馬1-1 祈願奉納の馬(2) |
境内の由緒書によると、慶長15年(1610)当地の給主桜庭信光が亡父信正の為に開山した桜庭山陽光院が起源。 その後、行基上人の彫ったとされる千手観音像が本尊とされ、京都の清水の舞台を模して高楼が建立された(1660)ことから、「清水の観音」と呼ばれた。 明治の神仏分離で、多賀神社と改称された。 |
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石造りの馬の一対が奉納されている。
このように片足を挙げ、顔をひねった、動きのある馬像は石造では珍しい。 カラフルな馬装束をつけている。 奉納 昭和16年4月15日 青森県弘前市桜庭字外山948 |
八幡神の神使のハト像と共に一対の石造馬像が奉納されている。 社前の開けた明るい草地に、手前から馬、鳩、灯篭、狛犬が並ぶ |
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奉納 福岡大開村中 青森県五所川原市松野木字福泉200 |
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八幡神の神使のハト像と共に一対の石造馬像が奉納されている。
奉納 左:昭和11年10月15日 對馬正一他 青森県五所川原市唐笠柳字皆瀬16 |
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神馬再建奉納 京都市伏見区稲荷山、御膳谷参拝所に隣接 |
祐徳(ゆうとく)稲荷神社は、日本三大稲荷の一つに数えられる稲荷神社。
豪華絢爛な拝殿からの下り参道口の左右に一対の石馬が奉納されている。 右の馬像(左向きの馬)の背後に「左馬」と書かれた大絵馬があるが、その所以は案内板に丁寧に説明(下掲参照)されている。 馬は稲荷社の神使ともいえるとのこと。 |
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左馬とは 馬の字を左右逆に書いたもので、「まう(舞う)」に通じ、「舞う」は祝宴の席で催されることから、縁起が良いとされてきました。 また左馬は「右に並ぶものがいないほど傑出した才能」を表し、さらに馬は左側につまずかないかないことから、「長い人生をつまずくことなく過ごせる」という意味を持つといわれています。 加えて、普通は人が馬を引くものですが、左馬は逆に馬が人を引き寄せる様子を表し、千客万来・家業繁栄につながるとされたり、馬という字の下の部分がお金を入れる巾着袋の形に似ているため財運に恵まれるといわれたりもしています。 これらの言い伝えにより、左馬の文字は古来より人々の篤い信仰を集めてきました。 |
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石馬の奉納
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