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「新人営業マン奮戦記 」 第一章 ニューフェース ページ3

自宅に帰る地下鉄の中、眠くてどうしようもなかった。セミナー期間中は、疲れているのに、次の日のことが心配であまり眠れなかった。駅から自宅までは、歩いて二十分位今日はやけに長く感じる。今日は、随分暖かい。もう少しで、桜が咲きそうだ。咲きそろうと、桜のトンネルみたいになる。
「ただいまー。」
「お帰り。どうしたの夕ちゃん、眼の下にクマができているわよ。何してきたの?」
珍しく母さんがいた。生命保険の仕事をしているので、日曜日も家にいない時が多い。 「何って、新入社員の研修があるって言ってたろう。」
「大変だったのねえ、大丈夫?」
「精神的にまいったつう感じ。」
「何か食べる?」
「ううん、いらない。ちょっと眠るから。」
本当だ。鏡を見ると確かにクマができていた。それからどれくらい眠ったのだろうか、妹の呼ぶ声で眼が覚めた。 「兄貴、会社行かないの?」
「会社?日曜日だろう。」
「あのねえ、月曜日の朝の六時なの。」
「えー、ずうっと眠っていたんだ。」
「夕飯の時に起こそうとしたんだけど、あまりぐっすり眠っているのでそのままにしていたの。」
妹は、[めぐみ]という。四月から歯科技巧士養成の専門学校に通っている。学費は、僕を見習ってか、アルバイトで賄うという。明るい元気な子だ。
父さんは、僕が高校一年の時に交通事故で他界した。無口な人で、父さんとはあまり話した記憶がない。小学生の頃、何度か父さんとキャッチボールをしたが、父さんはそれ程でもなかった。僕が運動音痴なのは、きっと遺伝だ。そういうことにしよう。
また、家族揃って旅行した記憶がない。僕の小さい頃は、貧しかったからだろう。たまに出かけるといえば、デパート。注文したものがやけに遅い、デパートの大衆食堂のことを、妙に今でも憶えている。
父さんは中学校卒業後、ずうっと自動車関連の工場に、勤めていたと聞いている。
父さんと母さんは、見合い結婚だったようだ。詳しく聞こうとすると、母さんは嫌がってすぐ怒りだす。父さんは、ハンサムだったので母さんの方が好きになったのかもしれない。父さんは、学歴に対してコンプレックスがあったのだろうか。
確かに、僕の大学進学を望んでいた。しかし、僕はあまり成績が良くなかったし、お金も大変だろうと思って、大学へ行くつもりなかった。
母さんから『入学金だけは出してあげるから、自分の力で行きなさい。父さんも喜ぶよ。』と、言われ大学受験した。猛勉強したが、国立大学には入れなかった。
どうにか、仙北市にある私立大学に入学した。学生時代は、アルバイトに明け暮れた。スーパーマーケットやトラックの運転助手、食品工場で働いた。どれも肉体労働で、慣れるまで体はきつかったが、金になった。アルバイト先では、良くして貰った。スーパーマーケットでは、授業に出ることを優先してくれた。
大学での専攻は、経済学。経済学科の必修科目、専門科目、出席をとる語学の授業には、必ず出た。単位を落とさないよう、試験の前には必死で勉強した。成績は良くなかったが、追試を受けることはなかった。
また、大学ではフォークソングのサークルに入っていた。毎日練習できなかったが、週一回は必ず練習した。歌の上手い友達と組んで二人組でバンド名は、[おたまじゃくし]といった。 [おたまじゃくし]は、友達が週刊誌を見ていて思い付いた。可笑しくて、 僕もすぐに賛成した。僕は、リードギターを担当した。大学祭では僕らのグサークルは、フォーク喫茶をひらいた。[おたまじゃくし]も、ライブ出演した。♪いつものように、♪思い出のスケッチ、♪追想録、♪夢を追い続けて、などのオリジナル曲をレパートリーにして、[おたまじゃくし]は、けっこう人気があった。
「兄貴、御飯!」
身支度をしていたら、めぐみの呼ぶ声がした。急いで、下に降りた。充分過ぎるほど眠ったので、すっきり爽やかだ。 「お早う。」
「お早う。」
「ラッキー・・・ いただきます。」
朝食は、僕の好きなものばかりで良かった。母さんの作る玉子焼きは、最高だ。
ほんのり甘くて、ちょっと醤油をかけて食べる。美味い。御飯がすすむ。
手作りの白菜漬は、程好い塩加減だ。味噌汁は、大根の千切りとジャガイモの、今日の組み合わせが一番好きだ。御飯をお代わりした。満足した。 「行ってきまーす。」
「気を付けて行ってらっしゃい。」

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