Shimizu Tatsuo Memorandum


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きのうの話      

Archive 2002年から2022年3月までの「きのうの話」目次へ

 
2022.6.1
 週末に多摩の家へ草むしりに行ってきた。
 コロナがようやく下火になり、外出制限が緩和された直後の週末とあって車がずいぶん出ていた。
 一泊して日曜日に帰ってきたが、混むだろうとわかっていたから早めのバスに乗り、明るいうちにアクアラインを渡った。
 ところが木更津側で高速道路を下りると、そこらの道路という道路が都心へ帰ろうとする車で埋め尽くされていた。
 一般道がこれほど混んでいたのははじめて見た。
 反対方向へ向かうバスが道路を横切ることもできない。
 愕然としていたら、バスはとんでもない方向へ走りはじめ、地元民のわたしが知らないような道を縫って、なんとか木更津駅まで帰り着いた。
 ふだんだと15分のコースがたっぷり30分かかった。
 それでもよくぞこれくらいで帰り着いたと思う。
 あの渋滞へまともに突っ込んでいたら、1時間や2時間は抜けられなかっただろう。
 高速バスは、走る道路が決まっているのだろうと思っていたところ、渋滞したときのコース取りは、運転手の裁量に任されているのだそうだ。
 だから都内の首都高を通っているとき、都心環状線を通ったり、お台場周りで行ったり、そのときの道路状況で何度かちがうコースを走っている。
 ものすごく混んでいるとき、羽田で一般道へ下り、川崎市内からアクアラインまで延々と地上を走ったこともある。
 臨機応変と道路を知ってないと話にならないわけで、バスの運転手も大変だなあといつも感心している。

 それはそうと耳がますます悪くなって困っている。
 年だから多少のことはしょうがないと思うものの、そんなことはいってられないほど最近ひどくなってきた。
 無知を白状すると、耳が遠くなるということは、聴力が落ちて聞き取りにくくなる、これまで10聞こえていたものが、3か4しか聞こえなくなるといった量的な衰えだとばかり思っていた。
 そうではなく、特定の音域が聞き取れなくなるから、聞こえている音そのものが欠陥音声でしかなく、それで聞き取りにくいのだとやっとわかった。
 佐藤が加藤になってしまうのである。
 ユーチューブで聴力テストをやってみたところ、ふつうの人なら聞き取れる音域のほとんどが聞こえなくなっていた。
 ピアノのいちばん低い音は聞こえないし、いちばん高い音も聞こえない。
 70代の人なら聞こえるはずの音がもう聞こえなくなっていた。
 耳が遠くなるのはわが家の血統で、叔父が90を過ぎたときは完全に聞こえなくなっていた。
 いまのままだと、あと数年で叔父に追いつきそうである。


2022.5.16
 ゴールデンウイークはおとなしく木更津でくすぶっていたが、その喧噪も終わった先週、待ってましたとばかり当方も九州まで行ってきました。
 かみさんの足が不自由になり、階段や乗り物のステップの乗降がつらくなってきたから、もう旅行は無理だろうと半ばあきらめていた。
 それをせがれが熱心に薦めてくれたので、これが最後の旅行になるかもしれないと、思い切って出かけてみたのだ。
 車で5日かけて福岡、大分、熊本、長崎、佐賀の5県を巡ってきた。
 運転手つきの旅行だから、わたしは一度もハンドルを握らなかった。
 あいにく天候には恵まれず、快晴だったのは初日だけ、あとは曇天か霧、小雨というありさま。おかげで阿蘇はほとんど見ることができなかった。
 しかしその分、しっとりとした田園風景を堪能できたと思っている。
 その旅行の一端を写真でお目にかける。

 麦畑。九州ではまだ至るところで麦がつくられていた。麦秋の風景など何年ぶりのことだろうと勝手に感激したのだ。

 大分で見かけたトンボ。
 羽がこんな色をしているトンボははじめて見た。調べてみたらカワトンボの一種で、アサヒナカワトンボという名前らしい。

 山の中にひっそりと残っていた旧国鉄宮原線の陸橋の遺構。風景に違和感なく溶け込んでいる。

 荒城の月のモデルとして有名な竹田の岡城址。
 40数年前に一度訪ねているが、そのころはろくに整備されておらず、まさに荒城の月を彷彿とさせる光景だった。いまはすっきりとした公園になっている。
 むかしの記憶がこれほど役に立たなかった遺構もはじめだ。
 わたしが訪ねた当時の竹田市は、旅順港閉塞作戦の広瀬武夫中佐の記憶がまだ生きていた。ご当地の出身なのである。
 今回他県を通りすがりに、日露戦争の橘中佐、日支事変の肉弾三銃士、いずれも九州出身であったことを知り、いまさらの感慨にふけった。
 こんなことを言ったって、戦前教育を受けた愛国少年の記憶なんかもう出る幕はないんだろうな。

 雲仙岳のミヤマキリシマ。最盛期は終わっていた。

 現在平戸島は平戸大橋によって九州と陸続きになっている。さらにもうひとつ先の生月島にも橋が架けられている。
 それがこの生月大橋だ。
 5年前、取材を兼ねて福江島まで行ったとき、長崎の多島海の風景を見たくて、帰途はわざわざ博多まで昼行のフェリーに乗った。
 そのフェリーがこの橋の下を通ったのである。
 そのときは日本の端の端まで、はるばると来にもけるかなと感無量だったのだが、まさかそのとき潜った橋を渡る機会がこようとは夢にも思わなかった。

 名護屋城。だだっ広くて、いまひとつ実感が湧かなかった。

 最後に立ち寄った太宰府天満宮の大楠。西日本には楠の巨木が珍しくなく、大分にも日本3大楠と称する大木があった。
 太宰府天満宮でいちばん印象深かったのは、小高い丘の上にある九州国立博物館だ。
 屋根つきエスカレーターで往復できるのだが、エスカレーターの乗り降りさえ困難という人には、ボックス型のリフトがあって、これだと腰を下ろしたまま上下できる。
 われわれ夫婦はそちらのご厄介になって大変ありがたかったのだが、このリフトは単線、片道所要時間が8分かかる。
 足腰の不自由な人が複数やって来たときはどうなるんだろうと、人ごとながら気になったのだった。


2022.4.23
 雀がまったくいなくなった。
 数が減っているという話なら、これまで何度か聞いていた。
 しかしまさか、これほどいなくなっているとは思わなかった。
 この1ヶ月気をつけて見てきたのだが、ただの1羽も見ていないのだ。
 この前大掃除をしたとき、不要品の中に鳥の餌があるのを見つけた。
 雀用の餌として買ったヒエやアワだった。
 5、6年くらい前だったか、体調をくずしてしばらく家に籠もっていたことがある。
 そのとき退屈しのぎに、ベランダに餌を撒いて、何十羽もやってきた雀に慰められた。
 調子に乗ってどんどん餌をばら撒いていたところ、せがれから文句が出た。
 雀がベランダ中を掻き回すから、大量の屑が庭へ落ちる。
 散らかるだけでなく、それが芽を出し、あらたな雑草の元になってしまうと言うのだ。
 言われてみるとその通り。それで反省して、餌撒きはその段階でやめた。
 その餌がまだ残っていた。
 こうなったら、なにがなんでも雀を呼びもどそうと、すぐさま大量の餌をベランダにばら撒いた。
 ところがまったく寄ってこないのだ。
 ただの1羽も来てくれない。
 雀が減り、このままだと絶滅危惧種になってしまうのではないか、と危惧する声もあるそうだが、これほど深刻になっているとは思わなかった。
 毎日目を皿のようにして庭を見ているのに、まったく姿が見えないのだ。
 雀だけではない。
 ヒヨドリも、ムクドリも、シジュウカラもいなくなっていた。
 カラスはまだいるが、それも数が減っている。
 森の藪のなかでウグイス、カッコウがときどき啼くものの、もともとこれらの鳥は数が少ない。
 夜明けになると、うるさいくらい庭木の梢でさえずっていた小鳥が、日中でも全然見えなくなった。
 雀は里の鳥なので、人里離れた山の中にはいない。人間の暮らしに寄り添って生きている。
 居住条件が年々悪くなっていることはたしかだろう。
 家が建て替えられるたび無駄がなくなり、雀が巣を作れるような隙間がなくなっている。
 さらにこういう声も聞いたことがある。
 雀の数が、携帯電話の普及とともに減ってきたという説だ。
 空中を飛び交っているおびただしい電波が、雀のような小鳥の脳にどのような影響を与えるか、人間の尺度では測れないものがたしかにあるのではないか。
 とにかく雀がまったくいなくなったというのは、尋常なことではない。
 局地的に見る限り、わが家の近辺ではもう絶滅してしまったのかもしれないのだ。
 一見のどかで美しい日本の農村、そこに雀の姿がないのは不気味としかいいようがない。


2022.4.1
 4月になった。
 桜が満開である。
 冬が厳しくてなかなか春が来なかったが、いざ来たらものすごい駆け足だった。
 その春を迎え、わたしも終活することにした。
 世の流行りものをいまごろになって、と多少恥ずかしいのはたしかだが、そろそろ身辺を片づけようとは前から思っていた。
 母方の身寄りが絶え弟が亡くなり、いよいよつぎは自分だなという実感が込み上げてきて、やっと重い腰が上がった。
 部屋の整理は先月からはじめていた。
 とりあえず大量のゴミを捨て、毎日毎日大量の紙を燃やした。
 おかげすこし片づいた。
 すこしである。
 パソコンだけでも、使えるものが4台あった。使えないものが2台。
 キーーボード、マウス、フロッピー、ディスクに至っては数え切れないほど。
 自分の歴史だと思うから捨てられなかったのだが、いまになってみると、何でこんなものをと、理解できない。
 まだ半ばだが、おかげで部屋がだいぶシンプルになってきた。
 仕事机も徹底的に片づけた。

 この前パソコンを2台お目にかけたが、今回あらたに27インチのディスプレイが加わった。
 ネットの記事が読めなくなって、拡大鏡を買ったりルーペを新調したり、あれこれ試してみたのだが、それくらいでは追いつかないくらい目の悪くなるスピードが早くなった。
 何のことはない。ディスプレイを大型にしてしまえばよかったのだ。
 大型ディスプレイはすごく高いだろうと思っていたのだが、27インチぐらいまでなら2万もあれば買える。
 これで原稿を書きながら、大型画面には野球中継を映しておく、といった芸当もできる。
 デスクは60×120で、買ったときはずいぶん大きなデスクを買ってしまったなと思ったが、こうなるともっと大きいのにしておけばよかったと後悔している。
 足下に転がっている大量のコードをどう片づけるか、それがこれからの課題だ。




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