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’01年1月記
《再び海辺の山域へ》
拙著「土佐のマイナー山」(南の風社刊)の中でも触れたが、私は毎年、年末年始は登山(踏査)旅行に出かけている。2001年、21世紀の幕開けの正月に旅行する場所も、既に前年の9月には決まっていた。それは山口県長門市のある島の超低山と周辺の史跡だ。
山口県の観光ガイドブックや登山ガイドブックを購入し、年末が来るのを待っていた11月のある日、行き先の変更を余儀なくされることが起きた。その日、何気なく土佐清水市の三角点配点図を眺めていた時、あることに気づいたのだ。中村市坂本から南にほぼ一直線に土佐清水市街地の発電所まで延びる送電線沿いに、名のある三角点山が多く存在することに。森林管理署の施業図にもいくつかの山が載っている。去年行った大月町の山のように、これらの山も海に近い。とすると、また多くの大海原の展望に出会えるのではないか。また、便利なことに、すぐ東のサニーロード(国道321号線)沿いの要所要所には民宿がある。これならば、2、3泊して鉄塔山を縦断していくことが可能だ。どの山も標高が低いから、少々山や谷を繰り返し越しても、それほどの疲労はないだろう。
高速道を長距離運転して四国以外の見知らぬ町の山へ行くか、初めての縦断形式(縦走ではなく)で行く県下の山旅を取るか、答えはすぐに出た。私が最も愛するのは、やはり地元高知県のマイナー山だったのだ。が、今回の山旅は初日から期待を裏切られっ放しになるのであった。
《ボロボロの山行》
’00年12月に入ると各山の登山口の下見をし、待ち兼ねた12月30日、いざ出発。まず目指すは中村市八束の小川内山(211、4m)。登山口は奥山路の鉄塔巡視路入り口。朝が弱い私はこの日も家を出るのが遅く、登山口を出発したのはもう10時過ぎ。さすがに少々焦り、オーバーペース気味に登る。今日は三つの三角点山へ登る予定だが、中間には乗り越えなければいけない山や尾根もある。何とか夕方5時過ぎくらいには宿に着きたいものだ。
植林の中を難なく登っては行くが、さすがに7年ぶりに背負う52リットルの大型ザックは重い。もうそろそろ山頂直下を通るはず、と思っていた時、道縁に石標をやり過ごす。ここな辺りは国有林とは違うから、森林管理署の境界石標ではないが、少し気になる。そう思っている内に、巡視路の最高標高地点に至ってしまった。「やはりさっきの石標が尾根の分岐だったか」と、慌てて引き返す。巡視路からは踏み跡は見えないが、シダの中に分けいると尾根道が確認出来た。尾根の片方は植林帯だ。距離からすれば、数分で山頂に至るはず、と思いきや、尾根が上りに差しかかった所で猛烈なシダの藪。とても藪漕ぎは出来そうにない。山頂直下を鉄塔巡視路が通っている山で、道が藪化していて通行出来なかったというのは、今回が初めてである。なんと幸先の悪いことか。が、これは苦難の序曲に過ぎないのだった。
さきほどの最高地点を越えると、前方遙か彼方に目指す船ノ川谷山(327、3m)が、のっぺりとした頂上部を覗かせている。そこからは一気に下って行くが、山や谷があり、アップダウンが強烈だ。
尾畑の車道に下り着いた時はもう昼が近かった。尾畑からは最初は畑の畦道のような道で、その先には深木川を渡す長い鉄の橋がある。この辺りはまるで観光地の遊歩道のようだが、ここから先は更に厳しい山行が待っている。
激しいアップダウンを繰り返し、津蔵淵から西に入ってくる木綿越林道(途中から車両の通行は不可)に出た時は、もう登山をやめてタクシーで宿へ行きたい気分になっていた。しかし山ヤのプライドがそれを許さなかった。空腹に耐え、重い足を引き摺り、巡視路を登る。
相変わらずのアップダウンを繰り返し、いくつもの鉄塔を過ぎると、やっとのことで船ノ川谷山との分岐の森林管理署の石標が現れる。ここから先は尾根を忠実に辿るから、地形を無視した極端なアップダウンはなくなるはずだ。尾根道は鉄塔巡視路ほど整備されているわけではないが、踏み跡は比較的明瞭で、石標も指導標代わりになる。
分岐から十数分で三等三角点の埋まる山頂だ。展望はなく、平凡な頂だ。時刻はもう2時半に近い。弁当を食べる誘惑にかられるが、まだもう一座、越えなければならない山がある。安徳天皇の伝説を残す「天子ヶ森[てんじがもり](319、3m)」だ。船ノ川谷山を過ぎると石標もなくなっていき、踏み跡も所々不明瞭になってくる。しかし尾根自体は明確だ。段になった所から竹藪の中を通り、しばらくして堀切の峠に出る。かなり広い道だが、西へ下る方は藪化している。一瞬、伊豆田峠では、と思ったが、峠にあるはずの遍路石がない。しかし他の峠に心当たりはない。車の騒音が間近に聞こえるから、もう既に伊豆田峠を越えていないとおかしいはずだ。
新伊豆田トンネルの上部を通過し、天子ヶ森の二つほど手前のピークが近づくと、東方の展望が開けて来る。尾根道は植林帯の際についている。が、ピークを越えると道は段々怪しくなっていき、最後には消える。天子ヶ森手
前のピーク辺りに来るとひどい藪だ。私はそのピークを天子ヶ森山頂と思っていただけに、三角点がないことに戸惑い、焦った。実際の地形と地図とを何度も見比べて、やっとその先のピークが山頂ではないかと思うようになったが、藪の状態は熾烈さを極める。途中、何度諦めて下山しようと思ったことか。しかし平家物語のファンである私は、どうしてもこの山頂を極めたかったのだ。
1メートル進むのに何分も要するような猛烈な藪に喘ぎながら、やっとのことで四等三角点を発見出来たが、三角点周囲も同じような猛ブッシュだ。国土地理院の白い標柱がなければ、三角点の発見は無理だったかも知れない。標柱には平成5年の測量表記があったが、三角点測量を行なってから、何十年も経っているような荒れ方だ。
山頂から引き返し、藪を脱出し、植林帯の中に入ると、空腹のため判断能力が低下し、コンパスを持っていても尾根が複雑なため、ルートが分からなくなり、視界に入る尾根を盲めっぽう歩き回るようになった。そうこうしている内に、林道らしき道に下り立った。しかしその道が地図のどの道かさっぱり分からない。とにかく下って行くと舗装道に出たが、ここを右に行けばいいのか、左へ行けばいいのか分からない。とりあえず右に折れてみた。下ノ加江の大八地区にくだる車道が現れるのでは、と思ったからだ。しかしどこまで行っても分岐は現れない。「もしやこのまま行けば、葛籠山頂に達してしまうのでは」と不安になり引き返した。日は既に傾きつつあった。こ
の道は恐らく伊豆田坂トンネルに続いているはず。地図上で見る限りでは、トンネルまでは1キロ少々。すぐ着くだろう。しかしこれは甘かった。何十分経っても着かない。不安になってきたが、今の自分に出来ることは、この道を下ることしかない。
道は合っていた。前方下に旧道が見えてきた。が、旧道に下り立つと安堵感は消しとんだ。下ろうと思っていた伊豆田坂トンネルの入り口が、土砂崩れで埋まっているのだ。となると、この道を逆に進み、新伊豆田トンネルの東方へ出て、そこでタクシーを呼んで、宿に向かうしかない。もう時刻は5時を回り、辺りは漆黒の闇が包もうとしていた。
なんとか国道321号線(サニーロード)に出て、新伊豆田トンネル向けて歩いて行った。何度かタクシーが通りかかるが、どの車両も「予約済み」ランプが点灯している。トンネル入り口まで来ると、ザックを置いて、今日の宿である下ノ加江の安宿(あんしゅく)に電話してみた。しかし何回鳴らしても誰もでない。まさか私が予約してあることを忘れて、宿泊客がいないということで、休みにしているのではないか。ぱらつく雨が不安感を一層かき立てる。104に電話して下ノ加江のタクシー会社の電話番号を教えて貰い、電話してみると半時間ほどでここまで来れるとのこと。一安心だ。再び安宿へ電話すると今度は主人が出た。どうやら私のとりこし苦労だったようだ。
タクシーに乗り、運転手に天子ヶ森のことを尋ねると、以前は山道が山頂まで続いていたそうである。落胆の思いで宿に到着すると、極度の空腹と疲労で身体はガタガタになっていた。ザックのショルダーベルトがくいこんでいた肩は、少し触れただけで激痛が走る。大阪在住時にも何回か高山の長距離縦走登山を行なったことはあるが、ここまでしんどい思いをしたことはない。初日からこんな状態で、果たして明日からの登山を続け
ることが出来るのだろうか。流石の私もやや不安にかられる。
《挫折続きの苦行僧》
翌日、幾分体力は回復したものの、まだ疲労感はある。宿を発ち、下ノ加江の旧道を長笹山登山口目指して歩く。道沿いの神社ではどこも、地域の住民たちが境内を掃除している。何もわざわざ大晦日にやらなくても、と思うが、港町故、昔から信仰心が厚いのだろう。
長笹山(328.2m)は数週間前に下見登山で登頂しているから、難はないが、その地形図に記されているコースは踏み跡が薄い箇所があるので、油断は出来ない。下見時はそのコースを往復したが、今日は復路を変更して回遊してみるつもりだ。
登山口に到着すると、この山をガイドブックで紹介した時のことも考え(永久にないだろう)、指導プレートを設置した。登山道は稜線に出るまでは薄暗い雑木の中だが、往路に於ては植林を見ることがほとんどないので、そういう意味では味わいがある。山頂はゆっくりくつろげるスペースはあるが、風通しはいいものの、展望がないのが残念だ。山頂からは北に稜線を進むが、海に近いだけあって、風には潮風の趣きがある。道は比較的明瞭だが、二つ目のピークで踏み跡が判然としなくなる。少し藪の中を下ってみると、木の間越しの前方に目指す分岐のピークが見えている。仕方がないので、コンパスを頼りに藪の中を下っていく。コル辺りになるとだだっ広くなり、すぐ右上に稜線が見えている。稜線は痩せ尾根になっていて、明瞭な尾根道がついていた。なぜこんなにも明確な尾根が発見出来なかったのかと思うと、不甲斐ない。
分岐のジャンクションピークには森林管理署の石標が立っていて、道は二手に分かれるが、回遊するため、進路は南にとる。一部、倒木をかわしながら通る箇所もあるが、道は往路よりも遙かに明瞭で明るく、気持ちいい。ぐんぐん下っていくといきなり視界が開ける。金比羅神社の建つ金比羅山だ。海側に大きく展望が開け、足摺方面
まで見渡せる。今日、この後で登る譲葉山の稜線も見えている。神社前には昔の狼煙台がきれいな形で現存している。その横には錆ついたイカリが置かれている。小さいとはいえ、ここまで担ぎ上げるのは大変なことだろう。長い神社の石段を下って下ノ加江の住宅街に下りると、その足で歩いて譲葉山登山口へ向かう。この国道はよく遍路が行き来しているが、まるで遍路になったような気分だ。
鍵掛地区の南から鍵掛林道に入り、鉄塔巡視路を登り、支尾根の鉄塔へ上がる。ここからは東方に展望が開けている。しばしの休止の後、ここで巡視路と分かれて背後の尾根道を上る。標高が高くなるに連れ、背の低い一面のシダの中を歩く明るい道になり、南国情緒に溢れる。が、楽しい気分は一変する。山頂の北東のピークから先は道がなくなっているのだ。藪漕ぎも出来ない密林状態だ。当初は譲葉山から途中一泊して、土佐清水市街地まで鉄塔沿いの山を縦走していく予定だったが、ここでルートは途絶えてしまった。
縦走・縦断形式の登山は諦め、下山後はタクシーを呼び、中村市に停めてある自分の車の所に向かった。運転手は昨日と同じ人だった。それだけに昨日よりは会話も弾み、登山に関すること等を話した。車に戻ると、今日の宿である久百々の「民宿くもも」に向かった。
《くももも、ももも、もものうち》
民宿くももに泊まるのは二回目だ。最初に泊まったのは26年前、小学生の時、亡き父親に連れられ、一泊二日の足摺観光をした時だ。その時は「ドライブイン・くもも」という名称だった。珍しい店名だったので、子供心に覚えていたのである。この時、生まれて初めてコーヒーを飲んだため、なかなか寝付けなかったのだが、朝は清々しい波の音で気持ち良く目覚めたことを未だに覚えている。
宿に着くと出迎えてくれた女将さんと、昔話に花を咲かせる。現在は食堂の方はやっていないが、すっかり遍路宿として定着しているようだ。当時は近くに「日本一のサボテン」があったが、今は枯れてしまっているらしい。
さて、問題は明日からの登山の予定だ。中途半端に縦走するよりは、単発登山、若しくは部分的に回遊登山をした方がましだ。地図と格闘した後、計画は決まった。今日登頂出来なかった譲葉山は最終日の午後に回し、一部コースを短縮し、他の山は縦走や縦断はせずに、回遊ルートを設定することにした。
《展望のいい山は登れない》
翌日は21世紀最初の元旦。疲労もすっかり回復している。が、登山初日から続いている、軽度のメニエル症は治っていない。女将に別れをし、車に乗り、今日登る山、岩風呂山(288.8m)登山口に向かう。
麓の車道を送電線が横切っているから、車道沿いに鉄塔標柱があると思っていたが、いくら探しても見つからない。小径は複数発見出来たが、これらが鉄塔巡視路である確信が得られないので、巡視路を辿ることを諦め、森林管理署の境界道を辿ることにした。車で横道地区の天満宮まで行き、そこから登ることになる。最初の斜面の急登は苦しいが、尾根に上がると鉄塔道並みに整備された尾根道がついている。境界標柱も次々と現れるから安心だ。起伏も大したことはない。この山も海に近いから、風はやはり潮風だ。去年の正月の大月町の山もそうだったが、朝の潮風は本当に心地よい。自然林も残されていて雰囲気もいい。
難なく岩風呂山頂(展望なし)を過ぎ、今度は南東の鷹取山へ向かう。南下するに連れ、鷹取山が左手前方に迫ってくる。鉄塔まで下ると一度鷹取山の西の谷に下り、そこから急角度で鷹取山の南西の鉄塔へ向かう。最初の鉄塔からは南の展望が得られるが、二つ目の鉄塔からは180度を超える大展望だ。九輪森の稜線を始め、太平洋まで遠望出来る。今回の山行では一番の展望ポイントだ。ここからは
北に稜線を鷹取山頂まで辿るのだったが、二つ目のピークでそれまで明瞭だった尾根道が突然途絶える。藪漕ぎも出来ない密林状態で、巻き道もない。しかし登山者がつけたと思われる赤テープがあった。恐らく県下の山でいつも見かける、高知市のMH2さんによるものだろう。無理して藪漕ぎしようとすると衣服がビリビリと音を立てる。山頂は目前だが、登頂は断念することにした。谷まで引き返し、鉄塔標柱に従い、麓の車道へと下っていく。
車まで戻ると、明日辿る予定の尾浦半島の四国のみちの入り口を確認するため、土佐清水市街地へ向かう。登山口は、道標があるのですぐ分かった。安心して今日の宿である、「旅館・扇屋」に向かう。この旅館は清水市街地の宿泊施設の中で、唯一、弁当(おにぎり)をつくってくれる所だ。しかし普段はそういうサービスはしていないので、誰にでも作ってくれるという訳ではないかも知れない。建物内部の作りは正に「街の旅館」という印象だ。郡部の旅館とは違い、自分の部屋で食事出来るので、私のような怠惰な者には有り難い。
《海では誰もが童心》
ついに最終日、今日の午前中は登山ではなく、四国のみちのハイキングを楽しむ。何泊かの宿泊登山の最終日には、楽な山行を行なうというのが、身体にとってはいいものだ。登山口から完璧に整備された幅広の山道が続く。峠に達すると十字路になっているが、まず、西のピークに上がってみる。シダの中の踏み跡を上がるとアンテナ塔が建っていて、その先が山頂っぽくなっている。ここからは清水の市街地を見下ろせて気持ちがいい。ゴミも落ちているから、一般の者も散策がてら、ここに上がって来るのだろう。
峠まで戻ると今度は東の道を辿ってみたが、この道は牧山(114、1m)までは続いていない。再び峠まで戻ると、緩やかに下る四国のみちを、尾浦崎向けて下って行く。どんどん下っていくと「こんな山の中に?」と思うほどの、一軒の民家がある。住人がいるのかどうかは定かではない。そこからすぐの所に分岐があり、四国のみちではないが、ここから浜側の小径を辿ってみた。すると浜辺に出た。風は強い。海に細長く突き出た岩があったので、童心に返り、そこに上ったり、あちこちの岩場を歩いてみる。心行くまで楽しむと四国のみちに戻る。が、四国のみちもそれからすぐ、さっきの浜の一つ東の浜に下りて行った。ここの浜は先程の浜より広く、気持ちいい。まるで、大月町の尻貝山の回遊コース中にある浜辺「小尻貝」にそっくりだ。コースは浜辺を行くが、波がすぐ足下まで押し寄せて来る所もあり、なかなかおもしろい。
浜辺から上がって行き、車道に出ると、畑の向こうに「土佐清水港灯台」が見えている。「尾浦崎灯台」と名付けた方がしっくりいくほど、岬の先に近い所にある。灯台からは南方の海を眺められる。ここから後は、平凡な舗装車道を清水市街地まで戻るのみだ。
車まで戻ると、二日前に辛酸を嘗めた譲葉山(427m)に再びアタックする。今度は南の久百々林道から入る。こちらからのコースは、鉄塔から先も明瞭な尾根道が続いていて、灌木の刈り払いも行なわれているので安心だ。稜線の植生は明確で、尾根から右斜面は雑木、左斜面は植林帯、という風にはっきりと分かれている。ある程度明るく、陰気さはない。この山の山頂も展望はないが、道の状態や起伏、標高から言うと、土佐清水市の山の中ではいい方だ。
今回の山旅は当初の予定通りには進まなかったが、海岸沿いの海山をいくつか開拓出来て、それなりの成果はあった。やはり正月は潮風受けて登る海沿いの超低山に限る。近年の私は、海を見ないと年が明けないほどだ。
去年の大月、今年の土佐清水と、宿泊登山気分を盛り上げる遠方の二つの海岸沿いの山域を開拓したが、県下にはまだ二、三箇所未開拓の遠方の海岸沿いの山域がある。それらは来年以降の正月にまた滞在型(ベースキャンプ型)登山形式で登る予定だ。いつか機会があれば紹介したい。
[追記]
〇’02年正月にはビデオ「土佐のマイナー山頂コレクション・vol.2〜3」(ロンプ刊)で紹介している室戸沿岸山(池山、四十寺山、笹ヶ平、観音山)を踏査。但し、下滝(しもだき)は登頂に失敗。
〇’03と’04年の正月は愛媛県朝倉村の城山群を虱潰し踏査。
〇’05年は徳島県小松島市の義経街道(「ドリームロード」ではない本当の進軍ルート)を踏査。
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