僕は長距離バスに乗っていた。

バスは闇のハイウェイをひたすら走り続ける。

出張帰りらしい背広姿の人、年配の婦人、幼い子供連れの人

バスはいろんな人を乗せてホームタウンに向かっていた。

僕は、ただぼんやり外を見ながら、ぬるくなったビールを片手に座っていた。


 

邂  逅

ssrider

 

闇の中、人里が近づく。

その暖かい窓の灯を見ていると、何故か懐かしい気分になってくる。

一瞬、ハイウェイの向こうの家の様子が見えた。

家族で食事をしていたようだった。

家族……

僕の思考は過去に旅立った。

 

 

あの日、アスカは僕の前からいなくなった。

僕は、その時、無力で、引き止めるどころか別れの言葉を言うこともできなかった。

いや、違う。

別れの言葉は言いたくなかったんだ。

その気持ちに気づいたのは、アスカがいなくなってからだった。

でも、アスカの行き先は判らなかった。

 

 

そして、僕は一人で生活をはじめた。

アスカのことは記憶の底に閉じ込めて暮らし始めた。

ときには締めつけられるような胸の痛みを感じていたけれど、いつしか時が癒してくれた。

その時はそう思っていた。

 

 

その後、僕は、高校を卒業したが、しばらく何もしなかった。

したことと言えば、免許を取り、オートバイを買ったぐらいだろう。

あまり遠くには行かなかったけど、いろんな所を走った。

でも、これが僕の人生を決めたんだ。


ある時、ツーリングの途中に立ち寄った街でグラスショップの人と知り合った。

僕ははじめて手吹きのグラスやカットグラスの美しさを知ったんだ。


そして、半年後、そこの店の人の紹介で、 (僕が強引に頼み込んだんだけど) ある作家のところに入門した。

親父さん(僕の師匠の事だ)は厳しい人だけど、暖かかった。

それに何かを作るということは楽しかったし、作っているときは……忘れることができた。

あっと言う間に数年が過ぎた。

 

 

そして、一年前、親父さんから独立をすすめられ、一人でやってみることにした。

硝子工房はまずは窯を築くことから始めるのだけど、僕の窯は、最初、温度が上昇しなかった。

温度がちゃんと上昇して、安定しないとガラスは吹けない。

親父さんからは「最初はそういうものだ」と言われ、いろいろ悩みながら少しづつ窯に手を入れ、最終的には築き直した。

そして、やっと納得のいくものが出来た。

親父さんも祝福してくれた。

同じ仲間達も「ライバル誕生だな」と喜んでくれた。

嬉しかったけど、何かが足りなかった。

 

 

足りない何かが判ったのは、翌日、一人で最初につくったグラスを見ていた時。

突然アスカのことを思いだしたんだ。

『アスカは、このグラスを見て、なんて言ってくれるだろう?』

なんの脈絡もなくそう思った。

『でも、なぜ?もう、会うこともないのに』

そう思ったら泣きたくなった。

記憶の底に閉じ込めていたことが、まるでパンドラの箱を開けたときのように出てくる。

 

だから、夜行バスに乗って小旅行に出た。

いままで、寂しくなるとそうしていたから。

それとも、僕はパンドラの箱の底に残っていた『希望』を見つけたかったのかもしれない。

 

 

ぼんやりと思い出をたどっていた僕は、バスが終点に近づいていることに気がついた。

バスは僕の街に滑り込む。

僕の知っている街の明かりが僕を包みこむ。

 

 

その時、唐突だけど僕は思ったんだ。

明日はバイクを走らせよう。

そして、新しいグラスのデザインを考えよう。

感傷なんて必要ない。

希望は探すものじゃない。

心に持つものだよね。

『常に前向き』

彼女が言っていたことだね。

そうだね。

アスカ。いつかまた君に会える日が来るかもしれない。

その時、君に笑われないようにがんばるよ。

 

アスカ……

僕は……君のことを……。

 

 

 

 

翌日、夜の闇に曙光が滲み出す頃、僕はバイクに火を入れた。

そして、誰もいない道を走り出す。

市街地を抜け、徐々に標高が上がっていく道を駆け登る。

ワインディングに自分の思うラインをトレースするときは何も考えられない。

神経を前方とタイヤ、エンジンにそれぞれ配分する。

 

たまに同じ早起きのバイク乗りと会う。

僕より早いペースで駆け抜けていく人もいる。

でも、僕は自分のペースで走るようにしている。

僕には早く走らせる才能はないし、なにより自分のバイクとの対話が楽しいからね。

 

朝の冷たい風が僕を包む。

昨日までの落ち込んだ気持ちが全て吹き飛ばされる。

何か今日は良いことがあるような気がする。

 

 

 

すっかり夜が明け、新聞配達が走り始めた頃、僕は家路へをたどっていた。

市街に入っても、まだ、街の大通りは車がほとんど走っていない。

 

僕はいつも通る道を走っていた。

並木が両横に並ぶ広い直線道路。

朝、太陽の光を受けながら。ここを走るのは気持ちがいい。

そして、僕は何か光っているものをみた。

『?』

前方の歩道橋に金色の光が見えた。

『天使?まさか』

それは、朝の光にきらきらと輝く髪の毛。

見慣れた懐かしい感じの女性。

 

『あれ?』

 

ハイペースでバイクを走らせていたので、歩道橋の下をあっと言う間に通りすぎた。

僕は体をずらしてバックミラーを見た。

 

 

疑念は確信に変わる。理由は必要ない。

僕の指はブレーキレバーを握りしめる。

リアも踏みしめる。

ブレーキフルードがステンメッシュホースを通じてキャリパーに送り込まれる。

パッドがディスクを挟み、運動エネルギーを熱エネルギーに変換する。

フォークが急激に沈み込む。

フロントタイヤが悲鳴を上げる。

リアも暴れ始める。

フレームが振れる。嫌な挙動だ。

でも、

 『早く停まれ!』

思うことはそれだけ。

更にレバーを握り込む。

そういう操作は危ないって判っていたけど。

いや、忘れていたのかもしれない。

 

 

フロントが急激にグリップを無くしていく。

そして滑ったと思ったとき、僕のヘルメットはアスファルトにキスをしていた。

スローモーションの逆世界が僕の眼にはいる。

バイクは道の隅の方に滑って行く。

糸から離れたマリオネットのように僕の体がアスファルトに崩れ落ちる。

でも痛みは感じない。

思ったことはひとつ。

『立ち上がらなきゃ』

そして、すぐ、起き上がる。

バイザーをはね上げ、メットを外そうとする。

グローブをしているのでもどかしい。

僕は走りながらグローブを脱ぎ捨てて、メットのD環をほどく。

メットをそのまま落とし、走る。

自分の気持ちよりはるか下のレベルでしか動かない身体にいらだちながら走る。

 

走る。

 

走る。

 

そして、僕は歩道で彼女と会えた。

そのとき、歩道橋を駆け降りてきた彼女が怒ったような泣いているような顔で僕にこう言ったんだ。

 

 

「バカ、危ないじゃない。アンタ、アタシの前で死ぬつもりだったの?」

「はぁ、はぁ、アスカ、あの」

「何?」

「あ、お、お早う」

「は?」

僕は彼女を抱きしめた。

「……」

「ち、ちょっと、シンジ」

その後、目の前が真っ暗になって、僕の記憶はなくなってしまった。

 

 

 

 

僕は暖かい闇の中にいた。

子供の声で少しづつ闇が払われていく。

また昔の夢を見ていたような気がする。

 

「お父さんは?」   「おとうさん、あそぼー」 

「しい〜っ。お父さんは寝ているから起こしちゃ駄目よ。昨夜、遅くまでお仕事していたから」

「つまんない。ねぇ、いつまで、おとうさん、いそがしいの?」

「昨日もお母さんそう言ってたでしょ?僕、お父さんと遊びたいよ」

「ごめんね。個展の準備が終わるまでよ。もう少しだから、お父さんと遊ぶのはその時まで我慢してね」

「う〜ん、わかった」

「おにいちゃんががまんするならぼくもする」

「そう、いい子ね」

「僕、外で遊んでくる」  「おにいちゃん、ねぇ、ぼくも」

「車に気をつけるのよ」

「うん」 「はぁい」

ぱたぱたぱた

子供は駆けて出て行ったようだ。

僕はまだ心地よい微睡みのなかにいる。

 

「しょうがないわね。こんな所で寝て。アタシが気がつかなければ風邪引くわよ。もう」

いつの間にかブランケットをかけてくれていたようだ。

「あらあら爪も伸びてるわね」

彼女はどこかに行く。

そして、すぐ戻って来た。

つめ切りを手にしていた。

僕の手の爪を切り始める。

「もう、ほんとにしょうがないんだから」

そういいながら、今度は僕の足を膝の上に乗せる。

そして、足の爪も優しく丁寧にひとつひとつ切ってくれた。

切り終えた頃、僕はやっと目を開くことができた。

「あ、アスカ、お早う」

「シンジ、昨日寝たの何時なの。根をつめたら体を壊すって言ったで……」

僕は彼女の言葉を最後まで言わせない。

彼女を抱きしめて、口づけする。

 

 

あの朝、再び現れた大事な僕の天使を手放さないように。

彼女の笑顔を見るために。

 

 

 

おしまい

 

 

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