【どんなあなたも】


 瓦礫の街に煙幕のような砂埃が立ちのぼった。中から昆虫の翅をもつマトリクサーたちが飛びだしてくる。そのうちの一人に捕らえられているのはヤクモである。
「マシュラ!」
 荒っぽく飛ぶ昆虫族に翻弄されながらヤクモは叫んだ。破壊された建物から走りでてくるのはマシュラ、それにサーゴとクータルだ。
「ヤクモを返せ!」
 マシュラは叫んだ。
「まずいですよ。このままでは逃げられてしまう!」
 隣を走るサーゴが焦りを隠せぬ様子でマシュラの横顔を見た。ヤクモを攫った昆虫族は高速で飛べる者が選ばれたのだろう、マシュラたちが必死に追っても引きはなされるばかりだ。
「くそっ!」
 マシュラは拳に力を込めた。
(ヤクモは絶対に渡さない!)
 その瞬間、炎のような光につつまれて彼はハイパーマシュラと化した。あとに続くサーゴとクータルを一顧だにせずヤクモを追う。

 赤い閃光は矢のようだ。瞬く間に敵の背後に近づいた。はためくヤクモの栗色の髪が見える。ハイパーマシュラは槍を引きしぼると、ヤクモを捕らえたマトリクサーの翅をめがけて投擲した。槍は空気を切り裂いて飛び、翅の先端を派手に吹き飛ばした。片翅では均衡を崩す。敵は急激に失速したかと思うと、勢い込んで地面に激突した。ヤクモも小さな悲鳴をあげて地面に転がった。
「ヤクモ!」
 ハイパーマシュラがヤクモのそばに降り立つと、昆虫族の刺客はその隙によろよろと翅をはばたかせた。すかさず仲間がその腕をとらえ、全速で飛びたつ。追えばまだ彼らを倒すこともできるだろうが、いまはヤクモのほうが気がかりだった。
「ヤクモ、大丈夫か」
「マシュラ、ありがとう」
 ヤクモは頬に土埃をつけたままほほえんだ。
「すまない、敵の足を止めるのに気をとられすぎた」
 手を差し出すハイパーマシュラに掴まって立ちあがると、「いいんです。ほら全然平気です」とヤクモは両手を広げて笑った。


* * * * * * * * * * * *


 その戦いのすぐあとのことである、旅をしていて出会った困難は数知れないが、今日の異変ときたら奇妙な事この上なかった。
「どうにかならないんですか、マシュラ。ミーはどうにも落ちつきませんよ」
「なんだか変な感じなんだなー」
 彼らの視線の先にはマシュラがいる。いや、正確に言えば「ハイパーマシュラ」だ。
「いつもみたいに元に戻ればいいんですよ」
「それが出来ないから困っている」
 ハイパーマシュラは憮然とした面持ちで答えた。先ほど昆虫族十数名を撃退し、サーゴとクータルはとっくにいつもの姿に戻っている。自分も……と思ったらこの有り様だ。「マシュラ」に戻れない。
「いったいどうしたというんでしょう。今までこんなことはなかったのでしょう?」
 ヤクモはサーゴとクータルに訊ねた。もちろん彼らにも経験がない。
「ミステリィ〜です」
「困ったんだな〜」
 打つ手なしという態でクータルは腕組みをした。ヤクモは小さく首をかしげる。
「しかたありません、元に戻るまで様子を見ましょう」
 ヤクモがハイパーマシュラを見あげると、赤い鎧の戦士は無言で頷いた。


* * * * * * * * * * * *


 いつしか太陽は西に傾き、竈にかけられた大鍋からは食欲をそそる匂いがしている。
「今日のは自信作なのねん」
 スープを取り分けていたクータルは、舌なめずりしそうな顔だ。
「まだ食べては駄目ですよ、クータル」
 奪うようにしてスープの皿を受け取ると、サーゴが配膳をはじめた。クータルの分、ミーの分、ヤクモさんの分、マシュラの……。そこまで配って、サーゴは苦笑した。真面目な顔で料理がくるのを待っているのはハイパーマシュラである。勇猛に戦っている姿は何度も目にしてきたが、こんなふうに普段の生活の中にいるのはなんとも場違いに見える。
「まだ戻れそうにありませんか」
 そう訊ねると、蒼翠の瞳だけを動かして「……ああ」と答えた。
(うっ、やっぱり落ちつきません)
 内心でサーゴは頭をかいた。

 落ちつかない気持ちなのはサーゴとクータルだけではなかった。ハイパーマシュラの隣に座ったヤクモは、いつもとは違うマシュラの様子に少々戸惑っていた。
 隣に見える自分より大きな手、サーゴとの会話で聞こえた低い声。いつもならば「うっまそう〜!」とか「はやく食おうぜ〜!」と大騒ぎしているのに、じっと座ったまま一点を見つめている。横にいるのは確かにマシュラなのに、いつもみたいに話しかけられない。
 そっと見あげると目が合った。赤い仮面の奥に、綺麗な色の瞳が見える。ヤクモは突然頬が熱くなるのを感じて、慌てて「わたしも手伝ってきます!」と立ちあがった。
(なぜでしょう、……マシュラの顔が見れません)
 ヤクモはぎくしゃくとした動きでクータルの元へと向かい、ほかにする仕事はないかと訊ねた。あとは飲み物の器くらいだ。
 ヤクモはそれを配る仕事を任せてもらうことにした。そして皆の分を配り終え、最後にハイパーマシュラに器を渡したとき、お互いの指と指が触れ合った。
「あっ……!」
 ヤクモはまるで熱いものにでも触れたように手をひっこめた。器を取り落としそうになったハイパーマシュラは少し不思議そうな顔をしたが、「ありがとう」と短く言うと、またさっきまでのように前方へと視線を戻した。
(わたし、いったいどうしてしまったのでしょう)
 食事が始まるまでの間、ヤクモはハイパーマシュラの指に触れた手を胸にきつく抱きこんでいた。そうすれば早すぎる鼓動が抑えられるとでもいうように。


* * * * * * * * * * * *


 食事も済み、宿営地の夜はごく穏やかに更けてゆく。焚き火を小さくすると、皆は洞窟に毛布を広げて寝に就いた。青白い月が洞窟の外を静かに照らしている。
 ヤクモはなかなか眠れずにいた。目をつぶってもハイパーマシュラの顔が瞼に浮かんでしまう。
(ハイパーフォームするとずいぶん無口になるけれど、瞳からはあなたの気持ちが溢れだしてきそうに見えます。おしゃべりをする代わりに瞳で話しているみたいです)
 蒼翠の眼差しを思い出してそっと寝返りを打ったとき、離れて横になっているハイパーマシュラと目が合った。
「眠れないのか」
 ひそやかな低音に、ヤクモは夜目にも分かりそうなくらい赤面した。不意打ちの問いに返事をしようにも声が出なかった。
(まるで思っていたことを聞かれてしまったみたいです……)

 進退きわまった思いのヤクモは、毛布の端を握りしめて固まってしまった。だが、助けは突然やってきた。
「ぐおー、ぐおー、すぴー。ぐおー、ぐおー、すぴー……」
 間の抜けた音が洞窟の中に響きわたる。クータルのいびきである。ヤクモとハイパーマシュラは顔を見合わせた。
(これでは眠れん……)
(すごい音です……)
 お互い声をたてないように、必死で笑いをこらえた。クータルのいびきは止むことなく続いてる。ハイパーマシュラは笑みを浮かべた瞳で促した。
(ヤクモ、外に出よう)

 音を立てないように外にでると、月の光が地上を仄白く照らしだしている。昼間とはまるで別世界だ。ハイパーマシュラは手ごろな石に腰をかけると、夜空を見あげた。
「サーゴのやつ、よく寝ていられるな」
 ヤクモも近くの石に腰をおろす。笑いをこらえたせいで浮かんだ涙をぬぐった。いままでの緊張はクータルの大いびきのお陰で溶けてしまったように消えていた。
「きっととても疲れているのです、サーゴも、クータルも。昼間はわたしのせいで争いが起こりましたから」
 あなたたちにはいつも迷惑をかけてばかりですね、そう言って頭をさげたヤクモにハイパーマシュラは首を振った。
「俺たちが好きでやっていることだ。気にするな」
 だが、と言い継いでハイパーマシュラは一瞬沈黙した。星を見あげていた瞳をヤクモに移す。ヤクモは一瞬頬が火照るのを感じたが、ハイパーマシュラの視線をまっすぐに受けとめて、言葉が続けられるのを待った。

「……俺はこの姿のままがいいと思っている」
 ハイパーマシュラは短く言った。ヤクモはハイパーマシュラの意を測りかねて首をかしげた。
「どうしてです?」
「この姿でいるほうが、ヤクモを守れる」
 ハイパーマシュラはそう言ってヤクモを見つめた。いつも歯痒く思っていた。「ハイパーフォームしなくたって俺様は強い」、とマシュラは思っている。けれど小さな自分よりもハイパーフォームした自分のほうが確かに「強い」のだ。その姿のままならばいつだってヤクモを危ない目に遭わせたりしないのに……。だったら、もう戻らなくていい。そう思ったら、ハイパーフォームから元に戻れなくなってしまった。最初は不味い事態になったと思ったが、よく考えれば自分には願ってもないことだった。

「でも、マシュラはハイパーフォームしていなくても、いつもわたしを守ってくれていますよ」
 ヤクモはほほえんで答えた。彼らがいなければ、自分は旅を続けることなんて到底できなかっただろう。彼らに出会う前の自分を思いだして、ヤクモは肩をすくめた。それまで生きていられたのが不思議なくらいなのだ。けれどハイパーマシュラは目を伏せて拳を握り締めた。
「現に、ハイパーフォームしてやっとヤクモを取りもどせた」
 今日の事件を気にしているのだろうか。いや、以前からずっと気にしていたのだろう。
 いままで多くの戦いをくぐりぬけてきた。確かに危ない目にもたくさん遭った。けれど、いまこうやって生きているのだ。「マシュラ」と呼べば「ヤクモ」と答えてくれる仲間がいる。ヤクモは立ちあがるとハイパーマシュラが腰掛けているそばに近づいた。
「でも、あなたはあなたです」
 ヤクモはハイパーマシュラの手をとった。ハイパーマシュラが目をあげると、ヤクモの瞳が自分をみつめていた。信頼のこもった眼差しだった。
「ヤクモ……」

 そのとき、ハイパーマシュラの体からまばゆい光がほとばしった。ヤクモは思わず目を閉じる。おそるおそる目を開けたとき、そこにはいつものマシュラがぽかんと口を開けて座っていた。
「……元に戻っちまった」
 ヤクモはマシュラの手をとって立ちあがらせると、「よかった、マシュラ!」と声をあげた。マシュラは「あ〜あ、せっかくハイパーマシュラでいられたのに〜」と地団太を踏んだ。
「ちくしょ〜、もう一回ハイパーフォームしてやるぜ!」
 マシュラはそう叫ぶと、真っ赤な顔で力みはじめた。ヤクモはそんなマシュラの手を強く握った。
「いいんです、いいんですマシュラ」
「だってさー」
 マシュラは不満そうに頬をふくらませた。
 ハイパーフォームは自身の理想とする姿の具現だという。この乱暴者だが優しい少年は、あと数年もすればハイパーマシュラのような青年になるのに違いない。
「いいんです。それに……」
 と、ヤクモは付けくわえた。
「あなたがずっとハイパーフォームしているとドキドキして困ります」
「え、なんでなんで? どういう意味?」
「内緒です」
「なんだよー、ヤクモのケチー!」
 月明かりの下で楽しげな笑い声がはじけた。

 さっきは「内緒」だと言ったけれど、その胸の高鳴りがなんなのか、本当は自分でもわからない。
(成長したあなたと重ね合わせるからでしょうか。とても背も伸びて……。まるで弟のようなマシュラが、急に年上のお兄さんになってしまったみたいです)
 ヤクモはほほえんだ。センターに着いたそのあとも、マシュラやサーゴやクータルと一緒にいられればいいなとヤクモは思う。この旅の結末がどうなるかは見当もつかない。けれど、成長したマシュラがそばにいてくれたら、どんなに嬉しいだろうと思うのだ。

「そろそろ戻りましょうか」
 ヤクモは洞窟を振りかえった。少し冷えてきたようだ。マシュラは頭の後ろで手を組むと唇をとがらせた。
「でもクータルのいびき、止まってっかな」
「どうでしょう」
 二人は再び顔を見合わせて笑った。
 月は少しづつ西へ向かって傾いている。彼らがセンターを目指すように、ゆっくりと、だが確実に。澄んだ月の光は、明日も良い天気であることを暗示して彼らの周囲を美しく照らしだしていた。


< 終 >












2010年7月23日UP
< back > < サイトの入り口に戻る >