〜サル(4)  猿田彦命(白髭明神)の猿
富猿田彦命は別名白髭明神とも呼ばれて白髭神社に祀られる。
猿田彦命の妻女が天宇受売命
(アメノウズメノミコト)とされることから、
白髭神社には両神が合わせて祀られることも多く、
両者の神使である猿と鶏の像もみられる。
この項では「猿像」を扱う。鶏像は「鶏 天宇受売命の鶏」の項を参照
猿田彦命と猿
猿田彦命は別名白髭明神とも呼ばれて白髭神社に祀られ、延命長寿の守護神や農耕開拓の祖神・守神とされる。
猿田彦命の妻女が天宇受売命とされることから、白髭神社には両神が合わせて祀られることも多く、両者の神使である猿と鶏の像もみられる。
また、猿田彦命は、
その特異な神格に加えて名前や容貌などから、その神使の猿と共に、「猿」がらみで山王信仰、庚申信仰+道祖神信仰、富士(浅間)講などに多重的に拘わっている
猿田彦命と天宇受売命〜その出会いの場面
天照大御神の孫にあたる瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)が高天原(タカマガハラ)から葦原の中国(地上)に降臨するとき、天宇受売命も供として一行に加えられていた。
一行が天津八街
(アマツヤチマタ)と呼ばれる、多方面に道が分かれる要所に至ると、そこに魁偉な顔をした大男が立ちはだかって、行くてを塞いでいたので、兵を出したが敗れて帰ってきた。
そこで天宇受売命が派遣され、「天津神が地上にお降りになる道をなぜ塞いでいるのか」と問うと、(天宇受売命に一目惚れした)大男はそれまでの態度を一変して、素直に「私は国津神の猿田彦命と申す。天津神の御子が降臨されると聞いたので、道案内をしようとお出迎えにきたのだ」と答えた。瓊瓊杵尊の一行は、猿田彦命の先導で無事に筑紫の日向の高千穂の峰に到ることが出来た。
(日本書紀・古事記など)

このときの出会いが縁で猿田彦命と天宇受売命とは夫婦になったとされる。
この故事から、猿田彦命は道案内の神、道祖神とされ、出世の神、開運の神などともされた。

許曾志(こそし)神社(別名白髭神社)
松江市西部にある許曾志神社(別名白髭神社)は、祭神に猿田毘古(彦)命(サルタヒコノミコト)と天宇受売命(アメノウズメノミコト)を祀る。
両神は夫婦とされ、両神の神使である猿と鶏の石像が参道の石段の両側に並んでいる。
参道階段中程 平成10年(1998)

現在、参道の階段左右に置かれてい猿像は、二対とも先代の像を模して平成に入って造られたものである。
先代像は拝殿の横の空き地の隅に置かれている。
この先代像の作造年は不明だが、同時期に奉納されたと思われる鶏像に文化13年(1816)の銘があるので、その頃の作と推察される。
猿像はいずれも子猿を中心にした家庭的雰囲気に満ちている。

参道階段上、拝殿前 新像 平成4年(1992)

先代像 上記の新像はこれを模して作ったもの
下の鶏と同様に文化年間のものと思われる。

参道階段 
鶏 (文化13年 (1816)

島根県松江市古曾志町字松尾466
JR松江駅から市バスで「庭園美術館前」下車、歩20分

鶴岡市 白髭神社
参道 猿田彦命 x 猿 x 狛犬 = ?

主祭神の猿田彦命の妻女といわれる天宇受売命の鶏像が奉納されている。
当然常識的には、猿田彦命の神使の猿像も奉納されて然るべきである。
ところが、この阿吽の一対は猿とは言い難い。
何だこれ?
でも、やはり猿かも知れない。いや、猿ではない?
猿田彦命の容貌から創られたと思われるが、なんとも奇妙で、
なぜか不安な感じにさせる神使像である。

山形県鶴岡市山田
JR羽越本線羽前大山駅下車、徒歩15分