第1話 黒い面影 |
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私の妻は死んだ。 彼女は数々の思い出を残して死んでしまった。 まだ、28歳という若さで…。 私は妻が死んでからのこの一年間、彼女のことを忘れたことはなかった。 私が独身のころから使っていた愛着を感じていたカーテンを、 「絶対この柄がいいよ。」と勝手に取り替えたりした。 それに合わせて選んだクッション。 愛読家である彼女の本棚には、彼女の好きなミステリーが並んでいる。 彼女のアルバムもその本棚にある。 「部屋が狭くなるからと…。」 と駄目だといったのに、どうしてもとせがまれ買ってしまった三面鏡。 [女は良い鏡がないと綺麗ではいられないのよ。]と彼女が言っていた。 彼女の思い出の品々を、私は処分できずにいた。 日曜日にはいつも洗濯をしていた。 ベランダに干す洗濯物は、特にしわがつかないようにと丁寧に干していた。 そのため、洗濯物のしわを伸ばすのに手間がかかり干し終わるまでに相当の時間を費やしていた。 あまりにも熱心にしわを伸ばしていたので、その間に私が出かけやしないかと思い出しては私を呼ぶ。 「隆志さん。いる!?出かけてないよね!?」 もしも、返事がない時はさびしがり屋の彼女は、 私が出かけていないことを確認するまで家の中を探し回る。 「隆志さん。いるの!?」今、彼女が私を呼んだ。 ベランダの窓ガラスは閉まっているのに、彼女が私を呼んだのだ。 今日は私の方からその窓ガラスを開けてあげなければいけない。 窓ガラスを開けると、ベランダに一羽のカラスがとまっていた。 彼女には似ても似つかない汚い魔物のように見える。 その魔物は私を愛するどころか、憎んでさえいる。 なぜなら、私と彼女の二人きりの思い出の詰まっている、 私たち二人だけの家に進入してきたからだ。 私は、私たち二人の大切な家を汚されないように…。 その魔物を追い出そうとしたがなかなかうまくいかなかい。 魔物は彼女が選んでくれたカーテンの前にいる。 私はゴルフのドライバを持ってきて立ち向かう。 魔物はひらりと逃げて、彼女の本棚にとまった。 ドライバをブーンと振り回した。 魔物はまたもやひらりと逃げて、彼女の大事な三面鏡へとまった。 ドライバをブーン、ブーンと振り回した。 魔物はひらりと逃げて、ついには私の座椅子の方へとまった。 その魔物はその座椅子の上で、私のことを笑っている。 私は部屋の中を見渡して笑ってしまった。 たった一匹のこの魔物のおかげで、 今まで彼女の思い出を大切にするがあまり、 処分し切れなかった品々を処分してしまったのだから。 カーテンは破れて、本棚から本は散乱して、彼女のアルバムさえぐちゃぐちゃになっていた。 彼女が一番大事にしていた三面鏡にも、ひびが入っていた。 私は、そのまま座り込んで何時間でも笑っていた。 次の日の朝になった。 私はひびの入った三面鏡を見た。 そのひびの入った鏡には、白髪になってやつれた自分の顔が写っていた。 その顔を見て私は、再び笑ってしまった。 何時間でも何十時間でも笑っていた。 しかし、そのひびの入った三面鏡が何なのか忘れてしまっていた。 いったい誰の三面鏡であったのか!? 白髪でやつれた自分の顔が、ただおかしくて仕方がなかった。 |
例えば失恋した後、もしもあの人のことを忘れることができたら、 きっとラクになるだろうなと思ったことはないでしょうか…。 でも本当に忘れてしまった方が良いのでしょうか!? 今まで好きだった人のことを急に忘れてしまったらいったいどうなるのでしょうか…。 This story was written by Dink in HP『しろく』. |