私の音楽体験

私の初づくし

生徒会長 私は伊勢の国で5人兄弟の末っ子として生まれ、私が中学生の頃11歳上の兄貴 がジャズバンドでギターを弾いていて家にはジャズのレコードやスイングジャ ーナルがあり聴いていたが、高校に入る頃には感化されテナーサックスを吹き たくてブラスバンド部に入部した。

しかしながら、この高校(伊勢工業高校) のブラスバンド部は部員は数名と怪しげな指導者が居てたが、楽器はほとんど 無くテナーサックスが壊れていたのでアルトサックスを担当した。アルトサッ クスは先輩に教わったが、ほとんど毎日好き勝手に吹いているのが実情でした。 高校卒業するまでブラスバンド部として演奏したのは文化祭など数回しかあり ませんでした。

ブラスバンド部では練習が飽きたら、将棋部へ行っては将棋を指し、ブラスバ ンド部と将棋部を渡り歩いていたが、高校2年生になったとき兄貴から中古の テナーサックスを買ってもらい俄然やるきになり、その頃兄貴のバンドでテナ ーサックスをしていた人からソニーロリンズ(Doxy)とチャーリーパーカー (Confirmation)のコピー譜を貰い毎日練習をしていた。

家で練習するときは、夏の暑い時期でも近所迷惑になるので窓を締め切って練習 に励んでいた。その成果があって、突然、兄貴が今晩サックスを持って一緒に来 いと言われ、着いた所は、政府国際観光ホテル「鳥羽小涌園」のラウンジでお客 さんが数組ウィスキーを飲んだり、ダンスをしたり楽しんでいる。

兄貴から2nd ステージで声が掛かり、ピアノ・ベース・ドラムと兄貴のギターをバックにDOXY をやらせてもらった。テーマをとりそのままアドリブへ突入し気持ちよく吹けた が出来はというと・・・・・・(2度目は声が掛からなかった)これが、私の初 ステージでした。

高校を卒業と同時に、大阪の会社に入りジャズバンドを探していたが、当時は グループサウンドやフォークグループがはやりで好みのバンドは無かったが、 好きな者が集まり何となくギター・ドラム・ベースとのカルテットで練習する ようになった。

会社では、当然文化祭やクリスマスパーティーなどの行事に駆り出されました。 そうこうしていると外部から声が掛かった。

片町線(学研都市線)の津田駅の近くにあるラウンジ「舞」からクリスマス パーティーで2日間出てほしいと依頼があったので即OKの返事をした。

演奏の希望内容を聞くと、ママの日本舞踊の演奏「隅田川」や東千代ノ介 (今の若い人は知らない時代劇の映画スター)や吉本の芸人(池野めだか、 他は忘れてしまった)が出演する歌伴やダンスと合間にジャズ演奏でした。 吉本の芸人や料理と酒でこっちも楽しめたし、ギャラはバンド全員で10万円 だったので1人25,000円の臨時収入となりました。

これが一般のお店から戴いた初ギャラでした。

投稿者:河内の王将(2005.2.1)