写真館にいつく誰か

 どこかで見たことのある顔だ。
 駅へと向かう道すがら、毎日それを目にしているからそう思うだけだろうか。

 昔からあるその写真館には、そこで撮影された写真が店頭にいくつも貼ってある。
 七五三や成人の日、仲むつまじく寄り添っている家族の写真など、幸福に満ちた特別な記念日の一瞬を惜しげもなくさらしていた。

 七五三で撮ったと思われるその写真は色あせ、着物や髪型もちょっと古くさい。
 今時の女の子が好む衣装には見えなかった。
 ずいぶんと前に撮影されたものだろう。
 それだけ古ければここを通る際に何度も見ているはずだった。
 既視感だといえば、そうだともいえる。
 ただ、他の写真に写っている人物にはあまりピンとこないので、この女の子とは知らず知らずのうちに、どこかですれ違っている、なんてこともあるかもしれない。

 個人が経営している小さな写真屋さんだ。
 写真撮影にやってくるのは近くに住んでいる人たちばかりだろう。
 実際、顔を合わせたことがあっても不思議はないのだ。

 写真の女の子は案外自分と同じくらいに成長していたりして。

 自分ももうすぐ二十歳だが、さすがにここで成人の日の撮影なんてしないかな、とか勝手な想像をしたりもした。

 このことを写真館の近くに住む中学時代の友人に話すと、その写真館は近所では遺影館とも言われているのだと教えてくれた。
 その写真館で撮影した人物はほどなくして亡くなってしまい、写真館で撮ったきれいな写真を遺影として使う人が多いのだとか。

 そういえばさ、と友人は続けていった。
「小学生のころ、プールでおぼれた女の子がいたよね」
「ああ。亡くなったんだよね」

 その子は隣のクラスだったが、二つしかクラスがなかったので、同級生のことはみんな見知っていた。
 二年生の時、夏休みに学校のプールでおぼれていたのだと聞いた。

「オレさ、同じクラスだったからお葬式にも行ったんだけど、たしか、七五三のときの写真が使われてた気がする」
「マジかよ」
「最近あの前を通りかかることもないし、写真なんて気にかけてもいなかったけどさ。まさか、その子の写真じゃないよね」
「いくらなんでも顔を忘れるってことはないと思うけど……」

 いってるそばから自信がなくなってきた。
 あの子が亡くなったのは七、八歳のときだ。
 十数年も経てば人の顔なんて忘れてしまうものだろうか。

 次の日、いつものように写真館の前を通りかかった。
 なんだか気になって店頭に貼り出された写真に目をやると、あの例の七五三の女の子が、別の女の子の写真に変わっていた。
 同じように古びた写真で古くさい着物だった。
 この前見たときと違う女の子だと思う。

「たぶん……この子じゃないよな……」

 記憶の中のいくつもの顔が浮かんでは消えるが、どうしても同級生のあの女の子の顔を思い出すことができなかった。

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(C) Sachiyo Wawana