Shimizu Tatsuo Memorandum

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きのうの話      

Archive 2002年から2018年12月までの「きのうの話」目次へ

 

2019.3.11
 こないだから風邪気味で、あまり調子がよくない。
 正月早々引いた風邪が長引き、ずいぶん苦しめられたから、まだ治りきっていないのだとばかり思っていた。
 先日なにげなく天気予報を見ていたら、今年は杉花粉の飛散量が多いので、みなさん苦労なさってます、みたいな話をしている。
 ああ、なるほど、花粉症の人は苦しいだろうな、と他人事みたいに考えていたら、症状の話になった。
 鼻水が出る。くしゃみが出る。目がかゆい。
 それって、いまの自分の症状そっくりではないか。
 ようやく、はたと思い当たった。
 なんだ、これって、花粉症だったんだ。
 半世紀近く苦しめられてきた花粉症が突然治ったときは、驚喜せんばかりによろこんだものだが、これで免疫ができたとばかり、以後は罹らないと思い込んですっかり忘れていた。
 それこそ花粉症というものが存在しないかのように、頭から完璧に消え去っていた。
 それが今年は、いつもより花粉飛散量が多いため、躯のなかに残っていた後遺症のようなものが、つい反応してしまったということらしい。
 それにしても、これほどきれいさっぱり忘れてしまえるものなのか。
 人間というものはまことに得手勝手なものだが、あの数十年の苦しさまで忘れていたのには、おどろくというよりあきれてしまった。
 まさか、ぶり返してきたのではないだろうと思うけれど。


2019.2.25
 先週から多摩に来ている。
 今年はじめてである。
 新年早々風邪で寝込み、歯痛で苦しみ、1月はほとんど仕事ができなかった。
 2月になって、やっと体調がもどった。
 遅れに遅れていた仕事を再開、それからは馬車馬みたいに働いていた。
 ただしつけ焼き刃のハイテンションは、それほど長くつづかない。
 生活リズムが乱れてくるにつれ、集中力が途切れてしまう。
 夜が明けてから睡眠薬を飲んで眠り、起きるのは午後、という日々がつづきはじめた。
 しかも日を追うにしたがい、時間帯がだんだん後へずれてくる。
 家族と一緒に暮らしているから、自分勝手にも限度がある。
 この上はやはり独りになったほうがいい、と決意したから多摩へ来たのだ。
 名目は、日常性の遮断。
 それから1週間。
 仕事がはかどったかというと、全然変わらなかった。
 むしろ悪くなった。慢性睡眠不足に陥り、いつも頭がぼーっとしている。
 情緒まで不安定になってしまい、睡眠薬を飲んでも利かなくなった。
 なんとか悪循環を断ち切ろうと、昨夜は早めに睡眠薬を飲んで就寝した。
 ところが眠れない。眠れるまで、じっとしていることができないのだ。
 あきらめて起きてしまい、またパソコンに向かったり、気分転換に本を読んだりしているうち、夜が明けてしまった。
 責任転換をするとすれば、多摩の家が劣化し、居住条件が悪くなっていることにも一因がある。
 このまえ給湯器から水が漏れているのを、隣の人が知らせてくださった。
 そのときはせがれに来てもらい、水道の元栓を閉めて漏水を止めた。
 今回業者に見てもらったところ、凍結による水道管の破裂が原因だった。
 水抜きをしてなかったのが悪いのだが、これまで10数年放置して、なんともなかったのだ。
 修理ぐらい簡単だろうと思ったら、部品がもうないから、買い換えるしかないと言われた。
 ウン10万円かかる。
 家のなかのスイッチをはじめ、すべてが総取っ替えになるという。
 頭に来たから修理は保留。湯ぐらい薬罐で沸かせるから、風呂なし、給湯なしでもういいや。
 歯が痛みはじめたときはあわてて歯医者を探したが、数日我慢していたらなんとか治まって、食えるようになった。
 それでたちまち、躯のメンテナンスはもうしない、という元の境地にもどってしまった。
 家のメンテナンスも当分しない。そのうち慣れてみせる。
 とにかく生活リズムをめっちゃめちゃにしただけで、今回の多摩行きは終わった。


2019.2.11
 雪が降った。
 当初は都内も大雪になると大騒ぎしていたが、こちらは空振りだった。
 しかし千葉はしっかり降った。
 わが家で3センチ以上積もった。
 昼まえにせがれが外出したときは、用心して四駆の軽トラに乗って行ったくらいだ。
 そしたら市内はほとんど降っていなかったそうだ。
 わが家は標高80メートルながら、平地から10メートルぐらい高くなった山間の尾根筋にあるのだ。
 この寒気がいつもより強かったことはたしかで、ふだんだと日中はほとんど溶けてしまうのに、今回は畑やハウスの雪はほとんど残った。
 月曜日はふたたび雪という予想だ。
 そうなると残雪の上に、新雪が加わることになる。
 こんなことは木更津に来てはじめて。
 どれくらい降ってくれるか、いまから楽しみにしている。
 今年の寒気はことのほか強いとかで、北海道は軒並みマイナス30度を記録した。
 札幌で8年暮らしたが、その間体験した最低気温はせいぜいマイナス10度だった。
 一度トムラウシ温泉へ行ったとき、マイナス20度になった。これがわたしの体験した最低気温である。
 雪が降ると、いまでも札幌が無性に恋しくなる。
 札幌はかなりの豪雪地帯で、ひと冬に6、7メートルの雪が降る。
 その雪を、室内気温27、8度のぬくぬくの部屋のなかから眺めるのは、これ以上ない無上の贅沢だった。

昨日の雪
 手前の三角形は、ベランダの手すりに積もった雪である。

今日月曜日の雪
 あんまり変わらないが、木更津で2日もこういう光景が見られるというのは、きわめて珍しいことなのだ。


2019.1.28
 久留里へ湧水を汲みに行ったついでに、近くにある素掘りのトンネルをいくつか見てきた。
 房総半島の山々は砂岩でできているため、鶴嘴1本あれば簡単に掘りくずせる。
 そのため水を引く用水、川の付け替え、近道のためのトンネルなど、江戸時代からの遺構が至るところに残されている。
 40年以上まえのこと、友人の車ではじめて房総半島を縦断したときは、細くて狭い素掘りトンネルだらけだったのが、呆然とするぐらい新鮮だった。
 そういう道の大半はあたらしい道路に付け替えられ、素掘りトンネルはずいぶん減った。
 しかしあまり重要でなかった道路のトンネルはそのまま残され、いまではハイキングコースに組み入れられ、保存されている。
 今回行ってみたのはそのうちのひとつ。
 通る人とてない1キロほどの山道に3本のトンネルがひっそりと残されている。
 いずれも掘られたのは明治の末期、日露戦争より前のことだ。

 最初のトンネル。長さ100メートルあまり。

 将棋の駒のような形をしたトンネル内部。観音掘りといって、日本古来の掘り方だそうだ。

 トンネルの反対側から。

 二つ目のトンネル。コンクリで仕上げてあるのは後年の工事によるもの。中はそのまま。

 反対側の出口。本来の形をとどめている。

 3つ目のトンネル。これがいちばん長くて180メートル。将棋の駒の形をしていることがよくわかる。

 トンネル内部の構造。
 場所は小湊鐵道の月崎駅近く、いわば房総半島の真ん中である。
 この辺りに限らないが、房総半島は山々が複雑に入り組み、知らない土地へ入ってしまうと迷子になるくらい、秘境感たっぷりの奥深い里がつづく。
 それでいて、この辺りの標高は70メートルたらず、わが家より低いのである。
 人里遠く離れた山里だけれど、人跡未踏ではない。だが田舎感は半端でなく、現実はものすごい山奥並の過疎地。
 房総半島は不思議なところである。


2019.1.21
 かみさんが退院したので、ようやく病院通いから解放された。
 わたしの体調もすこしずつだが、もどりつつある。だいたい8割ぐらい回復しただろうか。
 表面的にはほぼ治ったように思えるものの、ときどき咳き込み、一旦咳き込みはじめるとなかなか止まらない。まだ安心できる段階ではないようなのだ。
 なにしろ正月明けからずっと病院通いをしてきた。これでは病気が治るわけがない。
 年寄りの病人にとって、病院通いというのは想像以上にハードなのである。通うだけで1日仕事になってしまうからだ。
 退院した翌日、最後の診察を受けるためと、入院費を支払うために出かけたときは、朝8時半に家を出て、帰ってきたのが15時半、とことん疲れ果てた。
 その間ずっと、待合室のベンチに座っていたのである。
 房総地区でも有数の総合病院なのだが、素人目にも能率がよいとはいえない。
 入院費の支払いをするだけで1時間半も待たされた。
 今年に入って1ヶ月足らずの間に、老人の病気や医療についての考え方が、根底から変わってしまったくらいだ。
 健康のありがたさより、将来自分が病院の世話にならなければならないときのことを思いやると、暗鬱な気分にならざるを得ないのである。
 いうまでもないことだが、昨今の病院は老人だらけ、老人によって占拠されているといって過言ではない。
 そこに身を置いているだけで、ああ、自分は絶対長生きしたくないなあ、と思うようになってしまった。
 わたしだってはっきりいうと、もう社会的存在感や意義は失くなった人間、つまり自分の担ってきた役割は果たし終えた人間でしかない。
 いまは余録としての人生を送らせてもらっているだけである。
 したがって人に迷惑をかけず、自立した暮らしのできることが、生存のための最低の条件となる。
 それができなくなり、人の手を煩わせるようになったら、もう生きている値打ちはない。
 長生きすればするほど、社会資本やインフラを食いつぶしてしまう存在でしかなくなる。老人が長生きするほど、国は疲弊してしまうのである。
 いまはまだ客観的に物事が見え、こういう自覚ができているからよい。
 そういう判断できなくなり、ただ医療技術によって生かされるようになったら、これくらい惨めなことはない。人間としての尊厳が踏みにじられた生存でしかないからだ。
 いまの医療の方向性を見ていると、ひたすら延命を目指しているように思えてならない。
 もっと批判の声が上がってよいと思うのだ。
 つくづく長生きはしたくないと、ますます考えはじめている。
 あとはどうやって死ぬかが問題だが、自分の余命は自分で選択すべきではないのか。そろそろ真剣に論議すべき時代に入ってきたと思う。
 宗教だ、神だといった観念の希薄な日本人が、そういう論議にもっとも相応しい民族だという気がしないでもないのである。
 長寿はすこしも望ましい姿ではない。
 どこかであたらしい考え方を模索しないと、国の未来はなくなってしまうと憂いているのである。


2019.1.14
 かみさんが入院した。
 インフルエンザと、感染症予防のための入院のようなものだから、病状そのものは心配ないのだが、ふたりとも風邪でダウンしていた最中のことであり、一時はどうなることかと、目の前が真っ暗になった気分だった。
 さいわいせがれが身近にいてくれたので助かった。今回ほどせがれの存在をありがたいと思ったことはない。
 そしたら折も折、多摩の家の隣家から、屋外給湯器の排水管から漏水しているという電話があり、これも都内にいるせがれが行ってくれ、取りあえず元栓を閉めてきてくれた。
 家族さまさまである。
 老人ふたりきりの暮らしだったらどうなっていたか、今回ばかりはその危うさを思い知らされ、慄然とした。
 日々の暮らしが、正常とか、健康とか、一種の仮構の上に成り立っていたわけで、それが崩壊したらどうなってしまうか、身をもって体験させられたことになる。
 自分には老人としての自覚がないと、これまでことあるごとに公言してきたが、さすがにもう、そんな脳天気なことは言ってられなくなった。
 これからいやでも老いの日々と直面しなければならなくなる。
 これまでの自信が粉砕されたというか、空元気の足下をすくわれ、しゅんとしてしまったのだった。
 これから終活ということも本気で考えようと思っている。


2019.1.8
 明けましてもおめでとうございます。
 新年早々風邪を引いてしまい、ひどいお正月になってしまいました。
 かみさんのかかったのが3日、小生が4日、以来最悪の日々がつづいております。
 熱はないのですが、躯の節々が痛くて痛くて。起き上がることすらひと苦労。当然食欲はなく、半死半生状態でうつらうつらと眠るだけ。
 かみさんの症状がひどいので、せがれが今日医者へ連れて行ってくれました。
 インフルエンザと診断されたようですが、いっこうに痛みが引かないと本人は文句を垂れております。
 おたふく風邪みたいに頬が腫れ、それがすごく痛いのだそう。
 わたしのほうは、ただの風邪。インフルエンザの予防注射をしてもらったから、これで安心だとばかり油断したのが原因でしょう。
 やっと今日の午後になって、どうやら峠を越えたかなという感触があって、夕食に3日ぶりの卵雑炊をいただきました。
 それにしても年取ってからの病は、ものすごく体に応えます。どうかみなさんも油断しないように、この冬を乗り切ってください。




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