僕には忘れられない人がいる。
もういないその人は、とても可愛かった。
でも、もう顔も忘れてしまった。
どんな声だっただろうか。
ただ、何を話したのか。
なんとなくも彼女との出来事は覚えている。
さつきちゃん…
小学校に通い始めた最初の冬。
1m先も見えないほどの吹雪の日があった。
昭和56年という年号からとって、「56豪雪」とニュースで言っていた。
初めての集団登校で、小学校も普通より早く終わった。
帰りはその吹雪きも止んでいたので集団下校にはならなかった。
雪の多い石川県に住んでいても、初めての大吹雪に下校時刻が楽しみで仕方がなかった。
いつもの帰り道とは違った道を帰った。
わざと腰まで積もった踏み荒らされていない田んぼに飛び込んだりもした。
そのうち、朝の吹雪ほどではなかったが少し激しくなってきていた。
その時はまだ、学校の近くにある空き地で遊んでいた。
一軒家と病院の建物の裏に挟まれている。
除雪車の積み上げた壁で道路からは,ちょうど隠れた場所になっていた。
少しくらい吹雪いてきても、すぐに止めようとはしなかった。
まずは、雪だるま。
雪だるまといっても一人で作る時は小さいものしか作らない。
大きく丸めた雪だるまを一人で2段重ねにするのは困難だ。
こぶしより大きいぐらいの雪玉を二つ重ねただけの雪だるまをいくつか並べる。
雪があたり一面を覆っているため、雪国の雪だるまには目も鼻も口もない。
50〜60cmも積もった雪を掻き分けて小石やら木の実などを探さないといけないから。
そして、バスケットボールぐらいの小さい山。
それに穴を開けて小さいカマクラを作った。
次は手の上に半分に切ったような小さいお饅頭を作った。
そのお饅頭に耳をつけた雪ウサギ。
雪ウサギは耳が丸いので、まるでネズミのようにも見える。
それがかえって気に入っていた。
それを、小さいカマクラと小さい雪だるまの横にいっぱい並べた。
ミニチュアの雪ウサギの村のようだった。
そこまで、作り終えて思ったよりも激しくなっているのに気付いた。
もうそろそろ家に帰ったほうが良い。
ミニチュアの村に後ろ髪を引かれながらも、道路の方へと歩いた。
除雪車が作った壁にまで、歩くのはすごく大変だった。
もう少し歩けば道路に出られる思ったら、急にミニチュアの村が気になって振り返った。
そこには、白い着物を着た女の子が立っていた。
「き…も…の…。雪女だぁ」
僕は叫んで逃げようとしたが、足が雪から抜けなくなって動けなかった。
「待ってよ。誰が雪女なのよ」
彼女は力を振り絞るようにして叫んだ。
その声に僕は振り返った。
それと同時に、彼女は雪の中に倒れてしまった。
ゆっくりと彼女に近づくと彼女の息が荒いのに気付いた。
「大丈夫。ねぇ、しっかりして」
彼女はゆっくりと起き上がると大丈夫と静かに答えた。
「ねぇ、さっきからこれ作っていたでしょう。何を作ってたの」
彼女は気だるさを見せながらも、出来るだけ明るく見せるようにして聞いた。
「別に、ただの雪だるまとカマクラと雪ウサギだよ」
彼女は僕の答えの中で雪ウサギだけに反応した。
「これが、雪ウサギ。やだっ。ウサギ。変だよ」
彼女は笑いながら言った。
「いいんだよ。ウサギで。耳を長くすると壊れやすいから…」
しばらく彼女は笑っていた。なんだか馬鹿にされた感じがして悔しかった。
でも、その悔しいのがばれないようにと、もう1つ雪ウサギを作ってみせた。
「いいな。外で遊べて…。私、こうやって遊びたかったの。ずっと、入院でつまんなくて」
彼女は寂しそうに呟いた。
「ねぇ、もう返ろうよ。熱、すごいよ。連れて行ってあげるから」
彼女は首を横にふった。
「私も雪ウサギ作る。もう私、死んじゃうのよ。遊べなくなっちゃうのよ。その前に雪ウサギを作りたいよ」
彼女の言葉にびっくりした。死ぬ!?
人が死ぬなんてことは、テレビや本の中でしか知らない!?
しかも、同じ年齢の女の子が!?
遊べなくなっちゃう前に雪ウサギを作りたい!?
僕はしばらく彼女を見つめて考えてから言った。
「じゃあ作ろう。雪ウサギ作ろうよ」
彼女は大きく頷いて、僕と彼女は1つずつ雪ウサギを作った。
「ねぇ、名前なんていうの」
そう聞いたら彼女はしばらく俯いていた。
『さつきだよ』彼女はそう答えて笑った。
そして、彼女を病院の入り口の近くまで連れて行くと彼女は「ここでいいよ」と言った。
「勝手に病室抜け出しちゃったから、見つかったら君まで怒られちゃうよ。
じゃあね、バイバイ」
「ねぇ、明日も作るよ。いっぱい。いっぱい作るよ。だから、病室から手を振ってね」
彼女はにっこりと笑って歩いて行った。
僕は美裕と待ち合せをしながらその時のことを考えていた。
僕は美裕が苦手だった。
好きでもなければ嫌いでもない。
ただ単に苦手なだけだ。
なぜだか僕にちょっかい出してきたり、良く分らなかった。
今日は美裕とのデートだったが、それも彼女が強引に誘ってきたものだった。
「あんたとデートしてくれる人なんて私しかいないんだから。だから、明日の休みいつもの歩道橋でね。待っててよ」
彼女にそう言われると何も返す言葉が見つからず、いつもデートしてしまう。
会社で仕事中に後ろから急に頭を叩いてきて、勝手に喜んでいたり。
とにかく、嫌いじゃなくて苦手だった。
さっきも家をでようとしたら電話をかけてきた。
その内容も随分身勝手だった。
「雪、降ってるね。こんな日にデートするんじゃなかったな。私、寒いの苦手なんだよね」
「じゃあいいよ。やめようよ」
「やだっ。やめない。約束だよ。デートするの。雪降っててもデートだよって、言おうと思って電話したの」
「なんだよ。それ。寒いの苦手なんだろう」
「いいの。約束だもん」
「そっちが、勝手に決めたくせに」
「なにそれ。あんたとデートしてくれる人なんて…」
「ああ、君しかいないよ。ありがとう」
「判ればいいの。じゃあ後でね。少し遅れるかも知れないけど、一応時間通り来てよね。あんた寒いの得意だから、少し待っるぐらいがちょうど良いんだから」
「分ったよ。じゃあ」
僕は少しだけ積もった雪で雪ウサギを作って歩道橋の手すりに並べていった。
通りすがりの人が笑っていたりして少し恥ずかしかった。
しかし、その人が通り過ぎると、また作り始めた。
あの日の翌日も僕は雪ウサギを作りに行った。
出来るだけいっぱいいっぱい雪ウサギを並べた。
きのう作った雪ウサギは新しい雪にすっかり埋もれてしまっていた。
真っ白な雪面にぽこぽこと雪ウサギが群れを作っていた。
作りながらも何度も病院の窓を見るが、ただ殺風景な窓が開くことなく並ぶだけだった。
それでも、いっぱい雪ウサギを作った。
しまいには一面の雪ウサギと自分が踏み荒らした足跡がむなしく散らばっているだけだった。
いくら待っても彼女が手を振ることは無く涙が溢れ出した。
暗くなりかけてきて、もう窓から覗いても見えないだろうと思った。
僕は病院の窓口に行ってさつきちゃんの病室を聞いた。
通りかかった看護婦さんが待合室の椅子に座るようにと薦めてくれた。
看護婦さんの真剣な表情は優しかったがこわばっていて冷たさも感じた。
どう説明しようかと困っている様子で、看護婦さんの眼にはうっすら涙を浮かべていた。
「さつきちゃんのお友達なの!?」
頷く僕に、また少しだけ優しそうな顔をした。
「さつきちゃんね、もういないの。お星様になっちゃったの。わかる!?」
そう言って僕の肩に手をかけて自分の方に抱き寄せた。
看護婦さんが自分を優しく包みこんでくれるような感じがした。
でも僕はすごく居心地が悪かった。
気持ち悪いような感覚に襲われた。
僕はただ彼女ともっと遊びたかった。
もっと話がしたかった。笑って欲しかっただけ。
違うこんなこと聞きに来たんじゃないと、それだけだった。
看護婦さんの手を振り払って病院を飛び出した。
雪ウサギの並ぶ空き地へと向かった。
雪ウサギを1つだけ取り上げ、それを持つ手に力を込めた。
しかし、手には力が入らなかった。
そっとその雪ウサギを雪の上に置いてあげて、その横にもう1つ雪ウサギを並べた。
雪ウサギを歩道橋の手すりいっぱいに並んだ頃、1人の女性が通りかかった。
「これって何の動物なの」
雪ウサギ…。
僕はそう答えようとしてやめた。
雪ウサギはさつきちゃんと僕だけのもの。
これは…。
「これは、ネズミだよ。チュウ。チュチュウ」
そう言ってごまかした。彼女はおもしろくないと言った表情をしながらも言った。
「ネズミ…。ネズミか。そっかぁ、可愛いね」
可愛いね…さつきちゃんだったらそう言わないだろうな。
そんなことを考えてしまって、すぐに頭からふり払おうとした。
その女性はしばらく黙ったままその雪ウサギを見つめていた。
しかし、それ以上何も言わずに僕の横を通り過ぎて行ってしまった。
なぜだか、ネズミといってごまかした自分自身に違和感を感じた。
ごまかしている自分が情けなく感じた。
「ウサギだよ。雪ウサギだよ」
僕は叫んでいた。
そして、女性が去った方を振り返った。
しかし、既に彼女は歩道橋を降りてしまってどこに行ったのか分らなくなっていた。
さつきちゃんはもういない。
ネズミだろうがウサギだろうが別にどうでもいい。
雪ウサギも、もういない。
これは、ネズミでいいんだ。
ネズミか。
そっかぁ。
雪ウサギじゃないだ。
さっきの女性は何度も何度もそう考えていた。
あの日、あの少年と雪の中で作った雪ウサギを思い出していた。
病室に戻ると、熱で何日間か起きることが出来なかった。
熱にうなされながらも雪ウサギのことを考えていた。
熱がだいぶ下がって窓の外を見た。
あの空き地にいっぱい並んだ雪ウサギは、涙が出るほど嬉しかった。
でも、いつ見てもあの少年の姿はなかった。
誰もいない雪ウサギの村にいっしょに寂しさも感じた。
そして、お母さんに頼んで一つだけ雪ウサギを病室に持ってきてもらった。
「これね。さつきちゃんに見せてあげるんだ。この前、雪で遊んだ時に友達と、一緒に作ったの」
その時、隣の病室のさつきちゃんが死んだことを知らされた。
そんなはずはない。
死ぬのは自分なのになんで!?
そう思った。
そして、もう病気が直らないと小さい声で話していた看護婦さんたちの話。
それが、自分のことじゃなくてさつきちゃんの事だったと分った。
あの時の少年にとっさについた嘘。
それは、もしも自分が死んだ時に誰もいないと寂しがるだろうと思ったから…。
さつきちゃんがいれば、自分がいなくなった時。
きっと私のこと話してくれるだろうと考えた。
そしてさつきちゃんが死んだ日。
ある少年がさつきちゃんのお見舞いに来たと看護婦さんが話してくれた。
さつきちゃんには友達がいなかった。
だから、私だけがさつきちゃんの友達だった。
きっと、さつきと名乗った私に会いに来てくれたんだ。
私じゃなく、本当のさつきちゃんが死んだことを聞かされて帰っていった。
そう思うと悲しかった。
一度に友達二人がいなくなってしまったのだから。
雪ウサギじゃなかった。
まさか。
今さらあの雪ウサギなんて、いるはずないよね。
「何、これウサギ…ウサギでしょ、これ」
僕はまだ、女性が立ち去った方向をぼんやりと眺めていた。
その時、美裕が後ろからやって来たのだった。
振り返った僕に、美裕は「何やってのよ」と笑った。
「それは、ネズミだよ。ネズミ」
ぶっきらぼうにそう言うと、彼女はまじまじと雪ウサギを見つめた。
「嘘だよ。ウサギだよ。雪ウサギ。ネズミなんて変だよ。でも、耳が丸い。変なの」
そう言ってまた笑った。
変なの…。
その言葉に美裕を見つめた。
美裕は無邪気に雪ウサギを1つだけ手に取って、隣の雪ウサギに並べて喜んで笑った。
僕は美裕を後ろから抱きしめた。
「そうだよ。雪ウサギだよ」
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