城下町
現在は、 紺屋町、鍛治町、材木町、大工町、鷹匠町、仲間町などの町名が残るが、 戊辰戦争によって焼失したあと鉄道が敷かれたり、外堀が埋め立てられたりし、 また、太平洋戦争の空襲にあって、城下町の佇まいは残されていない。 城山の道筋や城下の大木戸にあたる紺屋町や鎌田町には、桝形の道が残されている。 道筋 新川にかかる橋は、長さ百から百三十間の長さを持つことから「長橋」と称される。 長橋を渡り、磐城平城下総門がある「長橋村」に入る。 道は北に折れ「研町」へ、更に東へ折れ「紺屋町」から土橋に入る。 一町目から二町目へ、 二町目から北側には年貢などを管理していた平藩派出の田町会所があった。 町触を行う触口の三町目、磐城最大の馬会所を持つ四町目を経て、 一里塚を境に五町目に入る。ここから「小名浜口」がある「新川町」へ、 「立町」を過ぎて、南に折れ、 城下出入口の一つである鎌田口のある「鎌田町」から鎌田橋を渡り、 城下外の向鎌田を経て、「塩村」に入る。 以北は相馬路である。 城下町への出入口である 長橋口(小島村、平新町)、久保田口、鎌田口(立町、六町目)には、 足軽町が存在した。
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