物理学者のジョージ・ダーウィンは、
一ヶ月の間毎朝チューリップに向けてトランペットを吹くというような、
全く気違い染みた実験を時々でよいが欠かさず行うべきであるというのを常としました。
この実験の結果として、何か起こるでしょうか。
恐らく何も起こらないでしょう。
しかし何かが起これば、それはとてつもない発見となることでしょう。


「理論負荷的」:観察語及び観察文の一切は理論という荷物を一緒に運んでいる。

上記のように「理論負荷的」という語を定義します。
一ヶ月の間毎朝チューリップに向けてトランペットを吹くという、
全く気違い染みた実験のような「理論負荷的」でない実験も
存在するということを理解しておく必要があります。

このような実験が新たな科学理論の生誕に貢献しなくとも、
自然の扱いにくさを克服すべく自然と交戦しているということに
着目してみてはいかがでしょうか。
技術革新の場合、実験作業の理論先行性つまり実験作業が科学理論に貢献するか否かは
後から判明するのが一般的であると考えます。

このような実験は必然的に現象を創造する実験作業を伴います。
自然との交戦模様の描写が技術革新史となるのではないでしょうか。


技術革新においては、
効率的なリソースの探求と観測可能な現象をできるだけ多く産出するよう
実験回数を増やすことが求められます。

また、実験作業史=技術革新史は、
実験装置を使用した際の装置の振る舞いの歴史でもあります。


換言すれば、
装置の振る舞いの中にある、
「奇妙なもの、まずいもの、教訓的なもの、もしくは歪(ゆが)められたもの」を
実験者がどのように選び出し、
それらが装置に起因するのか、
それとも自然界に由来するノイズなのかを見極めることの歴史が
実験作業史=技術革新史であるといえます。


実験装置自体も、
自然に積極的に介入して新奇に振る舞わせる傾向をより強く持つ「能動的な装置」と、
自然の振る舞いを観測・測定することにその主要な役割がある「受動的な装置」とに
分類することが可能である、
という点も装置作業の歴史を記述する観点から重要であると考えます。