〜キツネ(3)  カラス天狗(修験道)の狐…飯綱(縄)(いづな)権現の狐
飯綱権現(飯綱三郎天狗)は、いわばカラス天狗のような姿で白狐の背に乗る。
秋葉山の三尺坊天狗、大雄山の道了尊(天狗)も同様である。
天狗の乗る「白狐」を神使とした。
山岳修験道を極めて飛行能力や神通力を身につけた修験者の究極は、不動明王の化身、「白狐に乗る、カラス天狗のような姿」として表現された。
これは飯綱三郎天狗(=飯綱権現)を祀る飯綱信仰の影響と思われる。
この項で例示した秋葉山の三尺坊天狗、大雄山の道了尊(天狗)も同様の姿で表現されている。
      (これらのキツネは対ではないが、ここでは神使として扱う)
A 飯綱(縄)山・飯綱三郎天狗(=飯綱大権現)
飯綱(縄)権現(飯綱三郎天狗)は、平安時代末期に長野市郊外の飯綱(縄)山頂に祀られ、火防の神とされ、軍神とされた。
特に、上杉謙信、武田信玄など戦国時代の多くの武将に信仰され、全国に広まった。(飯綱山は、隣接する戸隠の山岳修験霊場の一つだったとの見方もある。)

飯綱権現のキーワードは、山岳仏教、修験道、天狗、火坊、飯綱の法(妖術?)である。
飯綱(縄)権現は不動明王の化身とされ、その姿は
「向背に火焔を負い、嘴(くちばし)口で羽翼をつけ、右手に剣、左手に索(綱)を持ち、白狐に立ち乗る姿」で表わされる。
いわば、カラス天狗(≒カルラ天)が白狐の背に乗っているような姿をしている。
この原体は、狐に乗った女神のダキニ天(狐2の項参照)だとされる。
カラス天狗を乗せる「白狐」を神使として扱った。

飯綱大権現石像
飯綱・戸隠高原はまさに飯綱信仰発祥の修験の地であった。
戸隠神社・公明院には、飯綱三郎天狗の石像がある。
戸隠神社中社  長野県長野市戸隠3506
戸隠・公明院  戸隠神社中社から奥社方面へ歩15分
高尾山薬王院有喜寺
現在では、高尾山薬王院(八王子市)が飯綱権現を祀る最大の霊山となっている。
信州飯綱山より永和年間(1375−78)に飯縄大権現が勧請された。
高尾山の御本尊として、彩色華麗な飯縄権現堂(御本社、享保14年(1729)築)に安置されている。
飯縄権現堂(御本社)    正面上の欄間の左右に白狐の彫刻も見られる

真言宗智山派大本山 東京都八王子市高尾町1177

高尾山 南無飯綱大権現
善光寺常円坊(長野市)
 飯綱大権現(お札)

  
B 秋葉山・三尺坊天狗 
秋葉山秋葉寺(秋葉神社)
秋葉山秋葉寺の本尊観世音菩薩の護神、三尺坊は、信州に生まれ戸隠山で修験になり、諸国修行の結果、不動明王の行法を修め、飛行自在の神通力を得て天狗となって秋葉山におさまったとされる。
(平安末期〜三尺坊は新潟県の栃尾・楡原から秋葉山に来たとの説もある)
三尺坊は、
カラス天狗姿で白狐に乗る。火防の神徳で知られる。
火防の秋葉講は江戸中期に爆発的に全国に広まり、数多くの講が組織され、秋葉山詣や秋葉寺を総本山とする末社設立が盛んに行われた。

可睡斎(秋葉総本殿)

明治の神仏分離令以降は、火之迦具土大神(ヒノカグツチノオオカミ)を祀る秋葉神社となった。

秋葉寺は廃されたが、御本尊の秋葉三尺坊大権現は可睡斎(秋葉総本殿)に遍座された。

左:「可睡斎」頒布のお札
  秋葉三尺坊大権現

静岡県周智郡春野町

秋葉山大権現
百草八幡宮境内
物井不動堂 本堂右手
敷島神社
石碑
昭和6年9月
倉澤講中
日野市百草867

京王線百草園駅下車徒歩12分

本堂右手
秋葉大権現(石像) 千葉県四街道市物井
堂の建立は文化文政年代
秋葉山大権現 (石像)
台石に「秋葉山」とある
志木市本町2-9-40

C 大雄山・道了尊(天狗)
大雄山最乗寺・道了尊
大雄山最乗寺は、庵慧明禅師が応永元年(1394)に創建した寺で、曹洞宗の古刹。
                 神奈川県南足柄市大雄町1157
(小田原駅から大雄山線終点、バス10分)
道了尊の姿…カラス天狗姿で白狐の背に立つ
道了大薩(ドウリョウダイサッタ)について〜大雄山道了尊パンフレットより
大雄山最乗寺の守護道了大薩_は、修験道の満位の行者相模房道了尊として世に知られる。
開祖の了庵禅師が應永18年にご遷化の折、道了尊は五大請願文を唱えて姿を変え、火焔を背負い、右手に杖左手に綱を持ち、
白狐の背に立って、天地鳴動と共に天狗となって山中に身をかくされた。
大雄山の鎮護とされる。