下組町山車組
下組町の由来
八戸城下の一番東に位置し足軽を配置し敵の侵入に備えた所からきています。
現在の住所は、玄中寺を中心とした柏崎4、5、丁目付近です。
柏崎とは昔、この近辺は海岸沿いで柏の木が立っていたところからきておりその昔
平家の落武者が此処に流れ付き住みついたと言われています。
山車の題材で源平物語が多いのもそのためです。
義勇組
山車組は元来、町内の消防組織が母体になるものですが下組町は町内で消防団を持っていません。
そこで義勇組という自主組織を作り玄中寺の井戸を利用し防火用水としました。
義勇とは、社会のため人のために自分から進んで力を尽くす事を指します。
伝統
山車の題材で得意とするのは、源平合戦を中心とする武者者で、
波山車が多いです。現在は、彫刻を主体とする豪華絢爛な山車組が多いなか昔ながらの船、
波、武者を奉納し続けています。
浴衣
初期の頃は、決まった浴衣はなかった様です。
その後、義勇組、下組町、若者連、の文字を紺地に白文字を入れた町内専用の浴衣をつくりました。
昭和30年代中頃に現在の白地に紺文字の浴衣になりました。
背中に義勇組の義の文字が入りシンプルで目立つデザインになっています。
昔の浴衣文字
現在の浴衣文字
武者人形
現在使われている武者人形は、戦後間もなく浅草から買った人形が
ベースになっています。当時、三体ほど購入しその内の一体は、先代の松本幸四郎を
模したものだそうです。
現在は、頭部しか使われていませんが全身裸人形で血管の筋の表現や眼球に
ガラス玉を使っていて隆々としていたそうです。