私は、彼女からの突然の告白に驚いた。
子供が出来たと聞かされたら、誰でも驚くだろう。
その後で喜ぶのか、まずいとか失敗したとか思うかのどちらかである。
それでも、彼女は私の妻だから、喜ぶのは当然だった。
そして、彼女と出会った時のことを思い出していた。
きっかけは御守りだった。
私は足元に転がってきた青い紐のついた鈴を拾いあげた。
いぶしのかかった金色の鈴が2つ付いていて、思わずチリンと鳴らしてみた。
「あの…。」彼女はか細い声で、恥ずかしそうに俯いて立っていた。
それ以上何も言わなかったが、この鈴を見つめているのが分る。
「あっ。ごめん。君のだね。」
彼女は1歩下がった感じで立ったままだったので、私はベンチから立ち上がってそれを返してあげた。
黒く長い髪でどこか古風に見える彼女は、鈴を返してもらうと軽くにっこりと笑った。
「ありがとう。大事な御守りなの。」
彼女がそう言った後、突然強い風が吹いた。
彼女はその風上のどこか1点を睨みつけるように険しい表情で、チリンと鈴を鳴らした。
それを私が目の前にいるのを思い出して、その場を逃げるように立ち去った。
私は彼女の後姿を見つめていた。
最近は珍しい黒く長い髪の女性だからなのか、おとなしそうな彼女の険しい表情を見たからなのか。
とにかく、どこか彼女に惹かれたのは確かで、瞬きが面倒くさくなるほど見つめていた。
ふと我に帰ったようにいったい何をやってるのだろうと自問した。
しかし、それもほんの一瞬のことだった。
それより、見とれていたことが大義名分のようにも感じられた。
数人の男達が彼女を取り囲んで、おびえた様子の彼女の腕を掴んでいる。
それには彼女は逆らって逃げようとしていたが、男達はその腕を離そうとはしなかった。
急いで私は彼女のもとへと駆け寄った。
力には特別自身はないので、ケンカになればきっと負けるだろう。
ただ、何も考えずに駆け寄った。
「止めるんだ。彼女は嫌がってるだろう。」
男達はすごんで見せ、おっさんはすっこんでいろと罵声を浴びせた。
強引に彼女と男達の間に入って、掴んでいた腕を離させた。
その瞬間、一人の男に殴られたのをきっかけに、男達から殴られたり蹴られたりした。
私はそんな中でも彼女は果たして無事なのだろうかと心配だった。
そして、彼女も私を心配してくれたのだった。
「止めて。お願いだから止めて。」
彼女の声に一瞬男達の暴行は止まって、彼女は私の傍らに駆け寄った。
かすかに彼女の持っていたさっきの鈴がチリンと鳴った。
「大丈夫!?」
ぼろぼろに暴行を受けた私に心配そうな顔で彼女は聞いた。
腹や背中や頭、男達に暴行を受けた箇所がずきずきと痛んだ。
先程と同じ強い風が吹き抜けた。
彼女は私に暴行を受けた男達をきりっと睨みつけた。
私への暴行で興奮が冷めない男達は、その睨んだ彼女に対してさらに興奮した。
彼女へいやらしい言葉を吐いたり、もう一度倒れたままの私の足を蹴り上げた。
その時、その男が白い影がぶつかって、倒れ込んだ。
私を蹴り上げた男に覆い被さるようにして、真っ白で大きな犬がう〜とうなってる。
とても毛並みが良いきれいな犬なのだが、何故かうっすらと向こうが透けて見えるように透明だ。
男達は恐怖でわ〜わと大声で騒いでいた。
その犬には私も恐怖を感じたが、その犬から彼女を守ろうと私の後ろへと隠した。
なんとか、犬の下から這うように逃げ出した男は、仲間達と一緒に逃げ出した。
真っ白で大きな犬は、私達の方を睨んむようにしてぴたりと止まった。
私はせめて彼女だけは守らないといけないと、その場で犬の目を睨み返した。
不思議と彼女は同時もせず、むしろ愛情を持ってその犬に微笑んでいた。
青い紐の鈴をチリンと鳴らすと同時に「かぎろひ…ありがとう。」とぽつりと呟いた。
その言葉に反応するように、その犬は後ろを振り向いて走っていった。
そして、草むらへと溶け込むように段々と透明になって消えてしまったのだった。
彼女はハッと我に帰って、「ありがとう。」と一言残して立ち去ろうとした。
「待ってくれ。かぎろひって言ったよね。あの犬の名前!?」
無言で頷いた彼女は凍りついたように立ち止まった。
「ごめん。君を助けるつもりが、逆にかぎろひに助けられちゃったね。」
私は出来るだけ平静を装って、今見た出来事がなんでもなかったように笑ってごまかした。
彼女は私を振り返って見つめたが、暴行された私の体を気遣ってくれたのだった。
その事があってから、彼女と何度かデートを交わすようになった。
彼女は子供の頃から孤独で、恋人どころか友達さえいなかった。
いつも彼女を守っているかぎろひの気配で、異様な雰囲気を持つ彼女。
そんな彼女には誰も近寄らない。
何度か仲良くなった人はいたようだが、かぎろひを見ると避けるようになったという。
私は正直に言った。
「かぎろひの事は平気じゃないよ。怖い。でも、こんどこそ。私が君を守るから…。かぎろひに頼らずに生きていけるように…君を守りたい。だめかな!?こんなんじゃ。」
彼女はそんな私の胸に顔を埋めて泣いたのだった。
それからもしばらく、彼女とのデートを繰り返した後で結婚に至った。
彼女には私しかいなかった。
かぎろひを忘れるために犬を飼う事を提案したこともあった。
この世に生きている犬達は彼女を敬遠する。
彼女と2人で歩いているときに、首輪をした犬が遠くから走ってきた。
その犬は散歩中に飼い主を振り切ってきたらしく、首輪には散歩用のロープをつけていた。
私達の行く手を遮るようにして止まって、ワンワンと激しく吠え立てた。
彼女はさびしそうにそれを見ているのだった。
今にも飛び掛りそうな犬に私が彼女を守るべく、立ちふさがった。
さらに激しく吼えまくる犬は、体制を低く身構えた。
彼女は青い紐の鈴をチリンと鳴らすと、いつものように犬はキャンキャンと逃げていくのだった。
これは、子供の頃から彼女が味わってきたことでもある。
何も、彼女を敬遠するのは犬ばかりではなく、他の動物もそうだった。
そればかりか、子供でさえ何かを感じているようだ。
公園で小さな子が迷子になって泣いていたことがある。
私が近寄って話し掛けていると、彼女が近寄ってくるとひどく怖がって泣き出したのだった。
その子供の両親が見つかり別れた後で、彼女は突然泣き出してしまった。
「大丈夫。私達の子供は怖がったりしないから…。」
そう言って彼女をなだめたりもした。
そんな私達の念願の子供だった。
私は彼女さえいてくれれば良いと思っていたが、なんとなくも彼女が子供を望んでいるのを知った。
おそらく、それが私にもうつってしまったのだろうか、彼女に授けてやりたいと思ったのだ。
「子供が出来たの。」
静かにポツリと呟くと、嬉しそうに彼女が笑った。
そうだ私が驚いたのは、この告白ではない。
彼女はかぎろひの話を始めた。
「かぎろひはね。昔、私の家で飼っていた犬だって言ったよね。でも、まだ飼うより前にね。外で遊んでいると、いつのまにか、私の後ろにぴったりと付いてきてたの。何度追い払ったと思っても、ぴったりとくっ付いてくるから。家で飼ってもいいって…お母さんがね…。」
彼女は静かに語り始めていたが、段々とかげろひとの思い出を楽しそうに。
また、悲しそうにも語り続けた。
私にはとても中の良い友達だったのだと改めて知った。
かぎろひは生きている時から彼女を守っていたのだ。
「いつかは、そのかぎろひともお別れなんだって、気付いたの。」
青い紐の鈴を取り出してそう言う彼女の口調は、急に妖しく冷たいものとなった。
「この御守りはね。そんなかぎろひでないと駄目だったの。私のことを本当に愛してくれていないと駄目なの。御守りになってもかぎろひはいつも私の近くにいてくれるの。」
私には一体何を言っているのか直ぐには理解できなかった。
ただ、黙って静かに話す彼女の言葉を一言漏らさず聞くことだけだ。
彼女はお腹の子供をいたわるようにさすってあげ、私の前に赤い紐の鈴を差し出した。
「あなたもこの子の御守りになって欲しいの。この子を愛してくれるでしょう!?本当にこの子を愛してくれるのはあなたしかいないの。だから、お願いね。大丈夫よ。あなたはいつもこの子の傍にいられるんだから。」
私は、彼女からの突然の告白に驚いた。
子供が出来たと聞かされたら、誰でも驚くだろう…。
あの風が吹いた。かぎろひがどこかで見ていた。
「あなたはいつもこの子の傍にいられるんだから…。」
その言葉を聞いている私を、まるで自分自身で見ているような感じがした。
そんな、妙な気分だった。
|