Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2019年6月までの「きのうの話」目次へ

 

2019.8.17
 どうやら台風も通り過ぎてくれたようで、大きな被害もなくてなによりだった。
 千葉は風雨ともきわめて控え目、とくに雨はお湿り程度しか降らず、台風が大好きなわたしとしてはだいぶ不満だった。
 今日糖尿病の定期検診に行ってきた。
 経過は良好、数値も安定し、まずは大過なしということになった。
 一方で昨日は、夕食のときお椀を運ぼうとして手に持った途端、手ががたがた震え、かみさんが見てえっとばかりびっくりした。
 かみさんはずっとまえから、手が震えていたのである。
 あぶなかしくて見てられないから、飲み物類を運ぶときは手を貸している。
 そのわたしの手が同じように震えはじめたから、びっくりしたわけだ。
 じつは今回がはじめてということでもなかった。かみさんの前で出たのがはじめてだったのだ。
 かみさんは昨日もスーパーで転んだ。
 平坦な床を歩いていて転んだもので、すぐには立てないから、もたもたしていたらふたり助けてくれたそうだ。
 順調にというか、ふたりとも、確実に衰えてきている。
 このごっろはまったくウォーキングにも行かない。
 毎日の運動も、いまはせいぜい15分、肩甲骨剥がし体操と、片足立ち、スクワットの3つだけである。
 肩甲骨剥がしというのはいわゆるマエケン体操のことだが、これをやると体のバランスが格段によくなるから、ずっとつづけている。
 片足立ちは前から得意で、片足で1分立つのは、とくに努力しなくてもできていた。
 それが今年の春、久しぶりにやってみたら、あっという間にできなくなっていた。
 片足30秒と立っていることができない。
 それで愕然として再開、いまはまたできるようになっているが、油断したらときどき失敗する。
 体力が落ちるときは、それこそあっという間なのである。
 スクワットだけはずっとつづけている。
 これも1日休むと、スーパーに行って階段を上がったとき、確実にわかるからだ。
 あといくつかやりたい運動もあるのだが、やるのは夜中なので、どたばたしたら、下で寝ている家族に迷惑だ。
 昼間やればいいのに、なぜか昼間はできないのである。
 それはそうと、この夏も熱中症が話題だ。
 この熱中症による死に方、言い方を変えたら、いちばん手軽な安楽死ではないか、とこのごろしょっちゅうかみさんと話している。
 それまでぴんぴんしていた人間が、わずか数時間で、あっという間に死ねるのだから、死に方としては、こんなにありがたい最期もない。
 これが意識的に取り入れられる風潮ができてしまうと、国としては困るかもしれないが、メカニズムだけはきちんと解明してもらいたい。
 つまりどうしたら、もっとも楽な熱中症で死ねるか、その方法を究明することは、医療費の節約と国民の福祉にものすごい貢献をするはずだ。
 大っぴらに論議されては困る、ということであえば、新聞やテレビで取り上げなければよい。
 知りたい人はネットで知る。
 だれも言わないみたいだから、この際あえて声を上げさせてもらう。


2019.8.8
 異様な暑さで頭の方まで狂ってしまい、毎日のように信じられないミスを犯している。
 昨日は買ったはずの米を、スーパーに置き忘れてしまった。
 夕方になって、お米はどこへしまってくれたのと聞かれ、はじめて思い出した。
 聞かれるまで完全に忘れていた。
 支払いの終わった品物をかみさんから受け取り、ロッカーへ運んで行ったのはわたしだ。
 そのとき米の5キロ袋を、カートの下段に載せたことははっきり覚えている。
 それから先が、まったく記憶にない。
 米をほかの買い物と一緒に、ロッカーへ入れた記憶がないのだ。
 カートをもどしに行ったとき、米袋が引っかかってコーナーにきちんと納まらなかったはずなのに、その記憶すらない。
 ろくに注意も払わずカートをもどし、引っかかったことにも気がつかず、そのまま放置したようなのだ。
 あわててスーパーに電話したところ、親切な人が見つけてくれたようで、遺失物として保管されていた。
 それで夕方受け取りに行って事なきをえたのだが、その記憶も去りやらぬ今日、またつぎの失敗をやらかした。
 かみさんが定期検診を受ける日だったので、朝方駅まで送って行った。
 いつもはせがれがやってくれるのだが、今日はいなかったのだ。
 そういうときはわたしがアッシー君をつとめるわけで、駅まで送り届けてしまうと、あと半日はだれもいない自由時間となる。
 それでまずコメダに行ってモーニングコーヒーを楽しみ、そのあとスーパーや量販店を回っていくつか買い物をした。
 わが家にもどってきたのは昼前。
 そしてはじめて気がついた。
 家のなかに入る玄関のキーを持っていなかったのだ。
 いつもふたりで出かけているから、なんとなく役割分担が決まっしまい、施錠するのはかみさん、帰ってきて開けるのもかみさん、それに慣れきって、自分では鍵を持ったことがなかったのだ。
 目の前でかみさんが鍵を閉めるのを見ていながら、なんとも思わなかったのである。
 念のため、玄関や窓をがたがたやってみたが、もちろん開くわけはない。
 かみさんが帰ってくるまで、35度の炎天下で過ごさなければならなくなってしまった。
 とりあえず木陰に車を止め、車に水をかけて車体を冷やし、しばらくその中で過ごしていた。
 しかし1時を過ぎたら腹が減ってきた。
 それでまたスーパーへ出かけ、フードコートで昼めしを食った。
 以後は涼しいスーパーのなかから出ることができず、かみさんが帰ってくるのをひたすら待っていた。
 結局朝8時に家を出て、帰ってきたのは午後5時、9時間ぶりのわが家となった。
 決まりきった習慣に慣れすぎ、ほかのことにまったく思い及ばなくなった自分の退化度を、いやというほど思い知らされた。
 こういうミスがだんだん増えてきている。
 車に乗っていてもひやっとすることが多くなった。
 自分に引導を渡すべきときがそろそろ近づいてきたようである。


2019.8.3
 昨日まで冷房を我慢していた。
 クーラーのスイッチを入れたが最後、今度は止められなくなり、24時間冷房漬けになってしまうとわかっているから、これまでなんとか我慢していたのだ。
 振り返ってみると、わたしたちの人生には、ほんのこないだまで、冷房なんてなかった。
 それこそ職場でも、都心の超一流企業でもない限り、冷房のあるところは少なかった。
 夏は暑いのが当たり前、それをなんとかやりすごしながらしのいできた。
 働いていた職場でも、深夜になると女性がいなくなるから、そうなるとパンツ1枚という格好になって、暑さを紛らわしていた。
 だいたいが南で育った人間なので、寒さはともかく、暑いのはまだ我慢できるほうなのだ。
 うだるような真夏の昼下がり、なにをする気力もなく、だらーっとして、ぼんやりと外をながめている、というのはそれほど嫌いではないのである。
 そのとき決まって思い出すのが、小津安二郎の映画『東京物語』のラストシーンだ。
 尾道に住んでいる笠智衆、東山千栄子の老夫婦が、東京へ行ってわが子や、戦死した息子の妻原節子らと会う。
 そのとき、もっとも親身にふたりの世話をしてくれたのは、実の子ではなく嫁の節子だった。
 東京から帰ってくると、それですべきことは果たしたとばかり妻が急逝する。
 息子や娘が尾道へ帰ってきてくれるが、そのときも、最後まで居残ってくれたのは息子の嫁だった。
 笠は感謝し「もういいから、あなたもこれからは自分のために生きなさい」と言って妻の形見の時計をもらってもらう。
 その嫁が昼の列車で尾道を去る。
 その汽笛。
 窓の外にはいつもと変わらぬ夏の日射し。
 声をかけてきた隣人に「日が長くうなっていけませんなあ」と応えるのが最後のせりふだったように記憶している。
 夏の昼下がりというと、いつもこのシーンを思い出してしまうのである。


2019.7.25
 ようやく梅雨が明けたらしい今日、久しぶりに多摩へやって来た。
 今回は1ヶ月半ぶり、少々間が空いたせいもあって、来てみると草ぼうぼう、見るからに空き家然と荒れ果てていた。
 週末までに草むしりをしなければならない、と考えただけでげんなりしてくる。
 給湯器が冬期の凍結で使えなくなり、シャワーもできなくなったから、今回は行水ですませている。
 さらに給湯器の故障が原因で電源のブレーカーが勝手に落ちはじめ、対策が見つかるまで冷蔵庫も安心して使えなかった。
 対策といっても引き揚げてくるとき、冷蔵庫のある台所の電源だけONにして、ほかはすべてOFFにしておくだけのこと。
 これでやっと留守中も、冷蔵庫が止まらずに動いてくれるようになった。
 しかし冷蔵庫に、安心して冷凍食品を残しておけることが、こんなにありがたいものだとは思わなかったなあ。
 あれやこれやで、さすがにこの家にも愛想が尽き、近く処分しようという気になっていた。
 ただそうなると、この先どこに住むかが問題になってくる。
 いまはただの、せがれのところの寄宿人。
 勝手に押しかけてきたよそ者だからご近所とのつき合いもなく、その分目障りにならないよう、ひっそりと暮らしている居候だ。
 年寄り夫婦が静かに余生を過ごすところとしては悪くない、とばかり思っていた。
 ところが地元には昔ながらの習慣が残っており、とくに葬祭が念入りに行われているとわかってきた。
 どなたかお年寄りが亡くなると、各戸からひとり男衆が手伝いに行く。
 お通夜ばかりか、本葬にも立ち合って火葬場までついて行く、というからびっくりした。
 家族葬でひっそりと、というわけにはいかないらしいのである。
 われわれとしても、死んだときだけ見も知らぬ人たちに迷惑をかけるというのはなんとしても心苦しい。
 とすると、いずれ都内にもどらなければならなくなりそうだ。
 ということで、このぼろ家もまだ、すぐ手放すわけにはいかなくなったようなのである。


2019.7.18
 初稿ゲラの校閲がようやく終わった。
 雨天つづきだったお天気も久しぶりに回復し、今日は半日ぐらい日が射した。
 7月に入って最長の日照時間だったそうである。
 一息ついたのと、先日少量試作したヤマモモソースがなくなったから、今日は本格的につくろうと思った。
 ところが木の下まで行ってみたところ、実がまったく落ちていない。
 おかしいなと思って双眼鏡でのぞいてみたところ、あれほどたくさんあった実が、きれいさっぱりなくなっていた。
 それこそ見事なまでぜろになっている。
 そういえば、二階の仕事部屋からでもわかるくらい連日大騒ぎしていたヒヨドリを、このところ全然見かけなくなっていた。
 どうやらあの連中が根こそぎ食い尽してしまったようなのだ。
 おまいら、あの実を全部食っちゃったのか、と人間さまは唖然として、憤懣やるかたない。
 そういえばヤマモモの木と向かい合わせのところに、クロガネモチの木があって、秋になるとナンテンに似た赤い実を鈴なりにつける。
 人間は食えない実だが、小鳥は大好物、とくにヒヨドリが群れをなしてやって来る。
 まさかこれほどの実を全部食い尽くしはしないだろうと思っていたところ、とんでもない、1、2週間で一粒もあまさず食ってしまった。
 ヤマモモも、はじめのうちはそれほど跳梁跋扈している感じではなかったのだが、あれはまだ、実が熟していなかったからだったのだ。
 これで来年から、わが家のヤマモモはヒヨドリと人間との、早い者勝ちの食い尽くし競争になってしまいそうである。


2019.7.10
 週末につぎの本の初校ゲラが出て、今週はそれにかかりきりだ。
 秋に刊行ということで、書き上げたときはずいぶん先のことだと思っていたが、もう7月、全然余裕はなかった。
 とくに今回の作品は、題材、舞台が特殊なので、校正に手間がかかる。
 最終校了までには、まだ何度も手直しが必要になるだろう。

 先週ご紹介したヤマモモでジャムをつくってみた。
 木が大きいから、登ってもぐことはできない。
 木の下に何枚か板を並べ、落ちてきた実だけを拾って、とりあえず試作してみたもの。
 初めて成った実だからか、粒は小さいし、水分も少なく、どちらかといえばぱさぱさ。
 生で食ったら、お世辞にもうまいとは言えない実なのである。
 男の手慰みだから、裏ごしみたいな手間のかかることは一切しない。
 砂糖で煮詰めて、レモン汁を振りかけるとできあがりだ。
 ヨーグルトに入れるだけなら、これで十分、種ごとしゃぶって、あとは吐き出す。
 できあがりは上等、いつものことながら、じつにいい色が出た。
 味覚はヤマモモ特有の酸味が絶妙、しみじみとうまいソースである。


2019.7.2
 納屋の前に大きなヤマモモの木がある。

 元からあった木だが、残念ながら雄の木なので、実はならない。実がなるのは雌の木なのだ。
 この家に越してきたとき、コナツやブンタンと一緒に、ヤマモモの雌の木を植えた。
 ヤマモモと言っても関東以北の人には馴染みがないと思うが、西日本ではそこら中に自生しているありふれた常緑樹である。
 母の実家の庭にも大きなヤマモモの木があり、毎年楽しみに実を取りに行っていた。
 わたしにとっては、最初に擦り込まれた初夏の味覚なのだ。
 高知はだいたいヤマモモをよく食うところで、シーズンになるとスーパーの店頭に品物が並ぶ。
 それをいつも妹に送ってもらい、ヨーグルトソースをつくっていた。
 ヤマモモの甘酸っぱさが、ヨーグルトとじつによく合うのだ。しかも目の醒めるような鮮紅色、夏の最大の楽しみだった。
 そのヤマモモがだんだん手に入らなくなった。
 いまどきの果物ではないし、第一日持ちしない。
 だから市場価値が低く、田舎でもいまやマイナーな果実となって、近ごろはスーパーにもほとんど並ばなくなってしまったとか。
 しかし樹木としては手がかからず、公害に強いこともあって、街路樹によく植えられている。
 街路樹は雄の木ばかりだから実はならないのだが、まれに雌の木が混じっていることもあって、ときどき実のなった木を見かけることがある。
 30年住んだ池袋の団地の前の街路に、雌のヤマモモの街路樹があった。
 毎年夏になると律儀に実をつけるのだが、車道脇の木だからとても食えない。
 熟して赤くなると、実は落ちる。
 それを車が無残に踏んづけて通ると、道路が血を流したように赤く染まり、見るたびに痛ましい、申し訳ないような気持ちになったものだ。
 東京湾に近い晴海にも、とびきり大きなヤマモモの街路樹があって、ここも毎年真っ赤になった。

 雌の木1本だけでも、やはり実はならないのだ。
 実をならせようと思ったら、雄と雌の木が必要なのである。
 それでこの家に来るとすぐ、雄の木の近くに雌の木を植えたのだが、6年たってやっと2メートルぐらい、成長が遅々として遅い。
 まだ花も咲かない若木だとばかり思っていた。
 ところがこないだから、木の下を通るたび、ビー玉くらいの未熟な実が落ちている。
 これまで見たことない堅い実だから、はじめのうちはなんだかよくわからなかった。
 ほんの数日前だ。未熟な実に混じって、赤い実が落ちていたことに気がついたのは。
 手に取ってみると、まちがいなくヤマモモの実だ。
 雄だとばかり思っていた木が、今年から実をつけはじめていたのである。
 それであわてて調べてみた。
 ヤマモモは雌雄異株とある。
 つまり雄と雌の木に分かれ、両方の木がそろわないと、実がならないのはまちがいないらしい。
 ということは、これまで雄だと思っていた木がじつは雌で、1本しかなかったから、それで実がならなかったということだったのか。
 わたしが植えたのは栽培された苗木だが、最近の栽培樹は、雄雌が1本の幹に接ぎ木してあるため、単独でも実ることがあるという。
 要するにわたしの植えた2本目が呼び水となって、これまで実をつけなかった木が結実しはじめた、ということのようなのだ。

 見上げてみたら、梢にいっぱい実がついていた。
 これで来年から、ヤマモモソースでヨーグルトがたらふく食えるぞと、ただいま大変ご機嫌なのである。




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