第8話 おしまいのあと1歩 |
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こんな暗闇の空間には、少しの風も強く感じる。 ドアを開けた時の風景は周りにある建物はまばらで、本当に高いところにいるんだって感じる。 街の灯りが空に反射して、じっと眼を凝らさないと星は見えない。 違う、星を見に来たんじゃない。 私はこの建物の屋上から街の灯りを見に来たんだ。 鉄の手摺に恐る恐る足を掛けた。 まだよ。まだ駄目。今ここから落ちちゃったらシャレになんないよ。 ようやく、手摺を乗り越えてホッとしてみて、私何やってんだろうと笑ってしまった。 手摺に背中を当ててしっかりと体を支えると、眼下に見える街の灯りを見下ろした。 そして、胸に手を当てて眼をつぶって考えてみた。 私は死にたいの!?死にたくないの!?どっち!? さぁここにくれば、死にたいと思えるかも知れないと思ったんでしょう。 少しだけ時間をあげるわ。ゆっくり考えて答えを出すの。 答えがどちらでも後悔はしないように、ちゃんと考えるのよ。 「死んじゃえ。あんたなんか死んじゃえば。」 急に智ちゃんの言った言葉が頭をよぎった。 なんで、そんなこと言うの!?私が何をしたの!? クラスが変わっても友達だって言ったじゃない。 智ちゃんにだけはそんなこと言われたくなかった。 だって、友達だよね。たった一人の親友だよね。 もう、どうでもいいよ。 生きてたって仕方ないよ。でも…。でも…。 死んだほうが良いのかな。 判らない。判らないからここに来たの。 死んだほうが良いのか!?生きてた方が良いのか!? だって、もうどっちでも良いんだもん。 膝をついて下を覗き込んだ。 街の灯りがとても綺麗。 あっ、あそこのファーストフードは、学校の帰りに良く行った。 あそこのコンビニで夏にバイトしてさぁ。 馬鹿!!馬鹿みたい。何で私、こんなこと考えちゃって。 そうだ、下を見ればいいんだ。 少しだけ、顔を乗り出して見ると体が軽くなった感じがした。 街路灯で歩道がぼんやりと見えて、遠くの方にはまばらに人が歩いているのが分かる。 ちょうど真下には誰も歩いていない。 人通りが少ないのは既に確認済みだった。 しばらく見ていると、段々と地面が近くなるように感じる。 まるで、ぴょんと飛び降りたら着地できるんじゃないかと思えるほど。 ここから飛び降りたら、意外とゆっくり落ちていくのを感じるんだ。 せめて体を横に倒すぐらいの時間はあるわ。 そしたら、まるで地面で寝そべったかのじょうに、あの地面に倒れるのよ。 だって、あんなに地面が近いんだもん。 更に顔を乗り出してみると、まるで下へと引っ張られるように感じた。 前髪がだらんと垂れ下がっている。 1段高くなっているコンクリートの枠についている手の力が段々と抜けていく。 足のつま先の方から軽くなっていくのが判る。 あと1歩だけ乗り出せば、多分死ねる。 そう、あと1歩だけで良いんだよ。 「きゃっ。」後ろから背中をぽんと押されてしまった。 誰もいなかったはずなのに。 嘘!!気のせい。 バランスを崩しただけだったの。 慌てて背中の後ろにある鉄の手摺へとつかまって、当たりを見渡した。 そして、一度気持ちを落ち着かせようとする。 胸に手を当てて心臓の音を確認すると、ドキドキと激しく鼓動を打っている。 眼をつぶって深呼吸をした。 「馬鹿じゃないの!?何やってんだよ。」 えっ。誰。誰もいなかったのに。 眼を開けて声のする方を見つめた。 コンクリートの枠に腰掛けた同じくらいの年齢の男の子がいる。 「誰。あんた、誰よ。」 あきれたような顔をした男の子は、からかうように言った。 「なぁ飛ばないの。そこから飛んじゃえば楽になるぜ。自殺しに来たんだろ。」 ムカつく。あんたみたいな奴に言われる筋合いはない!! 「うるさいわね。何であんたに言われなくちゃいけないのよ。」 笑った。何であんたに笑われないといけないの。 「誰が死ぬもんですか。違うわよ。夜景を見に来たの。悪い。」 「へぇ〜え。夜景を見るのにわざわざ手摺を越えるんだ。馬鹿じゃないの!?」 また、馬鹿にした。うるさいわよ。 「違うって言ってんでしょう。私が何しようと勝手でしょう。いいわよ戻るわよ。」 鉄の手摺に足を掛けて戻ろうとした。 「気をつけろよ。前に自殺しに来た人が、そっちに戻ろうとして足滑らしたことがあってさぁ。」 きゃぁ。危なかった。足滑らせるとこだった。 「脅かさないでよ。何よ。あんたこそ、何やってんのよ。あんたも越えてんじゃない。」 手摺を乗り越えるのを一旦やめて、男の子の方を向いた。 「俺か!?俺はいいんだよ。ここが好きなんだから。」 「ここ、自殺の名所なんだぜ、だから自殺しに来る人がいないか見張ってんだよ。なぁ、判ってのかよ。お前。死んだらさぁ、悲しむ人がいるんだぜ。後から後悔しても遅いんだぜ。お前だっているんだろ。お前の両親とかさぁ。」 「俺をたった一人で育ててくれた親父さぁ。一生懸命、会社のために頑張って働いたのに。会社の金取ったとかの疑いをかけられて、金は返せとか、会社はもちろんクビだし。それで…。ここで…。」 手摺に沿って男の子の方へと歩いた。 やだっ。私、そんな所で死のうとしてたなんて…。 「ごめんね。知らなかったから。」 凄く、悲しい。涙が出てきちゃった。 「馬鹿じゃないの!?嘘だよ。嘘に決まってんだろ。」 「えっ。嘘。ひどい。あんた、最低だよ。馬鹿みたい。」 「あははは。お前単純だな。」 笑いやがって、馬鹿にして…。最低!!。 智ちゃんが笑ってる。「死んじゃえば。」何でよ。何でそんなこと言うの!? あいつもまだ笑ってる。 靴を脱いで男の子へ向かって投げつけた。 「待てよ。判った。悪かった。親父は警察に捕まって、そのまま病気で死んだんだよ。」 「もう。いいよ。嘘ばっかり。全部、嘘なんでしょう!?」 涙で眼がかすんできた。頭の中に智ちゃんのあの言葉がこびり付いて離れない。 「触らないで。あっち言ってよ。馬鹿。」 優しく抱きしめる男の子の手を大きく払いのけた。 それでも、なお抱きしめようとする男の子をドンと突き飛ばした。 男の子が後ろへとよろめく。そっちは…。 「嘘!!落ちちゃった。私、突き飛ばしたの!?」 何で!?笑ってるよ。あいつ、笑ってる。 「ここから飛び降りたのは、親父じゃなくて俺なんだ。さぁ、お前もこっち来いよ。寂しかったんだ。」 「やだぁ、やめてよ。来ないで。」 「幼馴染の彼女。犯罪者の子供だとか、俺のこと罵ったくせして、俺が死んだ後。ここに来て、泣くんだぜ…。そして、飛び降りようとしてさぁ。」 また、智ちゃんが…止めてよ…言わないで。お願い!! 涙が止まらないよ。皆、私が死ねばいいって思っるんだ。 「さぁ、来いよ。ポンと飛んじゃえば、案外簡単なんだぜ。体なんかぺしゃんこになってさぁ。」 やめてよ。笑わないで…。 「やだっ。来ないで。死にたくない。私、死にたくないよ。」 「嘘だろ!?本当は死にたいんだろ!?見せてやるよ。」 いやぁ〜。やめて…。 何なの!?これ…。 落ちる〜。地面。わぁ〜。 真っ赤。血が…。これ、あいつなの!? 頭。ぐしゃぐしゃ。何、脳みそ!? やだぁ、内臓が飛び出している…。 真っ赤な血が…。 鼻が痛い。ツンとくる…。まるで、塩酸の匂い。 いやぁ〜。 とても息苦しくて、頭がくらくらする。 鉄の手摺に一生懸命にしがみついて泣いた。 「いやぁ〜。来ないで。私、死にたくない。うぅ…うぅ…。」 後ろを振り返ると、空中に浮かび上がった男の子が静かに涙を流していた。 「寂しかった。でも、判っただろ!?これでもう死にたいなんて思わないだろう!?さぁ、帰れよ。」 ほんの少しだけ、優しく聞こえるが、先程の光景が眼に焼きついて離れなかった。 ゆっくりと、手摺にすがりつくようにして立ち上がった。 もしかしたら、後ろから引っ張られて落ちてしまうのではと思わずにはいられない。 恐る恐る、手摺を乗り越えようとした。 えっ、やだぁ。落ちる。 滑った足にバランスを崩すようにして後ろへ落ちそうになった。 体が妙に軽い。 まるで、空中を歩くようにして、手摺の向こうへとゆっくりと降りることが出来た。 「気をつけろよ。危ないだろ。」 さっきまでは感じなかったが、男の子の感触は凄く冷たくて硬い。 真っ赤な血。つぶれた頭。飛び出した脳みそと内臓。 やっぱり、眼に焼きついて離れない。 「やめて…。離して…化け物!!。」 静かに見つめている男の子は寂しそうに見える。 悲しくて涙が止まらない。 化け物。何でそんなこと言っちゃったんだろう。 「ごめん。寂しいんだね。でも私、そっちにはいけない。一緒にはいられないよ。」 やっぱり、助けてくれたんだね。 「悪かった。怖かっただろう。すぐに記憶を消してあげるよ。でも約束して欲しい。」 約束…何を!? 「もう、絶対に死のうとしないって、約束してくれよ。あんな光景も、俺のことも忘れた後…。」 死なない!!絶対に死なないよ。 「忘れちゃったら、また元の気持ちに戻っちゃうけど…。それでも、悲しむ人がいるから…。」 男の子が静かに近づこうとした。 「待って。あなたの彼女。ここに来るんでしょう。お花そえたり…。だったら、寂しくないよね。」 「来ないよ。だって、俺のこと少しでも覚えてたら…。立ち直れないほど悲しんでいたから…。」 「彼女の記憶も消しちゃったの!?」 「あぁ、全部。だから、俺のこと覚えている人なんていないよ。」 頭に手を当てた。すごく冷たいけど、優しい。 「駄目。やめて。消さないで。私が覚えている。全部。そしたら、絶対に死にたいなんて思わない。」 「あんな光景覚えていると…。つらいよ。忘れたほうがいいよ。」 「いいの。そして、私がたまにお花そえてあげるから。本当に助けてくれてありがとう。」 男の子が優しく微笑みながら、ゆっくりと消えていった。 その向こうに見えた星がとても綺麗だった。 |
人は良いことは思い出として…。 嫌なことは忘れてしまいたい。 とても身勝手だ。 その忘れてしまいたい記憶の中に、いざというときに助けてくれるものもある。 This story was written by Dink in HP『しろく』. |