彼女は、早朝…外はまだ昏い…に目を覚ました。

隣のベットの彼が眠っていることを確認した後、
静かに自分のベットから下りた。
気配に気づいて寄って来た大型犬に『静かに』と身振りで示し、
耳の後ろを優しく掻きなでてやる。

そして、猫科の動物のようにしなやかにクローゼットに入ると、パジャマを脱いだ。
一瞬、細身ながらも見事な量感を持った肢体を朝の冷気にさらしたが、
素早くT−シャツとハーフサイズのスエットパンツを身につける。

そして、フローリングに腰を下ろし、
自分の呼吸に合わせながら全身をゆっくりとストレッチを始めた。
柔軟な身体はオーナーの意志に沿って柔らかな線を描きながら徐々に目覚め始める。



30分後、彼女は、男物のカシミヤのパンツとジップアップのセーター、
そして、オフホワイトのブルゾンに身を包んでガレージに降りて来た。
まとめた髪は朝日にキラキラと輝く。

歩み寄った先には真紅の2台の車が停まっている。
その2台の内、一回り大きく、車高が低い車に乗り込んだ。
イグニッションのキーをオンにして、センターのスイッチを上にシフトしつづける。
油圧アクチュエーターが28秒で黒いソフトトップを降ろし、車は本来の姿を取り戻す。
イグニッションを回すと、40個のバルブが正確に働き始め、エンジンは乾いた低い音を奏で始めた。
そして、彼女は薄い色のドライビンググラスをかけ、アクセルを踏み込んだ。



彼女が出て行った部屋では…
車の音が消えた後、眠ったふりをしていた彼がベットから身を起こした。
優しげな彼の顔は、少し心配そうな表情を浮かべていた。




真紅の車は、朝の光の中、その存在を誇示するようにエキゾーストの音を響かせて街を走る。
彼女の街は、99年の『ライダーカップ』ゴルフマッチ戦が開催された場所でもある。
駅前のかわいい時計台の前を通りすぎ、いつもは混み合う町中を抜けた。

車は、郊外へ伸びる幹線道路で生き生きと走り始め、
そのセミオートのギアボックスが彼女のドライビングを助けながら、街道を走り抜ける。

ニューイングランド的なかわいらしい家が散在する郊外を経て、彼女はビーチに着いた。
遠浅で砂と貝と小さな魚だけのきれいなビーチ。
ケープコッドより南にあるこのビーチは海水も温かく、夏に彼と遊びに来て以来、彼女のお気に入りの場所である。


彼女は車から降り、海をじっと眺めた。
穏やかな朝日にきらめく海は今日も静かである。

「ママ……」
彼女は一言つぶやいた。






彼女……アスカが眺めているビーチの名前は『Children's Beach』と言われている。



たらちめ


最終話

Written by ssrider


 


アスカは、ドライブから戻り、家に入った。

「お帰り、アスカ」
柔らかい笑みをたたえながらシンジが出迎えた。

「あれ、シンジ、大学は?」
アスカが怪訝そうに尋ねる。
『今、シンジは忙しいはずだけど…』
表情に疑問符を浮かべているアスカにシンジは笑みを絶やすことなく答える。 
「教授から連絡があって、今日は行かなくていいんだ。
 それより、ちょうどブランチの準備が出来たよ。
 久しぶりにサンドウィッチにしてみたんだ。
 一緒に食べようよ」
アスカは赤くなりながら答える。
「あ、ありがとう…。お腹がペコペコだったの。ちょっと、手を洗ってくる…」
そういって、バスルームに向かった。

アスカはバスルームに入りながら
『シンジ、ごめんね。アタシのために休んでくれたのね。無理しちゃって…』
と思った。



食事をとりながらさりげなくシンジは提案する。
「今日、街を散策しようよ」
「そうね。あ、アタシちょっと買いたいものがあるの」
「じゃあ、夕食は外でとろうか?」
「うん。ね、シンジ、バックベイに出てみない?
 今週、Best of Bostonにアップされた店に行ってみたいの」
「そうだね。じゃあ、シーザーにはお留守番してもらおうね」
アスカのナイトは限りなく優しい。



その日、アスカとシンジはゆっくりとした午後を過ごした。
暗殺された偉大なる合衆国大統領の生家を見学したあと、地元のショップを散策した。
そして、T(路面電車・地下鉄)に乗ってバックベイに出た2人は、アスカの希望するレストランで夕食を済ませた。



レストランを出て、帰宅の途につく2人。

「Best of Bostonに選ばれる店は評判がいい店が多いけど、今日の店は本当においしかったね」
シンジはグリーンラインのTに乗りながらアスカに話しかけた。
アスカの表情はかなり御満足である。
シンジはそのアスカの表情を見て、内心ほっとする。
「まぁまぁね。でも、シンジの料理の方がおいしいわよ」
「そ、そうかな?ありがとう」
と言いながら、シンジは周りの乗客の雰囲気が暗いことに気がついた。
同じ頃、アスカも感じとったらしい。
「ちょっと、シンジ。何か雰囲気が暗くない?」
「うん、僕もそう思うけど…」
二人は周りを見渡す。

電車内の乗客の多くが暗い表情でぶつぶつ呟いていた。
子供達も何か落ち込んでいるように見える。
アスカは、その子供達や大人がかぶっている帽子が共通していることに気がついた。

「シンジ、今日、レッドソックスのホームでの最終戦だったわね。フェンウェイ球場からの帰りの人よ、きっと」
「あ、そうだよ。この人達、野球を見に行っていたんだね。でも、この雰囲気は……」
「たぶん、負けたのよ」
周りのファンを刺激しないように日本語で、さらに小声で話す。
「何か、感じ悪いわね」
「うん」

シンジは、アスカとの雰囲気が壊された気がして、面白くなかった。
今日は特にアスカの気分を大事にしたかったのだ。
だから『次の駅で降りよう』と思った。

「ねぇ、アスカ……」
とシンジが言いかけた時、若い女性の声でアナウンスが流れた。



「本日の御乗車ありがとうございます。この電車の運転手のメアリーと申します。
 すみませんが勤務中の私に教えてください。レッドソックスは勝ちましたか?」

『なに火に油を注ぐようなことを言っているんだよ!』
シンジは舌打ちをした。
案の定、周りはブーイングの嵐である。

「NO!」「NO!」「NO!」「NO!」「NO!」「NO!」「NO!」「NO!」
子供達も大人も忌ま忌ましそうに吐き捨てる。

その後、シンジ達は信じられない光景を見る、いや、参加することとなる。

ブーイングにもめげず、明るくメアリーはこう言った。
「では、皆さんに質問です。私たちのレッドソックスに次の試合は勝って欲しい人は?」

「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」
「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」
乗客は拳を突き上げ、言い合う。

すかさず彼女から次の質問が飛ぶ。
「じゃあ、次の試合に絶対勝つと思う人は?」

「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」
「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」
「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」「YES!」
子供達も大人達も口々に叫ぶ。

シンジは呆然とそんな車内の様子を眺め、アスカは楽しそうに笑っている。
メアリーは「Thank you! Friends!」と言って、マイクのスイッチを切った。

そして、高揚した車内の雰囲気の中、中年の男性がすばらしいバリトンで
「Take me out to the ballgame,
 Take me out to the crowd……」
と歌い始め、車内の全員が続いて歌い始めた。

アスカもシンジも笑顔で一緒に大声で歌った。
みんなが想いを共有したすばらしい瞬間であった。




Tは、最初の時と違う和やかな雰囲気を抱えて、駅についた。
乗客は、みんな、この女性の運転手に「Thanks!」と声をかけながら降りて行く。
アスカ達もメアリーに声をかけて降りた。
メアリーは、手を振りながら、素敵な笑顔をアスカ達に返した。



2人は駅から家にたどる道を歩きながら話した。

「アメリカの人は本当に野球が好きだね。」
「そうね〜。でも、さっきのノリは異常ね。ちょっとついていけないわ」
「でも、アスカ、結構楽しんでいるように見えたけど」
「え?そう見えた」
「うん。よかった。僕の大好きな元気なアスカに戻ってくれて……」
「シンジ、ごめんね。研究、忙しいのにアタシに付き合ってくれて。
 もう、大丈夫よ。
 でも、ママが来てくれたと今でも信じてる。
 アタシとシンジの生活を見てもらって嬉しかった……
 アタシを産んでくれてありがとうって言いたかった……、今はそれだけ」
「……そうか」
「シンジ、今日は本当にありがとう」
「うん」

2人はしばらく黙って歩いた。


「ね、シンジ」
「ん?」
「今日は一緒にお風呂に入るわよ」
「えっ、突然なにを言いだすんだよ」
「だめ?」
アスカは、少し上目遣いでシンジを見る。
「い、いや、だめ……じゃないです」
シンジの声がかすれている。
「嬉しい?」
「う……うん」
真っ赤になってシンジを苛めるようにアスカの質問が続く。
「背中とかいろいろなところを洗ってあげるわよ。ね、何処を洗ってもらいたい?ねぇ〜シンジぃ」
妖艶なアスカの笑みを見て、ごくりとシンジの喉が鳴る。
「そ、そんなのわからないよ!」
「ふふふっ、楽しみにしててね」
「…………うん」

その二人の姿を月の光が照らしていた。








数日後、アスカがほぼキョウコの遺品を整理し終わった時だった。


「ピンポ〜ン」来客があった。
シンジとアスカがでてみると、マリア・シュレンベルクとユリ・ライアンが立っていた。

「ママ!」
アスカがマリアを見て、突然抱きつく。
「あらあら、加持さんの話のとおりねぇ」とマリアが言った。
「え?」

アスカがマリアの顔を見る。
マリアとユリは笑いながらアスカを見ていた。

「私は足も影もちゃんとあるわ。
 それにアスカちゃんのママと言われるのはうれしいけれどちょっと年齢が違うしね。
 残念だけど。
 アスカちゃん、ちょっといいかしら?」
「どうぞ、立て込んでいますけど」
シンジが二人を招き入れ、リビングにみんなが座った。
キョウコの遺品で窒息しそうな部屋の雰囲気を見て、ユリが正直に感想を述べる。
「ほんとに立て込んでいるわね。これどうしたの?」
「アスカの母の形見です。ユリさんのアドバイスでアスカがお父さんに聞いて…」

アスカに代わって説明するシンジ。
アスカは真っ赤な顔をして黙っていた。

マリアが口を開いた。
「ネルフジャパンの加持さんからお電話をいただいてね。アスカちゃんが私をママと思ってくれているって」
話しながらマリアは優しくアスカを見つめる。
「アタシの思い過ごしだったのね。でも…」アスカが口を開く。
「わかっているわ。加持さんからキョウコさんの写真を送っていただいたの。
 たしかに私に似ているわね。アスカちゃんが勘違いするのは無理ないと思うわよ」
「でも、うれしかったの。ママが来てくれたと思って。」
「そう……ごめんなさい」
「あ、マリアさんが謝ることじゃないの…ただ、うれしかっただけ。アタシ達を見に来てくれたんだと思ったから」
そう言った後、アスカはうつむいた。
シンジはアスカに声をかけようとしたが、ユリに視線で制される。

マリアはしばらく考え、そして、アスカに語りかけた。
「アスカちゃんのことは何も知らないけど、ちょっと思ったことだけ話すから聞いて。
 私があなたと出会った事。アスカちゃんのママの形見が届いた事。
 これは偶然だけど、結びつける糸があったと思う。
 私は信じているの。そういう運命、いや、人が紡いでいくものと言った方がいいかしら。
 それが人の歩む道を決め、新たな出会いを生むと思う。
 そして、それはアスカちゃんのママやシンジさん、いろいろな人達の心をアスカちゃんが受け取って、
 アスカちゃん自身の糸車で創っていくもの。
 だからね、独りじゃないの。アスカちゃん。いつもみんながあなたの傍にいるのよ」

マリアの表情は笑顔から真剣な表情に変わり、瞳はアスカを見つめていた。
アスカはマリアの言葉を受け止め、考えていた。

少しの沈黙の後、アスカが口を開いた。
「……ママもいつもアタシの心にいるのね」
アスカはつぶやき、笑顔でマリアにうなずいた。
マリアも笑顔でアスカにうなずき返した。



二人を見ながらユリが口を開く。
「そうそう、加持さんから頼まれてね。私が撮ったマリアとアスカちゃんの写真、
 それと私の写真の画像データーを加持さんへ送ったのよ。
 マリアの写真は、ネルフの人達も見て、アスカちゃんのママに似ているって驚いたらしいわ。
 でも、わたしの方はねぇ。ふふっ、シンジさん。私、お母さんに似ている?」
ユリが笑いながら聞く。
「いいえ。でも、きれいですけど…」シンジがまじめに答える。
「あら、シンジさんは意外とお上手ねぇ」おかしそうにユリがまた笑った。


マリアは撮影のときの男雛と和服を持ってきていた。
みんなで見てみると、箱書きからアスカとマリアの雛人形は同じ作者のもので、
和服はよく似ていたものだったことが判った。


「アスカは早とちりだから」
「シンジだって、ユリさんの玉子焼きを『懐かしい味がする』なんて言ったじゃない」
「まぁまぁ、ふたりが仲がいいのは分かったわよ。アスカちゃん。
 お母さんは無理だけどお姉さんみたいなお友達として今後もヨロシクね。シンジ君もね」とマリアはにこやかに笑う。
「改めてお友達になりましょうね」ユリも笑う。
「うれしい。マリアさん、ユリさん、ありがとう。
 ほら、シンジ、ボケボケッとしていないで『よろしくお願いします』って言うのよ」アスカが言う。
「うん、よろしくお願いします」シンジの言葉に女性3人が一緒に笑い、部屋の中が明るく輝いた。






マリアとユリはアスカの親しい友達となった。
シンジはそのことがとてもうれしかった。
友達、それも同性の友達はまた違うものなのである。


キョウコの遺品は、アスカが特に気に入った少数のものをアスカの手元に残し、
書籍類は大学や図書館に、それ以外のものについてはマリアの提案でチャリティに寄付された。
キョウコの信託財産の受益権(研究成果のパテントが入って来ていたのだ)も
可能性を秘めた子供達への育英資金としてユネスコに寄付された。


余談ではあるが、アスカは、マリア達との親交により、料理の腕ではさらに上がり、
また、日本の四季折々の行事も大切にするようになったとのことである。






話しは戻り…
マリア達とシンジ達が談笑していた日。


ネルフジャパンの広報部次長室に加持リョウジと赤木リツコがいた。
リョウジにプリントを差し出したリツコの左手の指にはゲンドウから贈られた指輪がある。

「加持君、この画像を見て」
「これは…」
「昨日、MAGIの定期検査が実施されて、不明ファイルが発見されたの。
 内容はこの画像のデーター。記録を全部洗い出したけど作成、アクセス日時いずれも不明。
 出所も不明。MAGIのシステムからはまず考えられないことね。
 それにこのとおり、中身も信じられないわ」
「……雛祭りのゴーストか……」
「……母のいたずらかもね……」

加持はたばこに火をつけた。リツコも自分のたばこを取り出す。2人はしばらく沈黙する。

「今夜、家に来ないか?ひさしぶりにミサトと三人で飲もう」
「そうね、ぜひ伺うわ」






そして、今……

シンジとアスカの家のリビングには、シンジ達の大切な写真が掲げられている。

シンジとアスカ
レイ
ゲンドウ
ドイツの両親
ミサト、リョウジ ペンペン
トウジ、ケンスケ、ヒカリ
ネルフスタッフ
シーザー

みんな2人の大切なもの。

そして、もう1枚アスカが大切にしている写真がある。



MAGIに残されていた画像。

それは、アスカとキョウコの写真。
料理を一緒に作っている写真。

MAGIのみが知っている秘密の贈り物。









後書き

いかがでしたでしょうか?
アスカは、本当に母への想いを整理できたでしょうか?
そうあって欲しいと願い、書きましたが
書き終わった今、なかなか意を尽くせず、むずかしいなって思っています。

ところで少し季節が感じにくいかもしれませんが、
ストーリーの関係上、ご容赦ください。
ボストンに詳しい方、そちらもご容赦ください。
作者はアメリカ本土に上陸したことはございません。
でも、Children's Beachは実在するそうです。行ってみたいなぁ。
あ、それと電車の中の話も実話だそうです。
なんともアメリカなエピソードですね。

LAI−LAから続いた二人の話は一応ここでおしまいです。
(いっちょまえに『たらちね』の外伝は考えていますが……
 でも、お風呂の話じゃないですよ(笑)。)
いつか、また、この二人に出会うことがあればよろしくお願いします。


では、読んでいただいた皆さんとさくぎんさんに感謝をこめて
                                    ssrider

注 この後書きは初掲載時のものです。

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