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第2話 理想論と罰


 理想と現実にはギャップがある。
理想を高く持ちすぎるとそれは幻想になる。
その幻想も現実味をもたせれば夢となり、それに向かって努力すれば目標となる。
 そして、実現すれば現実となるのだ。
決してそれらは同じ物ではないが、その境目のどこに線を引くかが問題である。
それを見極めれば、そのギャップに苦しむことは無いのかもしれない。


 私がまだ高校生だった頃、現代社会でニーチェの 「神は死んだ。だから何をしても良いのだ。」という言葉を習った。
 このニーチェの思想を実際に実行した人物が独裁者であるヒトラーをその先生は挙げた。
しかし、私はこれは間違いだとその時思った。
私が思うにニーチェは神という存在を信じる神論者だと思う。
なぜなら、その言葉を裏返せば神が生きているのなら何をしても良いとはならないと考えていること。
 次に、何をしても良いとなった時にわざわざ悪い行いをしなくても良いのではと思う。
その言葉に続きを付けるなら、何をしても良いのだから善い行いをすれば良い。
と付け加えたなら間違ってもヒトラーのような行いは出来ないはずである。
 もちろん、これは私自身の持論であって、一般的ではないニーチェのニヒリズムといものだ。
 日本の憲法は自由主義を唱えている。
噛み砕いて言うなら、「何人も他人の自由を犯してはならない」といものであるが、
小学校でこれを教えるとほとんどの生徒は自由なら勉強せずに遊んでも良いと言い訳してしまう。
多くの教師はその対抗策として、自由とは規則や法律を守ってこそ与えられるものだというだろう。
 私はこれにも反対だ。所詮、自由主義とは今の世の中存在しないと当時より思っていた。
本当の自由とは私流のニヒリズムであり、日本の社会は自由主義の中に規則や法律で制限されたものであり、
これとは異なるものだ。
日本において自由は存在せず、自由が存在してはいけないのだと。
 では、規則や法律で縛られた国家がすばらしいとは言えない。
規則や法律で縛られる国家と縛られない国家の二つがあったとする、
犯罪を犯す人間が同量で同質だったらどちらが良い国家とは言えない。
 しかし、規則や法律で縛られる国家と縛られない国家があったとして、
犯罪を犯す人間が全くいなかったら全く縛られない国家の方が良いと言える。
規則も法律もない国家で犯罪を犯さない人が住む国家を作りたい、
 それが私流のニヒリズムでもある理想論である。

 この理想論である国家が首相である私のもと、日本もうじき完成することとなった。
これまでの道のりはとても長いものであった。
与党第一党でなければ政治は変わらないとの思いから地道にクリーンなイメージを務めてきた。
いや、クリーンだった。
 そのかいあって日本の国家の中で最もクリーンな政治家という地位を十年間築いてきた。
それでも、政治家としては今ひとつパッとしないというところもあり、実際には首相という地位からは程遠い存在だと言われていた。
 なぜ、私が首相になれたのだろうと今でも不思議に思わずにはいられない。
ここ十年間厳しすぎる法律のせいか、犯罪というものがなくなっていた。
交通違反すらなくなったのだ。
 私は、とある議会で不意にあの理想論を述べてみた。
「法を厳しくするのではく、むしろ法を緩和して法がなくても犯罪を犯さない国民をそだてるべきだと。」
 これは、私にとっても予想外に反響が大きかった。
与党の首相経験者たちや首相候補者たちがこぞって私にさらなる説明を求めた。
そして、首相になって実行しろという結論になったのだ。
平和を求める国民からの反発は大きかった。
マスコミや新聞社もその声を大きく取り上げて反発の意思をあらわにした。
 しかし、与党内の意見は憲法を廃止することを条件に実行をすることを認め、
とりあえず犯罪に関する全ての法律を廃止して様子を見てみる時期にきたと後押ししてくれたのだ。

 もうじき、夜中の12時になる。
そしたら、私流のニヒリズムである理想国家が始まる。
「何人も他人を裁くことは出来ない。
他人に危害を加える人は、その危害を加える前に自らが自らを罰することとする。」
というのが全容であり、それ以上のこともそれ以下のことでもない。
 私は眠ることが出来なかった。
とても緊張し、高揚していた。
その瞬間をひっそりと祝いたいと思っていたのだが、今まで右腕となって働いてくれた官房長官が一緒に祝いたいとのことで二人でワイングラスを傾けていた。
 「まもなくですね。」官房長官の言葉に私は時計を見上げた。
この時のために電波時計で何度も1秒たりとも狂っていないかと何度も確認した。
 そして、時計の長針と短針が重なり夜中の12時になった。
官房長官が乾杯という合図とともにグラスを上げて、私もめずらしく満面の笑顔でグラスを上げた。
 その時、官房長官の左手には拳銃が握られていた。
 そして、間髪いれずに私を撃ったのだ。その銃声で数人の大臣たちがその部屋に入ってきた。
私は薄れ行く意識の中でかすかに官房長官の声が聞こえた。
 「よし暗殺は終了した。首相が何者かに暗殺されたと記者会見を行う。
私が次ぎの首相となり、法律の復活を宣言する。
その場で憲法事態は復活しないことも伝える。急げ。」
 私は私自身を暗殺させるための法律を作ってしまったのだ。
それは、いわゆる自殺プログラミングとも言えるだろう。
 そして、官房長官が裁かれることはない。
暗殺者が次ぎの首相になるという最悪の事態となってしまった。

 しかし、これだけでは終わらなかった。
本当の目的は憲法を廃止することにあったのだ。
非核三原則や軍隊を持たない。
あくまで、自衛のためだけのものである等だ。
 近年、何十年と続いた中東戦争のため世界中の国家の軍事力は衰えていた。
あくまで、後方支援に徹してきた日本は、世界で唯一被害の受けない国家であった。
 それどころか、後方支援のためと雇用対策という名目で自衛隊は増員を続けて、
今では世界中で一番の軍事力をほこるまでになっていた。
 当初、アフガニスタンを包囲する米・英の軍事力ですぐにでも終わるものと考えられてきた。
 しかし、その戦略が中東の周辺国家を刺激して、全てのアラブ諸国との戦いとまで広がった。
長引くにつれて、フランス・イタリア・ドイツの欧州連合、ロシア、中国、韓国、北朝鮮までもが、
アラブ諸国に攻撃を加えた。
 日本は周辺事態の名のもとにそれらの国家の自衛にあたるため世界中に海外派兵を行った。
結局、アラブ人とユダヤ人に共通する聖地であるエルサレムを二分してアラブの独立国家とユダヤのイスラエルを並べるという国連決議で中東戦争が無事終結した。
 そんな世界情勢の中、何故、日本は私を首相に仕立て上げすぐさま暗殺するという茶番劇を演じてまで憲法の廃止にこだわったのか。
 その時、私には想像もつかなかったことだった。
世界中の軍事力が衰えている最中、憲法改正では時間がかかりすぎ、海外派兵の撤退。
世界中の軍事力の回復を恐れたのだった。
 官房長官が首相になった後、あらかじめ用意してあった憲法を新たに制定し、
軍事国家としての侵略国家となったのだ。
 まずは中国大陸全土を侵略して、日本の首都を中国大陸に移した。
それは驚くほど苦もなく行われたのだった。
核兵器を保有するアメリカは、日本に数機の核ミサイルを発射したが、
中国大陸には国連や諸外国の反発で行われることはなかった。
 そして、日本は不意をついて中国の持つ核兵器で、アメリカの核兵器のある軍施設を攻撃したため
アメリカは自国の持つ核ミサイルにより壊滅的なダメージを受けた。
これが、後に言う第三次世界大戦となった。
これまで、世界大戦と名の付く戦争は全て日本が参戦してきた。
日本は第二次世界大戦の後、自衛隊という隠れ蓑のもと着々と三次世界大戦の準備を行ってきたのだった。
 そして、ひそかに開発していたレーザー光線を自国のミサイル技術にて打ち上げた気象衛星などにも搭載してあったため、地球上だけでなく宇宙をも制した。
 とはいえ、私が掲げた理想論さえなければ日本が憲法を廃止して、新たな憲法を制定することはなかっただろう。私が暗殺されたことはその理想論に対する罰だったのだろう。
そして、そのつけを払うのは国民、いや世界中の人間が追うこととなったのだった。

This story was written by Dink in HP『しろく』.