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第2話 組みあがらないパズル

 披露宴の最中、すみの方で話している同僚の女の子たちが小声で話しているのが聞こえて、
彼女は静かに涙を流した。
彼の腕をつかむ手に少し力が入って、彼がそれに気付き彼女の肩を抱いて気遣ってくれた。
彼の肩に頭を寄せて静かに目を閉じた。

―あんなことがあったけど、やっと沙知も高橋さんと結婚して幸せになれるよね。
うん。本当だよね。 それにしてもあれはひどいよね。
あいつ最低だよ。いくらふられたからって、あんなことするなんて…。
あれでしょ。彼女の妹に痴漢したあげく死に追いやったんでしょう。
そうそう。その子逃げようとして電車に引かれたんだって…。
それで、あいつどうなったの。
そうよどうなったのよ。
それがね、頭おかしくなって病院に入ってるんだって。
絶対、ひどいよね。沙知がかわいそうだよ。―

 たばこの火が街のネオサインに同化するかのようにかすんでみえる。
重い体が何となくいうことをきかない。
踏み切りの音がなりだして、走れば十分間に合うタイミングにも立ち止まってしまった。
遮断機が下りると一人の女性が遮断機をくぐろうとした。
 急に体中のヨロイが剥がれ落ちたかのように体が軽くなって、
自分でも驚くほどのスピードでその女性を抱きかかえて踏み切りの外へ引きずり出すことに成功した。

「離して…。死なせて。」
その女性は泣きながら、しっかりと抱きかかえている僕の手をふりほどこうとした。
「離して。お願いだから死なせて…。」
「やめろよ。馬鹿なまねはよせよ。」
彼女を説得することを試みるが、
いっこうに僕の手をふりほどこうとするその女性の力は弱まらなかった。
「私、生きてちゃいけないの。私…。お姉ちゃんの恋人と寝たのよ。
無理矢理、あの人が…。だから、どうでもいいの。お願いだから死なせて…。」
さらにその女性の力が強くなった。
僕もその女性を抱きしめている手に力をこめた。
 電車が通り過ぎて遮断機があがるのに少しほっとした。
そして、女性の力が抜けて落ち着いたかのように見えた。
 しかし、女性を抱きしめる手を緩めた瞬間、その女性の叫びにびくっとした。
「痴漢。誰か助けて〜。」
僕の手からするっと抜け出して逃げようとするのを、
女性の手をつかんで静止するのがやっとだった。
「待てよ。やめろよ。」
僕がその女性にそう言うと、
「離して…。お願い…。」
そう言って僕の手を振りほどこうとした。
 僕が誤解されやしないかと周りを見回すと、後ろの方に沙知さんが立ちすくんでいるのが見えた。
「妹を放して。誰か妹を助けて〜。」
そう彼女は叫んだ。
 僕がつかんでいた女性も「お願い離して」と叫びながら、さらに振りほどく力を強めた。
 通りがかりの男達が僕を押さえつけるのと、僕がその女性の手を放してしまうのは、
ほぼ同時だった。
その女性は僕から逃れると少し離れたところで立ちすくんでいた。
「離してくれ…。違うんだ…。待って…。」
そう言うのがやっとだった。
 無常にも踏み切りの音が鳴り始めた。
「なんでだよ〜。待てよ…。待つんだ…。」
僕を押さえつけている男のうちの一人が叫んだ。
「早く逃げるんだ〜。早く。」
彼女が後ろを振り向いて踏み切りへと走り出したのは、踏み切りの遮断機が折りきった直後だった。

遮断機をくぐったところで、その女性は倒れこんだ。
それはまるで踏み切りの中でただころんだだけのようにも見えたが、その中で起き上がろうとはしなかった。
 彼女が叫ぶ声に僕を押さえつけていた男達が、
女性が踏み切りに倒れこんだことに気付いて呆然としていた。
その隙に僕が男達からすり抜けることが出来た時には、電車のブレーキをかけた音が響いていた。
電車が止まった時にはもう、完全に踏み切りを通り過ぎていた。
僕はまるで赤のペンキをぶちまけたような真っ赤に染まった踏み切りを見つめて、
ゆっくりと歩いていた。
「何でだよ…。」そうつぶやいた僕は泣いていた。
ゆっくりとゆっくりと、踏み切りに向かって歩いていた。
 一番大きい塊と、転がっていた腕を踏み切りの外へと引きづりだして、
ちぎれてなくなっているひざ下を探してあたりを見回すが見当たらなかった。
 急に体中の力が抜けて遮断機に崩れ落ちるように倒れこんだ。
塊となったその女性の体が僕にのしかかった。
ひしゃげた頭に手をあてると、これがあの女性とはとても思えないほどだったが、
かろうじて右目だけが静かに僕を見つめていた。
女性の頭を抱き寄せた時、同僚の高橋が立ちすくんでいるのを見つけた。
すぐに誰にも気付かれないようにと逃げていく姿を僕は見つめていた。

 何度も何度もそれを思い出しては、僕は叫んだ。
出来るだけの力振り絞って叫び続けることしか出来なかった。
一度だけ高橋が病院へやってきて、僕が自分のことを誰かに話さないかどうかを確認して帰った。

 「遺書は始末したんだ。後はお前だけが話さなければ誰にも気付かれることはない。
でもその調子だと心配ないな。そのままでいてくれよ。」
そうかすかに聞こえたのだけは覚えている。



 「この絵、私大好き」
その一言から始まった彼女への誕生日プレゼントは、一度ジグソーパズルを完成させて、
その裏へ1ピースに1文字ずつ書き上げたラブレターだった。
 そもそも、親友との内緒の約束で彼女の誕生日にプレゼントを渡すときに告白しようというもので、
どちらが彼女とうまくいっても恨みっこなしという大イベントだった。
 しかし、たまたまアパートにやって来た彼女が、
ばらして箱に戻すつもりだったジグソーパズルを落としてしまった。
あわててかき集めたパズルは何枚かピースが足りなかった。
 どこを探しても見つからないピースに、この計画はあえなく断念となった。
ピースが足りないことも、そのパズルが彼女へのプレゼントだったことも内緒にして、僕は花束を贈った。
 めったにもらわない花束に彼女は喜んだが、
「ありがとう。でもどうせならあのパズルが欲しかったな。私、あの絵が好きだったのに」
そう言って選んだのは親友の方だった。  組みあがらないパズルほどむなしいものはない。
でも、それを壊したのは大好きな彼女だから…。
彼女にはこれからの楽しい未来が待っている。
それはそれで良かったのかもしれない。

This story was written by Dink in HP『しろく』.