〜カメ(1)  妙見菩薩、妙見(北辰)信仰の亀
(池上本門寺)妙見堂

祭神に北辰妙見大菩薩(妙見菩薩)を祀る。
祀られている妙見菩薩立像は、寛文4年(1664)に徳川家康の子、紀州徳川藩の頼宣の無事を祈念して造像され、本門寺貫主日豊が開眼したもので、それを頼宣の妻、瑤林院が本門寺に寄進した像である。


妙見堂の前に左右一対の石灯篭が奉納されている。
灯篭それぞれに、妙見菩薩の神使の玄武(亀蛇)が亀と蛇に分けて彫刻されている。
灯篭の円筒竿の
くびれに巻きつく「蛇」、それを台石として支える「亀」合わせて玄武、巧みな構図である。



左灯篭の亀像は顔、前足が破損しているが、右灯篭の亀像で原形を推測できる。

妙見菩薩の神使「亀と蛇」を配した灯篭一対 天保6年(1835)11月奉納 


東京都大田区池上1-32
東急池上線「池上駅」下車、池上本門寺に隣接、照栄院左の急階段を登る

秩父神社
秩父神社は、秩父地方の総社、総鎮守で、延喜式神名帳に載る。
明治の神仏分離までは、妙見菩薩を祀る「妙見宮」として知られていた。
現在でも妙見信仰の社として、「鎮宅霊符神」(妙見菩薩の別名)の護符を頒布している。
秩父神社御旅所のカメ「亀の子石」

「秩父夜祭」の名で知られる、毎年12月3日の秩父神社大祭の「御神幸祭」では、午後7時頃神社から御輿が出発し、1kmほど離れた団子坂(御花畑)の御旅所に渡り、午後10時以降に斎場の「亀の子石」の背に大幣が奉安される。
即ち、妙見菩薩が御旅所の亀(玄武)の背に降りられる。
この深夜、「亀の子石」の上で、武甲山(妙見山)の男神(蔵王権現、蛇・龍神)と秩父神社の女神(妙見菩薩)が、年に一度の逢瀬を過ごされる、と伝わる。
御旅所の亀(玄武)は、「亀の子石」と呼ばれ、妙見菩薩の神使で、その背には大幣を立てる礎石がある。


埼玉県秩父市番場町1-3
秩父鉄道、秩父駅下車3分

青梅・金刀比羅神社
金刀比羅神社はJR青梅駅のすぐ北側にある
標高273mの丘(金毘羅山)の上にある。



新築再建された拝殿の背後に妙見信仰に基づく碑像がある。



亀の背に立つ、岩板碑には「妙見■星頂輪王」と彫られている。
すなわち、神使の
亀に乗る妙見菩薩像である。
境内には、この像については勿論、この神社に関する案内板もない。
東京都青梅市本町220番
JR青梅駅より徒歩25分


唐津・妙見神社  祭神 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
唐津湾に近い小高い丘上に建つ社です。
境内に狛犬の載った燈篭とともに、亀の像が3対奉納されています。

妙見信仰の由来 (境内の由緒板より)
当社の御鎮座は、今から1300年を遡る文武天皇の御代〜大宝元年(701年)〜と伝えられ、妙見信仰発祥の時代で、また日本の文化が大陸からもたらされた時期であり、その交流の場となり活躍した人達の信仰から生まれたのが創祀の起源と考えられる。
妙見さまとは、
北辰妙見の菩薩の略号である。
北辰・北斗の星辰信仰として中国から伝来した菩薩で奇瑞の霊徳を示現する神、妙見と号された。
この神を祭れば災厄を免ぬかれ長寿富貴に恵まれると云われ、古く奈良から平安時代にかけて庶民の間に親しまれ、延暦年間には熱烈な信仰が記録されている。
妙見菩薩のお使いである、玄武(亀蛇)の大型のカメが拝殿前から、3対も奉納されている。(写真下〜拝殿側から順に)

いずれも首長で耳のある石造の蓑亀(みのがめ)だが、3対のそれぞれが強いオーラを放つ個性的な亀像である。
すばらしい。


明治22年(1889)2月吉祥日


他は読みとれず


明治22年(1889)2月吉祥日


奉納者 8名 唐津刀町石工


昭和58年(1983)2月吉日建立 米寿・卆寿記念


富桝妙春、富桝タケ86才・富桝忠作91才

佐賀県唐津市藤崎通7,022