小夜子はよく同じ夢を見た。
学校に遅刻する夢、トイレを探して走り回る夢、男子に告白される夢、屋根から屋根へ飛び回る夢――。
だが、小夜子にとってそれらの夢は取るに足らぬことで、起床した瞬間に忘れてしまうことの方が多かった。
おぞましいのは、一番下の妹が夢の中に出てきた時は必ず死ぬということだった。
なぜそんな夢を見るのか、考えてみても自分を納得させる答えは出てこない。
たんなる夢でしかないのに。
いくら言い聞かせてもその不気味な顛末は、目が覚めた後もしばらく不快さがまとわりつき、小夜子を憂鬱にさせる。
今朝も、一番下の妹は死んだ。
布団から這い出た小夜子は、降りしきる雨を窓から眺めながら夢を思い出していた。
夢の中では一番下の妹がつくったてるてる坊主が、窓辺につり下がっていた。
近ごろずっと雨が続いていたが、夢の中ではなんとか雨が上がっていたようだった。
「おねえちゃん、行ってくるね」
陽気に声をかけ、一番下の妹はサマースクールに出かけていった。
数時間後、妹が川の中州に取り残され、鉄砲水に襲われて流されてしまったという知らせが届いた。
激しい川の流れにまだ見つからぬ同級生がいたが、運良く妹の遺体は見つかった。
思わず妹の腕に触れると、皮膚がずるりと剥け、真っ赤な肉が熟れた果実のようにぽたぽたと滴った。
「ああ、まただ」
と、小夜子はそのときすでにこれが夢であると気がついていた。
床に落ちた肉塊に目をやり、妹が朽ちていくのをぼんやりとながめていた。
蛙の皮をはがしたような、グロテスクで小さな形になるまで、小夜子は夢から覚めることができない。
小夜子は物心ついたころから一番下の妹が死ぬ夢を何度も見ていた。
そんなことが何回も続き、あんまりにも怖くなって、妹が死ぬ前に工事中のマンホールの中に落としたこともある。
妹の顔を見るのが嫌になって逃げ回り、逃げても逃げても妹が先回りしていることもあった。
それでも小夜子が現実に一番下の妹を殺さなかったのは、夢に出てくる一番下の妹というのは現実には存在しなかったからである。
小夜子にはすぐ下の中学生の妹と、三つ離れた弟がいたが、その下の小学生の妹はいない。
小夜子が五歳のころ、夢の中で一番下の妹は誕生した。
名前をサユリという。
サユリは夢の最後には死んでしまうが、小夜子が成長するのと同じように、サユリも夢の中で現実と同じ時間を経て成長していった。
幼かったころの小夜子は夢と現実の区別が曖昧になって「サユリちゃんが死んだの」と、存在しない妹の話をするので、両親は気味悪がった。
とりわけ母親は小夜子のことを嫌った。
実は、母の聡子には思い当たる節がないわけではなかった。
もしもあのとき堕胎していなかったら――。
と、聡子はそう考えをめぐらせた。
小夜子がサユリという妹の話をし始めたころ、お腹の子を降ろしてから半年以上が過ぎていた。
堕胎していなかったらちょうどお腹の子が生まれていた時分かもしれない。
けれども、お腹の子は絶対に生まれてきてはならなかった。
あのころ聡子には夫以外の男がいた。
聡子が学生のとき、家庭教師をしていた教え子と偶然再会し、そういう関係になってしまったのだった。
自分の母親に友達と食事をしたいからと子どもたちを預け、日常の憂さを晴らすように若い男にのめり込んだ。
これで最後、これで最後、という逢瀬から現実に引き戻されたのは、奇しくも妊娠だった。
罰が当たったのだ。
あの子は私に与えられた罰。
あの子の命と引き替えに、聡子は失いたくない物を守ったはずだった。
小夜子が現実には生まれてこなかった妹のことを話し始めたとき、聡子は違う意味で怯えていた。
小夜子はなんでこんなことをいうのか。
あのときの逢瀬を知っているはずもないのに。
見透かされているような気味の悪さにさいなまれ、娘を直視できない。
「ねぇ、お母さん」
娘はいつにもましてのっぺらんとして感情がなかった。
「また、今日も、死ぬ夢を見たよ。皮膚が溶けていって、トカゲみたいな小さな肉の塊になって、誰だかもわからなくなっちゃったの」
なぜいちいち詳細に話をしたがるのか、娘は不気味な夢の中身を淡々と報告する。
「……だからね」
ぞっとするようなささやきに、聡子はいたら立ちを隠せずに娘を突き飛ばした。
娘は畳の上に転がりながらも黙って身を起こし、薄ら寒くなるような笑みを浮かべ、聡子を見上げた。
「だから、アルバムから小夜子お姉ちゃんの遺影を選んであげたの。よかったよね、お母さん?」
それから、彼女は存在しない妹の夢は語らなくなったが、得体の知れない父親の話をするという。