〜ウマ(2)  神使の馬
馬の起源神や守護神ともされる「保食神」や「馬頭観音菩薩」を祀る社に奉納された馬(像)は、
祭神と馬との間に特別の由縁があるので本来の神使である。(馬1の項の馬は広義の「神の神使」)
馬2-1 保食神(ウケモチノカミ)の馬
保食神(ウケモチノカミ)は、五穀をはじめ、牛馬、蚕の起源神である。
歓待の気持ちを誤解されて月読命に斬り殺された保食神の頭に牛馬が生まれたと日本書紀などに載る。
このことから、特に津軽地方を中心に東日本では、明治初頭の神仏分離の際、従前から信仰されていた(仏教系の)馬の守護神、「馬頭観音」・「惣染・崇染・蒼前さま」に比定されて、(神道系の)保食神が牛馬の神・守護神として祀られ、「保食神社」などとして継承されたケースもある。
また、「駒形神社」の祭神が保食神とされている場合も多い。
保食神を祀る神社に奉納されている馬は、「保食神の神使」といえる。
なお、保食神は牛馬の守護だけでなく豊蚕、五穀豊穣なども願って祀られている。

荒倉神社

保食大神を祭神に祀り、農耕、家畜、安産の守護神として、庄内一円の信仰を集めた。
特に農耕馬や軍馬の育成と健康が祈られた。
参道階段登り口の馬像は、皇軍の武運長久と馬の身体堅固を祈願して奉納された。

昭和18年(1943)

山形県鶴岡市大字西目 荒倉山
JR羽越本線羽前水沢駅下車、徒歩西目・竹の浦集落まで30分、参道(山道)を35分登る

保食神社(青森市鶴ヶ坂)

現在の鶴ヶ坂付近には津軽藩の津軽坂・牧場があって、寛永15年(1638)〜天保10年(1839)の二百余年間、馬の育成が行われていた。
村には牧場開設当初から馬の守護神として惣染堂(馬頭観音)が建立され、後に歴代藩主崇拝の「惣染宮」とされてきた。
明治の神仏分離令で惣染宮は廃止されたが、明治6年に村社「保食神社」として継承された。

祭神の保食神は牛馬の起源神であり、馬の守護神とされる。
社前に、神使の石造りの馬像が奉納されている。

           左右対の石造りの馬像(昭和58年8月21日建立)

                 青森県青森市鶴ヶ坂
                 
奥羽本線「鶴ヶ坂駅」下車


保食神社 (黒石市境松)

案内板もなく、この社の由緒は定かではない。
しかし、境内の片隅には、非常に珍しい「馬頭だけの像容」の「馬頭観音像」もあるので、かつては「そうせん堂」などと呼ばれて、農耕などに貴重な馬の守護が祈られていたものと推察できる。
それが、明治初頭の神仏分離で一旦廃止され、同じく馬の守護神とされる保食神を祀る「保食神社」として引き継がれたものと思われる。

保食神の神使である、石造りの馬が奉納されている。

左右対の石造りの馬像(建立年不明)

馬頭だけの像容の馬頭観音像
(境内片隅の像




古いタイプの「馬頭観世音菩薩像」で、馬頭だけで馬頭観音の像容を表している。
非常に珍しい。







青森県石黒市境松
弘南鉄道・弘南線「境松駅」下車

保食神社(平川市大光寺)

青森県神社庁の資料によると、「当社は大同年中 (806-810)、 坂上田村麿の創建に係ると云い伝えられているが、 詳らかではない。
古昔は瀧本熊野権現宮千手観音堂(大光寺千手観音堂)と言われていたが、 明治4年、 神仏混淆禁止の為、 保食神社と改称した」とある。
祭神は宇氣母智神(保食神)。
祭神は馬の守護j神とされることから、参道の左右に神使の石馬が2体奉納されている。
左右で対に見えるが、左の馬は「御大典記念〜昭和天皇の即位」で昭和5年(1930)、右の馬は「紀元二千六百年記念」で昭和15年(1940)の奉納。
左右とも首から鈴を下げ、像前にきゅうりが置かれている。

青森県平川市大光寺字四滝本62
弘南鉄道・弘南線「平賀駅」下車