応永二年(1395)八月、春日大明神の神札を奉祀勧請した。 祭神は奈良・春日大社の武甕槌命をはじめとする四柱と同じ。 |
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岩状台座に載った雌雄の鹿一対がある。(青銅製)
当初の奉納は、本殿、拝殿、幣殿の改築遷宮時に合わせた昭和8年(1933)8月。 静岡県浜松市馬郡町1882番ノ2 |
文明14年(1482)、足利義尚の創建と伝わる。 祭神は奈良・春日大社の武甕槌命をはじめとする四柱と同じ。 140年ほど前から伝わる春日神社の祭典「神輿の渡御」は、 町内7台の屋台が連なって8月に行われ、「笠井祭り」として知られる。 |
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青銅で造られた、雌雄一対の鹿像が高い台座の上に立つ。
奉納 大正15年(昭和元年・1926)12月 静岡県浜松市笠井町253-1 |
明治維新までは五社明神社あるいは五社神社といわれて、旧鹿骨(ししぼね)村の鎮守だった。 |
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「村の口碑によると、(奈良時代)常陸の国鹿島郡の鹿島大神が、大和国奈良の春日へお移りになる途中、大神のお供をしていた神鹿が急病でたおれたので、村人たちが丁寧に葬って祀ったのが鹿見塚(下掲)で、村人たちは、これを奇縁として武甕槌命の分神と天照大御神ほか三神を勧請して一社を建立し、鹿島神社と名づけたともいわれている(以上、江戸川区教育委員会)。 なお、死んだ神使の鹿を介して、その鹿を連れていた武甕槌命(鹿島神社)を祀った(勧請した)とする由緒はユニーク。 |
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鹿骨・鹿島神社の神鹿 |
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「鹿骨発祥の地、鹿見塚」碑がある。 急死した武甕槌神の神鹿を村人たちが葬ったとされる 「鹿見塚(ししみつか)」があった場所で、「鹿骨(ししぼね)」という地名発祥の地と伝わる。 東京都江戸川区鹿骨(ししぼね)3-1-1 |