮者に懇願して思い出すために」を定期演奏会で取り上げてもらい、歌うことができました。現在、東京から神
戸に転居しているため、翠声会の演奏会を聴きに行けないのがとても残念でなりません。皆さまの演奏会のご成功を心より
お祈り申し上げます。