神田錦町から
太田修平


2006年5月9日(火)
久しぶりに書きます

 久しぶりに書きます。ほんとにご無沙汰です。

 自立支援法という法律が4月から一部施行されてしまい全国的にてんてこ舞い状況のようです。それはそれとして、去年の秋DPIの事務所のスタッフ一人と共に、防火管理者研修を神田消防署で受けました。朝9時前には行ってなければならずラッシュアワーを避けるために私は7時半には消防署に着くようにしました。だから朝は4時起きでした。つらい二日間でした。講義も分からないものが多く、睡魔との闘いと言ったほうが良いでしょう。二日間の講義を受け、最後はテストでした。60点以下は再試験かもしれないという脅かしもあり(ほんとはそんなことはなかったのですが)テストの時は睡魔も吹っ飛び緊張しまくりでした。なんとか80点を取れて合格ということになり、「防火管理者」の資格を取ることができました。(ちなみにもう一人の事務所のスタッフは二日間寝ていたにも関わらず100点満点をとっているのです)

 その後、千代田区の指定の避難場所であるセンターに行き、何かあった場合のこちらの事情を話したり、センター内の状況を見学しました。センターは階段昇降機は付いているものの、正面玄関が階段になっていてとてもではないですが車いすの障害者が避難できる状況ではありません。

 区役所からは、千代田区の会社等の場合、大地震が起きた場合は基本的にはそこで2,3日待機してもらうという考えであることを聞きました。事務所に2,3日あるいは1,2週間篭城できる準備をしておかなければなりません。つい2,3日前も静岡あたりを中心に地震があり大地震が近づいているのではないかという予感がします。

 今更ではありますが、地域との結びつきをどうやってつくっていくかを真剣に考えていく必要があります。

 最近、重度の障害者でもできるスポーツ"ボッチャ"というものにはまっています。パラリンピックの正式種目にも入っているのです。このことについてはまた改めて書くことにします。

2005年8月25日(木)
ひょんなことから防災担当に

 神田錦町の武蔵野ビルにDPI日本会議とともに移転して早1年半が過ぎました。総評会館時代より、ずっと広いスペースで快適な仕事をみんなでしています。私は日野市という八王子の近くに住んでいるので、やはり中央線で御茶ノ水駅を利用するのが一番良く、駅から15分かかるので、はじめのうちはちょっときついなと思うことがありましたが、今はもうすっかり慣れました。

 ひょんなことから、この事務所の防災担当ということになってしまいました。実は私、15年ほど前に、清瀬療護園という重度障害者の施設で暮らしていた時にも、防災委員長を務めていました。その施設では、利用者自身が主体的に防災を担おうという理念の下、自治会会長が防災委員長になることになっていました。

 障害連とDPI日本会議、そしてスタジオIの事務所は武蔵野ビルの5階にあり、大地震など、大きな災害があったときにはちょっと大変かもしれません。

 そういう中で、この間家具転倒防止のための用具を設置したり、非常用の飲料水や食料などを購入したり、少しずつ備えをしてきました。

 今日、大家さんの前田さんとお会いし、防災関係を含め、町内会活動のことなども相談することが出来ました。前田さんは私たちの活動に理解を示され、また「ぜひ町内会にも入ってください」とおっしゃってくださいました。

 地域福祉の時代といいますが、それこそ隣近所とのお付き合いをどうしていくか、そのことを具体化することが重要なのだろうと思います。

 私は自分でエレベーターのボタンを押せないので、このビルのならびにあるカレーライス店の店長さんに、エレベーターのボタンを押していただき、すっかり顔なじみになってしまいました。

 出発点は防災かもしれませんが、神田という町は東京の下町そのもの、地元の人たちによるお祭りも盛んです。これを機に色んな出会い、関係をつくることが出来ればなと密かに思っています。

 このページではこれから、事務所の防災の取組みはもちろんのこと、事務所と錦町の人たちとの交流の動きについてお伝えしたいと思っています。


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