バリは成田から7時間。予想以上に遠かった。
J'ai pris l'avion pendant 7h du Japon, c'etait long.
4月までは雨期。夜は激しい雷雨に驚いた。
Jusqu'en Avril c'est la saison des pluies. Il y avait des orages terribles toutes les nuits.
昼間は、灼熱の太陽。誰も日陰から出ようとはしない。
La journee, quelle chaleur! Personne sorait du chalet.
ホテルのプールは人肌の温度。気持ち良く、無い!
L'eau de la piscine etait tiede. Ce n'est pas tres frais.....
プールサイドでは沢山のオーストラリア人がビールを大量消費。ゲップの音まで響き渡る。おいおい。
Il y avait beaucoup d'Australiens a la piscine avec plein de bouteilles de
bieres. Ils rotaient meme dans l'eau...
バリはヒンズー教の島。ホテルにも民家にもお寺があり、御供物があちこちにある。
Bali est une ils hindouiste. On trouve des temples et on dispose des offrandes partout.
庶民の交通手段はバイク。親子3人、友だち同士、雨の日はポンチョで豪快に、でも慎重にとばしていました。空港付近以外は信号皆無。どうやって角を曲がるのだろうか。
Le moyen de transport le plus repandu est le moto. Ilsmontent a 3(avec un petit bebe!), avec des copains, meme sous la pluie. Sur les routes, il n'y avait pas feu tricolores.
とにかく暑くって、参りました。寒い日本から突然熱帯へ、しかも後半は太陽光線によるアレルギー発症。道端スケッチなんて命がけです。いつもの絵の具箱も暑さでドロドロ。長年愛用ペンは紛失するわ、で、なんとかスケッチブック1冊埋めてきた。絵になる風景は多いけれど、描けない!涼しくなったらまた来よう、ってバリは一年中夏だった!
Quelle chaleur! J'etais a battue par les rayons du soleil et j'ai fait de l'allergie. Il est impossible de dessiner dans la rue. En plus j'ai perdu mon stylo prefere et tous les peintures carres etaient fondus. J'ai a peine rempli un cahier de dessin. Je veux retourner lorsqu'il fera moins chaud.....mias a Bali c'est toujours l'ete!!!

バリの思い出
現地日本語ガイド
多くのバリ人、日本語を話す。
左:Sさん。空港に迎えにきた。日本語上手いが、お笑いネタをノンストップ。「ゲッ  ツ」「ダメダメヨー」「イミナイジャン」etc. 本当にやめてほしかった。
中:Bさん。ウブドまで時間超過でガイドしてくれる。真面目な人。バリの生活等いろいろ教えてくれた。子どもは普通4人で彼の奥さんは3人目妊娠中。お嬢さんには看護婦になってほしいそう。医者がいいけど、学校入るのにも相当お金がかかるらしい。ガイドはどうですか、と聞いたらとんでもなく大変だって。でも、このガイドになるためにも社長に米100キロと父親の大きな木彫作品を貢いだそう。きびしい、、、、、。
右:空港まで送ってくれた。年輩。日本語をフレーズごと暗記してひたすら伝える。日本語なのにバリ語にきこえる。きっとテストがあったのだろうな。
物売り
海辺の物売りは度を越している。オーストラリア人男性にこれだけの人。
大判スカーフ屋、ペンダント屋、マッサージとマニキュア屋、アイス屋、2週間で消える入れ墨シール屋、木彫り人形屋。寝た振りをする私の前をこの団体が通り過ぎ、本当に地平の果てまでついて行って見えなくなった。結局買ったのだろうか。相手が怒ろうが、泣き出そうが、お金を出すまで付いて行く。生きて行くためなのだろうが、、。
通貨
100ルピア=1.4円 小銭はほとんどなく、1000ルピア札が最小単位デ14円、ビールが大体10000ルピア。1万ルピア、でもフランス語でいうと10×1000(ディミール)。一緒に行った友人はフランス人で、こんな会話をしながら、彼女はフラン換算で価値をはかり、私は円で考える。さぁ、ビールとナシゴレン(チャーハン風)とサテ(焼き鳥風)を食べたら何ルピア?7万4千ルピア、フランス語では何だっけ?ゼロが多すぎてわかりません。私は数字が大の苦手。一万円の両替が物凄い札束に変わった喜びはただの一瞬だけでした。しかも、大きな店ではルピア、ドル、円で支払い可能。どういう換算しているのかは、不明。不明瞭な点、多し。
「ニホンジンハ、カネモチネー、インドネシアハビジネスナイヨ」日本人である事をこんなに意識させられた事はない。ガイドさんも物売りさんも皆、日本人を羨ましがっていた。一緒に行ったロランスはフランス人、私は日本人、彼らはインドネシア人、そうして生まれてきてしまった。不思議だ。 ふしぎだ。
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