主よ、人の望みの喜びを

 

     第十二話 母







みんなが笑っているからだろうか、リョウタも機嫌がよい。

リョウタはリョウジとミサトの子供である。

そのリョウタがリョウジのところからとことこと歩いてきて、ミサトのひざにちょこんと座った。


「リョウタ。お母さんがいいのか?」リョウジが言う。少し寂しそうである。

リョウタはこっくりとうなずき、眠そうに目をこすった。

「リョウタ君。加持さんに似ていますよね」シンジがつぶやいた。

ミサトはリョウタを抱きしめながらうれしそうに「そう思う?」と答えた。



ミサトが、眠ってしまったリョウタを見ながら話しはじめた。

リョウタの髪はミサトに似て艶やかな色をしている。

その髪をミサトは手で梳かしながら話す。

「アスカ、これは誰にも話していないことだけど、私、休職しようかと思っているの。
 この子が生まれて2年たったわ。子育てというわけではないけれど、
 ちょっとの間、この子と一緒にいたいなと思って」

「ミサト…」

「シンちゃん、アスカ、あなた達にとってちょっと嫌なことを話すかもしれないけど、ごめんね。
 私はあなた達をずっと見てきたわ。
 見ているとあなた達のお母さんがあなた達を大切にしていたことがわかるの。
 あなた達のお母さんに関する思い出は辛いものでしかなかったのかもしれない。
 でもね、たぶん、心の深いところでお母さんから受けた愛情を覚えていると思うの。
 ユイさんもキョウコさんも時間は少なかったけれど本当にあなた達を深く愛したのよ。
 だからこそ、ユイさん達がいなくなった時、明るい場所から急に暗い場所に入ってしまって
 不安で寂しくて灯を求める子供みたいに、あなた達は愛を求めたのよ。
 私たちは、あなた達の心を利用したわ。でも、最後にエヴァでこの世界を守ったのは、あなた達自身。
 エヴァを動かしたのがあなた達だったから今があるのだと思う。
 絶望からは何も生み出さない。ましては何も『無』いトコロからはね。
 それは、シンジくん、アスカ、レイ…3人が優しい心を持っていたから今につながったの。
 リョウタにもね、みんなのように優しい心を持ってもらいたくて…」


リョウジを見るミサト。

リョウジはミサトにうなずく。


「アスカ、あのころ、子供なんていらない。と言っていたわよね。今もそう思う?」

アスカは黙って首を横に振る。

ミサトが言葉を継ぐ。

「あの頃、私も子供なんて考えてもなかった。それに母のことも忘れていたわ。
 でも、最近思うの。
 私にもお母さんがいたんだって。そしてお母さんになったんだって。
 何言っているかわからないでしょうけど」

「何となく…わかるわ。」  アスカが応える。

「そう、ありがとう……。
 ふふっ、本音は、まぁ、最近ちょっち仕事にも飽きたし、リョウジだけの稼ぎでもなんとかなるからね」

「おいおい、そんな事を言っていいのか?」リョウジが笑う。

「いいのよ、日向君も私がいなければもっと才能を発揮できるわ。
 それにもう1人ぐらい子供欲しいしねぇ。ねぇ、あ・な・た」

「いや、ミサト、俺も子供は好きだけど…。突然言われてもなぁ」

「あいかわらずイヤラシイのね、ミサトって。ほんとはそれが目的じゃないの」

「アスカ、そんな言い方はだめだよ」

また、リビングに笑い声があふれた。





「それじゃそろそろ準備していくか」

「リョウジ、今日はヨロシク」ミサトが手を振る。

「ミサト、きょうは飲むつもりね」ジト目で見るアスカ。



ミサトは、あの時からすると酒量が激減していた。

リョウタを身ごもった時以来、いっさいアルコール類を口にしなくなり、離乳が済んだ現在も嗜む程度(一般人基準)である。

えびちゅ事件は結果として、ミサトの飲酒癖を矯正することとなったらしい。


酒を飲まなくなった時、贔屓の酒屋が

『何かうちに問題がありましたか?』

と菓子折りを持ってきたのは今でも語り種である。



「今日飲まないでいつ飲むのよ。家族の祝いの席よ」

「ミサトさん、ホドホドにしてくださいね」

シンジは苦笑しながら取りなすように言った。

アスカは、そんなシンジの言葉に反応した。

「シンジ、何甘いコト言ってるの」

そんなアスカにミサトは笑いながら応える。

「なによ、お祝いだから、楽しくしようと思ってるだけじゃない」

「ミサトの場合は、『楽しく』を通り過ぎて、『大変』になるのよ。いい年なのに」

「なんですって〜」

最後の一言にミサトの顔色が変わる。でも、アスカは平気な顔で言葉を続ける。

「事実だも〜ん。何だったらちょっと前のことをここで言ってもいいわよ」

「昔は昔じゃないの。それにたいしたことじゃないじゃない」

「そんなに昔のことじゃありません。それに『たいしたことじゃない』?
 ネルフの食堂に出入り禁止となったことなんて、巻き添えになった日向さん達が聞いたら泣くわよね」

「ばっ、アスカ、何言いだすのよ」

あわてるミサトにさすがに気の毒になったシンジが取りなす。

「アスカ、もういいじゃないか。ミサトさんだって…」

「バッカじゃないの、シンジがそんな甘い顔するからミサトがつけ上がるんじゃない」

そう言った後、一転して静かな口調で付け加えた。

「今のミサトにはリョウタくんもいるし、身体とか大事にしないと」

「あ…」

ミサトにもアスカの言いたいことが分かった。

それまで黙っていたリョウジがミサトとアスカに言った。

「まぁ、いいさ。今日ぐらいは飲ませてやってくれ。リョウタは俺が見るから。
 アスカ、ありがとう。だけど、今日は大目に見てくれ、な?」

「…今日だけだからね」

そっぽを向いて呟いたアスカにミサトが声をかけた。

「ありがとう。アスカ、やっぱり優しいコねぇ」

と言った後でアスカのそばに行き、抱きしめた。

「いきなりナニすんのよ」などといいながら離れようとするアスカ。

じゃれついている二人をシンジとリョウジが優しく笑って見ていた。


それからしばらくして、リョウジは、真剣な顔つきでシンジを見た。

「…シンジ君」

シンジがリョウジを見る。

「知っているとおり、今日は君のお父さんが来る。俺から言うべき言葉ではないかもしれないが…。
 『しっかり』な」


シンジはアスカを、続いてミサトを見て、それからリョウジの目を見つめた。

そして、はっきりと言った。


「はい」








 

2005.2.13 改訂        


つづく

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おことわり

このお話には、「3歳児神話」(3歳までは児童のその後の発達にとってきわめて重要な時期であり,母親が家庭で育てるべきであるとする考え方)を推奨すると受け止められるような表現があります。しかしながら、育児は、母親のみではなく、父親をはじめ家族や社会がそれぞれの状況に応じて、積極的に携わるものであり、このお話は一家族が選択した形態を描写したものと考えていただければ幸いです。