以下の文は昭和11年当時のお祭りの様子が描かれています。
左館 秀乃助 「童子ごよみ」より抜粋
注)会話はすべて八戸弁です
 
笛太鼓

 盆の十六日(新暦9月1日)、地獄の釜のフタも開くという日が、八戸の三社大祭の初日だった。

ーはア、秋アきてらのが?
「二百十日だものな、ひと雨来ながら、おがしがべ」
バッチャが、ぽそりと言う。
 その初日は、雨はなくてお祭り日和だった。盆の十六日と重なったために、人手はいつもよりかなり多い。
「お祭りの山車ア、何時に出はるのだべ?」
啓太郎が、父に訊いている。
「三時ねオガミ神社よ出はるのだすけ、ゆっくり行っても、皆見るにええや」
「お通りの順序ア、去年ど同じだんだな」
「同じせ」

 行く時は、梅本バスに乗った。市営バスもあったが、橋のたもとのサイカチの木の所までしか来なかった。
「発車オーライ」
 と、車掌の洋服姿の絹ちゃんが、新井田弁でないきれいな声で言ったので、ひどく気分がよかった。 バスの中は大抵顔見知りの村の者でいっぱいだった。啓三はやたらにはしゃいで、父に二度ピタンとやられた。

 お祭りのお通りの道筋を、大きな声で教えている年寄りがいる。みんなそっちへ顔を向けたまま、 バスに揺られていた。
「オガミ神社から堀端町、三日町、十三日町、二十三日町、と表通りを新荒町まで行って、常番町から 二十六日町、十六日町と来て、それから大工町さまがって鍛冶町、外中居、長横町さ行ぐのだ」
 そうして午後十時までに長者山へ帰還するというのである。
バンバーンと狼煙が揚がった。
「出発だな」
 という声が、バスの乗客の中から聞こえる。みんな落ち着かない風だった。母の膝の上で、 啓三もツグツグと体をゆすっている。啓吉も、早くバスを降りたいと思いはじめている。
 吹上でバスを降りて、あまりの人混みに、啓吉はたまげた。近郊近在から、それこそ モレモレと湧いて出たように、人が蝟集(いしゅう)してきたのであった。陸は豊作、海は大漁 のせいもあるのかもしれなかった。
「はごれんなよ」
 父が、啓吉の肩をトントンと叩いた。
 吹上から鍛冶町へ行くと、人混みはいっそうひどかった。人を掻き分けて歩いているようなものだった。 ドンコドンコドンコと太鼓の音がきこえている。次々に山車が動いて行くので、大太鼓も小太鼓も、 音が重なりあって聞こえる。
「廿三日町のどごで見べし」
 先頭に立って人を掻き分けて行く父の後に、母、啓三、啓吉の順で歩いた。
「離れんな」
と、母は時々うしろを振り返る。
「こわえな...」
啓三が、母にとりつきながら、そろそろ難しくなりはじめた。
「も少しだがらな」
と、啓吉も元気をつけてやるが、啓三は、どうかするとかがまってしまいそうである。
「ゴンボほれば、虎舞いのトラに食れんだすけな」
啓吉が、脅かしても駄目だった。仕方ないように父が、
「ほら、おぼされ」
と白いシャツの背中を向けた。
「ようあない(だめな)ワラシだな」
母も笑いながら、父に背負われた啓三の尻をピタピタと叩いた。
 そうして歩いて行くと、太鼓の音がしだいに大きくなり、テーロレ、テーロレの笛の音も 聞こえてきた。
 二十三日町の角にようやく辿りついた時、山車がヤレヤレヤレと掛け声もにぎやかに 目の前にやってきた。
「ああ、間に合った」
 啓三を肩車にして、父はおおきな息を吐いた。啓吉は、人の間から伸びあがって通りを見た。
「下組町の山車がな」
と、母が言った。
「いや、下組町でねえ」父も少し背伸びしながら言った。 「お通りもお還りも、シンメイサン(神明宮)の組ア先頭だんだ」
「どごの山車だの?」
啓吉も体を斜めにして、前の人の頭の間から、通りを見た。
最初の山車は、岩見重太郎狒々退治だった。勇ましかった。
「廿六日町だ」と父が言った。
 賑やかな小太鼓のトンコトンコトンコに、大太鼓はドドンド、ドドンド、ドンドと腹に響いた。 テローロテーロテーロと笛は、威勢のいい太鼓の響きをぬうように澄んだ音色で、 聞きようでは変にものさびしかった。
 廿六日町に続いて、新荒町は大森彦七、上組町は荒神山血煙吉良仁吉奮戦の場、これも見事な山車だった。
「さあ、ホウリョウサンの神様おであたすけ、みなして、ちゃんと拝め」
 父が言うので、オガミ神社の神輿が前に来た時、ピタンピタンと二拍して頭を下げた。そうしてまた山車が来るのを 待った。やはり山車は太鼓の音とヤレヤレヤレの掛け声から先にやって来た。
 下組町の一心多助、塩町の大楠公、下大工町の佐賀の夜桜、月形半平太は朔日町で、女勘助が二十八日町 。それに八幡町(内丸)は源平盛衰記畠山重忠。おしまいが十一日町の白虎隊であった。

 次のチョウジャサンの組の山車が来るまで、ちょっと間があった。先がつかえたのか、一服休みなのか 、行列は動かなかった。
 動かないでいるうちに、行列の中の馬がたれたらしく、イヤイヤハアと掛け声のようなどよめきが見物人 の中から起り、そうしてクツクツと笑いが人々の間にさざ波のようにひろがった。啓吉も、なんとなく可笑しく なって、ケタケタとアイスクリンを舐めながら笑った。
 学校で大里先生が、三社大祭のことを、啓吉たちに教えたので、おぼろげながら、その歴史は、啓吉たちの 頭にあった。
 ーこの祭りは二百年もの長い歴史をもっていて、享保六年に新羅神社の氏子たちが祭礼を行ったのがはじまりであること。 そうして八戸藩の祈願所になったオガミ神社がこの祭礼に加わって、行列を組んで上通りを長者山へ行き、 三日目に下通りを帰ったという。
 文政八年になって、寺社奉行だった野村軍記が、町家に呼びかけて、一層賑やかな祭りになる。
 さらに明治二十九年、日清戦争の勝ち戦さを祝うというので、大沢多聞が神明宮も加えて、三社大祭にしたのであった。
 行列が動き出していた。
最初に来たのは、類家だった。
「何ず山車だ?」
啓吉は、母に訊いた。
「桂川力蔵」
「どやたずの?」
「わがね、黙って見るもんだ」
そう言っているうちに山車が目の前に来て、またとまった。そうして木遣り音頭だった。何と言っているのか、啓吉には、 よく分らなかった。
 ヤアーレヨイヤーヤアー
 メデタメデタヤア三社の祭り
 浜ハ大漁デ陸ハ万作
と父が教えた。えんぶり組を長いことやって来ている父には、歌うのもよく分るのだなと、啓吉は改めて感心した。
 木遣りがおわると、二本の綱を持っている引き子たちが、一斉にヤレヤレヤレヤレーだった。太鼓も笛も生気をとり 戻したように鳴りだす。
 鍛冶町の山車は迫力があった。素戔鳴尊八岐大蛇退治だった。赤い舌を出した大蛇を見ると、啓吉はゾクッと 身震いした。
「これアええなあ」
あたりの見物人からも、感嘆の声がもれた。
 啓吉も立っているのが、だんだん辛くなってきた。足が火照って痛かった。
「あど何ぼあるのだがな?」
「今まで何ぼ行った?」と父が言う。「今年ア十四組の山車だすけな。かんじょしてねが」
「わがねな、忘れだもの」
「もうすこしで、おわりだよ」
 そんなことを話しているうちに、吹上の山車が来た。これは綱が長かった。
「吹上ね、ワラシあ、ねやねやて居るもんだな」
と、母が変なことに感心している。山車は源希義である。
続いて六日町の山車だった。
「サガナ町の山車もええな」
と誰かが言った。朝比奈三郎和田城門を破る、というのであった。
「これもキビあええもんだ」
 父も母も、異口同音である。啓吉も、いい山車だ、キビええなアと、しばし見とれた。
 山車が通り過ぎると、見物人の群れがざあっと崩れて、動き出した。
「さあ、離れんなよ」
と、父は肩から啓三を地面におろすと、啓吉に言った。
「啓三、ガッカの手よ離すなよ」
 啓吉も、弟に注意する。とにかく人の波である。一度はぐれたらおしまいだった。
「こんどア、何見るのだ?」
「裏通りさ出はって、見世物ちょこっと眺めで行ぐべし」
と父、母は、
「ロー丁の方さも、行って見るべし、さあ、急げ」
と、啓三の手を握った。
 神明宮の通りは、一層にぎやかだった。楽隊の音や、客を呼ぶ声が威勢よくあがっていた。
 ウサミ芸術団の小舎があり、その隣りは宮川動物曲芸団だった。啓吉たちは、その前を 行ったり来たりした。呼び込みの人が、時々幕を揚げて、中の見世物を、チラッと覗かせるのだった。 そうして今がチャンスだから、イラシャイ、イラシャイと声を掛けた。
「入らねのが?」
啓吉は、一刻も早く中へ入って見たかった。
「今日は、見ねのだ。遅ぐなるすけな。明日の中日ね、ゆっくり見ればええ」
 父がそういうのであれば、仕方がなかった。娘口芸や動物見世物などの前で、様子を見てから 鷹匠小路へ行った。
 ここも人だかりがし、ジンタの響きで賑わっていた。黒須娘曲芸団の小舎がかかっていた。 何頭もの馬が、飾り立てられて、木戸の前に並んでいる。厚化粧した白いタイツを履いた少女が、 馬に跨って、啓吉を見ている。



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