熊野の神〜熊野三社
熊野神とは、和歌山県熊野地方の熊野本宮大社、熊野速玉神社、熊野那智大社の3社に祀られる神霊のことである。
この3つの神社は一般に熊野三社、熊野三山、あるいは三熊野(ミクマノ)などと呼ばれている。
(なお全国には二千六百社の熊野神社があるとされる)
熊野本宮大社 熊野座(クマノニマス)神社(和歌山県東牟婁郡本宮町)
祭神:家都御子神
(ケツミコノカミ)=素盞鳴尊(スサノオノミコト)
熊野速玉神社 熊野新宮(和歌山県新宮市)
祭神:速玉男神
(ハヤタマオノカミ)=伊邪那岐命(イザナギノミコト)
熊野那智大社 熊野夫須美神社(和歌山県東牟婁郡那智勝浦町)
祭神=夫須美神
(フスミノカミ)=伊邪那美命(イザナミノミコト)
  
熊野牛王(クマノゴオウ)宝印
誓約が破られると熊野神のお使いのカラスが三羽死に
破った本人は血へどを吐いて死に、地獄に堕ちる

熊野本宮大社
(熊野山午王-カラス88羽)

熊野那智大社
(那智滝午王ーカラス72羽)

熊野速玉大社-新宮
(熊野山午王ーカラス48羽)

熊野牛王とは、熊野三山で授与される神札で、「熊野権現のお使いの烏」(からす文字)と「宝珠」を組み合わせてデザインされ、社名などを表している。
「牛王」の由来は諸説あるが、牛の胆嚢から得る牛黄(ゴオウ)を印色(朱)として護符に用いたことによるとされる。
この「熊野午王」は、本来は厄除け災難よけの「護符」だったが、その裏に起請(誓約)を書く「誓紙」として用いらるようになって世に知られるようになった。
即ち、熊野神を誓約の立会人とすることで有名になった。
起請(誓約)を破ると、熊野神の使いのカラスが三羽死に、破った本人は血へどを吐いて死に、地獄に堕ちるとされた。
義経が頼朝に忠誠を誓ったり(吾妻鏡)、秀吉が重臣に息子秀頼に二心なきことを誓わせたり、赤穂浪士があだ討ちを誓ったのも、この熊野午王を誓紙にしてなされたとされる。
熊野牛王を用いた起請文は、権力者ばかりではなく広く民衆の間にも広まり、江戸時代には、遊女と客が取り交わす誓紙にまで使われた。
熊野牛王を灰にして飲んでも効果は変わらず「牛王を飲ます」といわれると、やましいことのある人は血を吐いて死ぬのが怖くて、飲む前に自白したほどだとされる。
熊野三社と八咫烏
熊野三社には対になった像はないが、熊野神の神使の「三本足の八咫烏」が境内の随所にみられる。
「熊野那智大社」の境内
八咫烏に化身したとされる建角身命を祀る社(御県彦社)の前の像
昭和63年 
神武天皇熊野御上陸二千六百五十年記念
「熊野本宮大社」の鳥居前

神紋の入った大幟

「熊野速玉大社」の神紋
八咫烏(ヤタガラス)について

建角身命(タケツノノミコト)が八咫烏となって神武天皇を熊野から大和に導いたとされる。
建角身命は熊野速玉大社の境内に祀られている。
また、京都市左京区の下鴨神社(加茂御祖神社)の祭神としても祀られている。

八咫烏は古代の太陽信仰とも密接な関係があるといわれている。
東から太陽が昇り西に沈むのは、太陽の中で八咫烏が飛び続け、太陽を運んでいるからとか、三本足の烏は太陽の化身だとか、太陽に住んでいるとする神話もある。
中国の神話では、太陽に住む三本足の烏を金鳥とよび日の神とする。
熊野にも「日神信仰」があったともいわれる。

日本サッカー協会(JFA)のマークは「八咫烏」である。
熊野神話の八咫烏も加味した上で、太陽神話の三本足の烏をマークにしたとされる。
八咫烏の「咫」は長さの単位で、それ一字では「あた」と読み、成人が手を広げた時の親指から中指までの長さをいう。
「八」は、大きい、多いという意味合いがあるので、八咫烏とは大きな烏という意味になる。
参考;厳島神社の烏
厳島神社<広島県佐伯郡宮島町/本殿の祭神:宗像三神(市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命)>の祭神が鎮座の場所を探して浦々を巡幸したが、このとき、先導の役を果たしたのが烏といわれている。
厳島神社(宮島)では烏は鹿と同じく「神の使い」とされている。

故事に因んで下記のような神事が行われている
御烏喰(オトグイ)神事;厳島神社では毎年三月と九月の七浦神社祭、五月十五日の宮島講社大祭に御島廻式(オシマメグリシキ)が行われ、厳島の周囲七浦に鎮座する末社七社を船で巡拝する。
特に、養父崎
(ヤブサキ)神社沖の海上では御烏喰神事が行われる。
海上に御幣と粢団子
(シトギダンゴ=米の粉を海水で練った団子)を舟に乗せて浮かべ、飛んできた2羽の神烏(ゴガラス)が、これを食べるか否かで神意を占う神事である。
なお、養父崎浦神社の祭神は「御烏」である。
神使、烏の像はない。御鳥喰神事用の生きた烏が飼われている。

なお、近江(滋賀県)の多賀大社、名古屋の熱田神宮でも御烏喰神事が行われている。