ネルフ訟務部

第2話

ssrider










そのとき、既に彼女の戦いは始まっていた……






会議室の部屋は暗めにおとされていた。

中央の席にゲンドウが着席し、その両翼には冬月とミサトが立っていた。



「惣流・アスカ・ラングレーを連れてきました」

警護の職員に案内されたアスカが入室した。

ゲンドウの席からずいぶん離れた、真向かいに用意された椅子に座る。

彼女が座った事を確認して冬月副司令が口を開いた。

「アスカ君、さっそくだが、君も知ってのとおり、君の父君から除隊及び帰国の申し立てがされている。
 しかもドイツ連邦からもだ」


無言で彼女はうなずいた。


「君からはそれに対して日本に残留したいという意思が出されているが、今も変わりないかね」

アスカは、意思の強そうな碧い瞳を副司令に向けて胸を張って答えた。

「もちろん。
 アタシ、いえ、私はドイツに帰る必要なんかありません。
 パパ…父とは長い間話をしていませんし、母とはたまに電話をしますがそれだけです。
 ドイツではすでに私のしなければならない事はしました。帰っても仕方ありません。
 そして、弐号機はダメージを受けましたが、稼動可能と聞いています。
 その専属パイロットである私は、A−17が発令された以上、残るのは当然です」

「そうか…」


冬月はほとんど表情を変えずに言葉を続けた。


「正直、私たちはドイツとはあまり事を構えたくない。
 ドイツは国連安保理の常任理事国でもあり、現在、国連…我々の有力なスポンサーだからな」

「そんな!……アタシをやめさせるの?パイロットから」

彼女は声を荒らげた。彼女の言葉が彼女本来のものに変わっていた。

「そう言っていない。まぁ、聞きたまえ。
 我々は数カ月前、ドイツ支部のエヴァのデーターが持ち出された可能性があるとの報告を受けた。
 そして、リヒテンシュタインのコングロマリットがそのデーターを入手したとの未確認情報も得ている」

「それって、単に機密の漏洩じゃない。それがどうアタシに関係するのよ!」

冬月は静かに説明を続けた。

「データーが流出した事はまず間違いない。
 この事件は部外秘だが、実は複数人の関係者が死亡しており、かなり深刻な問題だ。
 そのデーターの行き先だが、我々は噂の組織が入手しているとにらんでいるのだよ。
 そして、そのコングロマリットを調べているのだが……
 アスカ君…その組織の傘下にある医薬品会社のCEOに君の父君が就任している事実が判明した。
 データー流出事件の直前にだ。
 その医薬品会社はペーパーカンパニーだが、父君は相当高給を得ているらしい。
 また、そのコングロマリットの軍需産業部門はドイツ陸軍に太いパイプを持ち、
 特に陸軍の諜報部と裏で密接な関係があるということも判明している。
 さらに、そのコングロマリットはある大学のTLO(技術移転機関)とも資金面で繋がりがあるようだ。
 最近、莫大な金額の動きが確認されている。その大学とは、アスカ君、君が卒業した大学だよ。
 我々の結論は、説明しなくても聡明な君には判ってもらえると思うが」

「そんな……パパが………」


話を聞いていたアスカは少しうつむき、顔色を曇らせていた。

しばらくして彼女は口を引き絞ると、キッとその端正な顔を上げた。


「そんな話、信じる思うの? アンタ達はパパがアタシをその組織に売り渡しているっていうわけ?」


アスカが両手のこぶしを結び、肩を震わせて叫んだ。

冬月は少し口調を変えた。声の響きに優しさが入っていた。

「私たちも冗談でこんな話を君に話しているのではない。全て事実だ。
 君の父親は多分利用されているだけだろう。
 画策しているのはドイツ軍の一部と諜報部らしい。連邦政府自体は関与していないようだが。
 しかし、かなり情報操作はされていると思ったほうがいいな。
 君が望むならドイツに渡って確認したらいい。ただし、二度と日本へは帰って来られないと思うが」

「え?」

ミサトが冬月の言葉を引き取り、続けて話す。

「アスカ、あなたの精神が不安定な時期の事を彼らは知っているのよ。
 今回の除隊と帰国要請の件、それも理由の一つになっているわ」

腕組みをして話を聞いていたアスカがミサトに疑問符を突きつけた。

「どういうこと?」

「たぶん、あなたは身柄を拘束される、保護の名の下にね。しかし、実際は軍か組織の研究所に収容、そして……」

ミサトの話の途中をアスカが遮った。

「アタシを徹底的に利用するっていうわけ? ふん、それはアンタ達ネルフも一緒だったわよね。
 アンタ達に利用されていた事には、とっくに気づいているのだから。
 今まではネルフ、今度はドイツ。アタシはモルモットじゃないわ。
 何とかしなさいよ。元はって言えばアンタ達の蒔いた種でしょ!アンタ達はアタシに借りがあるのよ!」

じっと話を聞いていたゲンドウが口を開いた。

「借りとか貸しとか下らん話だ。お互い利害が一致していたからやってきたことだ」

「何の利害なのよ! エヴァはアタシの誇り、アタシの存在証明だった。
 アンタ達がそれを利用しなかったとは言わせないわよ!」

アスカは椅子から立ち上がって、前の三人を睨んだ。

「こんな話の為に呼んだんだったらこれ以上話すことはないわ。帰る!」

ミサトが睨み返しながら嗜めるようにアスカの名を呼んだ。

「アスカ!」

「失礼します!」

「待ちなさい!」

ミサトの呼びかけに答えず、アスカは踵を返して退室していった。




アスカの閉めた扉の音を聞いた後、冬月がゲンドウに囁いた。

「碇、まずいぞ」

「仕方ない。もし、弐号機パイロットが向こうの手に落ちるような場合は直ちに彼女を処理することもやむを得まい」

「碇!」「ちょっ…司令、待ってください!」


冬月とミサトはゲンドウの非情な言葉に思わず呼びかけた。

しかし、ゲンドウは二人のそれぞれの呼びかけには動かなかった。


「時間がない。葛城1佐、責任者として最良の手段を採りたまえ。機密保持を最優先だ」

そう言い置いて退室して行った。

冬月も視線で『後は頼む』とミサトに言い残し、ゲンドウと一緒に出て行った。






残されたミサトは暗い会議室のドアを開いた。外の電灯の光に目を細める。

そして、廊下に出た。

『アスカにもう一度きちんと……いや、私が言ってもダメ』

『名前は何だったっけ?彼女。そう、ヒカリちゃん………ダメダメ、部外者だわ。
 あ〜こんな事ではアスカは本当にヤバい事になるわ』

ミサトは自分の髪の毛を手でかきむしりながら廊下を歩いた。

その先の喫煙室に入り、設置している自販機の前に来たミサトはその前で立ち止まった。

コインをポケットから取り出し、自販機に入れ、コーヒーの選択ボタンを押した。形のよい足を折り曲げて缶を取り出す。

そして、コーヒーを一口飲み、コーヒーを手にしたままミサトは考える。

時間が過ぎていき、手に持ったコーヒーが完全に冷めたのにも気がつかずにミサトは考えていた。

途中で思い出したようにコーヒーを口に含んだが、その味を楽しむことはできなかった。













数時間後

ミサトは自分のマンションに戻っていた。



ミサトは玄関に入るとアスカの靴がないことに気がつく。

アスカのガードからの報告で判っていたものの、過去の事を考えればさすがに胸が騒いだ。

唇を一文字に引き締めると、真っ直ぐキッチンに入る。

シンジはキッチンで夕食の準備をしていた。





「ただいま〜」

「ミサトさん、お帰りなさい」

シンジがミサトの方を見て、あいさつを返した。

「あ、いい匂い。今日はカレーね、私、お腹すいちゃって、すいちゃって、も〜ペコペコ」


ミサトは笑顔を無理に作った。ミサトは、この自分の性格を自分自身疎ましく思う。

シンジはそんなミサトの内心に気がつかず、素直に答えた。


「そうですか、もういつでも食べられますから」

「そう、じゃあ、着替えたらすぐにいただこうかしら。アスカは?」

シンジは目を伏せた。

「アスカは夕方に帰ってきて、すぐ、出て行ったんです。洞木さんの家に泊まるって言ってましたけど」

「そう……」

「今日の呼び出しで何かあったんですか?アスカ、すごく怒っていました」

「シンジ君に何か言ったの?」

「いいえ、でも、アスカ、真剣に怒ったときは感じが変わるんです。
 それに今日はなんて言うかいつもと違う感じで……なんだかとても寂しそうな感じでした」

「シンジ君は、アスカのこと、よく見ているのね」

「え。ち、違いますよ。ほ、ほら、いつもアスカから気がきかないって怒られていますし」

「ま、アスカのことは心配ないわよ」


軽い口調でシンジを安心させたミサトは内心『今のところはね。それも時間はないけど』と思う。


「じゃあ、私、着替えてくるわ」

「あ、はい」

シンジはあわてて食事の準備を始め、ミサトは着替えの為に自室に入って行った。





ミサトが着替えを終え、メイクを落としてキッチンに戻ってきたとき、シンジは、カレーとサラダを並べ終わっていた。

そして、ラップをかけたサラダボールを冷蔵庫に入れていたところだった。


「それ、アスカの?」

「はい、もしかしたら帰ってくるかもしれませんし」


そのシンジの姿を見て、ミサトは肚を決めた。


「そう。シンジ君、食事の前にちょっちいいかしら」

「はい?」


ミサトはシンジにテーブルにつくよう促した。シンジは怪訝な表情を浮かべながら従った。

ミサトが真剣な表情で話を切りだした。


「あのね、さっき、アスカのこと心配ないって言ったけど、本当はアスカの立場は微妙なの」

「えっ」

意外なミサトの言葉にシンジは胸騒ぎがした。

「アスカね、あなたも知っているとおり、帰国するよう家族とドイツから求められているわ」

シンジがすぐにミサトの言葉に反応した。

「それはA−17が発令されて、僕達パイロットには待機命令が出ているから大丈夫なんでしょう?」

「そうだったんだけどね。零号機が無くて、初号機が凍結中の今、使えるエヴァは修理を終えた弐号機のみだけど……」

「だったらアスカは絶対いなきゃならないじゃないですか」

「弐号機はアスカ専用機とされているけど、もともと量産型として造られたもの。汎用性があるわ。
 シンジ君やレイでも十分起動するのよ。そのことは弐号機の開発担当国であったドイツもよく知っていることなの」

「じゃあ、アスカは必要じゃないっていうことですか?」

「そこも理由の一つにしているのよ。アイツらは」

「アイツって?」

「ドイツ軍の一部。どうも軍がエヴァのテクノロジーを欲しがっているらしいのよ。そのためにはアスカも必要というわけ。
 私たちは今回のアスカの帰国要請はその一部の軍人たちの陰謀と思っているわ。」

「えっ、じゃあ……」

ミサトから意外な話を聞いたシンジは絶句し、ミサトをじっと見つめた。

「それに…………アスカの父親も一枚かんでいるようなのよ。
 多分、父親は軍に利用されているだけだと思われるのだけど。今日、彼女にそのことを伝えたの」


シンジは言葉も無く、テーブルに視線を落とす。

ミサトはシンジから目を離し、テーブルの上の冷めかけたカレーを見つめながら、呟いた。


「アスカがもし壊れちゃったら……今度はだめかも知れないわ」

その言葉にシンジは肩をビクンと震わせた。ミサトに視線を戻す。

「そんな……なんとかしてください、ミサトさん」

ミサトもシンジの目に視線を戻し、シンジの言葉に答えた。

「私たちもできることはするつもり。今回のA−17の発動もそのひとつだったわ。
 でも、事がここに至れば、正面突破しかないの。
 そのためには、まずはアスカに一緒に戦う意思を持ってもらわなければ無理なの」

「もし、このままドイツに帰ることになったらアスカはどうなるのですか?」


ミサトは横を向き、しばらく黙っていた。

「ミサトさん!」

しばらく沈黙が続き、ミサトは重い口を開いた。


「……エヴァの秘密保持が最優先……そういう指令が出ているの」

「それってどういう意味ですか?」


シンジが低い声でミサトに尋ねる。

唇をかみ締めてミサトは黙っていた。


「父さんが命令をしたんですね?」

それにもミサトは答えなかった。

「ミサトさん!」

シンジは椅子を蹴って立ち上がった。

「アスカを見捨てるのですか?答えてください、ミサトさん!」


ミサトはシンジを見上げた。ミサトの顔は厳しい表情をたたえていた。

シンジは、ミサトのその表情を見て、思わずたじろいだ。


「シンジ君、私もあなたも一回はアスカのことを見捨てたものね」

「見捨てたなんて……そんな……」

「そうね。正確にいえば、私は作戦のために戦力外のアスカを切り捨てた。そして、あなたは」

「……」

「自分自身のことで精一杯だった。でも」

「あの時は何にもできなかったんだ!
 アスカも僕に心を開いてくれなかったし、綾波のことや……カヲルくんのことがあったから……」

「だけど、アスカをわかってあげることができるのは、あの時、シンジ君だけだったのよ」

「わかろうとはした、そう、わかろうとしたんだ!」


シンジは、ミサトの話に反発した。

ミサトは表情を緩めてシンジから目をそらした。


「ごめんなさい、私はあなたにどうこう言える立場じゃないわ。だけどね」

ミサトは、また、シンジに目を向けた。その表情は懇願の感情が浮かんでいた。

「アスカはあなたを認めていたのは確かなの。
 自分自身が適格者としての自信に満ち溢れていたときはそれを受け入れることもできた。
 でも、私がうかつにもあなたを「ナンバーワン」と言ったときは、彼女の中の自信、バランスが崩れ始めていたの。
 私は気遣うことはできなかった。いえ、あなたも知ってのとおり、見放したといってもいいかもね」

「……」

「アスカは加持を慕っていたわ。加持なら何か彼女のためにできたかもしれない。
 でも、加持は馬鹿だから、自分の生き方に向かって勝手に進んで、そして、消えていった。
 あとはシンジ君しかいなかったのよ」

「……僕は何もできなかったんだ……アスカは僕を必要としていなかったし……」

その言葉を遮り、ミサトはシンジに言った。

「私、さっきはあなたに責任があるような言い方をしたけれど、あの頃のことは仕方が無かったと思っているの
 あの時は事態がとても切迫していて、私たちもシンジ君も普通じゃなかったし、なにより時間がなかったの。
 その中であなたはよくやったわ。シンジ君、それだけは自信持って。」



シンジはミサトの言葉を複雑な心境で聞いた。

『ミサトさん、僕は、本当は、卑怯で、最低な……』



「だから、シンジ君。自分自身を蔑むことで現実から逃げないで!」

「!」

「過ちを犯さない人はいないわ。肝心なのはそのあとなの。同じ事を繰り返すか、それとも積極的に行動するか……
 加持はあなたに「後悔のないように、自分が今、何をすべきなのか自分で考えろ」って言ったらしいわね。
 私も「やるだけやって死になさい」ってかっこいいことをあなたに言った。
 あなただけに押し付けることがズルイことはわかっているの。
 こういっている今の私がズルイこともね。
 でもね、シンジ君。本当にあなたしかいないのよ。今のアスカをバックアップできるのは」


シンジは弱々しくミサトに言った。

「アスカを助けることなんて僕には無理です。その資格もありません」

「なぜなの?」

「それは……」

シンジは言葉につまり、うつむいた。


ミサトはそんなシンジに意外な話をはじめた。

「シンジ君、あなたたちにPTSD、戦闘後遺症対策の為にデブリーフィングをしていたことは覚えているでしょう?」

「……はい」

「アスカだけどね。あの戦いのあと、すごいストレスが彼女にかかっていたの。
 通常のデブリーフィングでは対処できないくらいに。
 戦自との戦闘はアスカの最初で最後の対人戦闘だし、その後は……シンジ君、あなたはその目で見ているでしょう。
 私はあの時撃たれていたから見ることはできなかったけど、後で見たその時の記録映像は悪夢としか言えなかったわ」

「……」

「戦いの後、瀕死の状態だったアスカの外傷が一応の回復を見たときも、彼女の心は病んでいたわ。
 精神科のドクターは、彼女の長期にわたる多重トラウマ体験を指摘したの。
 彼女の治療は、数年、いえ、もしかしたら10年以上の長期になるし、
 あるいは再起不能の可能性も高いといっていたそうよ。
 でも、アスカは奇跡的に短期間で回復した。それには理由があったのよ」

「……」

「アスカの治療には、精神生理学的治療とか認知行動療法や催眠療法などいろいろ試されたの。
 その時、治療に当たったドクターが彼女の深層心理の中に存在する男の子に気付いた。それが、シンジ君、あなたよ」

「え?」

「アスカは異性、そう、男性に対して敏感に反応していたわ。それは彼女の生い立ちからくるものだけど……
 でもね、シンジ君には心を許していたのよ」

少しうつむいて聞いていたシンジが呟くように言う。

「そうでしょうか?」

「そうよ。憶えている?
 昔、ドイツからアスカに電話があった時、彼女、あなたに自分と母親との係わり合いを話したわよね。
 あれは臆病な彼女としては珍しく、自分の心を他人に見せたの。一瞬だったけど」

「臆病、アスカがですか?」

「そう、彼女はいつも他人には余裕を見せようとしていたわ。
 繊細な心を隠して、独りで頑張ってきた。壊れそうになるまで……
 彼女は、長い間、孤独と戦ってきたの。そのためには強気を装うしかなかったの。
 アスカはドイツ時代は常にトップを目指していたし、実際そうだった。
 そして、日本にきて、シンジ君やレイに会ったけど、彼女は素直になれなかったわ」

ミサトは短いため息をついて、言葉を続けた。

「それはアスカの性格の問題だけじゃなかったと思うの。
 レイは孤独の意味を知らなかった可哀想な子だった。
 だからアスカは反発したわ。
 一方、シンジ君は孤独を知っていた。
 だから、逆にアスカは自分と同じようなシンジ君をまっすぐ見ることができなかったの。
 アスカもそんな自分の心の中は感じていたのよ。認めたくはなかったでしょうけど」

「……」

「話を戻すけど、アスカのドクターは、アスカが自分自身によって自分を見つめなおすことがキーポイントと見たの。
 そして、アスカの治療で彼女の心の中を覗いたドクターは、彼女の心の中にシンジ君がいることに気が付いた。
 シンジ君は彼女の一番傍にいた男の子だし、いっしょに暮らしていたから当然といえば当然ね。
 ただ、エヴァのパイロットとしてのプライドが、いえ、アスカをエヴァに固執させた過去のトラウマがシンジ君を拒んでいた。 
 そして、アスカは、自分の生き方を過去のトラウマに縛られていた。
 そのトラウマを乗り越えさせるために、ドクターは、アスカに自分自身のことを慎重に再認識させて、
 自己を再構築させていったの。
 自分のこと、そしてシンジ君との関係をアスカ自身で考えさせたのね。
 そして、それは成功したわ」


ミサトはシンジから天井に視線をはずした。

そして、また話を続けながら視線をうつむいているシンジに戻す。


「アスカは最も自分の身近にいるシンジ君についても違う視点で見ることができるようになったの。
 それにあなたも強くなったわ。人のことを思いやる余裕が出てきたものね
 アスカは今のシンジ君を信じている。
 今でもそういうそぶりは少しも見せていないけど、私はそれだけは確かなことと思っているわ。
 シンジ君、今のアスカを支えることができるのはあなたしかいないの」




キッチンの電灯の下に照らされ、二人は黙って座っていた。

ミサトはシンジの顔を見ていたが、黙って立ち上がり、冷蔵庫からペットボトルを取り出すとグラスに水を注いだ。

そのとき、ペンペンが自分の個室から出てきてあたりを見渡した。雰囲気を察したのだろう、そのまま引っ込んでいった。

ミサトはコップの水を一気に飲み干し、また、自分の椅子に座った。

シンジは身じろぎもせず座っている。

テーブルにあった二つの皿のカレーは既に冷めていた。





しばらく時間が経過した後、口を開いたのはシンジだった。

「ミサトさん」


シンジは顔を上げた。唇を真一文字に引き締めた表情はシンジの2年間の成長を物語っていた。

ミサトはシンジの決意の表情を見て、内心、安堵のため息をつく。


「詳しい話を…今日、ネルフでアスカが聞いた話を聞かせてください。そして、これからのミサトさんたちの考えも」

「判ったわ、シンジ君」

「はい?」

「ごめんなさい。いつもいつもあなたに」

ミサトの言葉を遮るようにシンジが言った。

「ミサトさん、そんなことはいいんです。早くアスカのことを聞かせてください」

ミサトは初めて心からニコッと笑ったが、シンジは表情を緩めなかった。

それを見てミサトの顔にはますます笑顔を広がる。

シンジはミサトの笑顔に少し戸惑ったような表情になった。

「あはは、ごめんね〜。ちょっちね」

そう言って、優しくシンジを見た。

「そのシンジ君の気持ちが嬉しかったのよ。じゃあ、まずは全体の背景から改めて説明するわ」

そしてミサトは改めて表情を引き締め、シンジにレクチャーを始めた。











同日、ここはヒカリの部屋。

アスカはヒカリの部屋で1人モードでずっとゲームをしていた。

ヒカリは食事を勧めたが、アスカは理由をつけて断り、ずっと部屋にこもっていた。

そして、今、せわしなくゲームパッドを指でたたきまくるアスカの後姿を、ヒカリは黙って見ていた。



『アスカ…突然、「泊めて」ってきたけど機嫌が悪いし、黙ってゲームばっかりしている。
 理由も言わない。
 まるであの時みたい。でも…』


ヒカリは、アスカが自分のすぐ傍に自分の携帯端末を置いていることに気が付いていた。


『絆は断っていない。待っているのね』 


そう思いながらブラシで髪の毛を梳かし始めた。



しばらくして、ヒカリの部屋のディスプレイに『YOU WIN!』の文字が浮かんだ。

「ふ〜っ」

シューティング系のゲームをクリアしたアスカは、大きなため息をつくと、つまらなそうにゲームパッドを放り出した。

そしてヒカリの方を振り向いて話し掛けた。

「ヒカリ?」

「何?」

「寝よっか」

「うん、でも」

ヒカリがアスカに何か言おうとしていたとき、玄関のチャイムがなった。 ヒカリは思わず部屋の入り口のほうを見た。

「誰かしら?こんな夜中に」

ヒカリはそう呟いて、アスカに視線を戻した。アスカはヒカリの視線を受けて、なぜかうろたえたような表情を浮かべた。

「し、知らないわよ!」

アスカは少し顔を赤らめながらそっぽを向いた。

「くすっ」

ヒカリはアスカの態度に思わず笑った。

『アスカに何も聞いていないのに…』
 
ヒカリのひそかな笑いにアスカはすぐに気が付いた。

「ヒカリ、何笑っているのよ?」

「私、何にも笑っていないわ」

「うそ、今笑ったわ。確かにアタシ、この目で見たんだから」

「ううん、アスカの思い過ごしよ〜。それともアスカ?」

「なによ」

「何か心当たりがあるの? チャイムに」

ヒカリの逆襲にアスカの顔がまた赤くなった。

「な、何言っているのよ! ヒカリのところの客をアタシが知るわけ無いでしょ!」

「ふ〜ん、そうなんだ。でもアスカの顔、赤くなっているけど?」

「こ、これは…そう、少しこの部屋が暑くなったからよっ!」

「そうなのかなぁ」

「ヒカリっ!」


そのときであった。


トントン

「ちょっといい?」

にぎやかに騒いでいる ヒカリの部屋の戸がノックされ、姉のコダマが顔を覗かせた。

そして、コダマはアスカの方を見てニッと笑った。

「アスカちゃん?」

「はい?」

「お出迎えよ」

『!』

アスカの目は一瞬輝いたように見えたが、彼女はすぐに顔の表情を不機嫌モードに移していた。

ヒカリはそんなアスカの様子を見て、内心うなずきながら姉に声をかけた。

「コダマ姉、誰?」

「そりゃあ、シンジ君しかいないわよね、ね、アスカちゃん」

「えっ、シンジですか、シンジったら何か急用なのかしら? 
 まったく、もう、つまんない用事で呼びに来たんだったら許さないから」

アスカは不機嫌な顔のまま答えた。そのアスカにコダマは落ち着いた声をかけた。

「何か大切な用事みたいね。まじめなシンジ君だけどいつも以上に真剣な表情をしているわよ。
 アスカちゃんが帰るまで玄関の外で待つって言っているわ。
 せっかく遊びにきてくれたけど、今日は帰ったほうがいいよ、マジでね」

そういってコダマは部屋を出て行った。

アスカは ヒカリのほうを見て、やれやれといった表情を浮かべ、両手を持ち上げるしぐさをした。

「シンジがまじめ? いつもぼ〜っとしているだけよ。
 ま、しかたないわね。アイツが玄関先に居座ったらヒカリの家に迷惑がかかるし。
 ヒカリ、ゴメンだけど、アタシ、帰るね」

ヒカリはアスカの気が変わらないよう気をつけようと思った。

アスカにはアマノジャク的なところがあることを熟知していたのだ。

「そう。残念だけど、また来てね」

「うん。ごめんね」

そう言って、アスカは帰る支度を始めた。

ヒカリはそのアスカの後姿を優しいまなざしで見守っていた。










月の明かりが路上に2人の人影をうすく映していた。

シンジがアスカの荷物を持ち、歩いている。

アスカはシンジの少し前をうつむき加減について歩く。

ヒカリの家を辞した二人は、黙ったまま家路をたどっていた。




先に口を開いたのはアスカだった。後ろを振り向くことなく、歩きながらシンジに話しかけた。

「シンジ」

「うん?」

「ミサトに聞いたの?」

「うん」

シンジはそれ以上何も言わず、黙って歩いた。

アスカも黙って歩く。




数分後、2人は坂道にさしかかった。歩くペースはゆっくりと、しかししっかりとした足取りで2人は歩く。

そして坂の途中でアスカは立ち止まった。シンジもアスカのちょっと後ろで立ち止まる。

2人はほんのわずかな時間そのまま立ち止まっていたままでいた。

アスカがシンジの方を向いた。長い髪が肩の前に流れ、彼女はその髪を片手で後ろになおした。

碧い瞳でシンジを見つめる。シンジも彼女を見た。



「シンジ」

アスカの問いかけにシンジは無言でうなずいた。

「アタシ、ここにいたい」

シンジはまた黙ってうなずいた。

「いてもいいよね、シンジ、いいよね」

碧い瞳に涙がうかぶ。

「今日…」

言葉に詰まったアスカの頬にふた筋の光が走った。

シンジは一瞬アスカから目をそらしたが、すぐに顔を上げ、アスカを見ていった。

「アスカがそれを望むなら…僕は…僕にできることはしてあげ…いや、僕もアスカがここにいたほうがいいと思うし、

 アスカがいいといってくれるなら力になりたいんだ」

アスカはうつむいた。路面に涙の落ちた跡が点々と染みを作った。シンジは月明かりでも見える路面の染みを見た。

そして、またアスカを見て言った。

「だから、ミサトさん達の話を聞いてよ。ミサトさん達の協力がないと僕達がどんなに頑張っても無理と思う。
 アスカも判っているだろう? 
 だから僕と一緒に明日ネルフに行こう。
 そして、僕達が何をしなきゃならないのか、それを話し合おうよ」

アスカはしばらく黙っていたが、顔を上げ、シンジを見た。

「シンジ、助けてくれる?」

「うん」

「アタシを見捨てない?」

「見捨てないよ!」

アスカは涙をためていたが、少し笑った。幼な子が安心したような、そんな笑顔だった。

「じゃあ、シンジ、目をつぶって」

「え?」

「目をつぶるの、すぐ!」

「う、うん」

シンジは目をつぶった。その直後、暖かいアスカの身体の重みが胸にかかってくることに気が付いた。



ぐすっ、ぐすっ、うわあああん〜



シンジは胸に甘い香りと暖かい感触にビックリした。そして目を開けた。

アスカはシンジの胸に顔をうずめて泣いていた。

アスカの髪からは甘い香りが漂ってくる。アスカの紅いヘッドセットが泣き声にあわせて揺れていた。

シンジは空いている左手で、アスカを安心させるように軽く背中をたたく。

さらに泣くアスカと、優しい表情をしたシンジ。

その2人の影が路上に淡く映っていた。 












「ただいま〜」

シンジの声がマンションの部屋に響く。答える者はいなかった。

「あれ、ミサトさん、いないのかな? アスカ、ミサトさんいないよ」

「そ! でもシンジ、先に上がって見てきなさいよ」

「別に確認する必要はないだろ」

「あんたに無くてもアタシにはあるの! ぐずぐずしないでサッサとする!」

「なんだよ、それ。どうだっていいじゃないか…」

そういいながらシンジは靴を脱ぎ、奥に進んだ。


アスカはシンジの後ろを進んでいたが、すぐにバスルームに消えていった。

シンジはミサトの部屋の前で声をかけたが返事は無い。

そしてキッチンに入ったシンジはテーブルの上に一枚の紙を見つけた。


その紙にはこのように書かれていた。

『きょうはネルフに泊まります。
 何かあったら電話をちょうだいね。 
 P.S アスカを襲ったら駄目よん(合意も含む) from m 』


シンジは、その紙を手に取り、呟いた。

「ミサトさん……」

そして何気なく裏を見た。そこには

『アスカ、 ゴメンね。       シンジ君 ありがとう』

と書かれていた。

シンジはその筆跡をじっと見ていたが、丁寧にその紙をたたんでポケットに入れると、カレーを温め、遅い夕食の準備を始めた。








    つづく 

 

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