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第9話 グラデーション


 白い光が拡散したかと思うと、黒い闇が全ての光を吸収する。白い光と黒い闇のフラッシュが延々と続いていた。その光と闇のフラッシュの中では白い羽の天使と黒い羽の天使が争っている。白い羽の天使は全てを光で埋め尽くさせるため、黒い羽の天使は全てを無という闇で埋め尽くすために。
 あっちでは白い天使の羽が黒いかぎ爪で引き裂かれているかと思えば、こっちでは黒い天使の羽が光の刃で切り刻まれていた。白い光に飛び散った白い羽が漂い、黒い闇に飛び散った黒い羽が蠢いていた。

「おのれ、消してくれるわ。」
 黒い闇のかぎ爪を振り下ろしながらディザンが叫んだ。黒い羽がバサバサと不快な羽音を立てながら、拡散する白い光を吸収して黒い闇に消し去っていく。
「思うようにはさせない。」
 白い光の刃でそれを受け止めながらプリオンが呟いた。白い羽がシュワッシュワッと心地よい羽音を立てながら、黒い闇を塗りつぶすように白い光を拡散する。
 刃とかぎ爪は押しも押されもせぬ均衡にとどまり、心地よい羽音と不快な羽音も互いを打ち消しあう。フラッシュする白い光にはプリオンの白い羽が漂い闇へ拡散光を放ち、黒い闇にはディザンの抜け落ちた黒い羽が蠢き光を吸収し闇に変えた。
 この世界では、光の中で羽を持つのは白い羽の天使のみであり、また闇の中で羽を持つのは黒い羽の天使のみである。同時に白い羽と黒い羽が存在することなどありえないことだった。  しかし、均衡した光と闇の間では、プリオンの白い羽は闇の中でも光を拡散し闇を塗りつぶし続け、ディザンの黒い羽は光の中でも光を吸収して黒い闇へと消し去っていた。
 それでもお互いが刃とかぎ爪へと全体重をかけて接近し、心地よい羽音の白い羽と不快な羽音の黒い羽が触れ合った。
 心地よい羽音はジュワッジュワッと鈍い音へと、不快な羽音もパサッパサッと軽快な音へと変化した。
 そして、光の刃と闇のかぎ爪の間に白と黒の渦が巻き中心の灰色の点へと吸い込まれる。均衡していたはずの光の刃と闇のかぎ爪とがゆっくりと通り抜けてしまった。ディザンの顔の間近に光の刃が、プリオンの顔の間近に闇のかぎ爪が迫った。
 プリオンとディザンは、ほぼ同時に驚きのあまり目を瞑った。なおも、刃とかぎ爪が互いの体を通りぬけるのを感じた。しかし、痛みなど感じることなく、まるで別の次元の者どうしがお互いの幻影を通り抜けるかのようだった。
 そのまま、通り過ぎていくのかとも思えたが、顔のあたりに相手の息遣いを感じたかと思うと、お互いの唇だけが触れ合った。プリオンもディザンも目を閉じたまま、無意識のうちにそれを吸いあっていた。


「なんなの、これ。」
 プリオンが目を開けて驚きの声をもらす。そこは、白い光と黒い闇のフラッシュの世界とは違っていた。
 眼前には大きな青い空に雲が浮かんでいる。人間界のことはイメージながら知っている。まさしく、ここが人間界なのだと気付くにはそう時間はかからなかった。
 ふと、唇に手をやった。まだ、胸がドキドキしている。あの黒の天使と交わした唇のせいかしら!?一瞬そう思ったが無理に違う結論を出そうとして、あの後の落ちていく感覚を思い出した。きっと、初めて感じた重力というもののせいね。そう自分に言い聞かせた。
 プリオンは仰向けになった体を起こしながら、空気が悪いと感じた。あたりを見回すと、大きな河の土手一面に咲き誇った草花の中にた。コンクリートの橋や河川ぞいにそびえ立つビルに、驚きもしないほど人間界へのイメージは強く、頭できちんと理解している。

「目が覚めたのか!?」
 この世界の男が目の前にしゃがみこむようにして話し掛けてきた。しかし、背中にはぼんやりと消えかかった黒い羽がある。しかし、見かけはこの世界の男!?
「どうだ。驚いたか!?どうやら、人間界に来ちまったようだな。」そう言ってニヤリと笑った。
 ディザンは目の前の女の姿になったプリオンを見つめながら、体が熱くなるを感じた。唇が触れ合った瞬間がイメージとして浮び上がってくる。しかし、その後の、物凄い力で引っ張り上げられたあの嫌な感覚も同時に思い出されてしまった。
「これから、どうすればいいの!?」
 絶望感を漂わせた表情で、プリオンはディザンを見つめた。
「知れたことよ。こうしてやる。」
 ディザンは右手を開いて橋へと向けたが、何も起こらなかった。
「駄目。そんなことさせないわ。」
 ディザンがもう一度橋へ向けて念を込めたのと同時にプリオンは橋へ向かって右手を込めた。その時、コンクリートの橋は大きな塊がぶつかったように崩れ落ちていった。河の水が一度せき止められたかと思うとまた橋の残骸を乗り越えるように流れていく。
 ディザンは追い討ちをかけるように橋に向かって念を込めるると、コンクリートの橋は元通りの橋へと復元された。橋の残骸が落ちたあたりの河の水面が下がったかと思うと、また元通りの河の流れに戻った。
「どうやらこの世界では、力の伝わり方にタイムラグがあるようだな。ふん。あの橋はもう一度壊れるのだ。」
 プリオンを見つめながらディザンは高らかに笑った。
「お願い止めて、この世界には関係のないことよ。」
 プリオンは目の前に咲いた花を指さした。
「この世界には、こんな綺麗な花が咲いているわ。お願いだから壊さないで。」
 ディザンは枯れかけた一輪の花を摘み取ってプリオンに見せた。
「花などいずれ枯れるものだ。俺の手で全ての花を枯らしてやろうと言っているのだ。」
 ディザンの摘み取った花は、次第に生き生きと元気になった。ディザンはふいにすぐに壊れるだろうコンクリートの橋を見たが、壊れる様子などみじんも無かった。
「確かに花はいずれ枯れるわ。でも、だからこそ綺麗なの。そしてまた違う花をさかせるの。」
 愕然としているディザンに気付かず、ディザンの持っている花をプリオンは掴んだ。すると、みるみる内にその花は枯れていった。プリオンの指先から枯れた花が落ちて、ディザンを睨み付けた。
「あの河の水を消してやる。」
 ディザンは右手を河へと向けると念を込める振りをすると、プリオンもすかさず右手を河へ向けて念を込めた。
「もう。あなたの思いどおりにわさせないわ。」
 河の水が一瞬の内に消えて川底がひえ上がった。河底の魚は干からびた土の上でピクピクと動いていた。向こう岸を歩いていた老人が驚いた様子で河のあった干からびた土の上に降りていった。
「お願い元に戻って!!」
 プリオンはなおも右手に念を込めながら叫んだ。その時、干からびた土の上を歩いていた老人へと、上流から勢い良く水が迫ってきた。下流の方からもゆっくりと水が迫ってきた。それに気付いた老人は慌てて岸へと戻ろうとするが間に合いそうもなかった。
「お願い水を消して!!」
 プリオンはディザンを見つめて哀願した。それを見て、ディザンは高らかに笑った。
「馬鹿め。あれはお前がやったのだ。」
 プリオンは一瞬愕然としたが、すぐに右手に念を込めた。河の水はまたひえ上がり、老人はゆっくりと岸に上がって呆然と立ちすくんだ。そして、また上流から勢い良く水が迫り、下流からもゆっくりと水が迫ってきて、それがぶつかったかと思うと元通りの流れへと戻った。
 呆然と右手を見つめているプリオンに向かって、もう一度ディザンは高らかに笑った。しかし、すぐに自分の右手を強く握り締めて悔しげな表情を見せた。
「皮肉なものだ。もう俺の力はお前に、お前の力が俺へと入れ替わってしまうなんて…。」
 プリオンはゆっくりと生き生きと咲いている花に手を伸ばすと、みるみる間にその花は枯れていってしまった。
 プリオンの頬から一筋の涙が落ちた。プリオンの涙が草花へ落ちるとまたその草花は枯れていった。そして、ゆっくりとあたりを見回すとプリオンの背後に咲いていた草花は全て枯れてしまっていた。
「いゃ〜ぁ!!嫌。こんなのイヤ!!」そう叫ぶ他なかった。
 ディザンはプリオンを抱き寄せた。プリオンの背中の消えかかった白い羽が完全に消えてしまい、自分の背中からも黒い羽が消えるのを感じた。その時、今自分が入っているこの男の記憶が湧き水のように頭の中に溢れ出した。
「俺が守ってやらなければいけない…愛してる。いや、この男はお前を愛していたのだ。だから、俺はお前を守る。守らなければならない。」
 プリオンはディザンの胸に肩にもたれかかったまま呟いた。
「お花屋さん。この女の人は、お花屋さんをやっていたみたい…でも、それも駄目になっちゃった。」
 ディザンはプリオンから一旦離れると、枯れた花を掴んでプリオンの目の前に差し出した。また、枯れた花は生き生きと元気に咲いた。
「だから、俺がいるんだ。この綺麗な花をいつまでも見ていればいい。」
 ディザンはプリオンを自分の胸に引き寄せ、強く抱きしめた。


 白い光と黒い闇のフラッシュの世界では、プリオンとディザンが消えた後も白と黒の渦巻きが拡大していた。
 その中心の灰色の点は拡大して、白と黒の渦巻きの拡大を追いかけるようにして広がり、その間にも白い羽の天使と黒い羽の天使を飲み込んでいった。
 白と黒の渦巻きの拡大は次第に勢いを衰えて、灰色の点がそれを飲み込んだところで消滅してしまい、その後はまるで何もなかったようにもとの世界へと戻った。

 白い光が拡散して全てを黒い闇が吸い込む、白い光と黒い闇のフラッシュがいつまでも続いた。

This story was written by Dink in HP『しろく』.