その日は、晴れていた。
正確に言えば、その男が来るまではだ。
男はこう言っていた。
「宮城。頼むこれを預かってくれ。」
忙しなくチャイムがなって玄関が完全に開くか開かないかというときに、慌てるようにそう言った。
完全に開いたドアの前に、その男はらしくない格好で立っていた。
いつもなら、きれいに整えている髪も、ぼさぼさでしわだらけのシャツとズボン。
よほど慌ててきたのだろう。
何かに怯えたように、目が少し泳いでいるようで落ち着きがない。
「頼む。これを預かってくれ。」
男は、またこう言った。
宮城は、男の持ってきた本を眺めていた。
古ぼけた表紙で本のタイトルは英語で書かれた。
英語で書かれた本なら、俺には読めるはずもなかったが、なぜか、とても気になって仕方がなかった。
「とにかく、中に入れよ。」
男を、部屋に入れて玄関の鍵を閉め、ソファーの方へ座るように指示してキッチンに向かう。
「何か飲むだろう。いつもの入れてやるよ。」
コーヒーを入れてソファーのある居間に戻ったが、その男は部屋にいなかった。
「何だよ。トイレか!?」
しかし、男の返事はどこからも聞こえてこなかった。
トイレのドアをノックして返事がないのを確認して、それからドアを開ける。
やはり、いなかった。
トイレに入った形跡さえなかった。
玄関には男の靴が無造作に並んでいた。
玄関の鍵も閉まっているのを確認した。
「おい、ふざけてないで出てこいよ。」
やはり、どこからも返事はない。
全部の部屋を一応確認した。
どこにも隠れた形跡はない。
居間に戻って、さっきから気になっていた本がソファーの脇に置いてあるのを確認すると安心した。
その男がいなくなったことなど、なかったかのように思えたのは不思議にも感じなかった。
ソファーに前のめりになって、表紙をめくった。
表紙の裏に一枚のメモが挟んであった。
その男の字に間違いないように、宮城にはそう思えた。
"Person-Encyclopedia = 人名事典"と書かれてある。
本の表紙と見比べてこの本のタイトルのことだと納得した。
宮城は、さらに一枚ずつページをめくっていった。
やはり、英語で書かれていた。
それでも一枚ずつページをめくっていった。
最初は英語でかかれていたのに、進んでいくにつれて英語以外の外国語で多数書かれてあった。
写真とその横に年代と説明だろうか、それぞれの国の言葉で書かれてあるようだった。
宮城は、いったい誰がこんな物を読めるのだろうかと思ったが、それでも1枚ずつページをめくっていった。
また、ページをどんどんとめくるにつれ写真の中の人物があまりにもリアルに感じた。
まるで、写真ではなくて小さなミニチュアが置かれているように見えるぐらい立体的にさえ見えた。
その写真を見るだけでも、宮城の興味を引くには十分でもあった。
途中までいくと中国語であったりハングル文字であったりするのが、なんとなく分かった。
どんどんと、ページをめくると日本人の写真と日本語で書かれた部分が出てきた。
たまに、外国語に戻ったりしたがまた日本語に戻った。
どれも、宮城の知らない名前ばかりだった。
こんなことなら、少しぐらい歴史を勉強しておくのだったと思った。
宮城はいいかげん疲れて、最後の方のページへ飛ばして開いてみた。
そこには何も書かれていなかった。
文字どおり白紙のページであった。
今度はその白紙のページからさかのぼって開いていった。
突然、部屋の中を少し強い風が通り抜けて、その本のページをめくっていった。
開いたページを見て宮城は驚いた。
さっきこの部屋からいなくなったあの男の写真があった。
しかも、さっき着ていたまんまの服装で、その横には今日の日付と名前とプロフィールが書かれてあった。
その上には、また別の人の写真があり、日付と名前とプロフィールが書かれてあった。
次のページをめくってみる。
そこには自分の名前だけ書かれてあった。
宮城には、どういうことなのか分からなかった。
そのまま本を閉じて冷め切ったコーヒーを飲み干した。
あれから、どれくらい時間がたったのだろうか。
部屋には誰もいなかった。
部屋どころか宮城のマンションの一室どこにも誰もいなかった。
宮城自身ももちろんいない。ソファーのある部屋の中を少し強めの風が通り抜けた。
テーブルの上には一人分飲み干したコーヒーカップと、もう一人分は手をつけてないままのコーヒーが置かれてある。
他には、宮城が閉じたままの状態"人名事典"が置かれてあったが、その風で表紙がめくれてページがどんどんとめくれていった。
しばらくして、風が止んでカーテンが元の状態に戻った。
その開いたページにはさっき着ていた服装のままで写った宮城の写真がある。
まるで、本の中に吸い込まれてしまったかのようにあまりにもリアルだった。
その写真の横には今日の日付と宮城の名前とプロフィールがかかれてあった。
また、少し強めの風が部屋の中を通りすぎた。
その本のページをどんどんとめくっていった。
そして、本は最後まで閉じて閉まった。
しばらくして、また風が止んでカーテンが元の状態に戻った。
しかし、窓は閉まっていた。その窓の鍵も閉まっていた。
玄関には鍵が掛かっていて、あの男の靴が無造作に並んでいて、その横には宮城の靴も並んでいた。