
<マイナー山とは>
拙著「土佐のマイナー山」により、高知の登山界ではある程度、この言葉が認識されるようになりましたが、拙著の本やビデオの未購入の方や、県外の登山愛好家の間では、まだあまりなじみがないようです。「マイナー山」とは、平たく言えば「無名峰」のことなのですが、ピークハンターによっては、別の意に取る者もいます。当会で言う「マイナー山」とは、一般にはあまり知られていない山のことです。地元では有名でも、地元以外ではあまり有名とは言えない山も、マイナー山として分類します。例えば窪川町の五在所ノ峯や吾川村の金綱山
、仁淀村の袴ノ腰、梼原町の烏帽子山等です。
<マイナー山の登山意義> 登岐山(1446m)
地元で有名なマイナー山はともかく、そうでない山は、入山者が少ないため、そのままだと廃道化する恐れがあります。一方、それとは逆にメジャー山では、元々入山者数が多い上に、この昨今の登山ブームにより、益々登山者数が膨れ上がり、その結果、踏圧による登山道のえぐれや、植生の後退、こ゜みの増加などの自然破壊が起こっています。山によっては、登山道の修繕等が行われていますが、それを行っている者も、年に何回もその山を大人数で登って、登山靴で山を荒らしているのです。つまり「茶番なパフォーマンス」なのです。本当にその山を愛しているのなら、登る時は
大人数では登らず、 入山頻度も2、3年に1回位にするべきではないでしょう
か。ただ、こういうことをあまり押し勧めると、その山の地域の人から嫌われてしまいます。
そこで、間接的な自然保護として、マイナー山登山を推奨しているのです。マイナー山にメジャー山の登山者が分散されるようになると、メジャー山の自然破壊の速度が遅くなり、消えかけているマイナー山の登山道は蘇り、地域活性にも繋がります。マイナー山は隠れた地域の自然遺産なのです。
<マイナー山登山を広める取り組み>
これを広めるのに一番いい方法は登山ガイドブックの出版であるので、定期的に出版できればいいのですが、本の出版はスポンサーが現れない限り、永久になされません。そこで’02年からビデオを出しているのですが、あまりビデオを見て山に登る人は多くないようです。
それでは、ということで今、希望者を引率してマイナー山に行っているのです。人数も少なく、アットホームな雰囲気ですので、是非この「期間トレッキング」に参加戴ければと思います。
また、新聞にも今年投書しましたが、越知町の横倉山系の無名峰と街道を蘇らせ、登山基地にする、という構想も持っていて、’05年春にはその第一歩として、八艘ヶ森(939m)のそばにあるアケボノツツジの群生地で鎖場の行場でもある烏帽子岩までの縦走路の整備を、横倉自然の森博物館主導で行う計画もあります。
’98年国際グラフ誌上で俳優・江藤潤氏と対談

[春野公麻呂という郷土登山家]
<「土佐のマイナー山」出版以前>
’00年4月に「土佐のマイナー山」(南の風社)を出版したことで、高知の登山界では広く知られるようになったが、それ以前では、’95年に高知勤労者山岳会(労山)に在籍、翌年退会し、タウン誌にトレッキングのコラムを連載していた。因みに高知県の山にのぼり始めたのは’95年から。それ以前は10年間、大阪にいた。山歩きを始めたのは’87年から。最初は探勝やハイキング、自然の中を走るマラソン大会等に参加していた。一番多く訪れたのは奈良で、史跡や山寺の秘仏を見て回っていた。
<自分にできること>
’95 年頃から私は考えていた。折角高知へ帰ってきたのだから、何か高知の登山界の役に立つことをしたいと。それで老舗の山岳会へ入ったのだが、もはやそこは老人クラブの遠足会になっていた。’96年以降は仕事その他の問題のせいで、山に登る頻度も少なくなったのだが、’99年春、一念発起をした。登山界への貢献度 が最も高いのは、皆が知らない山を紹介した本を出版することだと確信した。そこで持ち前の情報収集力をいかし、地図に載っていない山の山名やルートを次々と開拓していった。本作りにも気を配った。高知は四国の中では一番多く山関連の本が出版されているのだが、大手出版社に匹敵するような、詳しいガイドブックは皆無だった。これは営利優先主義だからだ。高知の最大手出版社では、気乗りのしない執筆者に「売れるから」ということでその者の本意ではない本を書かせたり、国土地理院への申請が面倒なため、分かりづらい手書きのコース図を載せたりと、惨憺たる状況だった。それだけに私は読者本位の分かりやすいガイドブック作りを心がけた。当時、高知の最大手出版社の部長に「君のような山岳会にも所属していない者が書いた本など、誰が買うか」と言われたが、実際は「誰もが買った」のである。但し、私には売上は一銭も入ってこない。私の社会貢献の思いを出版社に利用された感じになり、私は100万円ほど損をしているのだ。
舞台「土佐七色紙伝説」より
[公麻呂の以外な「顔」]
実は私は、登山以外にも様々なことに関わっています。山歩きを始める以前から、複数の同人誌に詩や歌詞を発表していたのですが、特に’02年から幅広く活動するようになりました。「詩のボクシング高知大会」への出場を皮切りに、芝居小屋やライブハウスでの漫談朗読、劇団に入ってかるぽーとや県民文化ホールでの舞台にも立ちました。’03年11月にはテレビコマーシャル出演、障害者の音楽イベントの公募選考員等を行い、今は毎週郡部の児童施設へ「童謡振付師」として指導に出向いています。朗読劇の作品執筆者や演出家、CM役者をお探しのおりは、是非お声を。
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