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第1話 小さくなった恋人


 「湊ちゃんよ。でぇさあ。プロポーズの言葉。なんて言ったんだよ。」
友達は僕を見つめてそう聞いた。
 1年間付き合った末に恋人の加南子さんへプロポーズしたことを告白したら、
彼は興味本位か『どんな人か見てきてやる』と言って一応は心配してくれたのだった。
 今日はその友達の奥さんも一緒来ていて、感想を聞かせてくれるとのことだった。
「あははは。プロポーズね。あははは。ふたりで…一緒に暮らそう…なんてね。あははは。」
 最初は照れ笑いだったが、次第にその時のことを思い出して笑ってしまっていた。
二人はお互い顔を見合わせぽかんと口を開けていた。
 それから友達は僕の方を見た。
「ふたりで…。それで…彼女なんていったんだ。そん時、どうだった。」
なんだか、深刻そうな顔つきで夫婦そろって僕を見る。
「あの。ちょっと待てよ。大丈夫だよ。たしかに、ちょっと困った顔してたけどさぁ。でも、最後にはちゃんと笑って別れたし。大丈夫だよ。1週間後に返事聞かせてくれるって言ってくれただよ。嬉しいって、嬉しいから、今の気分に浸りたいって。」
 たぶん、加南子さんのプロポーズの返事が悪い方になるだろうと予想しているのだろう。
無理はない。
 彼女はとても優しくて可愛らしくてそれでいてしっかりしている幼稚園の先生をしていて、
子供が大好きで家庭的でもある。
僕に言わせれば非の打ち所がないといったところだ。
それに引き換え僕はどうだろう。
どっちかと言えばちょとさえない方なのかもしれない。
 いや、彼らに言わせれば『お前のどこにいいところなんてあるんだよ。』
なんて駄目だしをくらうぐらいだ。
 やっぱり、彼女とは似合わないよなと何度も思ったものだが、
それでも結構楽しく付き合って来れたので彼女の笑顔に勇気づけられたといったところだ。
「いいよ。どうせ、彼女とじゃ釣合わないっていうんだろ。はい。はい。そうですよ。」
その言葉に友達は戸惑いながらも言った。
「まぁ…そうだな。釣合わないって言ったら、ある意味釣合わないかもしれないな。」
「何だよ、そのある意味って。」
「ああ、まあな。うん。いや…いいんだ。まぁ、こうして…ああでもないこうでもないって言っていてもしょうがないよな。次の日曜になったらどっちにしろ結果がでるんだからな。」
「なんだよ。言えよ。俺は、彼女を信じている。」
とその言葉で友達夫婦は顔を見合わせてその場をごまかすように帰っていった。
その言葉に僕は不安を生み、それでも信じていると自分に言い聞かせるようにして週末を待つこととなった。

 金曜日の晩になって、彼女も明日の土曜日が休みだったことを思い出した。
こうなったら1日でも早く結果をだして欲しいと思わずにはいられなかった。
何度も携帯電話の彼女の電話番号とにらめっこしては通話ボタンを押せずに消してしまう。
それでも、手から離さずに彼女から電話がかかってこないかと一生懸命に念じてしまう。
そんな時に鳴った玄関のベルにびっくりした。
というよりも、ピンポンピンポンとけたたましくなり続いた。
 一応、覗き穴を覗いてみた。
小さい女の子だろう体の一部分だけが上下にぴょんぴょんと飛び跳ねていた。
一生懸命にベルを押し続けていることが分る。
女の子がたずねてくることなど有り得ないと思いながらも、
 このままベルを鳴らされ続けたらたまらないと慌てて玄関を開けた。
彼女はそれに気付くと僕をじっと見つめていた。
「ねえ、どうしたの。」
と聞くとその少女はしばらく黙っていたが、せぇ〜のと呟いて、
「あのね…私…富田加南子っていうの。」
そう言って僕を観察するように眺めた。
 僕は、恋人の名前に動揺したが、こんな子供にからかわれているのだと自分自身を笑ってしまった。
もしかして、昔に別れた恋人が自分の子供を使って今の彼女の名前を言わせて復讐!?
 まさか、それらしい女性など思い当たらない。
思い当たらない!?
 5〜6歳だろうか、この少女が生まれるぐらいの頃に付き合っていた恋人なんて、
2〜3度デートしたぐらいで本当に付き合っていたかどうか分らないぐらいだ。
その他には!?そう何人もいる訳でもない。
 実際、今まで僕がふったことあったっけ!?
たしか、ないだろうな。それなのに復讐などありえない。
「あのさぁ。本当の名前は!?お母さんの名前は!?何処からきたの。」
やはり、僕を観察するように眺め回している少女の表情は少し真剣になったように見える。
「ねぇ。私、富田加南子。あなたに結婚を申し込まれたんでしょう!?ひどいんじゃない。あのね。目が覚めたらこんな子供だったの。でね。手紙に、占いのおばちゃんから子供に戻れる薬を買ったから試してみる、って書いてあったの。なんでも明日の7時まではこの姿みたいなんだ。それと、日記もおいてあってね。あなたの名前に結婚を申し込まれたことが書いてあったわ。いきなりこんな子供になってもしょうがないでしょう。だって、食事も用意してないんだよ。明日までどうすれば良いのか分らないから、あなたのところに来たの。分った!?」
 ぽかんとしている僕にすこしイラついたようにもう一度言った。
「だから、明日の晩御飯までお泊りに来たの。分った!?」
 なんだか、すこしむくれた様子が加南子さんにそっくりのように思えた。
「あははは。へぇ、それで子供になったんだ。子供になれる薬か!?」
なんて言う、
「ちょっと。信じてないんだ。いいわよ。結婚してやんないから。」
むくれて帰ろうとした。
「待って。ちょっと待って。分った。信じる。信じるよ。本当にごめん。どうぞ、入って。」
冷蔵庫に偶然にもあったオレンジジュースでもてなすと少し機嫌が良くなったように思う。
 その少女!?いや、彼女はとても行儀が良いしっかりした子だと関心した。
その後、彼女にいろいろと質問してみると、彼女は少し面倒くさそうにもそれに答えた。
彼女は大人の時の記憶は全く無いらしく、日記を読んだ程度しか知らないといった。
「あの…その…。彼女…いや…大人の加南子さんって、結婚してくれるとかなんとか…
日記に書いてなかったかな。」
 彼女は少しにやけたように見つめた。
「さぁ。書いてなかったよ。でも、なんだか嬉しそうだったよ。」
 僕がそれを聞いて笑うとまた彼女はにやけた。
「そしたら、子供の君から見て。僕と結婚したいとか思う!?」
 今度は馬鹿にしたように笑った。
「馬鹿みたい。なに、子供をくどいてるの。」
「違うよ。その、子供の君から見て…その…将来、結婚しても良いって思うのかな!?」
 彼女ははっきりと首を振って笑った。
「やだぁ。絶対やだぁ。もっと、かっこ良い人と結婚するんだもん。」
 彼女の言葉に僕は落ち込んでしまった。
「ねぇ。元気出してよ。大人になったら分らないよ。」
と言ってにやっと笑った。 「あははは。ありがとう。やっぱ、やだぁか。はぁ〜。」
 こんな少女に慰められるとはと、さらに落ち込んでしまった。
「ねぇ、明日…デート…してよ。」
 彼女は少し戸惑いながらも言った。
「デートね。いいよ。明日は休みだから。どこに行こうか。」
 彼女はほっぺたを膨らました。
「あのさぁ。そういうのは男の人が決めてくれるものでしょう。」
 僕は完全に負けたと思った。
加南子さんの小さい頃ってこんなにませていたのかと思うと少し自信をなくした。
「う〜ん。じゃあ動物園にしようか。」
彼女はさらにほっぺたを膨らました。
「なんで、動物園なの。今時の子供は動物園なんかじゃ喜ばないよ。
そう言えば、初めてのデートも動物園だったよね。」
 彼女は勝ち誇ったようにそう言った。
「あっ…そうか…ごめん。じゃぁ、どこにしようか。」
彼女は僕をまじまじと見つめた。
「だいたい、発想が貧弱だよ。う〜ん。なんで、こういう人を好きになったんだろう。」
 大人の加南子さんもやっぱりそういうことを思っていたのだろうか、
と本気で自信をなくしてきてしまった。
「まいったな。あのね。結婚したら君みたいな女の子が欲しいなって思っててね。
一緒に動物園に行くのが夢だったんだよ。でも、そうだよね。
子供にとってはそれじゃつまんないかもしれないね。」
 僕は彼女の頭をなでながら言った。
彼女は罪悪感を感じたのだろうか涙ぐんでしまった。
「ごめんなさい。私…あのね…動物園に行きたい。お願い連れって行って。」
そう言って僕に抱きついて泣いてしまった。
 僕は彼女を抱きしめてもう一度頭をなでた。
「ごめん。泣かないで。まいったな。そんなに怖い顔してたのかな。本当にごめんね。
じゃぁ動物園止めて水族館にしよう。ねぇ。水族館。どう。」
 彼女は顔を上げて涙を浮かべた目で笑った。
「動物園も水族館も変わらないよ。私、動物園に行きたい。」
「本当、動物園でいいの。ごめんね。」
彼女はもう一度笑うと抱きついてしばらくそのままでいた。
 彼女をベットに寝かせて電気を消した。
僕はソファに横になって眼をつぶった。
しばらくすると、ソファのところに彼女が来て僕のお腹に頭をもたせかけた。
「怖いの一緒に寝て欲しいの。ねぇ。」
少し泣きそうな声で彼女は言った。
 ベットの方に横になり彼女の頭のしたに腕をしいてあげた。
彼女は僕の方を見てこう言った。
「ねぇ。今、私。子供なんだから、何もしないでよ。大人になるまで待ってね。」
「なっ何、言ってんだよ。しないよ。何も。」
 僕が戸惑っているのを面白がって彼女はくすっと笑った。
僕もつられて笑ってしまった。
 さっきまで電気消して怖がっていたくせにと考えていると、
ふと加南子さんが前に言っていたことを思い出していた。
 彼女はとてもしっかりしているのだが、
突然パニックに陥ると本当にどうしようもなく戸惑ってしまうらしい。
 喫茶店を出るときに財布を家に忘れたことに気付いてパニックに陥ったときに、
一緒にいた幼稚園の園児がお店の人に正直に話して後でお金を払いに言って難をのがれたことがあったらしい。
 そんな話をしながら恥ずかしそうに笑っていた彼女とこの少女はとても似ていると感じていた。

 「そこ。そこの上にあがって。いいかい。写すよ。」
彼女は仕方ないつきあってやるかというような表情をちらっと覗かせて、
笑いながらサル山の前にあるベンチに靴を脱いで上がってにこっと笑って見せた。
カシャっと写真を写して彼女の横に行って肩に手をのせた。
 「ねぇ、あのサル何か食べてるよ。見て。見て。ほらっ。」
彼女も少しは楽しんでくれているのだと感じるとほっとした。
「ソフトクリーム食べる。買ってくるから待ってて。」
彼女は僕をみると満面の笑みを浮かべて頷いた。
 僕はソフトクリームを2つ買ってきて彼女の前に両方ともだした。
「どっちにする。」
彼女は笑った。
「どっちも同じだよ。」
 僕の手からソフトクリームを1つ取るとペロッと舐めてまた笑った。
「大人なんだから、もっと大人らしいのを食べたら良いのに。子供みたい。」
軽く笑った。
「いいんだよ。大人になるとね。あんまりこういうの食べられなくなるんだよ。だからいいの。」
 彼女は少し冷ややかに笑った。
「嘘だ。デートのたびに結構食べてるじゃない。」
 僕が不思議そうに見つめると、
「あ…日記…日記にね。一緒にソフトクリームを食べたってこといっぱい書いてあったの。」
 もう一度僕は彼女を不思議そうに見つめた。
「へぇ。日記にそういうことまで書いてあるんだ。」
彼女は笑った。 「おいし〜い。ね。」
「うん。おいしいね。へぇ。結構、きれいに食べるんだね。」
彼女は自慢たっぷりに笑った。
「当たり前だよ。だって、私、大人だもん。」
 僕は彼女の頭を撫でた。
「加南子さんは大きくなったら何になりたいの。」
彼女はにこっと笑った。
 「大きくなったら!?えっ。え〜とね。内緒…内緒だよ。」
そう言ってにっこりと笑った。
「教えてよ。子供の頃の君がなになりたいのか知りたいな。」
 僕は彼女を見つめて聞いた。
「駄目。大人の体に戻ったら…教えてあげる。」
そう言うと彼女は空を見上げた。
「えっでも、大人に戻ったとき、今日こうしてデートしたこと忘れちゃってたら…。」
そこまで言うと彼女は僕の腕にしがみついた。
「大丈夫だよ。日記に書いておくから。明日、教えてあげる。」
 それ以上聞いても彼女は黙ったままだった。
しばらくそのままにしてあげてたら、彼女は気持ちよく眠っていた。

 「もうすぐ5時だね。もうそろそろ帰らないと。大人に戻る前に服を脱がないで置かないと首が絞まって死んじゃうもん。だから、その前に家に帰っておかないと。」
 服の襟を両手で引っ張って彼女は言った。
早目の晩御飯を済ませてレストランからちょうど出てきたところだった。
「そっか。そうだよね。」
 彼女は車に乗ると、彼女の家の前に来るまで一言もしゃべらなかった。
外をじっと見つめていて少し悲しそうな表情だった。
そんな彼女に僕も声をかけることは出来なかった。
 そして、車を止めるとすぐにシートベルトを外してドアを開けた。
「待って、家まで送るよ。」
彼女は僕を見つめ直した。
「いいの。ここでいいよ。大丈夫。」
そう言ってにっこりと笑った。
 悲しそうな表情の後の笑顔に僕は少しほっとした。
「あのね。私ね…ううん。もしも…大人に戻ることが出来なかったら…それでも、結婚してもいいよ。」
 少し驚いて聞いた。
「戻れないこともあるの。」
彼女は首を横に振って答えた。
「大丈夫。戻れるんだけど。その…もしもってことだよ。大丈夫、心配しないでね。」
そう言ってにっこりと笑ってから車から降りて家の中へ走っていった。
 彼女の姿が見えなくなるまで、僕はそれを見ていた。
そして、『彼女の結婚してもいいよ。』その言葉を何度も思い返しては笑ってしまった。

 プロポーズの返事を聞くために家を出ようとした時に友達から電話がかかってきた。
「何があったとしても…駄目だったときは…慰めてやるから…うちに来いよ。」
そんな内容だった。
 とても嬉しいというより有難いと思ったが、生返事をして早く待ち合わせ場所に行かなければという思いでいっぱいだった。
そのため、待ち合わせの場所についたのはぎりぎりだった。
 1週間前、この公園でプロポーズしたのだと思い返すと緊張せずにはいられなかった。
彼女は既に真ん中にある噴水のそばに立っていた。
 下をみて暗い表情のようにも見えたが、僕を見つけると微笑んでくれた。
彼女もまた少し緊張気味のように見えた。
 僕が彼女の前までかけよると、彼女の表情はしだいにこわばっていくように感じる。
「遅くなってごめんね。」
そう言うと、
 彼女は首を横に振ってもう一度微笑んだが、やはりその表情はこわばっていた。
 そして、彼女は俯いて何か言おうと呟いていたが、何もしゃべることが出来ないようだった。
「しっかりしてよ。ママ。」
彼女の後ろから小さな加南子さんがぴょこと顔を出した。
 僕は予想していたわけではないが、不思議と驚きはしなかった。
 そして、しゃがんでにっこりと笑った。
「こんにちは、小さな加南子さん。」
小さなその彼女はほっぺたを膨らました。
「私、富田鏡だよ。オキョウってみんなに呼ばれているんだ。」
そう言ってにっこりと笑った。
「そっか。オキョウか。可愛い名前だね。」
 僕はオキョウの笑顔を見ているととても嬉しくなった。
「私ね。大きくなったらね。女優になるの。」
オキョウは自信満々の笑みを浮かべた。
「そっか。女優さんになるんだ。そっか。なれるよ。絶対大丈夫。」
そう言って笑うと、加南子さんが立ちすくんだまま泣いているのに気付いた。
 僕はオキョウを抱きかかえて、加南子さんを見ると加南子さんは涙を浮かべて笑った。
「ごめんなさい。嫌われたくて言えなかったの。」
それ以上何も言えなくなって次から次へと涙をこぼした。
「三人で一緒に暮らそう。結婚しようよ。」
加南子さんはオキョウを抱きかかえた僕を抱きついた。
 オキョウが加南子さんの頭を撫でていた。


 大人になると、どんなに付き合っていても好きな人には言えないこと。
でも、もしも子供の頃だったら意外と言えたのかも知れない。
子供の頃にあった心の小さな鍵のかかった窓も大人なるとそれでは足りずに大きな扉になってしまうのかもしれない。
 自分で開けることの出来ない鍵のかかった大きな扉は、きっと誰かに開けてもらえるのをまっているのだろうと思う。

This story was written by Dink in HP『しろく』.