第壱中学校には小さな赤い祠(ほこら)がある。

この祠は、学校設立前にこの学校のところに建っていたらしいのだが、

建設時に邪魔になるとの理由で丁重に御祓いを受けた後、学校裏に移設され、現在,裏山の木々に隠れた目立たない場所にある。

したがって、生徒達のほとんどはその存在を知らず、たまに年をとった用務員さんだけがたまに草むしりをしていた。

たまに油揚げが供えられているところを見るとお稲荷様のようである。

今日も暑い陽射しの中にひっそりと祠は建っている。




学校裏の小さな祠

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生徒達がいつもの如く登校する中、異色の二人が歩いていた。

一人はあかい髪に真紅のヘッドセットをつけた整った顔だちの少女。

道の真ん中を軽やかに、しかし自信に満ちた足取りで歩いている。

もう一人は、少し線の細い男の子で、その女の子の少し斜め後ろを歩いていた。

その年頃の男の子の微妙さは持ち合わせているようであり、今はすこし冴えない表情で歩いていた。

2人の距離は、特に言葉を交わせるものではなく、そのくせ、その距離が離れることもない。

まこと、2人の微妙な関係をそのまま反映しているようである。



その女の子の表情が変わった。同じクラスの同級生に気がついたようだ。

手を元気に振って走り寄り、声をかける。

「ヒカリ、おはよう」

「おはよう。アスカ」

女の子…アスカのあいさつに、声をかけられた洞木ヒカリは笑顔を見せた。

アスカはそのヒカリの横に並んで歩きはじめた。

「今日は避難訓練ね、」

アスカは歩きながら語りかけた。その声には少しぼやくような響きがある。

「アスカは初めてよね」

「うん。あまり関係ないから。ま、退屈な授業よりマシだけどね」

ちょっとすまし顔で答えるアスカに、ヒカリは優しく微笑んだ。

「私たちが避難するときは、アスカ達はエヴァに乗ることになるから大変ね」

ヒカリの言葉にアスカは少し胸を張る。

「その為に訓練しているアタシだもの、平気よ」

「うん、がんばってね」

「アリガト、ヒカリ。ところで昨日のあのドラマ見た?」

「見た見た、やっぱり最後は予想したとおりだったわよね」

「うん、あれじゃあ、ありがちのつまんない話ね。次から見る気が無くなっちゃった」

「でも、その後のアレ、良かったわ」

「嘘っ!あ〜あ、あの後はテレビが見られなかったのよね、ミサトの所為で。で、どうだったの」

「それがね…」

二人の少女は今日も他愛もない話に花を咲かせている。



その2人の少女の後ろで歩いている少年…碇シンジはアスカの後ろ姿を見ていた。

ただ、見ているだけで特に考えていることはない。

『…眠いや』

そういう事を思いながら歩いているシンジである。

ただ、視線はアスカの後ろ姿をぼんやりと追っていた。




そのシンジに二人組の少年が音もなく忍び寄り、黒いジャージを着た少年がその背を思いっきり叩いた。

吸いかけた息がその衝撃で喉に引っ掛かり、むせるシンジ。

シンジにそのようなことを仕掛ける者は一人しかいない。

「ゲッ、ゲホゲホ…なにするんだよ、トウジ!痛いよっ!」

口をぬぐいながら抗議するシンジに、笑って鈴原トウジが答えた。 

「シンジ、おはようさん」

トウジと一緒にいる相田ケンスケもシンジにあいさつする。

「よっ、シンジ」

シンジはそのケンスケをちらっと見たが、あいさつするどころではないらしい。ひどいよなどと呟きながら背中に手をやる。

シンジは痛む背中をさすりたいようだが、手が届かず、ままならない。少し恨みがましい眼でトウジを見た。

「センセ、ぼけっとしすぎやで。隙ありや。なははははは」

トウジは全くシンジの抗議に取り合わず、笑って聞き流した後、小声でシンジに囁いた。

「ところで、今日の避難訓練やけど、3人でフケルで。ケンスケがええもん仕入れたというさかいにな」

シンジは『?』という顔をしてトウジを見た。

「なっ、ケンスケ」

トウジは意味ありげな笑顔でケンスケに話をふる。

その笑顔は、朝の爽やかさにそぐわない、怪しいものである。

歩きながら2人を見ていたケンスケも眼鏡を光らせてニヤリと笑う。

こちらも少しニヤケた笑みを湛えており、怪しい事このうえない。

そのケンスケが、小声でシンジに言う。

「あぁ、ちょっと凄いよ。何と言ったって」

少し言葉を切り、あたりを見渡した後、声を更にひそめる。

「今一番売れている女優の………の………だぜ。とあるルートから手に入れたけど苦労したんだ」

自慢なのかなにかは判らないが、何故か胸を張るケンスケ。

「やっぱ、持つべきは友達やなぁ。よっしゃ、今日は朝からがんばるで」

トウジも訳のわからない張り切り様である。


一方、シンジは、複雑な思いで聞いていた。

シンジもややおとなしいとはいえ、りっぱな『オトコノコ』である。

やはり、興味あるものは興味あるということで、これは仕方のないことである。

しかし、ただでさえエヴァのテストなどでシンジは学校の授業に遅れがちである現状下、

トウジ達の誘いは避難訓練の後の授業もさぼる事になる事が目に見えているため、シンジは一寸困ったのである。

何が困るのか?

それはアスカの存在である。

シンジは、なぜかアスカにバカにされたくなかった。

彼はその気持ちがどこからきているのかは気付いていないようだ。

中学生のころは学校の成績や部活動などでの活躍がその生徒の評価に直結していることが多いもの。

気になる娘に頭が悪いと思われることが平気な男は、よほどの人物である。



シンジは浮かない顔でいたが、それをケンスケ達はシンジが授業をさぼる事に慣れていないためと看て取った。

『やれやれ、シンジはお子様だからな』

そう思ったケンスケは脱出ルートをシンジに教えた。

「いいか、シンジ。避難訓練のときにはここが誘導路だ。その時、誘導路のここで横からさりげなく離脱する。

 このとき、みんないっぺんに動くと目立つから、バラバラに動く。そして、離脱地点でまずはシンジから一人づつ列を抜ける。

 もし、先生に見つかったら腹が痛いのでトイレに行くと言い訳をするんだ。実際、この先はトイレだから大丈夫。

 次に合流地点で集合するけど、これはこのあいだ話をした学校の裏の小さな神社の前とする。

 あそこは滅多に人がいないからな。

 で、3人そろったら、そのまま俺の家に直行する。以上だ。判ったな碇隊員」

ケンスケの眼鏡が光ったようにシンジには見えた。

トウジがケンスケを褒めそやす。

「ケンスケ、さすがやで。完璧や」

シンジは小さくため息をつき、これも男の付き合いかとオヤジみたいなことを思う。そして、口を開いた。

「後でばれないかな」

「大丈夫や、別のクラスのところにいたことにしたらええのや」

「う、うん」

本当に大丈夫かななどと思いながらシンジは曖昧に頷いた。

バン!

そんなシンジの態度を見たトウジは持ち前の大声とともに再度シンジの背中をたたいた。

「痛っ」

「何や、気のない返事やなぁ。男だったらシャキッとせんかい。そんなこっちゃ、うまくいくものもわやになるわ」

「また叩くことはないだろう」

「なはははははははは」

トウジはシンジの抗議にまた高笑いで答えていた。



そのような騒ぎにアスカは少し後ろを窺いながら眉をひそめた。

「何、うるさいわね。この爽やかな朝にまったく」

それにヒカリは頷きながらアスカに答えた。

「三馬鹿トリオだから…」

「どうして、ああ子供なのかしら。加地さんみたいな大人の男とは大違いね」

「ふふっ」

ヒカリはアスカの言葉に笑いながら、思った。

『鈴原の「うまくいくこと」って何かしら』

そのヒカリにアスカは違う話題を話しかけた。

「ねぇ、ヒカリ、今度の土曜日はヒマ?」

「え。あ、土曜日?」

ヒカリは、すぐにアスカとの会話に戻り、その小さな疑問は頭から消え去っていた。






始業時間が過ぎ、避難訓練の予定時刻になった。

「第三新東京市に避難命令が出されました。生徒は全員直ちにシェルターに避難して下さい」

このアナウンスで、第壱中学校の避難訓練が始まった。






すべての生徒達の避難が終了した学校は静けさが支配している。

シンジは、ケンスケのアイデアとおりに避難の列から抜け出ていた。

エヴァのパイロットであるシンジが別行動をとったことを不審に思う者はなく、すぐに集合地点である祠の前にたどり着いた。


「トウジたち、遅いな」

シンジは祠の前にあるベンチに座り、トウジとケンスケの二人を待っていた。

しかし、なぜか二人は来ず、セミの声だけが静かな木漏れ日に響く。

『ばれたのかな。だったら、先生に怒られるかも…』

シンジはシェルターに戻るべきかどうか、しばし逡巡した。


空を見上げると、木々の葉陰から青い空が見える。

強い日差しが適度に弱められ、空の青さがひときわ鮮やかにシンジの目に写った。

木陰の涼しげな風がシンジの前髪を揺らす。

「気持ちいいな」

シンジは思わず声を出した。

『今日はネルフからの呼び出しだったということにしよう』

そう胸の中で言い訳をつぶやいたシンジは急におなかがすいたのを自覚する。

『ここで弁当を食べながらトウジたちを待っていよう。来なかったら家に帰れば良いし』

シンジはカバンの中から弁当を取り出した。




弁当を半分くらい食べたシンジは、犬みたいな動物がじっと自分を見ていることに気がついた。

『あれって…』

狐かなとシンジはつぶやく。

果たして、それは狐であった。

シンジは箸を止め、その狐を見返したが、狐はシンジから逃げるような素振りはなく、少し近づいた。

「食べ物が欲しいのかな」

シンジは箸で冷凍物の一口カツをつまみ、地面に落とした。

狐は滑るような歩みで静かにシンジの足元に近づき、そのカツを食べ始めた。

シンジは初めて間近で見る野生の狐に見とれていた。

その狐は艶やかな毛並みをもち、体も大きい。

『どこかで飼われていたのかな』

人を恐れない狐の様子を見て、シンジはそう思う。

そのシンジを食べ終わった狐が顔を上げて見た。

シンジは狐を見て、にこっと笑った。なぜか心が通じたような気がした。

「まだ欲しい?」

そう言いながら別のおかずを狐に与える。

狐はまた静かに食べ始めた。



シンジは狐に手を伸ばした。

狐は逃げる素振りも見せず、おかずを食べている。

シンジは狐の背を撫ぜながらつぶやき始めた。

「君には悩みとかないんだろうな。いいよね、そうしたら辛いこともなくて…」

その言葉に狐は顔を上げ、シンジをじっと見上げた。





『辛いか?』





「え?」

何者かがシンジに話しかけたため、シンジはキョロキョロとあたりを見渡した。

『そなたは辛いのかと聞いておる』

シンジは声がしていない事に気がついた。声はシンジの頭の中で聞こえていたのである。

そして、シンジは自分をじっと見つめている狐を見た。

「今のは…きみ?」

『いかさま』

狐は前脚で自分の顔を拭いた。

『こなたはこの森の守護を預かっている狐じゃ。ゆえにそなたのことはよく存じておる。

 そなたはあの巨人に乗る者であろうが』

シンジは不思議に怖いとは思わなかった。

木漏れ日が一人と一匹の背中に陰影をつけている静かな空間の中で、シンジはとても落ち着いていた。

素直に返事をした。

「うん」

『あの巨人を操る事が辛いのか?』

「辛いかもしれない」

『だったら辞めるが良い』

「でも、エヴァに乗っていると皆ほめてくれるんだ」

『…』

「僕は何もできない、だれもほめてくれなかったんだ。だけど今はほめてくれる」

『そなたの親はほめてくれなかったのであるか』

「父さんはエヴァに乗った僕をほめてくれる。母さんは…いないから…」

『…気がついておらぬのか』

「何に?」

『いや…それならそれでよい。しかしな』

狐は尻尾を静かに左右に打ち払った。

『他人の評価を気にして生きていると辛いぞよ。さらに自分を見失う事となるからの』

「…」

『生は短いものよ。その生をどのように使うかを考えなければならぬ』

「ぼくも逃げちゃだめだといつも思って、精一杯のことをしているのだけど」

『確かに目の前のことから逃げたら大抵その後は知れた事となるが。しかし、そなたの生き方はやはり逃げじゃ』

「…そう…かな」

『考えてみよ。すでに心が逃げておるからそのような心構えになるとは思わぬか』

「じゃあ、どうすればいいんだよ。僕だって…」

『自分で考えよ。そなたら人間は長い間考えてきたと聞いておる。そなたも利発な子であれば必ず道は開けようぞ。

 他人が自分に何をしてくれるかではなく、何が出来るかを考え、実行せよ。

 また、そのことを他人にひけらかしたり、自慢したりする事は愚の骨頂じゃ。

 自己の満足は人から与えられるものではないからの。

 それが世のためになり、評価が与えられる事は別のことじゃ。

 そなたが生まれてきた理由は必ずある。

 人はそれを探すために生きていくと言っても過言ではないはず。

 そなたの母御もそなたが力強く生きていく事を願っているはずじゃ』

「母さん? なぜ? 母さんを知っているの?」

『…そなたの母御の願いは生きている。いずれ知る事になろう』

そう言った後、狐の口がニヤリとしたように見えた。

『それはともあれ、先ほどは馳走になった。その礼としてちょっとしたきっかけをやろう』

「何の?」

『ふふっ、そなたと一緒に暮らしている娘がおるが、あれもまた不憫な子じゃ。だからの…』

そう言った狐が体が白く光り始めた。

『では、さらばじゃ。再びまみえる事はないかもしれぬが、こなたも見守っておるからの』

ほとんど姿が消え入っている狐は目を細めた。

『子供たちは希望じゃ。希望なくして前には進めぬ』

そう言い残し、狐の姿は消えてしまった。






「あれ、僕は」

シンジはぼんやりとしていた自分に気がついた。シンジは狐とのことは全く覚えがなかった。

ただ、周囲の暑さに関わらず、エアコンで冷え過ぎたように体が冷えきっていた。

「トウジたちもこないようだし、帰ろうかな。弁当も足りなかったから帰って何か食べよう」

そうつぶやいたシンジは弁当をカバンにいれ、立ち上がった。



その時、

「あらぁ、シンジ。こんなところで何をしているのかしら」

シンジは聞き慣れた声を背中に聞いた。振り返ったシンジの目にカバンを持ったアスカの姿がはいった。

アスカはシンジに近づきながら声をかけたのである。

「あ、アスカ…」

シンジは絶句した。

学校行事をさぼるっていることを思い出し、気がとがめたのだろう。視線が少し泳いでいる。

なぜアスカがここに来たのかと言う疑問も湧かなかったらしい。

「ここでさぼっていたのよね、シンジは」

アスカはニヤリとしながら言った。

ウッと言葉につまったシンジであるが、すぐにアスカに言い返した。

「アスカだって…」

「あら、アタシはちゃんと先生の許可を得て早退するのよ、シンジとは違うの。

 そうそう、シンジ様のご学友は先生に捕まったわ。たっぷり絞られているわよ、今頃」

シンジはアスカの言葉に心の中で『やっぱり』とつぶやいた。

アスカは自分の爪先に視線を落とすと少し小さい声で話を続けた。

「アタシが早退しなかったらアンタも疑われるじゃない」

「え?」

顔を上げたアスカは眉をあげ、シンジにビシッと言った。

「ちょっとは感謝しなさいよ!アタシの気まぐれに」

シンジはのんびりと答える。

「気まぐれ?」

「そうよ、気・ま・ぐ・れ。「非常呼集だから」って抜け出してきたのよ。

 アンタを助けるなんて、気まぐれ以外何ものでもないでしょ!」

「あ、ありがとう…」

「ふん、べつに感謝してもらわなくてもいいわ。気まぐれだから、アタシの」

「うん、ありがとう」

シンジは笑顔でアスカに礼を言った。

アスカはあきれたようにシンジを見た。そして、シンジの笑顔を見て、顔を赤らめ、少し横を向きながら言った。

「ばかね、この程度のことで」

シンジは笑顔のままでアスカに話しかける。

「あの…」

「何よ」

「良かったら奢るから何か食べに行かない?」

「な、なによ。アンタ、アタシを誘っているわけ」

「う、うん。僕もちょっとお腹がすいているから一緒にどうかなって。それに今日のお礼もしたいし」

「ま、まぁ、アタシへの感謝のしるしとしてならつきあっても良いわよ。でも…」

アスカはますます顔を赤らめながら大きな声でシンジに念を押す。

「デートじゃないんだからね! そこのところ、わかっているわよね」

「うん、わかっているよ」

いつもの調子で答えるシンジをアスカは少し睨み、それに自分自身気がつくと、すぐに表情を変えた。

「じゃあ、心置きなく奢ってもらうわ。何がいいかしらね。シンジはいい店知っていないの?

 …シンジが知っているわけないか」

一人で自問自答をするアスカに珍しくシンジが提案した。

「あのさ、この間、街で見かけた店で、ちょっとよさそうなところがあるんだけど」

アスカは眼をみはった。そして、びっくりした表情でシンジを見た。

「へぇ〜、珍しいわね。変なところじゃないでしょうね。汚いところはダメだからね」

「うん。ちょっと大人の人が行くようなカフェだから、きっとへんなところじゃないと思うけど」

「ま、だまされたと思って行ってみようかしら」

「うん、じゃ行こうか」

そう答えるシンジはアスカを促し、祠の前から歩き始めた。

「ちょっと、待ちなさいよ」

アスカは、珍しくリードしているシンジの背中をまぶしげに見ていたが、すぐに駆け出し、一緒に歩き始めた。

 


そして祠の前は静かになった。

『ふふっ、こんなものじゃろ』

白い影が二人の後ろ姿を見送った事をシンジは知るよしもなかった。






今日も暑い陽射しの中にひっそりと祠は建っている。




おしまい

 


 

ちょっと言い訳

 

この作品は、随分昔に書いたもので、あるサイトに載せていただこうとしたのですが、事情により公開されていなかったものです。

今年のお盆休みも筆がちっとも進みませんでした。

まだまだ書きたい気持ちはありますので、どうか今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

 

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