〜イノシシ(3)  愛宕(アタゴ)神社と勝(将)軍地蔵と猪
愛宕神社の神使は、神社の創建者である和気清麻呂が
猪に助けられたとの故事に因んで「猪」とされる。
日光周辺では、あちこちに愛宕社(勝軍地蔵)が祀られ、猪像も置かれた。
愛宕(アタゴ)神社と勝(将)軍地蔵と猪
京都の愛宕山は、大宝年間(701−704)に役の行者と僧泰澄によって開かれたとされる。
和気清麻呂は平安京遷都に際して王城鎮護のため、京の西北(戌亥=乾)にあたる愛宕山に「愛宕神社」を創建した〜天応元年(781)。
祭神に天之迦遇(倶)槌命(アマノカグツチノミコト)を祀ることから、特に火伏せ(防火・鎮火)にご利益があるとして全国で広く信仰された。
全国の愛宕神社(愛宕信仰)の総本山である。
「火廼要慎(ヒノヨウジン)」の護符を頂いて火防とする。
愛宕神社の神使「猪」に乗る勝軍地蔵

長久寺(埼玉県坂戸市浅羽1486)
享保14年(1729)

安立院(東京都台東区谷中7-10)
  
一方、愛宕山は、古くから修験者の修験の場とされ、愛宕権現太郎坊が祀られ、天狗伝説も語られた。
別当寺として朝日山白雲寺が建てられると、従前の神社は奥社とされた。
外敵や疫病の侵入を防ぐ「賽の神」としての性格ももつ「愛宕山大権現」(の本地仏)は「勝軍地蔵菩薩」であるとして、室町時代には、「戦勝の神」として戦国武将の間で多大の信仰を集めた。
合わせて、「火伏せの神」としても信仰された。
勝軍地蔵は、甲冑姿で錫杖、宝珠を持ち馬にまたがる姿が多いが、猪に乗るものもある。(明治の神仏分離で、白雲寺は廃され、勝軍地蔵は愛宕山から移転され、「愛宕神社」に復古した)
愛宕神社の神使「猪」の由縁は、神社の創建者である和気清麻呂が猪に助けられた故事に因むとされるが、愛宕山は京の戌亥(イヌイ=西北)の方角にあるので、「亥=猪」とされたとか、一帯に猪が多く棲息したからなどの説もある。
  
日光の愛宕社 勝(将)軍地蔵と猪
徳川家康を奉祀する「東照宮」の地、日光を火災から守るため、この地方では、山中のあちこちに愛宕信仰に基づく、愛宕社(愛宕山)が設けられ、防火鎮火が祈られた。
石祠には勝軍地蔵像が祀られ、石祠の前に神使の猪も置かれた。勝軍地蔵像の中には、猪に乗るものもある。
日光市石屋町 愛宕社
石柵で囲まれた立派な石祠がある。
この中に「馬に乗った三面勝軍地蔵」が祀られている。

石柵柱に享保4年(1719)の銘が読める。

石祠の入り口に神使の猪像(阿吽の一対)がある。

栃木県日光市石屋町、竜蔵寺墓地裏山(愛宕山)
東武日光駅又はJR日光駅下車、志渡渕川を渡った、竜蔵寺墓地裏の山道を15分位登る。
日光市中鉢石町 愛宕社
石祠の手前脇にある石台の上に、「苔むした阿吽の猪の一対」が、置かれている

栃木県日光市中鉢石町、瑠璃殿裏山(愛宕山)
東武日光駅又はJR日光駅、日光市役所左奥の小尾根を15分登った山腹

今市市瀬尾 愛宕神社
瀬尾(日光に隣接)の愛宕山山頂に愛宕神社がある。
石鳥居には宝永4年(1707
)の銘がある。
愛宕地蔵を祀る石祠の前に、神使の猪像が三体ある。
苔むした大小二体の猪像(対)に、もう一体(右端)が別途奉納されたものと思われる。

栃木県今市市瀬尾、愛宕山
東武鬼怒川線大谷向(ダイヤムコウ)駅北西
徒歩45分、愛宕山山頂

日光市所野 愛宕社
石祠の中には、「猪に乗った勝軍地蔵」が祀られていて、上方の窓からは地蔵の顔が拝見でき
下方の窓からは
猪の顔が見られる造りになっている。

日光市所野、薬師堂の裏山(愛宕山)
日光駅、霧降大橋を渡って、所野・薬師堂の左裏手の小尾根を15分登る